第2部 第6話 受け継ぐもの

第2部 第6話 §1

 皆がそれぞれの想いを胸にし、形にし、迷走している頃、レイオニーは一つの作業を終えようとしていた。ノートに書かれた記述を、魔力との契約を行うための、特殊な紙に模写し、何かを呟くと同時に、それを青白い炎とともに、この世から消滅させた。


 「よし……、これでOK」


 と、満足げにキリッとした笑みを浮かた。


 「媒体に多少問題あり……か。まぁ、ドライだし……うふ」


 と、一人で照れ笑いをしながら、書き記したノートを閉じる。そして、すっかり固まってしまった背筋を、のびをしてほぐす。後頭部で、片方ずつ左右の腕を伸ばし、その肘を持って、右左と体を曲げたりしてみる。


 「二酸化炭素でいっぱいになっちゃうな……うーん」


 レイオニーは、少しずつ、開放感を体に満たしながら、次の行動を考える。


 「パパに報告しなきゃ……」


 レイオニーは、テーブルから離れ、オーディンの寝室に向かうことにする。そのオーディンは、サブジェイと一戦交え、ドライを追いかけた後、自分の部屋に戻り、上半身の衣服を脱ぎ、ベッドに俯せになり、ニーネに背中をマッサージをしてもらいながら、ぽつりぽつりとサブジェイのことを呟く。


 「悔しいが、私もそろそろ追い抜かれる時期に来たのかな……、細工をせねば、サブジェイに勝てなくなってきた……」


 声の掠れ具合は、リラックスと俯せの体勢のため、静かに小さくめだった。


 オーディンは、目を閉じて、勝負が決する瞬間をもう一度記憶の引き出しから取り出す。当分この記憶は、一番上の引き出しで、頻繁に引き出せる状態の位置に、留めることになりそうである。


 ニーネのマッサージは愛情表現だ。ここに来て、強者でない彼女の出る幕は、全くない。皆がせわしなく出入りしているのを、静かに待つだけだ。唯一形に出来ることは、料理だが、それもここでは用済みである。


 心のケアとなれば、別の話だ。彼女がいると、オーディンがほっとする。それは、ドライもドーヴァもシンプソンも、パートナーがいるということでみんな同じ事だ。


 「サブジェイ、頑張ってるもの……、何れ子ども達に追い越されてゆくのも、親の務めではないですか?」

 「サブジェイの親はドライだ!ドライが先に負けてやるべきなんだ。それまで私がサブジェイに負けるわけにはいかない」


 負けられないオーディンの単純な理由に、ニーネはクスリと笑う。「強情だ」そう心で思うが、それが彼女を微笑ませる。レイオニーのことがなければ、サブジェイも、そうしているはずなのだ。だが、オーディンが子離れしようとしないから、真っ先に彼の目標にされてしまうのだ。


 ニーネは、サブジェイなら心配はないと思っている。きっと、生活を十分やっていけるだろうと、考えている。自分たちの街で暮らせば、彼の腕なら十分父親達のように、誇れる男になって行くだろう。サブジェイは彼等の背中をしっかりと見て育っている。


 「オーディン?」


 と、ニーネがオーディンの背中に寄り添い横から彼の顔をのぞき込む。声は少し切なく情緒的だった。


 「ん?」


 呼ばれたから、返事をした単純なオーディンの返事。


 「昔の話をしていいかしら?」

 「ああ、かまわないが……どうしたんだ?急に」


 オーディンは、仰向けになるために、ごろりと転がる。ニーネはそれにあわせて、一度オーディンの上を退き、彼の体勢が完全に整うと同時に彼の胸板に頬を寄せる。


 「魔導戦争の頃の話……」

 「30年前の話……か。古いな……」


 魔導戦争の話は、オーディンにとって苦すぎる記憶だ。だが、ニーネが話したいというのだ。オーディンに止めることは出来ない。同じ国家(くに)に生まれ育ち、同じ歴史の中で育ってきた。何より全てを知って、自分を愛してくれた人で話である。


 「あのときの私は、今のレイオニーよりも、少し若かったわ……。でも、あの子と同じ想いを抱いていたわ」


 ニーネが、意味もなく昔話をする女でないのは、オーディンもよく解っている。ここは、相づちも疑問も投げかける場面ではない。彼は黙って聞き入れることにした。


 「たった二十歳で、遠征の先頭に立ち、出かける貴方に、この身を捧げたかった……。貴方のものにしてほしいと……思ったわ。そうしたら、もっと貴方と沢山のことを、共有できるんじゃないかって……分かり合えるんじゃないかって思った。大事なモノを貴方に捧げることで……」


 生々しい雰囲気だった。オーディンが赤面してしまうニーネの情熱ぶりだった。


 「それだけで、君を繋ぎたくなかった。なにかあればすぐに、それに頼ってしまいそうで……」

 オーディンは腕の中にニーネを抱きしめる。

 「そのあと、10年も待たされたのよ……酷い人……」


 ニーネはより強くオーディンの胸元に頬を押し当てる。早まりつつある彼の鼓動が、耳を伝い鼓膜を伝い、脳にまで届く。そして一つの魔法に掛かってしまう。


 オーディンはニーネを少し引き上げ、もう一度俯せの体勢になる。


 「今はこうしている。それではだめかな?」

 「いいえ。とても幸せ……。そして、このまま私に起きている奇跡が貴方とともに続いて欲しい……」

 「ニーネ……」


 二人は互いに、理性に従う必要がない。意識が通じ合えば、それに従えばいいのだ。蒼さと情熱だけでは、得られない充実感を二人は知っている。時間が許せば、ずっとそうしてられる。オーディンがサブジェイに伝えたいことの、一つでもある。確かに、父親の嫉妬が8割方占めているのは事実だ。


 ニーネの奇跡。オーディンもそれは思っていた。彼女は特に戦闘能力に長けている人間ではない。だが、自分たちと同じように時間が止まってしまっている。


 シルベスターとクロノアールの子孫は互いに引き寄せられ巡り会う。争いか融和か?それは解らない。二人がこうしていることは、きっとそこに答えがあるに違いないと、オーディンは思う。


 父親の部屋に魔法完成の報告にきたレイオニーだが、彼女が扉をノックすることはなかった。室内から情熱的な声が少し漏れている。


 「まだ、夜じゃないのに……」


 レイオニーもまた、赤面してしまう。それは夕べ自分も経験済みだ。更に強い想像をせざるを得ない。興味本位で終わっていたうちは、今の赤面に比べれば、子どもレベルだ。心臓が踊り出して、今にも口から飛び出してしまいそうだ。何故なら、夕べの自分たちの行為を、大人達は今朝の二人を見て、何下に想像したに違いないからである。


 無論好色な目をちらつかせる両親でないのは解っていても、彼女は今あれこれ想像中だ。

 彼女は、こっそり、書き置きをして、扉の下から、その紙をくぐらせた。

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