第2部 第4話 最終セクション
レイオニーは、部屋に戻ると、ベッドに、ごろりとした、サブジェイを横に、テーブルに向かい、何かをひたすら、書き記している。昼に開いていた書物は、もう触れることもなくなっていた。
サブジェイはぼうっとしている。だが、レイオニーと居る空間から、離れることが出来ない。会話がなくても、自然と落ち着けた。不思議だ……。デジャビュというのだろうか。これが自然に思えた。
ブラウン系統と白で統一された部屋が、さらにそういう落ち着きを持たせてくれたのだろうか。
天才少女が、筆記に没頭しているときだった。扉がノックされる。サブジェイは、一瞬どきっとして、ベッドの上から、いつでもたてるように、両手をベッドにつき、右足を体に引き寄せた。
「どうぞ」
淡泊で、感情のないレイオニーの声。意識は、完全に、眼前のノートに集中しきっている。相手など、誰でもよかった。ただ、ノック音が聞こえたので、反射的に、返事したにすぎない。
扉を押して、静かに入ってきたのは、ローズだった。
「レイオ……」
優しいローズの声だった。入ってきた彼女は、いつも以上に穏やかで優しい目をしているだが、悲しさが感じられる。何かをいいにきたらしいその表情。
レイオは、ローズの声だと知り、振り向くまで、その表情に気が付きはしなかった。だが、彼女が、扉の向こうから、入ろうとはしない。何かの気遣いがあるに違いないことは、すぐに解る。
レイオニーの部屋で、横たわっていた、サブジェイだったが、ノックの音にひやりと、上半身を起こし、ローズだと解ると、体勢をゆるめ、ふぅっと、息をつき、ばたりとベッドに横たわる。
「どうしたの?」
ローズのことをすぐに気にするレイオニーだった。その声が、ローズを室内に導かせるのだった。
レイオニーは、ペンをテーブルにおき、椅子を引きながら、静かにすっと立つ。二,三歩歩き、ローズに近寄るのだった。
珍しく静かな面持ちで室内に踏み入れるローズ。
ドライの前以外では、快活なイメージのローズだけに、その意味は大きく感じられる。
ローズは、室内にはいると、サブジェイのくつろいでいるベッドの縁に腰を下ろし、物静かに口の端だけを綻ばせながら、しばらく俯いている。
どうしたものだろうか?レイオニーが、元の位置に腰を下ろして、二秒ほどたった頃合いだった。
「ごめんね……、レイオの作ってくれた魔法……あんな風につかって」
ローズは、ただそれだけを言いにきたのだった。
魔法の性質として、威力が増すほど、その詠唱は長くなる。古代魔法は、命じるだけだが、やはり威力に比例して、射出に時間がかかったりする。よい例が、ローズの持っている最強魔法の部類に入る、サテライトガンナーがそうである。無属性広範囲の強力な魔法だが、上空から降り注ぐまでに数秒かかる。
圧縮技術と高速化を用い、より短時間で射出出来るようにしたのが、先ほどのルーク戦で見せた魔法だ。
確かに、そんなこと……とは、片づけられない問題だ。そもそも、この魔法はドライ達が街を守るための助力として、レイオニーがローズに渡したものなのだ。強力すぎるため、使用に到らないまでの話だった。
レイオニーは、その場に立ちつくしたまま、かける言葉が見つからない。ドライでなくても今のローズの心がもろくなっているのが解る。だが、慰めの言葉も見つからない。それも違うと感じた。ローズは、ただ言いに来た。レイオニーは、胸元で、右手をきゅっと握りしめ、彼女の言葉を留めるのだった。
「うん」
それが、レイオニーの素直な返事だった。サブジェイは、入ることが出来ない。と同時に、ローズにだけ向けられていた、集中力がほかのところにゆく。それは、扉の外だ。そうである、いつもドライが側にいる。いないわけがないのだ。姿が見えなくてもそれはよく分かる。
レイオニーが、怒りにも満ちておらず、傷ついていないことを理解したローズは、頷いたレイオニーに合わせて、こくりと頷き、ベッドの上から立ち上がり、すっと背中を見せる。
おそらく、庭で過ごした時間から、今に至るまでローズは、いろいろなことを考えたのだろう。自分の事以外に気を配れるほどに、落ち着いたのだろう。
静かに扉が、閉じられた後、二つの気配が遠のいてゆく。
レイオニーは、ローズの複雑な感情を受け止めながら、ほっとする。
そして、何事もなかったように、気持ちを切り替え、再びテーブルに向かおうと、椅子の背もたれに手を掛けた時だった。
先ほどまで、ベッドの上で、沈黙していたサブジェイが、ゆっくりと体を起こし、いつの間にかレイオの手の上に、自分の手を重ねている。
ん?そんな雰囲気で、肩越しのサブジェイと視線を合わせる。その瞳は、ドライとローズの切なさとリンクしたような、潤んだ輝きももっていた。
感化されている。言葉で言えばそうなるのだろう。
サブジェイは、背中から、ぎゅっとレイオニーを抱きしめ、頬を重ねる。
「卒業したらさ……、オヤジ達が歩いた道のり、旅しようよ」
このとき、レイオニーは心の底から、彼に抱きしめられた感覚を知る。不慣れな男女が感じる好奇心と不安の入り交じった震えではなく、サブジェイの持つ体温が、じりじりと体の中に焼け付いてくるような、思考能力を奪われる、熱い感覚。
抱きしめられ、頬を重ねられたレイオニーは、目を閉じ、体の力を抜きフィーリングで得られる感覚だけを素直に受け止める。
「今日のサブジェイなら、パパも許してくれる……よね……」
「そんなの……関係ない…………」
許されるのではない……、サブジェイは自分の力で、手に入れる。そう決めた。誰かが奪いにくるなら守り通す。ドライもローズも、互いの全てを守りぬけたわけではないが、二人はお互いがいればどうにかなることを知っている。だが、無責任にではない、いつもどこかで、何かの形で、互いが互いを感じている。
安っぽい取り繕いや誤魔化しのない二人になれたら、サブジェイはそう願い、そう思う。
気が付けば慣れ親しんだ彼女の唇を知り、彼女のベールを奪い、幾度かふれあった肌を指先で撫で、ベッドの上で、感じあう二人がいた。レイオニーの意識が白く突き抜け、サブジェイを知るのに、そう時間はかからなかった。
二人はその夜、沢山の物語を創る。一つの章が進むたびサブジェイは、穏やかになり、レイオニーは、その先を知りたがる。サブジェイはそのたびに、物語を語り続ける。一つ一つをその躰で咀嚼し、納得し、結末に満ち足りるまで、どれくらいの時間を費やしただろうか。
愛し合った後。
一つの結末、得られる喜悦、戻れない後悔、新たな始まりが、愛おしさに包まれて、抱きしめる力になり、二人に朝を与える。
夕べの余韻に駆り立てられ、サブジェイはもう一度レイオニーを抱く。
薄明るい、光がレイオニーの表情を鮮やかにする。全身で身悶え、本能のみが彼女を支配する。もう一度その瞬間がくる。気が付けば、サブジェイがそれらを包み込んでいる。彼女の支配すら包み込んでいるのだ。
二人の一夜は、キスで終わる。
「そろそろ、朝食の時間だ……」
サブジェイが、そう語ると、レイオニーはこくりと頷く。サブジェイは身支度を調えるために、ベッドから起きあがり、服を拾い、着替え始める。
と。
「そっちむいてて……」
レイオニーが照れくさそうに、恥じらいを言葉で示す。胸元をシーツで、押さえて上目遣いでサブジェイをじっと見つめるのだった。口元がにこりとしている。
「あ、うん」
なんだか、サブジェイも恥ずかしくなる、口をとんがらせて、何となく頬が赤くなる。レイオニーにすっと背中を向けて、身支度をととのえる。背中越しに聞こえる、彼女の動作の音が生々しい。シーツの動く音や、衣服を纏う布のこすれる音、一つ一つ敏感に感じ取ってしまう。
サブジェイが、少し時間をもてあます。
「いいよ」
機嫌のいいレイオニーの声がする。サブジェイが、くるりと体ごと振り返ると、そこにはいつも通りのレイオニーがいた。ただ、二人の距離感は昨日までとは違う。
二人は、洗面所で洗顔をし、歯を磨く。その間も、視線が合うと、にこりと互いにほほえみ返す。だいたいの準備が終わると、レイオニーが、自然に腕に絡んでくる。
「いこっか」
サブジェイがリードして、部屋の外を出ると同時だった。
隣の部屋からオーディン夫妻が、同じように顔を出す。
以前のサブジェイが同じ事をしていたのなら、オーディンに一つ、殴り倒されるか、徹底的な扱きにあうか、どちらかだろう。
だが、二人の視線が合うと同時に、オーディンの方がひやりとした。サブジェイに対し、半歩退いたのだった。右手は自然に、剣の柄を握ろうとしてしまう。
別にサブジェイがにらみつけているわけではない。だが、その瞳に宿る心は、前にも増して鋭くなっているのが解る。
「おはよう御座います」
サブジェイが、挨拶をする。
「パパ、ママ、おはよう」
いつも通りのレイオニーの明るい声。だが、以前よりもより明るい。
二人は、すっとオーディン夫妻の横を、通り過ぎてゆく。そちら側が食堂の方向だ。すたすたと歩き始め、右側の通路をすっと曲がってゆく二人だった。
「ふう……」
二人の気配が遠のくと、珍しくオーディンが緊張をゆるめた、息を吐く。額にも汗が滲んでいる。
「ふふ……」
ニーネは、楽観的にほのぼのと、ほほえむ。見つめるオーディンへの視線も、穏やかである。もちろん二人がこの時刻から同時に部屋から出てきた事実もふまえてのことだ。
それと同時にオーディンは、再び父親の顔に戻り、おもしろなさ気に、ムスッとした顔になる。娘を取られた父親の顔。ニーネには、そんなオーディンの表情がいとおしくてたまらない。豊かな表情だった。
ニーネは、そんなオーディンの顔を、穏やかな表情のままで、眺め続ける。そして、笑うのだった。
「私は、不愉快だ!」
と、一歩先に歩き出すオーディン。
「ええ、そうですわね。後でお灸を据えておきます……クスクス……」
ニーネの笑いは止まらない。優しい言葉で娘とのやりとりをつついて、困らせようと言うのだ。
「その前に……今日は、徹底的にしごいてやる……」
オーディンは、腰に据えている愛刀を、少し抜き、さやに当てるように強く押し込めた。ガチン!と、強い金属音がする。
「クスクス……」
ニーネはまた笑う。
「笑うな!」
感嘆符は付いているが、言葉は創造するより柔らかい。父親のヤキモチが全面に現れたそんな表現だ。オーディンらしいところは、決して八つ当たりのないところだろうか?
「はい……」
と、言いつつも、ニーネの笑いは止まらなかったのだった。
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