第2部 第5話 §6

 「悪かったな……、時間を取らせちまって」

 「いえ……」


 シードは、あっさりと背中を向け、歩き出すルークをその場で、見送ってから、立ち去るつもりだった。

 ルークは、数歩歩いて、歩みを止める。あることに一つ気が付いたのだ。


 「テメェの技量を測れねぇってのも、孤独かもしれねぇが、血には走るなよ。俺やドライみたいにな」


 言いたい意味はよく分かるシードだった。だが、彼らの精算しきれない過去の事情までは理解できなかった。ドライはいざ知らず、ルークにはそういう過去があったようだが……。


 確かに、今でこそドライは陽気な男だが、オーディンや父とは違う荒々しさがあるのは確かだった。オーディンのように気高い血統を感じる強さとも、また異なる。


 「待ってください」


 シードは、思わずルークを立ち止まらせる。


 「なんだ?」


 咄嗟だったシードの声に、ルークも耳を傾ける、足が止まり、振り返ってしまったのだ。壁に掛けていた、マントと剣を取る手が止まってしまう。


 「お祖父さんの話では、シルベスターとクロノアールの子孫達が、互いの運命や存続を賭け、戦ったことは解っています。自分たちの想いを通すために、結果的にそうなったことだと、言うことも聞きましたが、貴方とドライが、賞金稼ぎとして、剣士としてどちらが上かの因縁であるとか、それだけじゃ納得できないことが多いんですよ。昨日のローズと貴方の戦い方も異常です。聞かなくても解っているドライや貴方達はいいです。誰もが暗黙の閉口を許してしまうことで、僕やサブジェイは、それに触れることも出来ない。ジャスティンも不安がってる。貴方とローズは以前宿泊先のホテルでも、衝突したそうですね。パーティでのセシルさんの態度も変だった。みんなどこかで憎しみにあふれてる……」


 ここで語られているお祖父さんとは、バハムートのことであり、サブジェイやシード、むろんレイオニーにとっても、まさに祖父的な存在なのだ。彼もまた、この子等を我が孫のように可愛がっている。


 シードは、ポケットから手を出そうとしない。シンプソンなら身振り手振りをオーバーにして、感情で声を震えさせながら、心に入り込んでこようとする。

 シードの声も確かに少しそうなっていた。だが、身振り手振りはない。隠された両手が、まるで感情を抑えるかのようだ。感情に押しつぶされそうになり、震えている音色は、シンプソンによく似ている。


 シードは純粋だ。傷つくことを厭わないが、感情で相手をつぶす事に対して、ためらいがあるようだ。誰かを責め立てるのが、気性に合わないのだろう。

 大人達の複雑な関係が、彼の心をあふれさせたのだろう。気がかりでないと言いたげに、眉を潜めルークをじっと見る。


 「想いってのはなぁ、強烈に人間を狂わせる……別に、テメェ自身をフォロってる訳じゃねぇが……、力を持つ人間が、狂わされると始末が負えねぇ。てめぇはジャスティンを幸せにしてりゃ、それでいいんだよ。問題ねーだろ?」


 確かに、シードが聞きたい理由は分かるが、聞く権利があっても、ルークから語る義務はないのである。ルークが殺めたのは、マリー一人である。ブラニーが殺したのは、セシルの両親である。やはり義務はない。ジャスティンの事だけを考えていればいいと、言われれば、それも間違いではない。本来ルークが言って聞かせるには、筋が違うのである。問題の根本には彼があり、不都合を隠している、第三者的立場の発言である。


 納得がいかないシードの視線が、ルークを捕らえたまま放さない。残酷なまでにルークに後ろめたさを感じさせる。


 「今回の『仕事』が片づいたら、まとめて話してやるよ」


 その言葉が口から発せられた瞬間、ルークは空気の固まりの中から、微妙に解放される。再びシードに背中を向け、マントと剣を肩に担ぎ、その場を立ち去る。

 大人達が複雑な気持ちを抱きながら、成すべき事を詮索していたころ、退屈な少年が一人、城の中を探索していた。母親も祖母も別のことに囚われていたので、彼をかまう人間が居なくなったのである。


 そうなると、ローズあたりが、彼の面倒を見るのだが、ローズはお昼寝中である。時間としては、そう言う頃合いだ。もうそろそろ、昼食になるだろう。


 「退屈だなぁ……」


 中性的な少年の声、ドーヴァのように癖毛で、二人の血を掛け合わせたダークグリーンの頭髪に瞳。彼は自分だけの時間を持っているかのように、ノンビリとしている。活発な遊び仲間といれば、どちらかといえば、ワンテンポ遅い行動の彼だが、周りに囚われず、いつもにこにことしている。


 彼の名はジュリオ。白いTシャツ姿で、青いジーンズの短パンを穿き、少し大きめに思えるスニーカーを履いている。全員の中で、最も単純で楽な服装をしているだろう。その素質は未だ誰も知り得ない。

 彼は、わくわくとする様子もなく、物怖じせず、周囲を伺いながら壁伝いに、廊下を進んでいた。


 そこに、少女が現れる。栗毛で癖毛のウェーブしたセミロング、ブラウンの瞳。年の頃合いはレイオニーと同じくらいだろうか?

 彼女は何かに頭を悩ませているようで、額に軽く右手の指先を宛がいながら、目をつぶり、納得できない様子で首を左右に何度か小さく振り、歩いているところ、彼女から見て左側の廊下を曲がろうとした出会い頭、ジュリオとぶつかったのである。


 ジュリオの身長は、一四〇センチくらいだろう。少女の身長は一六〇センチもないだろう。ぶつかった瞬間体重の軽いジュリオの方が、跳ね飛ばされてしまう。サブジェイのように筋力に長けたタイプでは、ないようだ。


 「あ!」


 と少女が叫ぶとのと同時に――。


 「いた!」


 とジュリオが叫ぶ。


 「いたたぁ~、ちゃんと前向いてあるいてよぉ~」


 ノンビリとした口調で、ボーイソプラノの声が、不満気に、注意を促す。尤もジュリオも、キョロキョロしながら歩いていたのだ、彼も悪くないわけではない。

 尻餅をついたジュリオは、座ったまま体を傾け、おしりを撫でている。


 「すみません、大丈夫ですか?」


 少女とはつまり、サティ女王のことだ。

 少年に対する彼女の声は、分け隔てがない。多少「無礼者!」と、叱咤しても良さそうなモノだ。


 「ん~、大丈夫だよぉ。パパがいっつも、『男はないたらあかん!』ていってるもん」


 と、ドーヴァ風関西弁と、標準的な言葉を絶妙に使い分けるジュリオは、自然に差し伸べられた、彼女の手に導かれながら、ゆっくりと立ち上がり、汚れてもいないおしりを、パンパン!と叩くのだった。そしてニンマリと笑顔を作るのだった。


 「そうですか……」


 無邪気で駆け引きを感じない彼の笑顔に、女王もふっと息が抜け、微笑んでしまう。

 だが、この少年の父親もまた、有象無象とわき上がるあの無秩序な魔物の中に飛び込んでいくのだ。一刻を救うことが、この少年の笑顔を奪うことになってしまいかねないことに、彼女の胸は痛くなる。


 国を救うことは英雄的行為だが、それを求めることはエゴでしかない。まして、彼らは土地の人間ではないのである。誇りを賭ける理由もない。

 重く張りつめた空気が、すぐにジュリオの笑顔を、心配な瞳にさせた。


 「怪我……したの?」


 と、ふと、その重い空気が、氷結したように、空気中から消えてしまう。そして、そのまま床にでも、吸い込まれてしまったようだ。


 「いえ、どうではありません……」


 少年が危険の事実を知っているのかそうでないのか、彼女はそれを聞くことは出来なかった。知らなければ不安をあおるだけだし、知っていれば彼女は、それを知っていながら、彼の両親を危険に曝すのである。言葉が出ない。国のためと決断したのだ。


 彼女は気分と話題を切り替える。それは、偽りなのかもしれないが……。


 「そう……君は、どこかへ、行こうとしていたのですか?」

 「ん~ん……、みんな忙しそうだし、かまってくれないから、退屈してたんだぁ」


 ジュリオはしょんぼりとして、首を左右に大きく振る。

 彼女、それは自分たちのせいだと、少し心を痛める。この広い空間は、子どもには興味深いものがあるだろうが、彼一人ではどうにもならない。ともに冒険する友達がいてこそ、おもしろみがあるとうものだ。


 だが、ここにいるのは大人達ばかりである。


 彼女自身が、この城の内部を知らないなら、この少年と同じ感覚で、時間を過ごせるのだろうが、彼女はここで生まれここで育った。そして、ほとんどが彼女の意のままに事が進められる。実につまらない場所だ。


 「読書は好きですか?偉人達の英雄譚など、数多くありますよ」


 ジュリオは、ん~~……といった雰囲気で考え込み、彼女から視線を外し、日常よりやや高めの天井を眺める。


 「英雄って、パパ達よりずっと凄い人たちのことでしょ?」


 ジュリオは、再び王女の方を向き、カラッと明るい表情を作り、瞳を輝かせる。

 ジュリオにしてみれば、街を守り、部下から慕われ、勇ましく過ごしている彼らはすでに、そうなのである。だが、彼らはジュリオの日常に存在している。そしてなにより、彼らは伝説の魔導師達の血族である。ジュリオには、ピンと来ていなかったが、女王からすれば、どちらが偉大な英雄なのだろうと、今度はそちらの方が、っくびをひねりたくなってしまう。


 英雄譚に語られる偉人達は、確かにデミヒューマンや、極悪な魔法使いなどとの、戦いを繰り広げているが、目の前に居座る敵は、それ以上の存在だ。

 今のドーヴァ達が日常そんな激しい戦いを繰り広げているわけではないが、何とも偉人達の戦いはスケールの小さなものだろうと、彼女は興ざめをしてしまう。それに、現実はもっと厳しく残酷だ。


 「きっと、貴方のお父様方は、それよりも素晴らしい方々であるに違いないですわ……」


 王女は、目尻を緩く、口元を優しく微笑ませ、柔らかな表情を作る。少ししゃがみ込み、ジュリオの両手をそっと握るのだった。

 ジュリオは、わくわくとした表情を作る。心がむずむずと躍り出すのが、隠せない様子だ。言葉でも行動でも上手に表せるわけではないが、その感覚に身震いしているのが、彼女に伝わる。


 「僕もね!もう少し大きくなったら、サブジェイにいちゃんみたいに、いっぱいお父さん達に教えてもらうんだ!!ママには、今は勉強しなさい!って言っていわれて、なにもしてないけど、絶対におしえてもらうんだ!」


 小さな少年には、世界的価値観と比べることは出来ないが、彼等の強さは、彼にとっても、また誇らしいものなのだ。握られた手をほどき、両手一杯に空気をかき混ぜながら、彼は自分の成長を望み、明日を夢見ている。


 「そう。じゃぁ、貴方のお父様方のお話を聞かせて頂こうかしら?」


 彼女は、ジュリオの中にドーヴァやドライを見た気がした。彼が平和に育っているのは、彼等がそんな日常のために、日々力を尽くしているからに、他ならないのだろう。ただ、ジュリオの場合、少々平和すぎるようだが?


 「うん!」


 と、ジュリオは、大きく頷く。


 「では、私の部屋へ行きましょう」


 と、女王はジュリオを自分の部屋に招待することにしたのだ。ジュリオは王女に連れられ、その場を去る。

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