第2部 第8話 §6
彼が研究所を訪れている頃、その手紙をもらったレイオニーが、次に訪れたのは、居間にいるブラニーのもとだった。
「ローズとドライのところへ?」
ブラニーは、無造作に厚手の本を閉じる。
確かに別段不思議なことではない、知人のところへ会いに行くのだ。その迅速な手段が可能なのは、今のところブラニーしか持ち合わせていない。だが、レイオニーの表情が、非常に硬いものになっていることと、言葉遣いが、重々しい。
「かまわないけれど、必要な用事があれば、序でにまとめておいてね。瞬間移動の魔法は、集中力がいるから。坊やは?一緒に行かなくていいのかしら?」
ブラニーは、彼女の真意を悟ったわけでない。安易に、カップリングさせた方がいいのだろうと、思っただけだ。
「んん、サブジェイはいいの。この手紙をドライとローズに渡せばいいって……その、マリーの事が解るからって……」
「あらそう」
ブラニーは少し、レイオニーのいっていることに、辻褄が合わないような気がしていた。確かにそうだった。
マリーの個人の情報を知りたければ、文献をあさる必要など、ないのだ。
レイオニー自身も何のために、マリーの事を知りたいのかという、事実を隠蔽する必要は無かったし、隠しているわけではないのだ。
正しく言えば、マリー=ヴェルヴェット理論を知りたいのだ。理論は当然学術著書に載っているはずである。だからこそ、図書館に缶詰になっていたのだ。
マリーのことというのは、本当に漠然とした表現だったし、彼女の残してきた足跡もまた、知名度とは別に漠然としている。
ただ、今回新聞のトップを飾っていたIHこそが、結果の一端なのである。だからこそ二十五年以上も経つというのに、彼女の名前は消えないでいる。
レイオニーは、そこにたどり着きたい。
「いくわよ」
ブラニーは特に、着替えたりはしない。
彼女の普段着なら、十分外出も可能である。白いカッターシャツに、黒いスラックスにヒール。単純な服装だが、実によく似合っている。
「うん」
レイオニーが、ブラニーの腕にすっと絡むと、次の瞬間音を立てずに、目的地へ着く。そこはローズの寝室で、ローズのベッドの上には、ハーブティーを飲んでいるニーネがいて、ローズは熟睡している。
彼女には何より充実した睡眠が必要なのだ。
「あら……」
ニーネは、驚いた様子もなく、突然の客人ににこりとする。おっとりとしているというか、落ち着き払っているというか、動じない人である。もっとも、秩序が取り戻されたからこその、そのゆとりである。
ニーネには、騒ぐべき事態ではないといういうカンがあるようだ。
「お昼寝のようね……」
「ええ……、少し前にね。お母さんになる身体だもの、慣れない環境もあるし。十分睡眠を取らないといけないわ」
と、二人が話し込もうとしていると、ローズが左目だけをぼんやりと開き、レイオニーとブラニーを見る。
「なぁに?」
「起きてしまったのね……」
仕方がないことだと、そう言った意味合いの笑みを浮かべながら、ローズと見合わせる。
「ハーブティーとクッキーの香りが、よすぎるのよ。おなかが空くわ」
「あら、私のせいでしたの?」
意地悪を言うローズに対して、一寸傷ついた様子を見せるニーネだが、これも冗談だ。二人のせいで、目が覚めた訳じゃないと、そういった気遣いだ。
「あ、あのね!ローズ、おじいちゃんがこの手紙を……見せたら解る……って、マリー……さんのことが……」
ローズにとっては掛け替えのない人だ。死んでしまった、愛すべき人のことを語ることは、やはり抵抗のあることである。レイオニーが言葉を詰まらせたのは、そんな想いからだった。
「ん?」
マリーの何が解るのか。自分の知らない彼女の過去があるのだろうか?レイオニーの言い回しはそういう風にも聞こえる。
ローズは、浅く糊づけされた封を切ると、中からはバハムートが急いで綴ったと思われる文字を載せた便箋が姿を見せる。
書かれている内容は、レイオニーがマリーのことを知りたがっていること。だが、それは彼女の人柄や生活感などではなく。あくまで学者としての彼女の求めたもの、そしてその成果をレイオニーに教えてあげてほしいと言うこと。最後には、こう書かれてある。
「誠に勝手な提案ではあるが、マリーの知識の結晶である手帳を、レイオニーに託したいと思うが、いかがか?」
その手帳は唯一マリーが残した形見である。バハムートが管理しているのは、保管状況の問題もある。内容の詳細についても、自分たちよりもバハムートの方がまだ、よく理解できると思ったからである。
いつかその知識が、必要とされるとことが、マリーの願いでもあるのだ。
だが、マリーの手帳の所有者は自分ではないということを、バハムートは知っている。
毎日を自由に生きるローズだが、いつの間にか、時代がそんなところまで、流れていることに気がつく。
ローズは、再びその手紙を封筒に戻し、レイオニーに渡す。
「ドライは今頃、オーディン達と町中を歩いてるはずね。私はOKだと、いっておいて」
ローズは、再びゆっくりと目をつぶる。
レイオニーは、ローズのいっている意味を理解できていない。彼女は手紙の内容を見ていないのだ。
それは、ローズとドライに宛てられた手紙だ。レイオニーがそれに目を通す権利は、二人が承諾してから、初めて生まれるものである。
ローズは手紙をしまい込んでしまった。強制はしていないが、タイミング的にまだ見ることは出来ない。
レイオニーは、眠りにつこうとしているローズに、声を掛けそびれてしまった。
自分がすることは、何もないと言いたそうな寝顔をしている。
ローズの知っているマリーは学者を目指していたマリーであり、姉としてのマリーである。学者としてのマリーは、知らない。
学者であるマリーの側にいつもいたのは、ドライである。共に旅をして、遺跡を探り、その時間を分かち合った唯一の人間である。
レイオニーは、ちらりとブラニーの方を見る。
「わかったわよ。そんな顔しないで……」
遠慮がちだが、懇願の色をあらわにしているレイオニーの表情には、ブラニーも勝てなかったようだ。
ブラニーは再び、瞬間移動の魔法で、ドライのいる場所へと移動する。
二人は、ドライを待ち伏せするような位置に、唐突に姿を現した。
一瞬にして、剣を抜きそうになったのは、ドライ、オーディン、ザインの三人である。三人がつるんで歩いたようだ。
「んだよ。びびらせんな……俺はてっきり……」
とドライがそこまで言いかけて、何も言わなくなる。三人三用にそれぞれ構えを溶く。
「ん……」
レイオニーは、そう言って、ドライの正面に立つと同時に、下から上目遣いで、ドライの顔色をうかがいながら、手紙を渡すのだった。
すでに封切られている封筒を、ドライは裏表に返しながら、送り主を調べる。
「ジジイか……」
バハムートの手紙なら、あまり関心を持つ必要はないと思ったドライだが、レイオニーの視線が手紙を読めといっている。
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