第2部 第8話 §11

 ローズがにたっとした笑いを浮かべて、スケベな視線をレイオニーに向ける。

 ブラニーは、ため息を吐いて、煮ても焼いても食えそうにない。失言だったと、あきれて首を横に振る。


 だが、次にブラニーの目が普段にもどり、レイオニーの抱いている赤ん坊に手を添える。


 「さぁ、お母さんのところに、戻りましょうか」


 そう言ったブラニーの空気は、先ほどの和やかなものとは少し異なっていた。

 室内には、沈黙に似た重い空気が、少し漂う。赤ん坊がそれに触れないうちに、彼女はローズの側にあるベビーベッドに寝かせ、再び二人を見つめたときには、もう少し真剣な輝きを瞳の奥に宿らせていた。


 「サブジェイ、ここに座りな」


 ローズは、ベッドの縁をとんとんと叩く。ベッドでくつろいでいるローズは、出産後そう珍しくはなかったが、声に出して側に近寄るように指示したのは初めてだ。それは、自分の頭を撫でるとか、叩くとかの感情表現をするための仕草でないことは、すぐに解るサブジェイだった。


 サブジェイとレイオニーは少しとまどって、お互いの顔を見合わせるが、それでもサブジェイの足は、ローズの方に進んでいる。


 「遺跡には、私がついて行ってあげるわ」


 ブラニーは僅かに強引さのある態度で、レイオニーの肩を抱き、行動の主導権を握る。二人は急に引き裂かれたような、錯覚を覚えた。


 ブラニーがついているのだから、心配はない。サブジェイはそう思いながらも、視線は閉められた扉の方に向いたままだった。身体の動作だけが無意識にベッドの縁に座る体制を取らせる。


 部屋を出たレイオニーの足が、漸く止まる。それは行動に納得できないための、拒絶反応である。彼女はサブジェイと二人で、遺跡に向かいたいのだ。他の誰かで、代行できるものではないのだ。それは信用や力量などの問題ではない。二人の気持ちなのだ。


 「ちょっとまって!やだ!」


 レイオニーは、はっきりと声に出してそういう。

 ブラニーは、他人の行動に一々関知するような人間には思えないのに、このときだけは酷くレイオニーの行動を制限したがっているように思え、そこに酷く不快感が生まれた。


 レイオニーが強くブラニーの腕を払い、彼女の正面に立ち、珍しく睨み付ける。


 「説明して!着いてきてくれるにしても、サブジェイがいなきゃ、いや」


 強い自己主張だった。一年前のレイオニーとは、大きく違っている部分である。彼女の中にもまた、信念が芽生えている。ブラニーははぐらかすことも、無理な行動に出るのも止めた。


 「ローズは、坊やに大事な話があるのよ。いえ……性格にはドライとローズと言うべきね。貴方は少しの間、私に付き合うべきだわ。退屈をしたくないのなら……」

 「大事な……話?」

 「そうよ。大事な話」


 ブラニーはもう一度レイオニーの肩を抱いて歩き出すが、先ほどとは違いそこに違和感はない。


 「わかったわ。遺跡はその後にする」


 レイオニーの考えは変わらなかったが、サブジェイとローズに二人だけの時間が必要な理由があるのだと知る。ブラニーとローズの間に何か話があったことも確かだ。

 サブジェイが、ローズのベッドの端に腰を掛けると、ローズはサブジェイの横に腰を掛け、彼の頭を撫で始める。その瞳は心配気だし、寂し気なものが含まれていた。だが、微笑んでもいる。


 「ホント……大きくなったね。あんた」

 「な……なんだよ。急に」


 ローズの醸し出している雰囲気が、サブジェイを大人しくさせていた。いつもなら照れくささで、彼女の腕を払って、距離を開け逃げてしまうサブジェイだが、このときは、視線を逸らすだけにとどまる。


 身長は随分前に抜かれてしまったローズだが、改めてこうしていると、本当に大きくなったものだと、あれから随分年月が経っているのだと、実感してる。


 ローズは放任主義的に、サブジェイの行動を束縛することは少なかったが、感情が止めどなく溢れているときは、行き過ぎるくらいに彼を溺愛する。


 背けた顔を自分に向かせて、抱き寄せて頬にキスをしたり、ぎゅっと胸に抱き寄せたりしてみせる。

 サブジェイが、そろそろ照れくささに我慢できなくなった頃だった。


 「久しぶりに、母さんと手合わせしよっか」


 ローズが、サブジェイを胸に抱き寄せながら、耳元でそっと言う。


 「剣以外は、禁止だぜ」

 「いいわよ」


 ローズはもう一度サブジェイの頬にキスをして、彼を解放する。

 ローズは、リバティをニーネに預けることにする。譬え数分だったとしても、何も理解できない赤子を他人に預けることは、不安であるが、ニーネにならば心配はない。


 二人は、ドライやルーク、サブジェイ、そして自分が、互いの思いで剣を抜いた経験のあるエピオニア城の庭で、剣を抜き向かい合う。

 二人が勝負という状況で剣を抜いたのは随分久しぶりである。


 サブジェイがローズに勝負で手応えを感じた経験は、オーディンやドーヴァ以上にない。ただ沢山の技を彼女から学んだ記憶の方が多い。

 今回は、それを使わないで戦う。


 「いくわよ」


 ローズは剣を抜くが、オーディンやルークのような気迫は感じない。そしてローズがルークに向けたときのような、凍てつく鋭さもない。だがローズは、少し開いた間合いから、サブジェイの懐に飛び込むように、軽いステップで詰め寄る。


 もちろん全力ではない。むしろ遅いくらいだ。サブジェイは、それを丁寧に受ける。反撃できない訳ではないのだが、サブジェイは受けに転ずる。

 ローズは暫く忘れていた感覚を取り戻すかのように、徐々に速度を釣り上げていく。

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