第2部 第6話 §2

 オーディンとニーネが芳醇な愛を語らい合ったその夜中、オーディンは一人でテラスに出て、月夜の風にあたっていた。この土地の夜の風は冷たい。だが、空気も澄んでいる。いつも以上に夜空に星がきらめき、その中に悠然と満月が居座っている。


 テラスには、椅子もテーブルも用意されている。オーディンはどれにも、腰を掛けず、つきだしたテラスの壁に組んだ腕を杖にして前に乗り出し、過ぎゆく時間とともに、ただ何事もなく過ごしている。


 「あれ~?先客だぜぇ」


 と後方の声から聞き慣れた、緊張感のない不満そうな声が聞こえる。

 声に導かれるように、オーディンは凭れるのをやめて、後方を振り返る。

 すると、ドライとローズがいる。


 ドライはランプと片手に、二本ほどワインのボトルを持ち、オーディンの顔を照らす。どこから拝借したのかは、わからない。

 ローズも片手に薹で編ん籠を持っている。この二人が酒だけで済むはずがないのだ。

 二人はオーディンを見つけると、一番その近くにあるテーブルに着く。


 「レディ?」


 とオーディンが窘めた口調で言う。


 「はいはい!皆まで言わない!知ってるでしょ?私の性格も」


 こういわれると、どうしようもない。それで、サブジェイをきちんと生んでいるのだから、更に文句も言えない。それに縛られて日常生活に神経質になる女ではないのだ。


 「せっかくの名月だぜ?一杯やりたくなるだろ?てか、モチ付き合うだろうよ。おめぇも」

 ドライは、ワインのボトルを、ぐっと持ち上げてオーディンに突き出す。


 オーディンはあきれた笑いをして、ふっと息を漏らしてしまうが、嘲笑はない。それ以上何も言わずに、席に着くと、ドライは、きゅっきゅ!と、小気味よく、コルク抜きがささってゆく。そして、すぽん!と音を立てて、ワインの栓は抜かれた。


 その横で、ローズが生ハムとチーズを取り出し、ナイフで薄く削られた生ハムを、小切りにしたチーズの上にのせる。そして、爪楊枝をぶすりと刺す。カロリーの高い食べ物だ。


 そのころには、オーディンが何も言わないオーディンの目の前に、籠から取り出したワイングラスをおき、遠慮なしにワインをつぐ。香りを楽しみ、舌で味を転がすなどという感じの料ではなく、水のように、注がれる。


 グラスは二つしかない。当たり前だ。一つはドライの分なのだ。

 ドライは、二つのグラスに注がれた残りのワインをいただくことにする。まず、二人の前でラッパ飲みをしてみせるのだ。


 ワインの種類は、赤ワインで辛口でチーズによく合うののだった。オーディンはその感触を確かめる。


 「珍しいじゃねぇか。飯時に顔ださねぇなんてよぉ。レイオが入ってくるなり、気を遣うな!だってよ」


 ドライは、ラッパ飲みの間に会話を仕掛ける。


 「ん?ああ……済まなかった」

 「なぁに?ニーネと時間を忘れるほど、恋してたって訳?」


 ローズが、少し前のめりになり、下の方からオーディンの顔を観察する。少し好色で興味深そうで、いたずらなローズの笑みだった。月明かりとランプだけなので、あせて見えるが、それでも少し大きめのローズの微笑んだ唇は魅力的だ。オーディンもつい、ローズを視界のファインダーから外すことが、出来なくなってしまう。


 「私だってそういうときくらいはあるさ……」


 と、包み隠せない。二人の青い瞳の視線が交差する。


 「なぁんだよ。俺は邪魔ってわけ?」


 と、笑ってそう言ってしまう。まるで境界線を感じない発言だ。楊枝にさされた生ハムチーズを、ぱくっと一口に食べる。そして、またラッパ飲みだ。


 「そうねぇ。たまには、他の恋もしないと、人生の醍醐味忘れちゃうかも」


 などと、ローズはオーディンしか見ていない。

 と、とたんにオーディンが照れてしまう。ローズを見つめたまま、顔を赤くするのだ。だが、動揺は見られない。

 その動きを見て、ドライが腰を上げようとした瞬間だった。


 ローズは、ドライのシャツの裾を引っ張り、そのまま、椅子に座らせる。


 「バーカ。こうして時めくのも、いいじゃない。ねぇ。オーディン?」

 「ああ。こうしているのも悪くない。君とならね」


 二人には距離感がいいらしい。


 もし、ここにニーネがいれば、ドライもニーネを連れて場所替えをしているだろう。だが、それは遊びで、生涯続くことは出来ない感覚だと、彼等は知っている。たまにそう言う雰囲気を作り、楽しみたいのだ。


 「ふ~ん。俺だったら、即行でテイクアウトだけどなぁ」


 ちょっと蚊帳の外になっているドライが、ラッパ飲みをしながら、横の二人を見ている。

 オーディンとローズは満足をしたのか、お互いにただ、見つめ合うのをやめて、背もたれに凭れる。


 そして、オーディンは月に目をやる。


 「レイオが、魔法を完成させた。おまえは?」

 「ん?ああ、OKだぜ。準備万端……っていいてぇが、一日ゆっくりしてぇ。いいだろ?ブラニーも魔力が回復するのに、時間が欲しいって言ってやがったしな」


 視線を外したことで、オーディンがなにか考えことをしていることは、すぐに解る。もう、それぐらいのつきあいだ。だが、ドライはあえて、その行動に対する疑問を投げかけなかった。


 ローズは、先ほどの埋め合わせをするように、ドライの腕に絡み、頬をその肩口にそっと添えて、寄り添う。

 何となく……。そんな意味合いで、オーディンは席を立ち、再びテラスの塀に腕組みした肘をおろし前屈み気味に、もたれかかる。


 「レイオをどう思う?」


 月を身ながらの、少し心ここにあらずといったようなオーディンの彷徨った言葉。視線は相変わらず、満月に向かって、吸い込まれそうになっている。


 ドライは、口にもって行きかけた、ワインの瓶を、その直前で止め、目だけをオーディンの方向に向ける。ワインを飲もうとして半開きになった口が、しばらく何を言って良いのか解らず、脳からの司令を待っている。そして、一端閉じられた。


 オーディンはそれ以上何も言わない。ドライの答えを待っているのだ。急かすこともなく、心身を肌寒い時間の流れに任せたままにしている。


 「可愛いし、美人だし、頭は良いし……、いい娘だし……。出来た娘じゃねぇか」


 ワインの瓶をテーブルに置いた、ドライが右手で指折り数えて、レイオニーについて考えてみるが、出てくるのは、そんなところだった。


 「ドライ=サヴァラスティアとしての、おまえの意見は、よくわかった!」


 オーディンは、自分の言いたいことを、明確にとらえてくれないドライに対して、自分の真剣さを訴えるため、振り返り、テーブルまで近づき、どん!と、両手をテーブルの上につき、前のめりになって、わざと強い口調で、ぷん!と怒った様子で、そう言う。


 ドライは、もともと悪人面で、眉尻があがって、キリッとしている。だが、ここ二〇年において、ドライは穏やかだ。眉尻も緩くなり、眉間のより気味だったしわも消え優しさに満ちて、気迫が欠け気味になっていた。


 オーディンのその一言で、ドライの眉間に知的さが現れ、別の人間が顔を出す。少し目を強めで細めがちにして、オーディンと視線を交える。ドライは、腕に絡んでいるローズをほどき、その肩をしっかりと自分に引き寄せる。


 「はっきり言えよ。何が不安なんだ?」


 それは、間違いなくシュランディア=シルベスターとしての彼だった。口調はドライとさほど変わりない。ローズを抱いた腕は、彼女を変わりなく愛しているドライを主張しているのだ。


 話を持ちかけておきながら、オーディンは逃げ道をふさがれた気がする。オーディンは再び腰を掛ける。


 「今回、あの子にはおまえのサポートをさせようと思っている。おまえなら、今までの状態でも、相当距離を飛んでくれると思っている。だが、おまえに万が一なんて、あって欲しくない。だからあの娘には、より精度の高い遠視系の魔法の開発を頼んだ。だが17の娘が、誰が教えたわけでもない呪式の組み上げを一人でやってのける……。あれは、才能なんて代物じゃない。まるで生まれたときから、知っていたような……」


 オーディンは両手を広げて、その手のやり場に困りながら、狼狽えている。

 ドライは、もう一度ワインを飲み、口の中にわだかまっているものを、きれいにし、飲み込んだ。


 「オーディン。レイオがその力を持ってるから、どうとかじゃねぇ。レイオがその力をどうするか?だろ?」

 「ああ。解ってる」


 ドライは、オーディンが何を言いたいのか、よく解る。オーディンも自分の娘が誤った道に走るなどと、思っていない。だが、彼女の能力は一生彼女につきまとうものだ。周囲が静かにしておいてはくれないだろう。


 「大丈夫さ、レイオには、サブジェイがいる。あいつは昔の俺たちなんかより、ずっと強いんだぜ?上手くやてくさ」


 ドライはオーディンの肩を、ぽんと叩く。


 「ヘタな慰めだな」


 と、オーディンは俯いて苦笑する。ドライはその言葉に、ふと月を仰いだ。彼等はここにきて、何度月を仰いだだろう。


 「俺達ゃ、どこ行きゃいいんだろうな……」


 そう、なにも、レイオやサブジェイ達だけの問題ではないのだ。自分たちの明日さえ解らない彼等は、子ども達の行く先さえ照らしてやれない。だから、オーディンは彼等の行く先が心配でならない。


 「なぁによ。しみったれてるわね。せっかくの月見が、台無しじゃない?私たちはいつも出来ることをしていくだけ。違わない?」


 と、今まで、ドライにべったりだったローズが、それをやめ、ワイングラスに手を掛ける。


 「今は、おいしいワインとチーズを……ね」


 落ち着いていた。ローズはオーディンに向かってウィンクして、ドライに向かい、微笑んで見つめる。決して答えになっていたわけではないが、考えれば深みにはまる思考を、止めてくれるのだった。

 三人は乾杯をして、夜を楽しむのだった。

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