第3部 第1話 §1
― 本編 ―
雨が降っていた。
新緑の季節。誰もが寝静まる夜。その音は森の木々の葉に当たり、夜の静寂をかき消す。
雨音の騒めく深緑の森の奥。そこには。文明の象徴である一つの物体が、静かに夜の雨に耐えていた。
その物体は戦闘機のように流線型のボディーをし、機体を安定させるための小さな翼がついた形状で、カラーリングは、白を基調としており、体の各所に赤いラインが施されているというものだった。
そして機体の側面には、「COUGAR ―空牙―」と書かれており、クーガと読む。
更にその機体の後部には、鏡のように周囲の景色を移し返しているフロントガラスを持った、巨大な貝を連想させる横幅一.五メートルほど、全長二メートル長の表面の滑らかな物体が接続されており、。ボディーの側部には「Shell」と書かれていた。
クーガは、この世でたった数体しか製造されていない機体で、IHより、遙かに高機能高機動のマシンだった。
その設計者はレイオニー=ブライトンである。
COUGARの後部に接続されているShellは「COUGAR Shell(クーガシェル)」と呼ばれるたった一つの機体である。
ミラー状になったフロントガラスの向こうでは、一組の男女が睦み合っていた。
木々の葉に跳ね返る雨音に声を溶かし込み、夜を楽しんでいるのである。
その男女は、大人になったサブジェイと、レイオニーだった。
シェルの内部は二人が愛を育むに必要十分なスペースが取られている。シートを倒せば、そこがいつでも二人の休息の場となる。その甘い愛を育むシートに反して、それ以外の部分は非常にメカニカルに出来ており、周囲にはコンソールのスイッチやボタンが目白押しになっている。たまに興奮したレイオニーの足が、コンソールに当たりそうになる事もある。
最初はサブジェイがレイオニーを抱いていたが、長いキスの終わりが二人の位置を逆転させる。レイオニーが上になりサブジェイを愛し始めるのだ。
大人になったレイオニーからは、少女の幼さが消え、その眼差しには知的さが溢れ、その時でさえも彼女の洞察力は衰えない。指先の隅までに神経を張り巡らせ、彼との時間を追求してゆく。
言葉では語らない。ただ交わされた二人の視線が、その時間の深さを物語っている。
時を経て、大人になったサブジェイは、ますますドライに似ており。そして、ドライ譲りの赤い瞳は、レイオニーを愛し守ってきた自信に満ち溢れていた。
レイオニーがどれだけ、彼を知り尽くそうと、感覚を研ぎ澄ませたとしても、情熱に呑まれ、意識が真っ白になる瞬間がある。
サブジェイの上になっていたレイオニーが、彼と手を握りあわせ、徐々に意識を高め始めていた瞬間だった。
室内が赤色ランプに埋め尽くされ、耳障りな緊急サイレンが鳴り始める。
二人は夢の世界から、現実に一気に引き戻され。レイオニーは背を向けていた、フロントに振り返り、コンソールのキーを一つ叩くと、空間にキーボードとスクリーンが現れ、そのスクリーンに文字が走る。
サブジェイは、振り返ったレイオニーの素肌を抱きしめながら、彼女の横から顔を出し、そのスクリーンを眺める。
「ヤバそうか?」
「ん?レストレーションリストパターンにあるみたい。オートで処理できるわ」
レイオニーがそう言うと、サブジェイは彼女を抱いたまま、再びシートに身を沈める。二人はもうこんな生活を何年も続けている。
帰る場所がないわけではないし、実際に帰ってもいる。だが、二人はここ二年ほどにわたり、世界に起こる奇妙な現象のために、こうして昼夜を問わない生活をすることになっていた。
魔物が屡々出現していたのである。
エピオニアにも魔物はいた。だが、それはすでに過去のことである。それも、戦後処理のようなものだった。
だが、ここ数年に起こりうる現象は違う。空間が突然安定性を無くし、穴が空き、魔物が漏れ出すというものだった。
穴が開くのはせいぜい数秒のため、漏れ出す魔物も数が知れており、退治できないものではなかった。だが、その回数は次第に増している。また、最初の時期は、穴が空かずに不完全に閉じるケースもあったのだ。
状況は少しずつ悪化している。時間、場所、状況を問わない。
クーガシェルは、世界中のあらゆるネットワークに繋がっている。世界中どの位置にいても、すぐに魔物の出現を知らせてくれるのだ。
その運行はレイオニーが発見したSCS(サテライトコミュニケーションシステムの略)により行われており、身近な分野で言えば、テレビやラジオ電話などが其れを利用している。
それはまさに世界の革新であり、それにより彼女の名は、瞬く間に世界に広がった。彼女がSCSに気づいたのは、エピオニアの遺跡を研究していたときである。
そしてその技術は、隠されていた過去の技術の中で、ほんの表面的なものだった。他にはあらゆる面でプロテクトが施されており、過去の技術の末端にすぎず、一般的な物である。AMCやIHでさえ、まだ表面的なものなのだ。
だが、人の流動が、世界を大きく変化させるきっかけになったことは、曲げようのない事実である。
少し時間が経ち、二人の時間を共有しつつも、先の事象を分析していたレイオニーが呟く。
「魔物の出現ポイントは、徐々にヨークスの街に近づいているわ。危険ね……」
それでもしばらくの間は、何時もの平常である事を確認したレイオニーは、ほっと一息つき、難しい話をしながら、再び二人の時間をサブジェイにねだり始める。サブジェイもそれにはもうなれている。これも何時ものことだ。
「ヨークスか……、オーディンさんが、国際連盟協議のために、向かってるはずだな」
「うん」
「じゃ、決まりだ。朝一番に出発だな」
サブジェイは再びレイオニーとの時間を作り始めるのだった。
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