第2部 第5話 §7
時間はそれより少し進む。
勇時になる前の微妙な時間帯だ。
サブジェイは、皆が立ち去った後も、そこに一人座り込んでみたり、寝転がってみたりしている。あれが訓練ならば、泥のように眠りたくなるまで、とことんやり合うのだ。何度でも立ち上がって良いし、いろいろなことを試してもよい。だが、あれは勝負である。それが決した瞬間、本当ならば命はない。意気込みや決心も極限に達している。反省会を開くほど、悠長な気持ちにもなれない。一人黙々と、修行に打ち込んでもよい。だが、気分はそこにはない。今彼にあるのは、果てしない自問自答だけである。
サブジェイのそれが生まれるには、彼が大人達より未熟な技量だから、ただそれだけの理由ではない。歳月は人を成熟させ枯れさせる。だが、ドライ達は成熟して尚、熟してゆこうとする。なぜなら彼等は年をとならいからだ。歳月を重ね、蓄えたものを、枯れさせることなく、更に磨きを掛けてゆく。本当ならば、世代交代をすべき時期に、それを要しない。延々と実りだけを続けてゆく。サブジェイはそれに追いつかなくてはならないし、追い越そうとしている。途方もないことだ。
その中で、育ったサブジェイだ。それが当然であり、決して彼等の責任にすることはない。
「親が衰えないから追いつけない」
もしその一言が口に出せれば、彼はどれだけ楽に生きられるだろう。だが、その時点で彼の成長は望めない。真に成長しようとする人間には、より高きところに進む者の躓きを望むことなど、あってはならないのである。だが、走り追いつくためには、時に足を休め、休息を取り、息をつくことも必要なのである。
彼がそんなプレッシャーにつぶされそうになっていたとき、彼の真後ろに、誰かが立つ。
「なぁに、こんな所で黄昏れてるのよ!」
あきれ果てたような声をしていたのは、彼の母親である。
ローズは、左の越しに手を置き、肘を張り肩幅にスタンスを取り、自然に姿勢を崩し何気なく立っている。彼女が近づいてきたことに、気が付かないほど、内にこもった状態のサブジェイだった。
座り込んでいたサブジェイは、右斜め後ろ上を振り向き眺める。唐突さに、ぽかんと驚いた口がふさがらない状態で、目を丸くしてローズを見る。
ローズの表情は実に涼やかだ。目を細め、口元は静かに微笑んでいる。含み事もないサッパリした笑みである。
ローズは妊娠中だが、腹部はまだ目立っていない。白いカッターシャツの胸元をワイルドに空け、何気なく胸の谷間が見えている。まくり上げられた袖は、肘のあたりでまとめられている。そしてブルージーンズにブラウンのハイカットブーツ。
再三書くが、とても妊娠中の女とは思えない。勇ましい西部時代の女のようだ。野性味と大胆さがあり、男を指先であしらいそうな強気さ、そして上品ではないが気高さを持って生きている、それが魅力的な女。そう称したらいいだろうか。ローズらしいと言えばローズらしい。
サブジェイは、母親だというのに、時々ローズにドキリとさせられることがある。
ローズも誰に対しても、その魅力を失うことがない。それが、彼等なのである。
そんな彼女の腰には、彼女の愛刀が装備されている。何かを考えているらしいことは、生まれてからのつきあいで、ピンとくるが、やはり彼女は身重なのである。無理をしでかさないうちに、サブジェイは立ち上がり移動しようとするが、座っている者が、立っている者より不利なのは、当然の理である。
サブジェイが立ち上がろうとした瞬間。ローズは支えになっていた彼の腕を足で払い、バランスを崩させ、倒れさせる。
仰向けに倒れたサブジェイの腹の上に、ローズは遠慮なく腰を下ろし。サブジェイの胸ぐらを、グイと持ち上げ、顔を突き合わせる。
「あんた、そんな気持ちで、今夜レイオを抱くの?」
目を更に鋭く細めるが、瞳から放たれるギラつきは、攻撃的ではなく、全てを知っていると言わんばかりの研ぎ澄まされた彼女の思慮から生まれているものだ。
一度向かい合った面を、ローズはすっと流し、声をわざと掠れさせ、サブジェイの耳元でセクシーに嘲ってみる。
サブジェイはぞわりと、肌を震えさせ驚嘆しそうになる。計画や、慰みなどで、レイオニーと、一夜を過ごすのではないが、確かに結果的にそうなってしまうのだろうと、一瞬に結末が、彼にも予測できた。
図星だった。
サブジェイは、口で「い」の字を発しそうな顔をしたまま、目を大きくして顔赤らめ、ローズと頬を重ねている。この状況に照れているのではなく、ローズに昨夜の所行を想像されていることが、たまらないのだ。
ローズは、サブジェイの胸ぐらを解放するが、彼の上から退く様子はない。
「オーディンに、勝てなかったんだってね」
ローズの言うその出来事は、過去に何度も繰り返されてきた事実であるが、今回は、それに対する気持ちの落胆が、半端ではない。いつものローズなら、次につなげるよう、笑ってくれるが、今回はそうではない。サブジェイの心情を察しての、残念そうな重みのある言葉だった。二人は今一度視線を合わせる。気の抜けた疲れたサブジェイの視線。ローズは目尻を優しくおろし、彼の額を指先で撫でる。
「勝てるイメージはあったんだ……」
サブジェイが、再度ローズと視線をはずし、首を傾け、右の顔の下にある芝を眺める。芝は、青くぴんぴんと小気味よく元気に立っている。小さいが、一生懸命頑張って生きているのだろう。
だが、サブジェイはその感傷に浸る気分も持ち合わせていない。
ローズは、ん?と、首をかしげる。そして少し驚いた。
それは、今までのサブジェイからは、出なかった言葉だからである。
無論目測を誤ったからこそ、負けという結果につながったのだが、サブジェイがそれほど自惚れた男だとは、ローズは思っていない。それに、いままでさんざんオーディンやドライに、たたきのめされてきたのだ。
それが、一朝一夕で容易に出来る者ではないことは、彼自身が身にしみて判っていることだろう。
ローズは、サブジェイの上から腰を上げる。
「最後どうだったって?やってみて」
てきぱきと行動に移るローズだった。腰の剣をすらりと抜き、軽く振り回し、腕を温めるが、今回は右手で剣を持っている。当たり前だ、オーディンとのシュミレーションなのだから、彼女の利き腕である左手で剣を持つわけにはいかない。
「えっと……」
サブジェイは、ローズに言われるがまま、背中の鞘から剣を抜き、腰をかがめ低い体勢で、少し斜め下から剣をあげるようにして、構える。
「同じ格好で構えて……お互いの眉間に剣を突く体勢で」
と、ローズがすっと腰をかがめ、サブジェイの眉間に剣を向けるが、身長もリーチも剣の長さもサブジェイの方が長い。
ローズはピンとくる。経験だった。ローズは慣性の法則で、剣だけをそこに残して、指をすっと引き、柄ぎりぎりの位置を指先で持つ、それはまさにオーディンと同じ握りだった。ただ、ローズの剣はすこしふらふらしている。握力の違いだ。それに、サブジェイの眉間を貫くには及ばない。
オーディンが動作中にそれをやったことは、明白な事実である。
「見えなかったの?」
とローズが聞く。目は全てを見ようとしているのか、厳しく見開かれている。声も重くて、少し低めになっているが、問う声は優しい。ともに考えようとしてくれているのが、サブジェイには判る。
「爆炎で空気が揺らいでた」
「さすがね……オーディンだわ」
ローズは納得する。サブジェイの駆け引きは、まだ正々堂々としすぎているのだ。だが、それでよいのだと、ローズは思う。サブジェイはまだまだ伸びることを、彼女も再度確信する。彼の年代で、そんな駆け引きを覚えてしまっては、さらなる高みへはゆけないだろう。だが、蒼さも悪い部分が顔を出している。だから、正面からのぶつかり合いになり、負けという結果を生んだのだ。
「焦れた訳じゃないだろうけど、相打ちでもいい……なんて、考えたんでしょ……。だから、正確な距離感を測らず、強引に突っ込んだ結果、その勝敗を分けた……違う?」
「そうかもしれない。……そうだ……それに、イメージとは違う……」
サブジェイは少しずつ見え始める。
「『結果とは、数々の過程から生み出される答えの中の一つにしか過ぎない……』わかる?」
ローズは剣を突きつけたまま、凛々しくサブジェイを見つめながら、一つの言葉を口にする。
「誰だよ……それ……」
あまりに哲学的な言葉をローズが口にしてしまったもので、似合わないなぁと、サブジェイは思いながら、しらけた目をローズに向ける。
「私よ!要するに、あんたが結論に達するには、まだまだ稚拙で、未熟で、経験不足だって事よ。イメージがわくって事は、きっとそのプロセスはあるはず。ただ、まだモノに出来ないだけ!」
ローズは、すっとまっすぐに立ち、剣を納める。サブジェイもそれに合わせ、立ち上がり、剣を背中に納める。
するとローズは、静かだが真面目でまっすぐな表情をする。
「サブジェイ。いい?負けても納得のいく結末と、勝っても何も得られない結末もある。勝つための戦い方と、結果的に勝てるのとでは、大きく差があるし、勝つことに拘るのか、勝つためのプロセスに拘るのか?とらえ方で、得られる結論は大きく変わるわ。オーディンは、負けられない意地で懸命に繰り出した技に、満足していないだろうし。悔しいかもしれないけど、貴方の負けは、恥じるものでもないし、可能性の終わりでもない、違う?」
確かにそうだった。サブジェイは、ハッとする。遠い壁だが、確かに着実に縮まっている。苦しいかもしれないが、サブジェイの中からは、勝てるイメージが消えたわけではない。ローズの言うとおり、そのプロセスを踏むには、サブジェイの経験が足りなのだろう。経験は、修行であり、実戦であり、知恵でもり、また挫折である。今回もその過程の一つなのかもしれない。
「オーディンは、きっとあそこで、詰めておかなければならないという、危機感があった……のかもしれないわね」
サブジェイは、ローズの言葉を耳にしながら、グローブをはめた自分の掌をじっと見つめている。
「解ったら、さっさとお風呂入ってらっしゃい。汗まみれでしょ?」
ローズは、サブジェイの頭に遠慮なく掌をかぶせ、ぐりぐりとなで回すのだった。
「うん」
素直なサブジェイの頷き。表情には、再び軽さと、明るさが戻る。見つめていた手を静かに下ろし、少し下の方から、キリッとして微笑んでいるローズと視線を合わせる。その笑顔は、彼の悩み事が取るに足らないことだと、言っている。「大丈夫だから」とか、「焦らない」などの言葉が、感覚的に伝わってくる。慰めではない、心底安心できる笑みだ。
サブジェイが、ほっとして少し言葉を出すのを、忘れていると、
「まだ、落ち込んでるなら、母さんがたっぷりサービスしたげるわ♪」
と、すっとサブジェイとの間合いを詰めるローズ、サブジェイの背中にまわされた両腕が背中にたどり着き、しなやかにまとわりつき、距離をなくす。ブルーの瞳が潤み、ローズの唇が、サブジェイの右頬に触れる。
「わ!な!やめろよ!」
サブジェイは、ローズをほどこうとするが、こういう時の力は、どういう訳か、彼女の方が強かったりする。そして、反射的に窮屈な体勢ながら、唇の感覚残った頬を、手の甲で、ごしごしと吹くのだった。
「今拭いた?拭いたでしょ!?」
今度は一転して、切れてかかるローズだった。
「勘弁してくれよ!わ~~!!」
「母さんがこんなに、愛してるのに!」
そこには、ローズを剥がそうとするサブジェイと、意地でもキスをしてやろうと食らいつくローズの姿があった。ローズの愛情はサブジェイには少々濃すぎるようだった。
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