第2部 第8話 §3

 時間は数日流れる。


 サブジェイは、ルークの下で死んでしまった方が楽だと思えるくらいの、訓練を積んでいる。それは魔法を一切使わない、剣の訓練である。ルークはドライやオーディンのように剣を紙一重で止めない。確実に切り込んでくるのだ。それは、即死しないと言う程度のもである。今のところ、致命傷はない。


 側にはいつもドーヴァが待機している。サブジェイが死なないためにいる。訓練時間はそれほど長いものではない。だが、サブジェイが指一本動かすことが困難なほどに、疲れ果てるまで延々と続けられる。もちろんサブジェイほどの逸材を鍛え上げようというのだ、そのころにはルークも息が上がり、膝に来ている。


 「すぐに、魔法と剣のコンビネーションに走らねぇようになったのは、褒めてやるが。手めぇの防御はやっぱザルだな。めしの時間までには、起きて来いよ」


 ルークは、血みどろになって横たわり、ドーヴァの治療を受けているサブジェイを見下げ、すぐに背中を見せる。そこは、後少しで建築が完了するルークの家の庭先だった。


 歩き始めたルークは、一度軽く膝をぐらつかせる。それもまた実状なのである。


 なぜルークがローズに負けたのか、サブジェイには解らない。執念と気迫。それがローズの方がより、上回っていたからだが、その剣技において、ルークの右に出るものはいない。オーディンですら、陰って見えるほどだ。ミリ単位のバリエーションとでも言えばよいのだろうか?サブジェイは、疲れながらも、それをずっと感覚で反芻する。


 時間は夕刻だった。西日が眩しく、少し肌に突き刺さり、逆行で視界が奪われそうな時刻だ。

 ルークは、疲れながらシンプソン邸に帰り着く。


 シンプソン邸は、市庁舎の裏側だ。内部は廊下で繋がっているが、表通りの騒がしさと違い、裏通りになっているこちらは、回り込むと静かなものだ。

 ルークは当たり前のように、玄関を開け、ホールを通り、リビングに向かう。


 そこでは、ブラニーとノアーが会話もなく、お互い書物を読んでいる。別に二人が喧嘩しているわけではない。そういう時間が好きなのだ。


 「あら……お帰り、坊やは?」


 ブラニーは視線も送らずに、言葉を発する。

 ルークは空いている席に、疲れ切ってドスンと腰を下ろす。


 「あのガキ、分単位で強くなっていきやがる……。何であんな奴が、足踏みしてんだ……」


 それがルークの本音だ。無論それもルークの加減のない、行き過ぎた特訓の成果である。ブラニーはそれを見て、クスリと笑い、本を閉じる。


 「冷たい飲み物でも、取ってくるわ」


 ルークとサブジェイの夏中の生活は、このようなものだった。限界以上の無理を繰り返している。

 ブラニーは、キッチンからアイスティーを持ってくる。トレイに乗せられているのは、ガラス製のポットと、まずは一杯目の紅茶が注がれたグラスが乗っている。


 それは、静かにルークの前に差し出される。

 疲れたルークは、一気にそれを飲み干すと、またうなだれてしまう。

 サブジェイがいつも思っている、「あともう一歩で、皆に届くのに」という想いが、ルークにも解る。


 確かにそうなのである。現に今もこうして、疲れている。だが、サブジェイがなぜ追いつけないのかも、ルークには解る。

 彼はあまりにも器用すぎるのだ。今も自分との訓練のなかで、確実に追いつこうとしている。だが、そこに問題があるのだ。沢山の技を修練出来る反面、技が多すぎるのである。そう、全てにおいて後少しが足りない。サブジェイがどれだけ優れた人材であっても、まだ十七歳の少年である。やはりその技術にはまだ拙さがあるのだ。そして、彼には戦闘の軸がない。ドライのように剣のみではないし、オーディンのように完成された技の流れを使うわけでもない。臨機応変だが、まだ最後まで信じるものがない。


 もし、同じような動きを選択することになったとしても、両者には確実な違いがある。

 ルークから見れば、サブジェイはただの器用な少年にしか見えない。だが、それですら、ここまで疲労させられている。尤も、サブジェイに与えた課題は、剣のみで戦う事だ。


 いつもなら、グラスの清涼飲料を飲み干し、一息着いた頃に、疲れ果てたサブジェイが、戻ってくる頃だが、まだ戻ってこない。

 やりすぎたのか?ルークは少しそう考えるが、急所はぎりぎりではずしているはずだし、ドーヴァがいる。命に別状はない。何かあればシンプソンがいる。そう考えることにした。


 「お嬢は?なにしてんだ?」


 ルークは、少しの心配を紛らわせるために、レイオニーの方に話題を振る。別に彼女に興味があるわけではなかった。


 「図書館へ行ったわ。マリー=ヴェルヴェット理論についての書籍が、どうしてもほしいらしいわ」


 と、ルークの正面に席を移しているブラニーにそういわれてしまうと、ルークは少し気が重くなる。殺めた人の重みを、これほど感じたことはない。

 仕方がなかったのだとか、忘れようなどとか、思うわけでもない。ただ、やはりそのツケは、何らかの形で回ってくるのだろうと、彼は思う。


 「あの女の事なら、ドライや、ローズの方が詳しいだろうよ。それに、あのジジイもな。学会の長バハムートがな。奴はまだ何か隠してやがるぜ、ドライのことも、マリーのこともな」


 裏切りの多い闇の世界で生きてきたルークには、言動の端々で、それが解る。ドライとシルベスターの関係が、明らかになるまで、対して興味も払う事はなかった。だが、それ以来ルークは、そのあたりに神経をとがらせていた。

 世捨て人のような生活だった今までが嘘のようなルークに、ブラニーの心理状態も変わる。


 もう静かに暮らしてゆければよいと、ただそれだけの日々だったが、今は少し違う。心が揺らいでいる。それは不安だったり、生きている感触だったり。ルークが何かを求めようとしている様子もわかる。


 「お嬢になんか、作って持って行ってやれ……」


 ルークは、天井を向いて、一つ息を吐く。


 「そうね。ノアー……」


 とブラニーが、妹に声をかける。二人で夕食の準備に取りかかるのだ。ローズがいれば、それですらお祭り騒ぎにしてしまいそうだが、二人は実に静かだ。

 ノアーも、本を閉じ、ブラニーと視線を合わせると、お互いに静かなほほえみを交わす。


 そのときに、漸くふらふらになったサブジェイが、たどり着く。

 ドーヴァはいない。必ず一人で戻ってくることが絶対条件なのだ。

 サブジェイが、漸くルークの横に座ると、ルークは、先ほど自分が使っていたグラスを、サブジェイの目の前に置き、そこにアイスティーを注ぐ。


 「死んだと思ったぜ……」


 サブジェイは何も言えない。血の気が完全に引いている。ドーヴァの治療も最小限の処置だ。シンプソンが常々いっているが、必要以上の治癒魔法は、人間の持つ自然治癒力を損なうのだ。強力な魔法は、緊急時以外には、使用しないことにしている。


 「一日おいてやろうか?」

 「いや……いい。見えてきたから……」


 その言葉にルークはぴくりと反応する。 だが彼もそれ以上何も言わない。結果は明日が教えてくれるのだ。

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