第2部 第7話 それぞれの道へ 1

第2部 第7話 §1

 ドライ達はエピオニアの王城に戻る。戦いの終止符を静かに待ちわびていた女王の前に、どろどろになった、みっともない姿でだ。汚れという面では、封じることに専念していた面々は、それほどではなかったが、皆一応に疲労の色が出ている。あのブラニーでさえ、ホッとした顔をしている。集中し続けることの難しさが見て取れる。


 本当に数時間だけの戦闘だった。この国の人間が何十年も待ちわびていた解放が、数時間で済んでしまったのである。しかし、それはドライ達を探し続けたザインとアインリッヒの二人の功労であることは、間違いない。

 最も、何気にシルベスターに導かれていたことは、ザイン達は知らない。


 大臣達は、驚き戸惑いながら、感動と恐れを同時に抱きながら、彼等を見張っている。

 全ては、エピオニア城玉座の間、赤い絨毯の上でのことだった。


 「お疲れ様でした。つもる話は御座いますが、今はゆっくりと休んでください」


 若き女王は、深く玉座に腰をかけたまま動かなかったが、腰を落ち着けた彼女には、確かな気風と貫禄があった。空気がしとやかに床の上を漂い、彼等を覆う。


 「まった」


 自分では立てない、人一倍疲れの激しいドライが、その体を押して、尚引っかかるものを取り払うべく、女王を見据える。鋭い観察眼を向けるのだった。


 「あんた……、何もんだ?」

 「よさないか……ドライ」


 ドライに肩をかしているオーディンは、言動を慎むよう促す。別に彼女を敬っている意味合いではない。彼女が不審な人物なら兎も角、そうでない人物に対してあからさまな不信感を抱いている、ドライの言動が失礼だと言いたいのだ。


 「オーディン……おめぇも、何となく思ってんだろ?」


 ドライは友としてオーディンを信頼しているし、よく理解している。オーディンもそうだ。だから、ドライのその一言は、核心をついていた。逆にオーディンが押し黙ってしまう。


 だが、彼女はドライの観察に対しても、全く嫌悪感を見せない。それどころか、クスクスと微笑んでいるのだ。


 「別に隠していたわけではないですが、あなた方もお聞きにならなかったでしょう?なぜ、私のような小娘に、大臣達が従い、ザイン達や国民に敬愛されているのか……、なぜ落ち着いていられるのか……。いいでしょう」


 彼女はすくりと立ち上がり、羽織っていた白い毛並みの豪華なローブを脱ぐ。

 中には、ハイネックのノースリーブのパステルグリーンのフリースと、簡単なパンツを穿いている。カジュアルな服装で。いつものように王女の服装ではない。


 彼女は、ドライの前にくると、フリースのファスナーを腹の位置までおろす。そして、衣服を広げるのだ。女王たるものが、他人の前でこれほど肌をさらけ出すことは、品位に関わることだ。大臣達は慌てふためく。

 だが、彼女は堂々としたものだ。


 「それは……」


 ドライは、雪のように白い肌、柔らかな胸の谷間の少しした。鳩尾のあたりである。


 「そう、ザイン達と同じ、夢幻の心臓です。私のは、ロカの命では御座いません。母のものです。国が再び蘇る礎として、託された……母の命です」


 ドライは、ザインをちらりと睨む。ザインは少し気まずそうに、顔をそらしたが、確かにこの戦いの結果を左右する謎ではないのだ。彼女もこの戦いの犠牲者なのである。それ以上問いつめることもない。


 そして、彼女は孤独なのである。ザインにはアインリッヒがいる。生涯を生きてゆくパートナーがいないのである。残酷な話である。


 彼女を敬い、慕うことが、生涯彼女の孤独を癒せる二人の唯一の手段なのかもしれない。

 シルベスターの言い残した、隣人達と仲良く……といった意味が、すこし分かった気がするドライだった。


 ある程度の謎が彼の前から消え失せると、彼はついに、意識を失ってしまった。

 神経の集中が着れたのだろう。全体重がオーディンの右肩にかかり、彼も一緒に倒れ込んでしまう。


 「お……重い……」

 「ま、相当お疲れみやいやからな……」


 苦笑いするオーディンと、それを上から見下ろすドーヴァがいた。ドライは暢気な顔をして、既に寝入っている。


 ドライらしいといえば、ドライらしい。人に緊張感を与えておいて、自分の用が済んだら、眠りこけてしまうのだ。

 眠りこけたドライの様態だが、思いの他、疲労の度合いが濃いらしい。シンプソンに基本的な治癒魔法をかけてもらう以外、ほとんどのことを、自然治癒に任せているため、彼が快適な朝を迎えることが出来たのは、翌々日である。


 異物のないセインドール島の空は、澄み切っていた。現実逃避するために俯く人はもういない。人々の表情も明るい。

 まだ、沢山の物量が並ぶような状態ではないが、市場なども町並みに並び、生きる活力に満ちている人々の姿も見ることが出来る。


 そんな町の様子を見に行けるのは、出発の式典の時に、大人に埋没気味だった、サブジェイとレイオニーだった。


 サブジェイは、どこへ出かけるときでも、愛刀を忘れない。そして、レイオニーと手を繋ぐことも。サブジェイはライトグレイのジャケットに、黒のジーンズ。ブーツも黒だが、巻き付けられたゴールドチェーンが、アクセントを効かせている。ラフに開いたジャケットから見えるのは、黒いアンダーウェアだ。


 ジャケットは戦闘仕様なので、生地は基本的に厚手で、肩や関節部分の保護するべき部分には、装飾の施された金属製のプレートがついている。それらは、鋼鉄より遙かに固い。

 黒いグローブのはめられた右手とは違い、左手には柔らかなレイオニーの手が握られている。


 レイオニーは青を基調とした服装をしている。女性ものの半袖の白いシャツに、ネクタイ丈の短いブルーのフレアスカートとローヒールを履いている。スカートは角度によっては、かなりきわどい短さに思えるものだ。


 「なんか、実感ないな」


 町並みを眺めるサブジェイは、少し虚しそうに思える。

 人々は明日に向かってはいるが、今までの精神的な積み重ねを象徴するかのように建物は手入れの行き届いていない部分が多い。深くひびの入った部分や、色がくすんでしまっているもの。なにより文化が停滞してしまっているため、しおれて見えるのだ。新しく何かが築きあげられていれば、いいのだが、そうでもない。


 それに、昨日異形のモノと戦ったことが夢物語ではないのかと、思えてしまうのだ。


 「首にまだ、締め上げられた痕が残ってるのに?」


 レイオニーはあいている手をサブジェイの痛々しい首に、そっとさしのべる。圧迫による皮膚組織の圧死の痕が、彼の首にはくっきりと残っている。これも時間が経てば治るものだ。


 「こっちより、誰かさんが咬んだ肩の方がいたいよ」


 サブジェイは澄まして、少し高い建物の最上部と空の境界線を眺めて言う。

 レイオニーは、瞬間湯沸かし器のようにカッと熱くなり、顔を真っ赤にして湯気を立てる。彼女の背中には力強く自分を抱き続けたサブジェイの腕の感触がまだ消えない。


 サブジェイはもう一つ傷を増やすつもりで冷やかしたのだが、レイオニーは顔をほてらせたまま、サブジェイの肩にもたれかかりながら歩く。


 「サブジェイの……バカ……」


 無邪気だっただけの二人から一つ上へと歩き始めたのは、ついこの間のことだ。それを数度重ねることにより、レイオニーは、サブジェイに深い愛情を感じるようになっている。


 サブジェイが抱いていた切なさが、今は彼女の切なさになっている。一夜の物語を綴った後の、悦びと寂しさ。永遠に愛され続けたいが、やがて朝は来るその寂しさ。時間は気にしなければいいのだが、単純にそうは行かない。


 二人は、見ておかなければならない世界があることを、知っている。父親達の見た世界。未だ多くの謎に包まれた文明の終演と発端。

 バハムートに聞かされてはいるものの、それは全て文献や資料から知り得た一つの世界に過ぎない。ただ、だらだらと時間の中で生きてゆくのだろうか?サブジェイは、疑問に駆られる。


 それに、レイオニーはきっと、何かを見つけるに違いないと思っている。何年掛かるかは判らないが、恐らくこれが、自分たちの旅の出発なのだろうと思えた。今回の事件も発端に過ぎない……と。

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