第2部 第4話 §6

 ルークは、ドーヴァを引きずりながら、ズイズイと、ローズに近づく。が、彼女はそれにかまわず、背中を見せて、歩き始めている。


 「やめんかぁ!」


 ぶら下がるようにしがみついたドーヴァが、そう叫ぶが、ルークはドーヴァのことなど、全く神経が行かない。次にローズとの間合いを詰めようとしたルークに、ドライが愛刀を抜き、矛先をルークの眼前に、突き出す。鮮血を吸い込んだように、赤く鈍く、だが、鮮やかに光るブラッドシャウトの刀身。

 剛刀がいとも簡単に右手にもたれ、地面と水平に向き合い、矛先がルークの眼前で制止している。見事な集中力に思える。


 「ドライ!…………やめて…………」


 ルークに視線の先、ドライの背後、その左肩越しに見えるローズの背中。振り向きもしないでいる。だが、歩みを止めている。そんな彼女が、ドライの名を呼び、彼を制止する。


 ドライにも解っている、ルークが、ローズを背後から切ろうなどとは、思っていないことを。ドライは、ローズの心が引き裂かれそうなほど、痛んでいるのが解ったのだ。それは、自分のせいでもある。


 ローズには二つの確信があった。一つは、極限状態であるあの瞬間、自分自身でルークを殺すことを止めることが出来なかったであろうこと。もう一つは、ドライがどの結末においても、確実に飛び込んでくれることだろう事。だが、それは同時に、彼女にもう一つの事実を教えることになる。


 ドライは、少し悲痛なローズの声に、瞬間に張りつめたの緊張が切れる。すっと、ブラッドシャウトを背中の鞘に収めるのだった。


 この瞬間、ドライは、今日ほど自分の弱さを知り、それに打ちのめされた瞬間はなかった。悲しみだけが胸の奥に押し寄せて、切なさで一杯になる。だが、ローズがやめろと言うのだ、やめるしかない。発端は自分である。そのために、大切な彼女を、追い込んでしまった。情けなくて仕方がない。遣る瀬ない。


 ドライは気がつく。セシルには、水に流そうといい、自分でも過去のことだと思っていたこと。昔の自分なら、納得のいかないものは、壊してまで、やり抜く自分がいたこと。だが、いつの間にかそうでなくなっていたこと。堕落ではない。彼が人間らしく生活するようになっただけのことだ。


 ただ、それまでに至る過程があまりにも壮絶で、激しい生き方だっただけだ。ドライがルークを許そうと、感情にわいたのは、ただ過去のことだからだけではないのだ。


 ローズは、それをよく知っている。いや、よく理解していたのだ。ただ、ドライとローズに共通した、一つの感情があったことも事実で、彼女はそのことに対して、決着をつけようとしたのである。それに対して、ドライが止めにはいることも、十分知っていた。だから、ローズの心は張り裂けそうだった。


 ルークの足も、ローズを追う気力などなくしていた。ローズが完全に戦意をなくしていたからである。もう、100%の闘志を彼女にぶつけることは、出来ない。


 「らしくねぇじゃねぇか……畜生……」


 ローズの小気味よい性格を捉えていたルークが、やり場のない思いを口にする。ルークが、冷静に戻りつつあるのを悟った、ドーヴァは、しがみつくのをやめ、ルークの正面に立つ。


 「ドライ、いったれや……、泣きよるで……」


 そんなことを、ドーヴァに言われなくとも、十分に解っている。ドライとローズはいつだって、喜びと悲しみを分かち合い、癒しあい、愛し合ってきたのだ。


 背中を見せたドーヴァが、ドライの方を向くことはなかった。


 ドライは、ルークとの距離をあけるためのように、すっと背中を見せ、そこから離れローズを追い、彼女に近づくと、彼女をそのまま抱きかかえ。歩き出す。


 「すまねぇ……」


 ドライには、それ以外の言葉がみつからなかった 。


 「ゴメンね……」


 抱きかかえられたローズは、ドライにぎゅっとしがみつき、涙を押し殺した声で、そういった。

 ローズがドライに謝ったのは、両者への彼の思いを明確にしたことである。しかもローズはそれを解っていた。そして、あえてそれを実行したのである。もしも……などと、考えてはいなかった。ドライは確実にその方向への結論を出したに違いない。

 二人の姿が、少し遠のいた頃、ルークはこういう。


 「一仕事終わったら、必ず決着ツケさせてやる……剣士としてな」


 この場は退く、だが、彼への闘志は次へと向いていた。強くローズの方を睨み付けるのであった。


 だが。


 「むりやろうな」


 あっさりと、静かな言葉尻で、明確にドーヴァが言う。20年間姉のように慕っていたローズのこと、何より自分たちの戦い方を知っている彼は、ドライを含めたローズを寂しそうに見つめる。たれ目がちで、普段どことなく眠そうなドーヴァの目が、濁らない瞳で、ルークの視線をとらえる。


 「なんだと?」


 今度は左斜め下のドーヴァを不可思議に眉間にしわを寄せ、一睨みする。だが、ドーヴァは動じることもなく、静かにルークを見つめる。覇気も隠っていない、穏やかな彼だった。


 「命に二度目は……ないんやで……」


 この言葉は、ルークの魂にずしりとのし掛かる。瞳孔が開きそうになるほど、眼を大きく開き、唇をぎゅっとかみしめる。柄を握りしめたままの掌が、じんわりと熱くなる。


 「それに、同じ戦い方で勝てるほど、あんたが甘い相手とは、みんな思ってない」


 ドーヴァが続けてそういうのだった。

 それが何を意味したのか……。そう、ローズにとって、おそらく最初で最後、ルークを倒せるチャンスだったのである。状況や時期さえあえば、ルークは確実に殺されていただろう。また、死んだマリーはもう、戻らないのだ。


 ルークが剣士として戦ったのに対して、ローズは肉親を奪われた者として、最後の戦いを挑んできたのだ。一流になればなるほど、戦いにおいて、ほんの少しの実力の差がすべてを分ける。だが、それは勝つことを目的とし、命を賭けた戦いだからこそ、出来ることなのだ。防御に回った戦いでは、負けることはない。完全な決着はつかないのである。彼らの力はそれほど拮抗していたのだ


 命を賭けることができ、勝利を収めることができても、残された周囲の者はどうなるだろう。自分が死んだ後の、ブラニーは?ジャスティンは?誰かを殺せば、誰かに憎まれる。もし、自分が殺されれば、ローズはジャスティンの悲しみにさらされる。愛娘が、人の血でその手を染めるのである。ローズを殺せばどうなる?彼女を慕う者が、自分の命を取るだろう。そして、また同じ過ちが生まれる。


 挑んできたのはローズであっても、彼女にはそれに至る理由がある。ルークは時間に許されたのであり、その罪をその手で、償った訳ではないのだ。罪とはそういうものでもある。


 たくさんの感情が一気にルークを襲う。おびえたことはあった。だが、後悔と痛みを伴い、過ちにさいなまれたことは、これほど無い。そして、自分を負かした相手を打ち負かすことは、もう出来ないのだ。


 ローズがそれを拒むだろう。命の奪い合いになることは、分かっているからだ。二人にとってケリをつけることは、すでにその域に達している。オーディンやドライが、切磋琢磨のために交えあうような剣は、ルークは、ローズに対して振るえない。ルークは、がくりと肩と膝を落とし、最後の苛立ちを矛先に込めて、大地に突き刺す。

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