第2部 第4話 §8

 場面は、ルークとブラニーの居る部屋だ。壁色は白。下半分は木製になっており、つややかな、ブラウンオークで落ちついたコントラストになっている。ベッドも白いシーツに、木製の枠組み。豪華さはない。絨毯は、赤を貴重とした、タペストリー。だが、落ち着いた雰囲気でもある。空間も広すぎず居心地がよい。


 ルークはパジャマに着替え、ベッドの上に片膝を立て、壁に凭れて、考えている。立てているのは左膝だ。だが、考えているのは、過ちについてではない。繰り返されるのは、ローズの足技だ。勝ち方を考えている訳ではない。それは、自分の直感がどうにかしてくれることを彼は、知っている


 ブラニーは、ベッド横のテーブルにつき、書物に目を通している。こちらは白の女性物のワイシャツに、黒いスラックス。靴も黒のパンプスだ。白のワイシャツの胸元は、柔らかい質感で、ほどよく開いていて、リラックスしている雰囲気が、よく分かる。アップルティーなどを飲んで、すました顔をしているのが、彼女らしい。読んでいる書物は、ルークでは、到底理解できない、魔法学の書物だ。ブラニーは、英才教育を受けた人間ではないが、彼女のクロノアールの血がそうさせているのだ。どんな知識もすらすらと吸収してしまう。ルークの持つ魔法の技術レベルは中である。しかも、古代魔法専門である。あえて、本を引いてまで、魔法を学ぼうとは、思わない。そんなルークが、ずっと脳裏で一つのことを考えている。


 少しして、なぜ、そこだけが自分の中でリフレインされるのか、彼は知る。


 「シード……」


 ルークは、つぶやく。そうである。あの変則的な足技。自分たちの誰にもないその動きを、そのスキルを、誰が与えたのかである。創始者のものとはちがう、洗練されつつあるものを感じるのだ。彼は明らかにそれを、主体に戦闘を組み立てていた。


 「ローズ……ヴェルヴェット……」


 そこに結びつく。彼の知る中で、足技を使う人間など、ほかに誰がいるだろうか?ローズの技には、荒さがある。必殺技にも結びついていない。彼女の過去の経験から、必要で生まれた技に違いない。無論その対象として、ルークが含まれているは、紛れもない事実である。


 「ルーク?」


 ブラニーはすぐに書物から視線をはずし、ルークがまた、戦闘を繰り広げることを考えているのではないか?と、少し怪訝そうに、諫めるよう彼の名を呼び、両目で彼をとらえる。顔も正しく彼の方向に向いていた。


 「勘違いするな。俺は、あの立ち回り方を見ていたんだ……気が付かなかったなんてな」


 ルークは、苛立って親指の腹を咬む。それから爪の端を少し咬み、落ち着くと、手を自然に膝の上にたれる。


 ローズに負けたことは、確かに、彼の経歴の中で、恥じることなのかもしれない。成人してから唯一、平等の条件下で、負けた相手なのだ。

 ドライに負けたときでさえ、彼には、老いというハンデがあった。肉体が若返りきる前の状態である。それに、唯一認めていた相手だ。いい訳をも含め、納得がいく相手だった。


 それをふまえた上で、ルークは少し、ゾクリとした。悪い意味ではない。新しい分野の人間が出てきた事は、勝負の方法もまた一つ増えるということだ。剣士として、誇りをもっているが、それだけの勝負には、刺激を無くしていたところだった。


 長年生きていれば、そういうことの方が多いのかもしれない。ただ、先ほどのローズとの決闘は、例外といえる。


 ルークが、ベッドの上に座るのを止め、降り立とうとした時だった。


 「だめよ……」


 再び、正面をむき直した、ブラニーが、ルークの行動に制止をかける。


 「違うっていってるだろ?」

 「違ってない……、シードでしょ?」

 「…………」


 ルークは、閉口する。確かにブラニーの指摘は、間違っていなかったのだ。ただし、二人の思考には、行き違いがあるようだ。


 「痛めつけるような真似は、しねーよ」


 ルークは、ベッドから立ち上がり、パジャマを脱ぎ、生活感のある、日常の衣服に着替えつつある。いつもは、剣士としての、黒いコスチュームを身に纏っている。日常着のルークなどは、本当に珍しいことだ。


 「違うわ。わからない?」


 ブラニーは、ぱたりと本を閉じた。重量のある音がした。閉じられたページの間から、思わずほこりが立ちそうな感じがしないでもない。


 「なにがだ?」


 肝心な部分を言おうとしないブラニーに、ルークは、少しだけ焦れったさを感じる。ズボンを穿き、ワイシャツを羽織った状態のまま、本を閉じて、少し目尻を釣り上げたブラニーと視線を合わせる。


 「彼女の……ローズの、あれだけの姿を見たのよ。みんな、気持ちが揺らいでる。人は衝動的に何かを分かち合いたくなったり、ぶつけ合いたくなる時があるの。特に消化しきれない感情は……違わない?」


 ルークにはピンと来ない。当たり前だ。ルークはそれだけ大人だし、気持ちが前に向いている。なにせ、自分を負かした足技を持った人間のそれを、継承している人間がいるのだ。それは、より洗練された技となっている。尤も、シードとローズの戦闘スタイルを比較することなど、愚の骨頂だが……。


 ルークが、第三者的な視線で物事を追ったとしたら。ローズの鬼気迫るオーラに、ゾクリとしただろう。だが、それはあくまで、ルークだ。優しさとぬくもりの中で、育ったシード達の感情ではない。


 「……もし、私が気持ちを消化しきれずに、膝を抱えていたら、あなたは私を独りにする?」


 「馬鹿いえ……、……!?」


  ルークは、とんでもない勘違いをしていた事に気が付く。シードの感情もそうだが、ジャスティンのこともそうである。ジャスティンは、ローズが、自分の父親であるルークに対して、憎悪と殺意をも持ち、飛びかかったのである。つまり、過去の経緯で、ローズにそこまでの感情を抱かせたと言うことである。


 ジャスティンは、明るく気丈に振る舞っているが、旅暮らしで、自分の両親が過去のある人間であることに気がつかないような、頭の回らない女ではない。彼らの間に、過去沢山の出来事があったことを知っていと知らされても、殺意に満ちた彼女を見るまで、それは漠然とした話だったのだ。現実を目にしたとき、希望や観測は打ち崩される。


 「何があったのだろう?」そんな、言葉が延々と頭の中をぐるぐると回り、不安に苛まれる。そんなときの孤独がどれほど辛いものだろうか?心以上に誰かに触れてもらいたい時もある。


 今頃二人は、お互いの絆を確かめ合っているはずだ。たとえ、自分たちの両親が、背を向けあったとしても、それに負けない、強い結びつきを求め合っているはずだ。

 ブラニーは、それが言いたかった。ルークは、再び動くことを止める。重力に身を任せ、ベッドの上にどすんと、腰を落としてしまった。少しの沈黙を過ごし、気の抜けたルークが口を開く。


 「おまえが、そんなに人の心が解る女だとは……思わなかったよ」


 穏和な声だった。決して嫌みが含まれている訳ではない。同じ口調でも、人はそれが悪意か善意かを聞き分ける勘を持っている。このときのブラニーもそうだった。だから腹が立たない。


 「人は経験によって大きくなるわ。ロイホッカーがいってるでしょ?木々は光を感じ、風を受け、大地に抱かれ、よい実をつけようとするだろう……って」


 ルークは、再び沈黙する。そのような表現をされても、ピンとこないのだ。

 まさか、彼女が詩人の言葉を借りて、相手を諭すなどとは……と、そちらの方に驚いてしまうくらいだ。ロマンチストではないルークには、詩集の言葉は少々、遠回りすぎた。


 「その詩集流行ってるのか?」


 と、全く方向違いの言葉を口走ってしまう。

 だが、そんなルークの真剣な表情が、逆に何ともとぼけていて、ブラニーは思わず、クスリと笑ってしまうのである。

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