第2部 第8話 §2

 バハムートはあのときの悲痛な想いを再び思い出すとは、思ってもいなかった。サブジェイの一言が彼の眉間に深い皺を作らせる。

 バハムートもあのとき、ドライの無念を晴らしてやりたかったのだ。最初はいけ好かない荒くれ者だったドライだが、オーディン達に囲まれ、朽ちて行く場面で、動かずにはいられなかった。


 「今のドライは、確かに儂の与えた古代の絡繰りに、シルベスターが命を吹き込んだ存在やもしれぬ。じゃが、貴奴は貴奴じゃ。その立ち振る舞いも、心も!」


 バハムートは、事実を語るが、心のどこかでサブジェイを説得、納得させようとしていた。ただ淡々と事実を語ることなど出来はしない。心の不規則な揺らぎを隠しきれず、バハムートは立ち上がりサブジェイに背中を見せる。


 「儂はの。こう思うんじゃ。奴は一度死んだことで、その罪を精算し、新しく人生をやり直すために、生まれ変わったのだと」


 「オヤジの…………罪?」

 「うむ。賞金稼ぎは、血塗られた生業じゃ。譬えそれが法で許されたものだとしてもじゃ……、むろんあ奴等が、それを意識しているとも、思えんがな」


 バハムートは、ドライのことを考えると、それがただ自分の憶測で、ドライ自身の思考を全く取り入れてないことを、おかしげに頷きながら笑っている。


 学者には、鋭い閃きや、理論の断片から生まれる推察はつきものだが、これはバハムートの単純な人間的な感情である。きっとバハムートには、それがおかしかったのだろう。


 バハムートの言葉で、サブジェイは心の奥の方が瞬間的に熱くなる。

 彼の求める答えが得られたわけではなかった。だが苛立ちは次第に落ち着きを見せ始める。事実を知らされなかった怒りと、追いつけない苛立ちが蔓延していたサブジェイだったが、両手の平にあった重圧が寂しく思えるようになった。何気なしにグローブをはめたままの掌中を眺めてしまう。


 「オヤジ……」


 それは漠然とだった、彼は強さというものを考え始める。これまで何度と無く考えてきた事だった。


 「サブジェイ」


 バハムートは再び正面を向き、サブジェイを見る。彼の瞳は、サブジェイを諭し教えとようとするかのようだった。


 「他にも語らなければならぬ事もあるが、今のおまえさんは、のんびりする必要があるかもしれんの」


 バハムートは、サブジェイの頭をなでる。

 その後、サブジェイはバハムートの部屋を去り、正面玄関から、市庁舎を後にする。

 夏でも涼しい風が吹き、曇りがちに思えるセインドール島の空とは違い、この街の空は、青空が遠く突き抜け、夏に差し掛かる日差しは、肌に熱を与える。

 彼は人々が行き交うメインストリートを前にして、額に手をかざし空を眺める。


 「サブジェイ」


 ずっと口をつぐんでいたレイオニーが漸く彼の名を口にする。今まで慰める言葉も励ます言葉も見つからなかった。今でも何をどうすればいいのか判らない。


 「腹……へったな。どっかで、昼飯くってこうか」


 サブジェイは、判ったことがあった。それは理屈ではなかったが身体が教えてくれている。身体の端々にまで、走っていた筋肉の緊張が取れているのだ。逆にそれが脱力感に感じるほどだった。


 バハムートが自分の頭をなでたときだったのだ。

 それは自分を愛してくれている人の手である。そして、ドライも同じように自分の頭をなでてくれた。厚みや強さは違ったが、同じぬくもりを感じる。


 親の思いはなかなか通じにくいものがある。ドライのように不器用であれば、尚そうである。バハムートは彼らには過保護はのど愛情を向けてくれる。ドライと足して割ってちょうどよいほどだ。


 そんなサブジェイの顔が、少し大人になって、少し今までどおりになっていた。


 「この近くに、おいしいベーグルの店……あったよね?いこ!」


 今度は、レイオニーがサブジェイの手を引いて、小急ぎに歩き出す。



 ところが―――。



 赤煉瓦作りの表面の一階店舗、その店のデッキの小さな白い丸テーブルに腰を落ち着けた、レイオニーは、ムスッとして頬をふくらませていた。

 理由は彼女の前に折りたたまれた新聞に原因がある。


 折りたたまれた新聞から漸く見える一面には、こう書かれている。


 「AMCオートモバイルカーの時代到来」と。

 AMC、つまり自動で動く車のことである。新聞に書かれている内容では、マリー=ヴェルヴェット理論をより小型化にして、簡素化したものである。


 そして、それと並べられて「IHアイアンホース」という表記がある。それは、今で言うオートバイのようなものだ。


 両者に共通して言えることは、車輪を持たないということである。

 マリー=ヴェルヴェット理論は、魔力を使用した、動力帰還のことであり、加えれば、そのコントロールについて、述べられたものである。


 彼らが、セインドール島に移動した飛空船もそれを利用してる。小型化が難しいのではなく、構造を十分理解できていないのが、実状だったのだ。


 その理論はたった小さな一冊の手帳にまとめられているにすぎない。マリーはアカデミーに内容を提供していたが、すべてが明らかになったわけではない。なぜなら、その手帳は現在でも、バハムートが保管しており、より高度な情報は彼の掌中にある。


 バハムートがその手帳を隠密に保管しているのは、文明の暴走を少しでも遅らせるためだ。


 彼がそう考えたのは、シルベスターとクロノアールの戦い以後のことだ。悲しいかな歴史は繰り返される節がある。力は必ず争いに利用される事になるのだ。

 彼女の手帳は、マリーズドキュメントと呼ばれているが、学会はその消息をおっている。もちろん見つかるわけもないのだが。マリーが手帳にすべてを記録していることが、知られているのは過去、彼女の探索隊に加わったもの達が、僅かににその姿を見たからだった。それは、ドライがマリーと出会う前の話だ。マリーはドライと接触以後、彼以外の人物と、旅を共にしていないからだ。


 レイオニーはその事実を知っていてむくれているわけではない。


 「くやしー……」


 ツナのはさまれたベーグルサンドの横にある、ソーダのストローに息を吹き込み、レイオニーがそう呟く。

 サブジェイには、レイオニーが何を言いたいのか判らなかった。


 「んーすげぇんじゃねぇの?マリーさんの研究っての?形になってるじゃん」


 サブジェイはチーズバーガーを食べながら、左目の視界に入ってくるその記事の文字を見る。


 「判ってない!」


 レイオニーは、テーブルを叩く。そして、異議を申し立てるように、サブジェイを睨む。


 サブジェイは、びくっと飛び上がりそうになる。だが、次には、何がだ?と言いたげに、少しあきれた目をレイオニーに向けている。

 レイオニーは、人差し指で、自分の右こめかみを、軽くつつく。


 「構想はあるの!でも、マリー=ヴェルヴェット理論の詳細が判らないもん!ずるいわよ……解ってたら絶対自信あるもん!」

 かなりの自信だ。確かに彼女の言うとおりである。バハムートが手帳を保管しているのと同じで、アカデミーもその詳細を、世界には公開していないのである。

 だが、世界有数の学者達が集まり、漸く解読したその技術を、一七歳の少女が、理解できるわけがないと、サブジェイは、一瞬思ったが。だが、魔法の術式を組み上げるような少女である。それは嘘じゃないのかもしれない。

 この後、世界は劇的な核心の時代に入る。たった十数年で、僅か数キロほどの世界を知らない人間達が、その何十倍もの世界を動き回るほどに。

 レイオニーが手にした新聞の記事は、その始まりにしかすぎなかったのだ。

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