第2部 第6話 §5

 城壁に大きな穴があけられるという惨事。

 一番後方では、放心状態になった大臣達が腰砕けになり、絨毯の上にへたり込んでいる。


 「上出来上出来……、良い眺めだ」


 ドライは、額に手をかざし、遙か遠方を見つめる。適地と思われる方向は、禍々しく黒く霞み、雷光が走っている。


 「シンプソン……」


 ドライがそう言いかかった時。


 「あれは、アバウトな中心です。原点ではないですよ」


 シンプソンがそう答える。


 「そか。後は、レイオにいってくれ」


 ドライはそう言うと、シンプソンは頷く。

 それから、ドライは軽く延びをして、筋肉をほぐす。


 「ローズ」


 ドライが運動をやめそいうと。


 「なぁによ」


 ローズがにやにやとした笑みを浮かべて、ドライの真正面に来る。


 「じゃ、一稼ぎいってくるわ」


 ドライの右手が、ローズの頬を伝わり彼女の髪の間に入り込むと、ローズは導かれる。


 「ん」


 短いローズの返事の後、二人はキスをする。愛情いっぱいの濃厚なキスだった。

 これはもういつものことだ。全員それを待つことにもなれているはずだった。


 だが、レイオニーだけは、卒倒しそうなほどに顔を真っ赤にしている。当たり前だ、今の彼女にはドライの全てが伝わっているのである。何を考えローズを愛しているかすらもわかる。今にも体の中心から燃えてしまいそうだった。


 そしてそのレイオニーの感覚もドライにフィードバックされているはずだが、ドライは顔色一つ変えずローズを愛している。


 二人はキスを終えると、口元を微笑ませ、涼やかに微笑みあっている。その雰囲気はいつもと変わりない二人のようだ。そう、一寸街の外のごたごたを片づけてくる。そう言いそうなドライの表情。


 「オーディン、一寸退屈しててくれ」

 「仕方がないな……無茶はするなよ」

 「バーカ。どのへん探して、無茶じゃないとこあんだってんだよ」


 オーディンとドライは、向き合い互いの拳同士を、トンと当てる。彼等はいつも通りの感覚で、振る舞うことにより、気分を落ち着かせているのだ。

 ドライはドーヴァの方を向き、ニヤリと笑うと、ドーヴァはこくりと頷く。


 「んじゃ。ひとっ飛びいってくらぁ」


 ドライはそういうと、全員に背中を向け、ゴーグルをかけると、体を中にふわりと浮かせるのだった。


 そして、次の瞬間……。


 疾風が巻き起こり、ドライは一瞬のうちに、姿を消してしまう。疾風から身を守るために反射的に盾にしていた両腕を、それれぞれがほどくと、空気を切り裂く音が遠のいてゆく先に、すでに小さくなったドライがいる。

 それと同時に、レイオニーも黒いゴーグルをかけ、機械的に弓を引くかまえをとる。光の弦が張られ、弓の中心にある発射口には、黄金色の光の粒子がきらめいている。


 彼女はその体勢のまま、動こうとはしなかった。

 トップスピードに入ったドライは、音の世界の壁を突き破る。じきに安全な結界をくぐり抜ける感覚を体に感じる。そこには荒涼とした世界が広がり、冷めざめとした空気が、彼を包む。遙か彼方の暗雲からは、禍々しい視線を感じる。狂った殺気が向けられるのを感じた瞬間。暗雲の方角から、日中で尚一等星のきらめきを持つ光が放たれる。


 直後それは、青白い巨大な光線となり、ドライに襲いかかる。

 相対速度が、全てを早める。ドライはその中で、感覚を研ぎ澄まし、最小限の動きで、左右にそれを躱し、更に前進するのだ。


 距離が縮まれば縮まるほど、そのピッチは早まる。今は冷静に動けていても、必ず反射速度が追いつかなくなる。

 そして、徐々に黒い暗雲の一部が一つ一つ立体感を増し、宙に浮かぶ黒点となりはじめる。その中に眼孔らしき赤い発光点が無数に見られ、それには憎悪すら感じられる。そして、暗雲の中では、雷光のような光が、天地無用に飛び交っているのだった。


 彼はそこを目指してひたすら飛ぶ。

 黒点の群れが、徐々に点ではなく、いびつな構造物に姿を変え始める。

 無秩序な細胞の固まりに、不規則な位置に、突起物や、人面がある。また意味のない部分に手や足が生えていたり、それ以外にも複数の頭部を持っていたリもする。苦共通する部分は、禍々しく黒い質感を持った生々しい皮質を纏っていることだ。彼等の正面を定義するなら、その進行方向だろう。体を旋回させ、ドライの方向を向く様子も見られる。


 次に、彼等の口内と思われる部分が煌めくと同時に、ドライの遙か後方から、黄金色のまばゆい光が数本走り、おそらくドライに尤も接近していたであろうと思われるそれらに直撃する。


 そして、直撃を受けたそれらは、半分以上を吹き飛ばされ、崩壊し崩れてゆく飛空船のように、徐々に浮力を失い、大地に落ちてゆく。

 王城の最上階では、レイオニーが微妙に両腕を動かしながら、弓の方角を定めている。まるで一つの機械のようだ。


 次に、弓を一絞りし、矢を放つように、光の弦を弾くと、弓の中央にある砲から、複数の光が迸る。その瞬間、室内は、まばゆい光とその波風に見舞われ、全員それから身を守るために、自然に両腕で眼前を覆ってしまうが、シンプソンだけが、レイオニーの後方で座り込み、静かに水晶を眺めている。


 ドライは最小限の動きで切り開かれた道を進んでゆく。だが、距離が縮まるに連れ、徐々に直線では進めなくなる。

 ドライは暗雲の中央を見つめつつ、左側にそれてゆくが、青白い光線は容赦なく彼をねらい打ちにする。


 「だめ!それ以上それると、援護しきれない!正面に戻って!」


 ドライの視点を借りたレイオニーが、そう口にする。王城では、ただレイオニーの独り言のように、彼女が叫んでいる姿しか見えていないが、彼女は正しくドライと会話をしている。


 ドライはすぐに進路を修正し、直進ルートに戻ろうとする。だが、斜め前方の方からの複雑な遠近感は、予想以上に距離感を取りづらい。そして、着弾の計算のずれも生じる。


 全てはドライの感覚が正しくなければならないのだ。レイオニーも助力しているが、全ての速度が、桁違いに速い。


 「ち!」


 ドライは、舌打ちをすると同時に、両腕を顔前で交差させ、更に速度を上げ、一気に中央に向かい始める。

 単調な動きになったドライを、化け物の光線が次々と襲い始める。そのころになると、いびつな形状だけを確認させていた魔物達は、すでに立体感を増し、目の前の現実として、立ちはだかり始めている。


 それはすでに彼の前方だけではない。後方にも存在し始めている。

 数千数万の化け物の群れに対して、レイオニーはひたすら、援護をする。金色の光線がドライを助けるが、それでも、彼は攻撃に阻まれ、光線に叩かれ進路を狂わされる。


 彼の持つ、魔力に対する耐性がなければ、今頃灰になっていても不思議ではない。ドライはかすめる熱量に、肌に痛みを感じる。


 ドライの感覚がどんどん麻痺し始める。彼は限界速度以上で飛び始めているのだ。

 だが、その中で、自分が決してレイオニーの援護だけに助けられているわけではないことに気が付く。化け物同士が喰らいあうように打ち合っている。


 「そういや、シンプソンがいってたな……。どういうことだ?」


 ぎりぎりの意識で、彼は自分に興味を示さない化け物のの方向を探す。つまり、近距離でも自分を狙わない化け物を盾にしてすり抜け、前に進むことを考えたのだ。まるでパズルのようだ。不可解な状況だが、これを利用しない手はない。


 ドライは完全に化け物の海の中を飛ぶ。

 かすかに伺える、焼けただれた大地と青い空が、自分の方向を教えてくれている。


 「レイオニー。ドライをもう少し右に旋回させてください」


 王城のシンプソンがレイオニーに指示を出す。

 ドライは一瞬自分の体のコントロールに違和感を覚える。それはレイオニーが指示を出しているからだ。ドライはそれに、意識をリンクさせる。自分が進まなければならない正しい方向に、体がむくと、再び彼は動きを取り戻す。


 すると、数匹の化け物が、それをアシストするように、進路にいる化け物を光線でなぎ払う。

 化け物達が体当たりでドライを襲わないのは、運動性能の差だ。身体的な攻撃では彼を襲えないのである。


 化け物の同士討ちを利用するつもりだったが、ドライは、奇妙な苛立ちを覚える。


 次の瞬間、その隙が危険を呼び寄せる。背中を向けていた上空が、真っ白に輝くと同時に、ドライは光線に撃たれ、それに弾かれてしまう。意識がとぎれ、レイオニーも自分の中からドライの感覚が消えるのを感じる。

 今ドライの体を支えているのは、レイオニーの意識しかない。彼女でもドライをとばせることが出来るが、音速の中で、的確な判断をこなすことは出来ない。それに対する経験が違いすぎる。それに、ドライを100パーセントコントロールしている間、援護をする人間は誰もいない。


 「ドライ、おきて!!」


 彼女に出来ることは、ドライを目的地に向かって飛ばすことだけだ。


 「ドライが気を失っちゃった!助けて!」


 レイオニーが悲鳴を上げる。彼女は、合間を見て、矢を連射するが、精度は低い。ドライを守る援護をかろうじてこなすことは出来ても、彼を前進させるには到らない。その間ドライは、前方の光線に弾かれてしまうのだ。


 ドライ自身の防御に集中している間は、援護は出来ない。


 「はやく!!助けて!!」


 レイオニーはパニックに陥りかけている。ヒステリックな声が悲痛さを増す。遠く離れたドライを助けられるのは、今オーディン達が動くことしかない。だが、オーディンは指示を出さない。ローズも動かない。


 「何考えてるの!ドライ=サヴァラスティアが死ぬわよ!」


 ブラニーが焦れて、両手で印を組み、動き始める。


 「まって!」


 レイオニーの援護の邪魔にならないように、彼女の脇に構えていたローズが、掌をつきつけるようにして、ブラニーを制止する。


 どんな状況からでも、ドライを確実に起こせる人間は、自分しかないない。ローズは、そう確信している。


 「レイオ、ドライとの感覚はつながっているの?」

 「深層でつながってる!ドライが答えないの!」

 「そう……」


 危機感を煽るレイオニーの声だが、ローズは慌てないでいる。静かにレイオニーの真正面に立ち、彼女の弓を下げさせ、その両肩に手をおくと。


 「レイオ。目を閉じて、ドライと感覚をつなげ続けて……」

 「でも……!」

 「大丈夫!あいつ絶対起きるから。ね♪」


 本当はローズだって怖いはずだ。ドライを死ぬことを一番恐れているのは、ローズだからだ。両肩に乗せられている手が、震えているのが判る。だが、ローズはその恐怖心を、限りないドライへの愛情と信頼で押し上げ、押しつぶされないようにしている。


 「うん」


 レイオニーは、目を閉じる。と、ローズはレイオニーに唇を重ねるのだった。

 すると、先ほどドライとリンクしていた感覚が、彼女に蘇る。


 「愛してる。目を覚まして……」


 僅かな時間の間に、何度も何度もローズがそう繰り返す言葉が、レイオニーの胸の奥に強く焼き付くのだ。


 次の瞬間。全ての電源が入ったようにドライは意識を取り戻し、瞬時に状況を把握し、脳をフル回転させ、迫りくる危険を回避する。一度下方へ速度を上げながら、ワインディングし、体を水平に戻し、再び高度を吊り上げながら、前進してゆく。正面からの攻撃も速度を落とさずに、躱し続けている。ブラニーが禁止していた、尤も危険な速度での、回避運動である。全ての追撃が、彼をとらえきれないでいる。


 眼球の毛細血管が切れ、ドライは血の涙を目に滲ませるのだった。

 だが、回避運動のリズムを取り戻す。


 ローズとのキスで、少し放心状態になりかけていたレイオニーだが、彼女の体温が唇から離れ、修羅場を静かに見つめているクールな戦士の強さと、その遙か奥にドライへの愛情を棲ませるローズの瞳が視界に入ると、彼女は、唇をぐっとかみしめ、すぐにドライとの意識の同調を行い、彼の望む行動をする。


 その中で、ドライは再び先ほどの疑問に駆られる。

 いやな予感がする。それは、この戦いに対する勝敗の勘ではない。だが、限界に達しつつある意識の中、思考を働かせれば働かせるほど、苛立ちがますのだ。


 レイオニーが語る。


 「何を探してるの?」

 「探す?なにを?」


 観点の相違と言ったところだろう。レイオニーの方が客観的にドライを感じていることで、ドライは更に疑問を持つ。確かに苛立ちの元を探そうとしていたのだ。

 すると、閃くようにドライが一言を発する。


 「レイオ!一気にぶち抜け!」

 「でも、力が空っぽになっちゃうよ!」

 「いいから!俺めがけて、ぶち抜け!」


 ドライは何かを探そうとするが、視界には化け物だらけだ。おそらく目下に迫っているだろうと思われる敵の本体すら見えない状況である。

 彼はすでに暗雲の中におり、化け物とその障気の渦に包まれ、視界がまともではない。ただ、シンプソンだけが、物理的な障害を取り払い、その中心部を見ている。


 「はやく!」

 「わ……わかった!」


 ドライの気迫の一喝に、レイオニーは心臓をびくりと縮まらせ、彼に従う。

 ドライは化け物の中央で、停止する。そして強く防御に意識を集中するのだった。


 次に、周囲が黄金で埋め尽くされる。ドライは目を焼かれないため、瞼を閉じ、光が収まるのを待つ。五秒ほどか?音のない、瞼を閉じてもまだ届く光の世界に身を置く。そして、感じていた熱気が退き、空気がゆっくりと常温まで冷える。


 そして、彼が目を開けると、周囲の障気、障害物が取り払われ、そのまっすぐ向こうに、人が立っている。相当距離があるはずだ。だが、その全てを確認ですることができた。

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