第2部 第6話 §10

 ドライは、シルベスターとの対峙の中、その赤い光の柱を見る。


 「派手にやってるじゃねーか、あのバカ」


 ドライは、肩で息をしながら、嬉しそうにその光景を見る。

 サブジェイ達が奮闘する中、ドライはシルベスターへの攻撃の手を休めなかった。だが、その結果は頬に指先をかすめることも出来ない無惨なものである。


 彼にはあり得ない、惨めな挑戦だと言える。届かないのである。だが、ドライは決してあきらめない。


 彼は、一度深く息を吐き、背筋を伸ばし、息を吸い込み、もう一度吐き出す。

 そして、ぴたりと呼吸をやめると同時に、組み手をするように右半身になり、柔らかく構えられた両手の平を、シルベスターに向ける。


 ローズは、ただ立ちつくし、ぐっと握り拳を作り、ドライを見守るしかなかった。ただ怖いのは、遊びに飽きたシルベスターが、ドライを殺してしまうことである。


 シルベスターは狂乱者ではない。ドライを蘇らせたのは、それだけの理由があり、酔狂ではない。だが、一度ドライを殺している。そこには彼の思想があったからだ。人間のためには、自分たちの子孫はよくないものだと、彼は考えたからである。


 今のドライ達は抗う者である。彼から見る存在価値は恐らくない。シルベスターは、冷めた様子でドライを見ている。


 「まだ気が済まないようだな」


 シルベスターの口調は絶えず、安定感がある。正確なリズムでどことなく人間味がない。ある程度低く、落ち着きがありすぎる。


 「気が済む?ふざけるな……、テメェ……ずっとここにいやがったろう。何がしてぇんだ。全部一人でカタをつける気もねぇし、助けねぇ訳でもねぇ。気にくわねぇ!!」


 ドライは、更にスピードを上げ、シルベスターに飛びかかる。

 シルベスターもそれに気が付いたようだ。先ほど息を切らしていた男とは思えない集中力。いや、それだけでは語れない。ここにたどり着くまでに、相当の体力を使っているのである。100%以上に持続した力を発揮できることは、あり得ない。


 ドライはパンチだけではなく、蹴りも使い始めている。シルベスターの目つきが少し変わる。ローズには彼から少しの緊張が感じられた。


 掌だけではなく、体を使って動きをつけ、ドライの攻撃をかわしている。受けるだけではない動作である。攻撃をしないシルベスターは、それに対して、少しずつストレスがたまり始めていた。


 顔面近くに飛んできたドライの右手を止め、つかみ、動きを封じる。

 鷲づかみにされた、ドライの手には、初めてシルベスターの圧力が感じられた。力ずくで、徐々にひねられる。拳を砕かれるには到らないが、相当な握力である。


 シルベスターは、自分の方に引きつけていたドライの手を外方向に開くようにして放すと、がら空きになったドライの胸や腹部に、瞬間にして、二十発ほどのパンチをぶち込む。


 ドライの体が一瞬宙に浮き、後方に吹き飛ばされる。彼は地面に足が着くと同時に、踏ん張るが、それでも足が滑り、そこから三メートルほど後退する。

 呼吸が止まる、口を開いても呼吸できない、焦点を失った視線が斜め前の地面を見つめている。無意識に腹部を押さえ、ゆっくりと、頭から突っ込むように前に倒れる。そして顔面から地面に倒れるのだった。


 「がは!」


 黄色く濁った内容物をはき出すと、やっとの思いで意識を留める。そして、早く浅く連続した呼吸を行う。深く吸い込みたいが、それしかできない。

 硬直した腹筋を抱えながら跪き、漸くの思いで、首だけを上に上げ、いつの間にか前方に立っているシルベスターを見上げる。まるで、力の差を形にしたような構図だった。


 「はぁはぁ……」


 一瞬である。

 体力のメーターが急激にそぎ落とされたのを実感する。


 「人間とは、よほど戦争が好きらしい。そう思わないか?」


 シルベスターはしゃがみ込み、嫌厭の視線を向けるドライの頭を撫でる。決して彼を見下しての行為ではない。


 「それでも私は、人間を守らねばならない。判るな?」


 シルベスターは、諭すように静かにドライを見ているが、ドライはそれを嫌い、自分の頭を撫でている、シルベスターの手を払いのけた。息切れが激しいが、体は動く。


 「テメェのご託なんか、知るかよ!」


 ドライはゆっくりと立ち上がる。バランスを崩しふらつくが、倒れ込むことはなかった。よれるようにして、退き、シルベスターとの間合いを開ける。


 「クロノアールとの戦いの後、私は、おまえ達がこの世界の秩序を乱すのではないかと危惧していたが、どうやらそれは、私の取り越し苦労だったようだ。もちろん彼の子孫も含めてな」


 シルベスターは、ドライが立つと、ゆっくりと立ち上がる。

 ドライは、シルベスターが遠回しに、自分たちを殺す意志はないと伝えているのだ。真意は分からないが、当面の間はそうするつもりだろう。


 それはすでに、シルベスターがセルデスの魔法を放ったことで理解できる。なぜなら、あれほどの魔物を一撃で爆発させる魔法ならば、せいぜい10人程度の自分たちなら、簡単に殺せるはずだからだ。

 これは、ある意味ドライらしくない計算高さだが、彼もシルベスターに殺されないことを理解しているのだ。その上で、シルベスターに挑んでいる。ドライも又、生死を分かつような決着を求めている訳ではない。


 彼は剣士である。シルベスターを殺す確率を上げるなら、ローズから剣を奪い取っることもある。


 「俺がまず、ここに来て変だと思ったのは、化け物達だ」


 ドライは、もう少しだけ、後ろに足を運ぶ。硬直した腹部の筋肉の為、背を丸めている姿勢から、シルベスターを、よく見えるようにするためだった。


 「奴らは、ザイン達を追うにしろ、結界の中で藻掻き苦しんでいやがった。外に出れねぇんだよ。だが、ザイン達は追っ手に追われて怪我をして、俺達の待ちにたどり着いた。この島の周囲を囲む結界は、ブラニーが肩を吹き飛ばすほどの魔力でも、その威力は相当減退していた。俺の飛翔の魔法もかなり速度を落とされていたしな。結界は弱っちゃいねぇ」


 ドライは、この間何度か呼吸を入れ、じっくりと体力の回復を待つ。


 「意味が分からんな」

 「とぼけるなよ。じゃぁなんで、あいつ等が街に来たとたん、追っ手がいなくなった?あんたは、待ちくたびれたって言ってたよな?」


 ドライが鋭く睨み上げた、何気なくすまし顔なシルベスターは、しばらくその視線を受け続ける。だが、次の瞬間クスクスと笑い始めた。珍しく眉尻がゆるむ、初めて見る笑みだ。


 ドライは、確信して、自分を疑わない。


 「おまえは、よく私を見ている。面白い素材だ」


 シルベスターは口を大きく開け、満足げに笑った。


 「むかつくんだよ。テメェの都合だけで、人を殺したり生き返らせたりしやがって」


 ドライのその一言に、シルベスターの笑いがぴたりと止まる。


 「生き返らせる?それは間違いだ。おまえは、シュランディア=シルベスターと、ドライ=サヴァラスティアの記録を持つ、私の創造物に過ぎない。おまえはただの人形だ」


 シルベスターの声は、相変わらず一定の適度なリズムで、言葉を刻む。はやる心のドライには少し苛立ちを感じる速度である。

 ドライのように、何となく皆を言いくるめ、考えがまとまらないうちに、そうなんだろうと、感覚的に諭してしまうのではなく、シルベスターの断定的な物の云い方は、ドライにズシリとそれを理解させる。


 「シルベスター!」


 少し離れた位置から、よく通るローズの声が、彼の名を呼ぶ。シルベスターは、少しローズに興味を移す。


 「それ以上彼を傷つけるなら、私は貴方を殺す!」


 ローズは剣を抜く。そして左前になり、一閃輝く矛先をシルベスターに向ける。

 手を出さない約束だ。だが、ローズはそれを反故にするつもりだ。彼女にとって大事なことは、生きることである。自分が生きるためには、ドライが生きていなくてはいけない。


 シルベスターの発言は、完全に彼を否定するものだった。たとえ身ごもっていても、そこに迷いはない。

 シルベスターの目が、平坦なものから、厳しいものへと変わる。


 「ローズ!」


 ドライが一喝する。珍しいことだった。ローズに対して言い聞かせることはあっても、威圧として言葉を発することなど、ドライにとってあり得ないのだ。その声は空気を揺るがす。


 しびれる波動が、ローズに、そしてシルベスターにも伝わる。

 ドライのボルテージが上がってゆく。そしてシルベスターを睨み上げて、声を張る。


 「いい加減にしろよ!俺達はテメェの玩具じゃねぇ。失せろ!!」


 そして、右手の平で、前方の空気をなぎ払うのだった。


 「私を殴るのではなかったのか?」


 ドライの心理状態の変化と矛盾に対して、シルベスターは揚げ足を取る。その瞬間、ドライのこめかみの血管がぶち切れる音がした。

 それと同時に、彼の中のわき上がる怒りの感情が、理性を一気にかき回す。衝動が全てを支配する獣のように、シルベスターに殴りかかる。


 一撃。


 今まで難なく躱せていたはずのドライの拳が、シルベスターには躱せなかった。

 痛みはない。

 シルベスターはアストラルボディーを有している。こちらだけの肉体に攻撃してもダメージはないのだ。


 だが、体に隙は出来る。左の頬を殴られたシルベスターは予想外のことに躊躇し、意識が集中しなくなる。体が右に傾き、ボディーががら空きになる。

 そのときだった。スーっとドライの赤い瞳の色が薄れ、シルベスターと同じ銀色の瞳に変わって行くのだった。普段の冷静なシルベスターのような表情ではなく、ドライの顔は怒りに満ちている。


 運命を弄ばれ、さらにこの先も、彼の生き方に介入しようとする、シルベスターに対して言葉では言い表せない感情が、彼の全てを支配した。

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