第2部 第8話 §4

 ブラニーが現れたのは、この街の中央図書館である。


 ゴシック様式のその建物は、歴史を語ろうとしているが、建物自体は築後一五年も経っていない。風雨の後が、建物ついているが、まだ古ぼけてはいない。

 この建築物の管理者はバハムートである。それだけに、集められる書物の質は、非常に重厚なものになる。だが、意図的に、伝説の魔導師に関しての、事実は隠蔽されている。加えて言えばマリー=ヴェルヴェットの詳しい痕跡もである。


 尤も、マリーの一部始終はドライがすべて知っている。

 レイオニーは、アカデミー史を探すが、マリーのことに触れられているのは、マリー=ヴェルヴェット理論に関してのことだ。ほとんどの詳細はない。探索チームに関しても、ある時点から謎に包まれている。


 また、彼女の理論に関しても、魔力を使った動力源と、その蓄積方法、変換方法、制御方法などを、荒く述べられているだけだった。

 カリカリと苛立ち始めたレイオニーの前に、ブラニーは現れ、彼女の目の前に、手触りのよい木綿の包みを置き、そして座る二人はほんの一瞬視線を交えたまま言葉を交わさないのだった。


 二人は、一度館内にある、ティールームへと姿を移す。

 書籍の保管されている室内は飲食厳禁だ。資料書籍をじっくりと読むにはいくつかの方法があるが、重要文献に関しては、持ち出し禁止になっているため、その場のデスクで読むか、こういうサロンで目を通すかしかない。だが、レイオニーの求めている資料は、それすら出来ない文書類だ。書物の精製技術はまだ、未発達な時代だ。それは都市の貴重な財産なのである。


 ブラニーの運んできた包みは、サンドイッチだ。単純だが手軽で、片手が空く。今のレイオニーにはちょうどいい。もう片手では、今まで解っている事柄を、ノートにまとめている。特質した事柄はない。歴史の表面で流れている魔導師伝説しか見あたらない。


 それは、クロノアールが人間を破滅に追い込む存在で、シルベスターが救世主だという一千年以上前の史実。


 「頑張るのね」


 その言葉は、サブジェイにも共通していた。それが理解できないわけではないが、この二人は急いでいるように思える。彼らにもうけられたリミットは特にないはずだ。卒業後、二人には、世界を旅する目標は持っているが、ここでは得られないもっと多くの経験が待っているはずである。


 確かにじっくり足固めをしているようには思えるが、ブラニーにとっては喜怒哀楽のある毎日の方が、それらより重要なのではないかと思えた。なぜなら、彼女の少女時代は、人間達への憎悪に駆り立てられ、気がつけば生きることだけの毎日だったからだ。


 「ええ」


 レイオニーの返事は簡単なものだった。


 「あ、お食事ありがとう御座います」


 だが、すぐに自分の行動に礼儀が欠如していることを思い出すレイオニーが、他人行儀にその場で頭を下げる。尤も確かにドライ達とは違い、レイオニーは顔を知るだけの中だ。


 深いつながりを持っているのは、ルークとドライの師弟関係と、ブラニーとノアーの姉妹だけだ。だが、オーディン達もブラニー達も、過去にあれだけ互いの存在を認識して戦った仲だ。怒りや葛藤、すれ違いや憎しみが消えれば、不思議と旧知の知ったる仲と思えてしまう。


 「もうすぐ閉館ね。買い物でもいかがかしら?」


 昔のブラニーならば、勝手にするがいいと、躊躇いなく背中を向けて歩くだろう。そもそも、ここにも来ていないだろう。


 実際には一時間もある。だが、レイオニーもノートを閉じることにした。

 二人は文化面の色が強い中央から、一旦商店街に向かう。夕食に必要なものはすでに揃えていたし、もっと言えばノアーが作っているはずだ。特にここに用はなかった。


 黒いカッターに、黒のスラックにスローヒール。彼女は黒を好んで着る。ノアーもそうだが、清楚な感じのノアーとは違い、彼女がこうして歩いていると、本当に才女に見える。姿勢もよく涼しげに前を向いている。夕暮れの強い日差しも、まったく苦にしていない様子である。


 ブラニーは白人女性だが、見事なストレートのその一本一本に質量のある艶やかな黒髪と、睫の流れ具合などを見ると、ユーロ系の多いこの街の住人にには、エキゾチックに思える。芯の強さが彼女の眼差しに表れており、賑やかでフランクなローズは、大好きだが、レイオニーは、こういう女性に憧れる。


 「アプリコットでも、買っていこうかしら?」


 あからさまに、目的意識があったわけではないことを露呈するブラニーだった。そして、レイオニーを見る。


 「はい……」


 同意を求められた気がして、レイオニーは返事をする。

 ブラニーは、視界に入っていた果物店の店先に並べられている季節ものの果物を手に取る。枇杷である。オレンジ色に色づいた、しっとりと手の中に収まる小さな果実が、さわやかな甘い香りを放っている。


 「おいしそうね……、二皿……もらおうかしら」


  ブラニーが、商店で支払いをしている間、レイオニーは、人々が行き交う夕暮れの通りで、少しの間待たされる。

 茶色い紙袋に詰め込まれた枇杷を片腕に抱えたブラニーが、すました表情のまま、戻ってくる。


 「お待たせ」


 と、ブラニーは、レイオニーの横に戻ってくると、先に足を運び始めた、レイオニーの歩調にあわせて、歩き始めるのだった。


 「マリー=ヴェルヴェットを殺したのは、ルークよ」


 突然にブラニーは、そう言い始める。だが、それはクルセイド城で、ドライとシルベスターの関係を明らかにしたときに、明かされた事実だ。かすかな動揺に瞳が揺れるが、だから今どうしろと言われたとしても、レイオニーには、返す言葉がない。尤もブラニーもそれに期待しているわけではない。


 「でもね、マリー=ヴェルヴェットは、それ以前に命を狙われていたのよ。知ってて?」


 それはレイオニーの知らない事実だ。レイオニーは首を横に振る。


 「マリー=ヴェルヴェットは、膨大な知識をその頭脳の奥底に持っていたわ。彼女は遺跡を巡るたび、徐々にその知識を、目覚めさせていった……。クロノアール様のために……いえ、クロノアール様を利用して、すべての人間に制裁を加えようと思っていた私と、老いしか残されていなかったルークにとって、どうしても彼女と、そして、ドライの存在は、邪魔だった」


 彼女の声はレイオニーに届いていたが、それ以上は届かない。活気のある人並みが、別の時間と空間を作っているようだった。レイオニーには、次第にブラニーの声しか聞こえなくなるような、錯覚を覚える。


 「ルークはクロノアールが復活すれば、その反動で体内のクロノアールの血が活性化することを、知っていたから。いいえ、私が老いに苛まれていたルークを利用したのよ」


 ブラニーはレイオニーの反応を伺った。ブラニーは冷静を崩さない。レイオニーはブラニーが何を話したいのかが解らなかったが。それを急いで聞いたりはしなかった。彼女が大事なことをいっているのだということが、解っていたからだ。それは自分たちの繋がりであり、過去の事実の大事なひとかけらなのである。


 「話がそれたわね。マリーの知識は、光であり闇だったわ。学者の中には若くして注目された彼女を疎ましく思う者もいた。解る?」


 レイオニーは、首を横に振ったが、取り消すようにもう一度早く首を振り、今度は頷いてみせる。


 「マリーは……、その才能のために、命を狙われていた……」


 レイオニーはそう呟いた。


 「ルークと私の罪が、消えるわけではないけど……」


 ブラニーは、さらりと語っている。だが、レイオニーには、それに対する言葉がない。マリーを尊敬しているが、宿怨があるわけではない。再び町中の音が二人の元に戻ってくる。気がつけば、シンプソンの邸宅へ続く道にまで来ている。


 「身も知らぬ誰かが書き下した伝記のような、資料より、あなたの周りには、事実を知る者が幾人もいる、違わなくて?」


 ブラニーは、玄関に手を掛け、扉を押し開けると、静かに笑みを作りながら、レイオニーに視線を合わせる。


 そして、何事もなく、屋内へ足を踏み入れる。

 その夜のこと。レイオニーは、青白い顔をして深く眠りにつくサブジェイの横のデスクで、ブラニーの言葉を反芻していた。静かに暗いオレンジ色のランプの明かりが室内を灯す。だが、やがて眠気が彼女を眠りに誘う。


 重りが瞼にまとわりつくような強制的な睡魔だ。レイオニーは、サブジェイの寝ているベッドに、静かに入り込み、疲れきった彼の額をなでて、そこにキスをして、彼の胸元に頬を埋めて眠りにつくことにする。

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