第2部 第4話 §7

 ドライが謝った理由。それは、彼女の身体のこと、過ちを犯させるほどに、その気持ちを追い込んでしまったこと、そして尚、それを出させてしまったこと。


 マリーのことは、いずれ決着をつけなければならなかったのだ。どれだけ平和を願っていても、どれだけ許そうとしても、ぬぐい去れない気持ちがある。心の奥に沈めることは出来ても、はれることはない。きっとことあるごとに思い出してしまうに違いない。二人で泥沼に落ちることを覚悟しても、おそらく先ほどの戦いが、その最後のチャンスだったろう。だがもう、それすらない。死の制裁をもって、ルークを倒すことは、出来ない。彼自身がそれを許しても、残された者は、許さない。自分たちと同じ悲しみを、散蒔くだけだ。


 二人はジャスティンが好きだ。そのことを思うと、殺意はもやもやしたまま、封殺される。ローズは、燻っていた最後の憎しみの感情を振り絞り、戦意の高揚につなげたのである。


 ドライが、瞬間に、二人の決着に割って入れた、最後の理由であり、彼の葛藤の一翼だったもの。それは、ルークへの親しみである。ドライ=サヴァラスティアを、一流の戦士に育て上げたのは、ルークなのである。どれだけ希薄なものだったとしても、凍てついた世界であったとしても、その事実は変わらない。


 反抗的に袂を分かっても、運命に弄ばれても、ルークに対するもう一つの思いもまた、消えることはない。二十年前の二人の戦いが、やはり、彼らにとっても、最後の戦闘だったのである。


 あの時、ドライが何故、ルークを直接切れずに、彼の持つ剛刀でルークの立っていた崖を切り落とし、その気になっていたのか、漸く理解する。ドライにはルークを切り捨てることなど、出来なかったのである。


 今はそれがよくわかる。日々の生活の中、自分で知る以上に彼は穏やかになっていた。今ローズがそれを教えてくれたのだ。ドライは、自分の気持ちを十分に形に出来ない、そんなもどかしさを、ローズが一番理解している。

 二人が去った後、何気なく動けない彼らがいた。が、そんな空気を解いたのは、シンプソンだった。


 「さぁ、早く体を乾かさないと、みんな風邪を引きますよ」


 ほとんど後ろの方向から、ボンヤリとりしていたシンプソンが、ドーヴァとルーク、そして、固まってみている他の面々のちょうど中間位置くらいに立ち、右左と、彼らを何度か見回しながら、次の行動に移るよう促してみせる。


 「そやな……、ほんまやることが、後先ないわ……姉御は」


 と、ドーヴァが鼻をすすりながら、切り替えよくその場を去るついでに、セシルとジュリオを連れて、白の中に戻ってゆく。

 「おさき~」


 相変わらずの飄々としていて、気の抜けた様子である。ジュリオの手を引いているのは、セシルである。


 「さぁ、あなたも……」


 と次に動き出したのは、ブラニーである。穏やかな声で、感情の消化不良を起こしているルークの手を引き、ドーヴァたちと少し距離のあいた状態で、そこを後にする。


 「ああ……」


 という、自分にも彼女にも届かない相づちをしただけのルークだった。シンプソン達も、ザインたちもそこを後にする。だが、サブジェイだけが動かない。直立不動でずっと地面をみている。自分が濡れていることなど、毛頭にも、感じていない。

 そんな彼を、オーディンが一度見つめて、動きを止めるが、何も言わずにニーネを連れて、彼もまた去る。


 「サブジェイ……くん?」


 と、はれ物に触る感覚で、遠巻きから彼の表情を伺い、声をかけたのはジャスティンであるが……。


 「寒さが気になれば、熱が冷めた証拠だ……そのままに、してやってくれ」


 足を止め、一度ジャスティンの方にむき直し、そういったのはオーディンだった。

 オーディンは去り際に、レッドスナイパーを引き抜き、歩き始める。


 「サブジェイには、レイオがついてる。いこう……」


 父と母しか知らないジャスティンにとっては、彼らの感覚は、すこしわかりづらいものがある。それだけ、彼女がまだ若いせいでもある。シードは、シンプソンにて面持ちは物静かそうな若者だ。だが20歳で父達を助ける切れ者である。彼の年代では、皆の意志、気持ちを理解することに長けている。彼がそういうと、ジャスティンは不安な中にも、落ち着きが出てくる。


 「レイオちゃん……」


 と、これは無粋だが、声をかけずにはいられない。レイオニーはこくりと頷き、皆が去るのを見送るのだ。そして、冷えた空気の中に佇むサブジェイと、一分ほどの時間を過ごす。


 「俺……」


 サブジェイが、やっと口を開く。声は震えている。悔しいのか、悲しいのか、怯えなのか、複雑なふるえ方だった。


 「俺、あんなお袋みたの……初めてだ……」


 サブジェイがローズから感じ取ったのは、生き残り勝ち抜くための執念だった。

 サブジェイはこの年で、盗賊どもから町を守り抜くための戦闘に参加している。経験上当然、その類いの人間を切り捨てた経験も持っている。それは十七歳の少年の経験ではない。


 それに、彼はそれらに負けないのだ。すさまじい戦闘のプロである、父等に鍛え上げられた技術は、すでに世界で十の指に数えることが出来る強さである。決死の戦闘をする度胸はある。だが、それに遭遇していない。死にそうな思いは何度でもしている。だが、その対象は、ドライ達であり、必ず生かされている。怪我をすればシンプソンもいる。


 死なないための戦い。それが、今までサブジェイが学んだことだった。だが、ルークとローズの戦いはそうではない。何が何でも相手を殺すための戦闘なのである。一秒先でも、どちらが勝ち生き延びるか、相手の死を見届けるか……、そんな戦い方だ。5分もかからない、短い、それでいて一方的にローズが、押したかのような戦闘だが、そうではない。


 ルークに一撃を振るう裕りを与えてしまえば、ローズに勝つことは許されない、きわめて紙一重の戦闘なのである。ルークには、魔力を無力化するエナジーキューブがある。そうなると、大地を駆ける戦闘になり、ローズのバリエーション攻撃は半減させられてしまう。それからの足技は布石にはならない。だから、ルークの得意とするショートレンジの戦いよりさらに、内側の戦闘を行ったのだ。


 ルークの強さ、ローズの強さを両方を感じたサブジェイは、黙り込んでいた間、ずっと脳裏のそれをリプレイさせていた。


 「サブジェイ、風邪ひくよ……」


 レイオニーがずぶぬれになったサブジェイの袖口をきゅっと握りしめ、俯いて焦点のあわない彼の顔を、少し下から不安げにのぞき込む。だが、サブジェイの返事はない。


 「サブジェイ?」


 レイオニーがもう一度、彼の腕を揺すって、自分の言葉に耳を傾けるように、促すレイオ。

 サブジェイは、はっと意識を取り戻したように、少し下から、覗き込むレイオニーと視線が合う。それは、思い詰めていた自分の心が、投影されたような不安な表情だ。


 「レイオ……」


 サブジェイは、切なくなる。レイオニーにそんな表情をさせてしまう、自分が弱く見える。ドライの切なさが、よく解る。ドライは、いつもローズの笑顔が見ていたいのだ。その気持ちがよく分かる。


 「いこっか」


 サブジェイは、心の暗雲を、さっと払いのける。ローズがいつもそうしているように、にこにことしてみる。

 急な態度の変化に、レイオニーが一寸だけ、きょとんとする。


 「冷えたから、レイオに暖めてもらおっと」


 そういって、サブジェイはレイオニーの手をひいて、すいすいと歩き出す。準備の出来ていないレイオニーは、足をもつれさせるが、すぐにサブジェイの行動に会わせることが出来る。サブジェイのどさくさ紛れの誘いは、聞き逃してしまった。

 サブジェイはこのとき、少しだけ強くなった。漠然とした強さより、少し抜け出したのだった。

 彼らは、それぞれの空間に戻る。

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