第2部 第5話 §5

 そのころ、もう一組、問題を起こしていた。

 またもやルークである。今度の相手はシードである。ブラニーにドライを押しつけた理由の一つとしてこれがあったのだ。


 二人は城内の訓練場に身を置いている。城の中庭と違い、周囲は黄土色の石煉瓦で包まれ、足下も芝生ではなく、踏み固められた砂地になっている。中庭のように広くない。ここには、いろいろな武具が並べられている武器庫に近いし、何より声が、壁により逃げにくい。また兵士達の士気を高める場所でもある。


 ルークがそういう場所に自分を呼びつけたと言うことは、つまりどういう事なのか?何となくだが、解るシードだった。少なくとも、のんびりハーブティーを飲みながら、知的な明日への意見交換などではない。


 「どうされたんですか?こんなところに連れてきて……」


 解っていても、正しく説明をして欲しいものだ。シードはいつも通り穏和に構えながら、浅いブルーの瞳は、冷静でクールである。眉尻が穏やかにすっと流れている。


 「なに、娘をくれてやるに相応しい男かどうかを、確かめておこうと思ってな」


 ルークは漆黒の瞳をまぶたで閉ざした。羽織っていたマントを脱ぎ身軽にして、愛刀の黒夜叉を壁にも垂れかけさせ、その上にマントをかぶせる。

 マントの中は、黒いジャケットで固めているルークだが、脱いだマントの下は黒いノースリーブである。ズボンはいつも通りの、麻の軍用の黒ズボンである。


 シードはいつも通り、白いコットンのYシャツに黒いズボンである。シャツは、ラフに着こなされ、ズボンには納められていない。第二ボタンあたりまで開け、ポケットに両手を突っ込み、リラックスした雰囲気だ。黒は互いの共通色といったところだろうか?


 さらっとそれを口にしたルークの真意は、別にあるのだとシードには判る。ルークがジャスティンを愛している事は確かだが、今のルークの言葉には、棘がない。オーディンのように父親の焼き餅を焼く感情が、込められていないのだ。


 シードは、どう答えていいか分からない。


 「俺は体術も得意だ。どこかの体力馬鹿と一緒にするなよ」


 と言ったルーク。別にシードは何も言っていない。だが、先日剣士としてだけの印象だけを、見せているだけに、一言言っておきたかったのだろう。だが、その後のことまで聞いていない。だいたい誰を察しているのか、よく解る。シードは、思わずぷっと吹き出してしまった。今頃、当の本人は、嚔をしているのでは、ないだろうか。


 準備が出来たようだ。ルークは右前に構え、両手の平は空気をつかむように柔らかくシードに向けられる。軽く柔らかく膝を曲げ、下半身を安定させ、どの方向でも動けるように、呼吸を整える。


 「どうしても……ですか?」


 珍しく面倒くさそうなため息がちなシードである。前回は何気なく乗ってしまったが、今回は体が重い。当たり前だ、ルークは理由をつけているが、実際にシードの実力のほどを、その目で確認したいわけではなく、ローズが見せた足技を、彼がどれほど昇華しているかを、知りたいだけなのだ。極論を言うと、別にシードでなくても良いのである。その足技を継承した人間であればよい。


 シードは察しの良い男だ。ドライ達という大人達に囲まれて育った、最初の子どもでもある。大人の空気を読むのに、長けている。

 人間には勘がある。理屈や理論などを知ると第一線から退きな感覚になりがちに思えるが、前者は、自分の勘が正しいことに確証を持つため、用いられることもある。


 シードは、体が動かない理由がよく分からなかったが。自分の気持ちに従った。だから、構えようとしない。「面白くない……ですね」


 単純だが、それがシードの答えだった。

 ルークはたらりと汗を流してしまう。焦ってしまったのだ。ルークとしては、納得しておきたいことなのである。ローズとの戦いで固まった消化不良物を、少しでも取り除いておきたいのだ。


 「ち……食えねぇ野郎だ……。俺だってテメェじゃなく、リベンジしてぇところなんだよ。レッドフォックにな」


 それが、ルークの本音であることは、シードも悟る。二人にとって闘うことは、命の遣り取りであると言うこと。二人がぶつかることは、憎しみと悲しみが増すだけなのである。


 現在のルークは、生かされているといっても過言ではない。


 「せめて、脚舞の極意だけでも、見てお行きたい……ですか?」


 ルークは頷く。真剣な顔だ。ローズと面したときのぎらつきがない。

 ルークが、剣ではなく、スタイルをシードにあわせてきたのは、戦い対等のものにするためだ。本当にシードと勝ち負けを争うならば、剣士として向かうのだろう。

 彼が求めているのものが、勝ち負けでもないことを、シードは知る。ルークは打ちのめされてもよいと、思っているのだ。


 「行きますよ」


 シードが静かに開始の言葉を告げると、ルークはもう一度頷く。

 その瞬間、ポケットに手を突っ込んだままのシードの姿が、ルークの眼前に現れる。しかも彼は右膝をルークの眼前に突き出し、今にもつま先を跳ね上げそうな体勢になっている。


 速い!ルークはそう思う。

 音もほとんど立たない、その静けさは、瞬時に沸き起こる疾風である。

 軽くステップし、後方にうつり、シードのつま先を鼻先数ミリで躱し、動こうとするが、本能が前に出るなと言う。


 次の瞬間、シードは両手をポケットからだし、腕の反動を使い、空中で体をひらりと時計回り横回転で躰をひねり、もう一度右のつま先がルークの眼前を通過させる。


 シードの着地と同時に、ルークの腕は彼の衣服をつかむため伸びてくるが、正面を向いていたシードが、今度は左に体をひねり、右のかかとがルークのこめかみに近づく。


 すかさずルークは、右腕でそのかかとを受け、背中を向けたシードの衣服をつかむ寸前まで行くが、ケリが予想以上に重い。体は流され、砂の地面の上を滑り、あっという間に距離を開けられてしまう。


 ローズの繰り出したケリは、なんと軽いことだろうと、ルークは思う。受けた右腕が、しびれている。


 シードはまだ、右足しか振っていない。

 ルークは、腕をしびれさせたまま、即座にシードに対して、次の行動を仕掛けてくる。


 後方へのベクトルの力が消滅すると同時に、前方に走り出し、足を定位置に戻そうとしている、シードとの距離を縮める。


 ルークの腕が、再びシードの衣服をつかむために、ルークは再びシードにつかみかかる。

 彼の技は拳法と言うよりも、柔術であるようだと、シードは理解する。となれば、投げや関節技のために、それは必要な動作なのだろうと、今以上に彼の腕を封じる必要がある。


 が、しかし、腕ののばし方が、少し違う気がしていたシードだった。

 攻撃に展示で居たシードは、足技を使うが、防御には両腕も用いる。だが組まない。はじき返すだけだ。前述したように、ルークの腕は、彼をつかみにかかっているからだ、シードは投げや関節技の類は使わない。自分に利がないことを知っている。


 両手で、数度に亘り、ルークの襲撃をはねのけると、後方に引いて、体重を掛けていた左足を、鞭のように横から、ルークの頭部に向かってとばしてくる。


 それに併せて、ルークも左足を上げ、シードの蹴りを受け止める。

 単純な発想だが、足技には、足技である。ルークの先ほどの攻撃はこれを狙っていたのだろう。


 シードが柔らかく足を上げているような状態に対して、ルークはめいっぱい、身体を使い足を上げている。


 骨と骨のぶつかる音がする。


 ぶつかった瞬間、互いに足を引く。無駄な競り合いはしないのだ。

 その刹那、シードから急激な殺気が吹き出す。にらみつけた浅いブルーの瞳は、心臓を凍り付かせるものがあった。


 何かが起こる。そう感じたルークは、間をあける。後方に飛び、回避のための十分な距離を取ったのだ。


 ルークが引ききる間に、シードは、その場でひらりと、後方宙返りをする。両腕を左右に広げ、つま先を体より最も遠い位置で、右足左足と、連続で弧を描く回転だった。


 すとんと、着地した時、ルークの体は、素早く左に躱していた。

 ルークの後方にある石煉瓦の壁が、ビシ!っと音を立て、縦方向に切り裂かれたのである。


 つまり、直接ルークに打撃を与えなくても、よかったのである。そして、シードがなぜ、直前に異常なまでの殺気を、自分に向けてきたのかを、理解するルークだった。


 死を警戒させることにより、退かせたのである。

 着地したシードは、いつも通り、ゆったりと構えている。ズボンに手を入れた姿勢も、ここに来たときの状態だ。


 「こんなもので、いかがですか?」


 ルークの方も構えるのをやめる。ローズと面したときのように、気持ちに高揚がないからだ。シードの強さは、他の者とは、異質であると気がついたのである。

 ルークの求めるものは、やはり剣にあるようだ。強さも誇りも、そこに求めるものはなかった。自分を負かしたローズの幻影を、そこに追っていたにすぎない。昇華された技は、シードのモノとなっていた。


 「大したものだな」


 ルークが下した評価は、それだけである。それ以上、以下でもない。

 シードには、なんとなく、ルークがそう思うのが解っていた。目を閉じてうつむき気味になり、クスリと一つ笑うだけだった。

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