第3部 第1話 §4

 ドライの言葉には、あまりにも熱が無かった。


 リバティーが気に入らないのは、街から遠いことにある。自由に遊んでいる友達と違い、自分だけが足かせをはめられているようで、窮屈で仕方がないのだ。環境的な理由はそんなところだが、他にも理由はある。


 ドライの姿が見えなくなると同時に、リバティーはローズの隣に座り、テレビを見る。


 「なにあれ……ムカツクぅ」


 これは誤解だが、ドライがそれを面倒に思っていそうに聞こえた節があった。


 「向かえに来てほしくなんてないわよ……恥ずかしいじゃん」


 と、ムスッとふくれた顔をして、不平不満を漏らし始めている。そして、ローズの呑んでいた水割りに、手をつけ少し口をしめらせる。

 これに対してローズは特に何も言わないが、彼女が口をしめらせるのを見てから、それを取り上げて言う。


 「リバティー?あなた最近。口がすぎるわよ!」


 ローズの視線が鋭い。強くはないが、少し細めた視線がリバティーを睨んでいる。

 リバティーは、ローズに対して閉口することはあるが、反抗することはない。怒られると、それ以上ドライの悪口を言わなくなる。


 ローズは何をさせても、様になっている。バイクを走らせても、料理をさせても、寛いでいても、一つ一つに雰囲気がある。楽に着ている服でさえ、着こなされているように思えるほどだ。


 完全に卒がないと言うわけではない。失敗もするし、大ざっぱに片づけてしまう事もある。


 だが、それも許されてしまうのだ。


 「ママってなんで。パパなんかと結婚したの?パッとしないし、何考えてるかわかんないし……」


 リバティーがドライにイライラするのは、まさにそういったところであった、思考が読めないのである。何も考えてなさそうで、意味深な面がある。

 リバティーは下の方から、ローズの顔をのぞき込む。神妙な顔つきだった。


 「ママは、美人だし何でも出来るし……いくらでもいい人いそうなのに……」

 ローズは、先ほどリバティーが欲しがっていた水割りを、彼女の前に差し出すのだ。


 「ふふ……。そんな上物だけなら、ごろごろいるわよ」


 どちらに対しての解答だろう?リバティーは少し考えるが、上物というのを、相手の容姿や体裁などだと仮定した。

 其れは自分に対しても、ドライに対してもいえる事だという意味も含めてローズはそう言ったのだった。要約すると単なる惚気なのだが……。


 ローズは、ドライの上辺が好きなのではないし。ドライもまたそうでないのだということだ。

 リバティーは、水割りを一口飲み、ローズの表情や動向を追う。その視線は遠い。そして穏やかである。


 「なんか、パパってただでっかいだけで、鬱陶しいじゃん……。昔はよかったの?」


 リバティーはチラリとローズを見る。


 「そうね……アイツの本気見たら、濡れるわよ」


 過激な発言のローズだった。瞳がきらりとして、リバティーを捉え微笑む。猥褻な言葉でさえ似合ってしまう。リバティーは、思わずそんなローズに、どきっとしてしまうのだった。


 ローズは、リバティの反応をおもしろがって、クールな表情でくすっと笑い、テレビに目を遣る。

 そこでは夜のニュース番組が続いていて、何時も待ちで起こっている似たり寄ったりの事件ばかりの放送ばかりであり、他に興味のあるニュースはなさそうだ。


 「さて、寝るか……」


 ローズは、リモコンでテレビをオフにする。

 何はともあれ、今は昔……の話にしか思えないリバティーだった。過去は過去だろうと思うし、だめなものはだめだと思う。だがローズの瞳は、輝いている。


 リバティーにはそれも不満だ。

 二人の間が全く冷めていない事が理解できるのは、度々行われる情熱の営みが、壁越しに聞こえるからだ。それも不思議でならない。兎に角不思議なことだらけだった。


 翌日の、陽が高くなり始めた午前中のことである。

 ドライは仕事に出かけずローズとテーブルを挟んで数枚の紙切れを眺めていた。学生生活には一年に数回、強制的に能力を測定される避けられないイベントがある。

 学力テストである。


 「なんでぇ……こりゃ、テストじゃねぇか」


 ドライは別に、大した問題ではいと思っている。なぜなら彼はその点数になど、興味がないからだ。それがテーブルに置かれている理由は、色々ある。


 「この点数見てどう思う?語学Ⅰ、Ⅱ、数学、考古学、理化学、社会……」

 「どうっておめぇ……全部満点だろ?」


 ドライは、短絡的で突発的なところが目立つが、その反面に、シュランディア=シルベスターとしての顔も持ち合わせている。それは英才教育を施され、知才に溢れた彼の別人格である。


 しかし利用している脳内の知識は、基本的に同じであり、シュランディアとして教育を受けたドライが其れを判断すると、途轍もなくズレた結論を出すのである。

 シュランディアとしては、其れが出来て当然であり、ドライとしては、結果オーライなのだ。


 「ドライ!あの子が、勉強したの、見たことあるの?」


 ローズは、高校は出ていないが、一般的な修学経験は持ち合わせている。家を出るまでの彼女は、普通の少女と大差はなかった。テストで満点を量産することが、どれだけ至難であるのかのを知っている。


 「……ない」

 「この前のテストの結果は?」

 「…………似たような……もんだろ?」


 前回に引けを取らず、課題をクリアしている。ルークなどは、少しでも技の質を落とすと、人をゴミのように扱う。質を落とさないことは、良いことなのだ。リバティは質を落としていないので、ドライとしては結果オーライだ。

 ローズは立ち上がって、ドライの頭をノックする。


 「あ~~もう!この中身は、良いのか、悪いのかほんと!解らないわね。確率論で考えて、人間がミスをする確率も加えて!シミュレーションを行わないで、全てに対処できる確率は?その上で、一段階上の応用問題を解ける確率は?」


 別にローズがその数値を知っているわけでもないし、ドライも統計を取ったわけではないが、単純に言うと、予習も復習もなしで、学校だけの勉強で、全ての問題が解けるのか?とローズは尋ねているのだ。


 「限りなく低い……な……で?」

 「で?じゃなーいの!あのこの記憶力、応用力は普通じゃないでしょ?あの子は、ただこれを置いて、勉強が出来てるから、私たちに文句を言わせないつもりだったんでしょうけどね」


 ローズが言いたいことは、様々だ。一つは勉強が出来ている以上彼女の時間を束縛することは出来ない。尤も常識の範囲内での話だが、その常識を最後に押しつけるのは親である。


 もう一つは、難関をそうと思わないことである。彼女はそれに対して何も刺激を受けていないのである。それは彼女の生き方に大きく左右するものだ。

 そして、もう一つ彼らにとってはこれが最も重要なのだ。覚醒が始まっているかもしれないということである。


 「蛙の子は蛙……ってことか」


 それは彼女にこれからの生き方を、自分たちが示してやらねばならない時期だということである。


 「でも、まだ体力面では、兆候もないから、解らないけど、レイオニーみたいに頭脳的なものかもしれないし……」


 ドライは、テストを見たまま、何も言わなくなる。複雑に悩んでいるわけではない。

 この一七年随分悩んだ事もある。だが、娘がいて彼女が成長してゆく様を見てきて思う。


 決して自分たちが、全ての望みから見捨てられているわけではないのだということ、どれだけ離れても掛け替えのない友がいるのだということ、愛すべき人が側にいるということ。抱える問題は大きいが、差し引いても余る幸せがある。


 それが解ったときに、ドライは自分の背中に乗っている重みが、取れた気がした。時には、間を持って考える必要もあるのだ。遠くから自分のいた位置を見ることも大切なのだ。

 捨ててしまわない限り、必ず答えは自分の元へと返ってくる。


 「頃合い……かなぁ」

 「そうね。でももう一つ問題あるわよ」

 「ん?」


 ドライはテストから目を離し、思い通りに事が運ばないことにむくれているローズの顔を見る。


 「あの子が今夜も、夜遊びして帰ってくる!ってことよ」


 ローズは、リバティーが置いていったテストを、強く指で突きながら、言うことを聞いてくれない娘のあり方に、頭を痛めた。

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