第2部 第8話 §10

 ドライが眺める遙か海の向こうに、波を切り裂くように突き進む、一つの船があった。


 いや、船よりも遙かに小さく、全体が空力抵抗を計算された流線型の金属のボディーで覆われた、全長二メートル超の物体である。戦闘機によく似ているが、そうではない。翼はあるが、機体を安定させるための最小限のものしかない。その速度はまるで小型ロケットだ。それが海上すれすれを直進している。


 内部は、バイクのような座席になっており、二人の人間がそれをまたがっていた。

 操縦しているのは、ドライ=サヴァラスティア=ジュニア。そして、彼の腰に抱きつき、横から前方を伺っているのは、レイオニー=ブライトンである。そして車体の横には、「空牙 COUGAR」と文字がデザインされている。機体はシロをベースに、赤色のラインでデザインが施されている。クーガと読む。


 クーガが、ある速度に達したときだった。機体がぶれ始め、振動し始める。


 「サブジェイ!速度出し過ぎ!」

 「んだよ。理論値の半分の速度しか、出てねぇんだろ?ちなみに、今時速一千二百二十四キロメートルだぜ」

 「空力抵抗の処理に、若干の問題があるみたいね」


 そうしている間に、みるみる島影が色を増し、エピオニアの港町が見えてくる。サブジェイは、コックピット内、右手のハンドル横にある、コントローラーのボタンの一つを押す。そこにはMinと書かれていた。


 クーガには、状況に応じてのシフトチェンジが装備されている。音速走行から、時速二百キロメートル以内の走行のためのモード。ハンドルにはブレーキがついている、殆どバイクと同じだ。


 「あれ?ブレーキ……きかねぇ……」


 サブジェイはブレーキを握るが、速度が落ちない。


 「そう言うときは、モードシフトのボタン押して」

 「あ、そか」


 それは、急激な速度変化を、機械的に処理してくれるボタンだ。サブジェイは、右手側にある、ボタンの一つを押す。まだ、謎のボタンがいくつも存在している。


 クーガの内部は、ある程度慣性の法則を無視している。中には独立した力場が存在しているのだ。ある程度というのは、外界の間隔がまったく伝わらないことに、サブジェイが不具合を感じたことによる、改良だった。速度変化は、ある程度感じた方がよいのである。通常走行の場合、この力馬はカットされ、通常の感覚に従われる。二人で追求した結果だった。


 現在のIHやAMCの最高速度は、時速百二十キロメートル前後である。


 「エピオニアに、こんなの上げたら、みんな腰抜かすじゃねぇの?」

 「ん~~……、それじゃ港からじゃなくて、西側当たりから、回り込もうよ」


 サブジェイがハンドルを左に切ると、機体は思い通りに、海面を左側に滑らせるのだった。


 窓の外を眺めていた、ドライは言う。


 「オメェは、ここに来て、生き生きしてるな」


 それは、冷やかしではなく。ドライの本音だ。声は息をするように、自然に発せられていた。


 「会議では吠えまくるし、大臣共をこき下ろすし」


 ドライは、オーディンが熱くなっている様子を、思い出しながら、げらげらと笑い始める。


 「閉鎖的でどうする?レイオが持ってきてくれた、新聞を見たろう?世界は大きく動き始めている。女王のカリスマだけに頼らず、市民が発展的な考えをもてるように、国造りを変えて行くべきだ。貴族や王族だけが、いつまでも、権力を握っていては、国はやがて腐る」


 ここでも、オーディンは、熱く論じる。


 「おめぇも、元貴族のくせに」

 「それは二十年以上も昔だ……私は与えられた身分を捨て、皆と過ごせて、幸せだったと思うぞ。今でもそうだ」


 オーディンは、椅子から腰を上げることはなかったが、前のめりになり、よそを向いているドライに対して、訴え続けるように口を開く。真剣なオーディンがいる。それが自分の第一の親友なのだ。


 昔は、堅苦しそうなオーディンが、鬱陶しくて仕方がなかった。だが今はどうだろう、互いに遠慮を見せずに話し合える。それはオーディンも同じだ、いい加減で、規則性のないドライに、イライラしていたが、自分に対して、まったくお世辞のない彼が、今では片時も放せない友となっている。

 二人の会話がとぎれて、ほんの少しだけ間を開け、オーディンは言った。


 「おまえがいなくなると、寂しくなるよ……」


 膝の上で手を組み、俯いてしまうのだった。


 「心配すんな、別れは永久じゃねぇよ……」


 二人が、沈黙の時間をじっくりと過ごし始めたとき、サブジェイ達は、周囲に驚きながら、城内に足を踏み入れることになる。

 なぜなら、王城正面にたどり着いた二人を、門兵が敬礼で迎え入れ、丁重に案内され、兵士達は彼らを眼にすると、礼を尽くしてくれるのだ。それとは逆に、大臣達の中には、知らんぷりをしようとするものがいる。


 サブジェイとレイオニーはこの国を救った英雄の一人なのである。戦う事を主務とするもの達は、その偉業に敬服している。

 二人がこの国に訪れた理由はいくつかある。サブジェイの妹を見ること、自分たちの両親の様子をうかがうこと、そして、クルセイド王国の遺跡を調べることである。


 レイオニーの首からは、あのときの鍵がぶら下がっている、そしてマリーの手帳を、背中のリュックに忍ばせているのだ。


 「どうも……緊張するよな……毎度毎度……」

 「うん」


 サブジェイと、レイオニーは、自分たちを丁重に持てなそうとする、彼らの好意を丁重に断りつつ、ローズの寝ている部屋に向かうのだった。

 サブジェイがローズの部屋の扉をノックをする。


 「入っていいわよ」


 いつも通りのローズの声が聞こえる、さばさばとして、遠慮が感じられない。


 「お袋ぉ、きてやたぜ!」


 サブジェイは元気よく、そして恩着せがましく、室内にはいると、そこにはちゃっかりとブラニーがいる。そして、ベッドの上でリラックスしているローズがいる。


 「あら……坊や達遅かったわね」


 ブラニーはさらりとこんな事を言う。サブジェイは面白くなさげに、むっとした表情をありありと浮かべ、じっとりとした視線をブラニーに向ける。


 それもそのはずである、二人は、コンパスを頼りに、三日もかけて、ここまでやってきたのである。だが、ブラニーは、近所に顔を出すように、簡単に顔を出す。

 事実ローズの元へ一番足を運んでいるのは、彼女である。


 ブラニーは、心惹かれているのは新たな命を育んだ女性としてのローズである。だがやはりそれが二人の距離を縮めたのは確かだ。ブラニーはよく、ローズの娘を抱いてくれるし、来るときには必ず、世話もしてくれる。


 クロノアールの性質は、食物連鎖である。淘汰という意味合いでは厳しいが、生まれ出る者への愛着心もくすぐられるのだろう。

 あまり顔を出すことの出来ないノアーは、一寸悔しがっているらしい。


 「ほら、坊やの妹よ」


 ブラニーの言い回しは、クールだが行動はそれに比例はしていなかった。普段とは大違いだ。


 「お、おう」


 サブジェイは緊張しながら、眠っている赤子を、どうにか腕に抱いてみる。

 サブジェイは泣き出さないことを確認して、ほっとする。


 「へへ……」


 サブジェイの笑いには、色々な前向きな意味が含められていた。一つは、自分の妹であるという認識、もう一つは、命の神秘。そして、自分とレイオニーにも将来こんな感じで、子供が生まれるのだろうということ。


 次にサブジェイは、レイオニーに彼女を抱かせる。レイオニーの顔に母性を擽られた笑みが浮かべられる。


 「貴方、来年にはお祖母さんになってるんじゃなくて?」


 ブラニーの二人への冷やかしと、ローズが少々ショックを受ける言葉を一文にまとめて言う。確かに若いようだが、ローズもすでに、四十代半ばである。だが見かけは二十代半ばである。このあたりは、大人達全員に共通している部分だった。


 「サブジェイに……、ホントにパパになってもらおうかなぁ」


 ブラニーの冷やかしに顔を赤らめていながら、赤ん坊に感化されたレイオニーのとんでも無い爆弾発言である。穏やかすぎる笑みを浮かべたレイオニーの表情は、とても十八には見えない。にっこりとして、眼を細めてサブジェイを見つめているのだ。


 「ば……馬鹿ヤロウ……、急になにいってんだよ……いきなり……んとに」


 照れて殆ど、言葉にならないサブジェイが。どうしようもなくレイオニーから顔をそらして、皆から顔を背けて、そわそわとしている。

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