第2部 第3話 §7

 「汝、制す者。全ての理を生み、はぐくみし、始まりの者なり。なればまた、其の力もて、生まれし全てのものを無にかえせ」


 その気の隠った静かな詠唱に、ザインが振り返る。そこには、複雑な手印を組みながら、呪文を唱えているセシルがいた。


 「ウォート・メイア・カイル・メイス……」


 生真面目さの宿るセシルの表情がより一層険しさを増し、彼女を覆っている魔力がより顕在化して薄緑に輝くオーラとなる。そこからは、スマートな女性とは思えぬほど重厚で密度の高いエネルギーを感じることが出来る。


 セシルの唇が、まだ何かを呟いている。詠唱は、かなり長めのようだ。

 その間に、ドライは次第に魔物達に囲まれ始めていた。それらは到底、彼の持つ剣の長さでは、斬殺しきれる大きさではない。個々が生物とは思えぬ巨体を誇っている。


 〈やべ……甘く見すぎたぜ!まだか?!〉

 〈まだ、ダメ!頑張って!〉


 ドライとセシルが、念で会話する。互いに焦りがある。無謀のようなドライだが、戦闘のセンスにおいて、彼の右に出るものはおらず、並ぶ者も指折りで数えきれるほどしかいない。彼にはある程度の目算があったのだ。が、しかし、彼等の数量、俊敏さ、タフさは、彼の想像をずっと上回っていた。


 焦りの隠せないセシルの右肩に誰かの手がのし掛かる。しかし、それを確認する余裕など、彼女にはなく。只次の一撃の大きさに、驚いて目を見開いた。

 それは、まるで光の柱のようだ。方角は、ドライめがけて放たれている。これはある意味、セシルの計算上で成り立った出来事だが、其の術者が自分ではないことが、計算外だったのだ。


 視界にブラニーの姿が入る。刹那ブラニーの右肩口が破裂し、血しぶきを上げる。

 セシルの頬に降りかかったそれとは対照的に、ブラニーは自分の肩口に手を当て、掌にベッタリと着いた血を、クールに確かめる。彼女の右腕は、だらりと垂れたままである。肩の落ちようから、筋組織が破壊されたのは、明らかである。


 「結界で、からり弱められたけど、効き目はあったようね」


 そういったブラニーは、ドライへと視線を送る。そこには、行動範囲の広がったドライが、群がる魔物を回避していた。だが、それも再び縮まりはじめる。


 「もう一発、いっておきましょうか?」


 今度は、左腕を前面に突き出す。


 「まって!ウォートクラウト!」


 ブラニーが声をかけて、まもなくセシルの魔法は完成し、巨大な水柱が、幾重にも、ドライを中心に、広範囲に立ちはじめる。それは次第に竜と姿を変え、ドライにまとわりついた魔物を覆い尽くし、それらをあっという間に飲み込んで行くのだった。その状態は、数分続く。魔物が壊滅するまで、水柱が次々と上がるのである。一つの柱で、何百メートルあるのだろうか。ブラニー以外は息をのむほどである。


 彼等の中央にいたドライが、姿を現したのは、セシルが力を使い果たし、ガクリと膝をついた頃だった。彼はゆっくりと、船首へと降り立ち、セシルに近づき、彼女の頭をクシャリと撫でる。それからブラニーを見るのだ。


 「世話、かけたな。っと、シンプソン。もう防御魔法解いていいぜ」


 ドライは天を指さし、ニヤリと笑う。それのおかげで、セシルもブラニーも無事なのだ。だが、ブラニーの肩は、膨大なエネルギーを持つ魔法の反動で、怪我を伴ってしまった。


 「ですね。さぁ、今度は貴方の治療をしないと」


 シンプソンが、ブラニーの肩に手をかざし、呟く程度に呪文を唱え、そこに意識を集中する。ドライに視線を合わせないとのとは、対照的に、自分の治療をしてくれているシンプソンには、従順に従うブラニーだった。


 「拘り」という面では、互いに気まずいものがないとは言えないが、今において、ルークとの確執は、それほどのものはない筈だ。それはもちろんブラニーに対してもだ。ルークが良ければ、ブラニーもそうであろうと思ったが、そうではないようだ。敬遠か遠慮か。「シンプソンさえ納得していれば」と、考えているノアーとは少々違うようだ。その辺りが、クロノアールを支えるものとして信念を持っていたブラニーらしいところなのだろうか。


 ドライは、何となく物事のやり場を失い、持て余した両手を、自然と後頭部に回す。ブラニーと親しいシンプソンが、フォローをしてくれないので、余計にそうだ。


 「風呂にでも入るか……」


 セシルに話を振るドライだった。何となく不満気味なドライの表情がおかしいセシルだった。コクリと頷きながら、ドライに肩を抱かれる。


 ドライが、風呂から上がった頃だ。まだ乾かない髪をタオルでかきむしっているドライを正面に、横にオーディン。オーディンの左横にルーク。ザイン達はその正面。他の面々は、周囲に適当に腰をかける。

 オーディンがルークとドライに挟まれた形になっている。招集をかけたのはオーディンだ。


 「セインドール島も目の前だ。此処で整理がてら、会議を開きたいと思う」


 さらりと堅苦しいことを流して言うオーディン。最も、ドライ達の集まる会議をしきれる男は、彼をおいて他にいない。そして、以外と協調的なのは、ドーヴァである。


 「先ほどの、戦闘で解ったことだが、あの手数を三人で、蹴散らした事を考えると、ザインの言っている『国王』に辿り着くまでは、さほど難しいことではないように思える。だが言えることが何点かある」


 ここまで言うと、オーディンは一呼吸入れる。オーディンがそういうのだから、そうなのだろうと。ドライは納得する。ここまでは。


 「彼等の動きを考察した上で、詠唱に時間のかかる魔法は、有利でないこと。つまり、魔法の詠唱を必要としない、ブラニーのような高位術者が不可欠であること。数量を考察した上で、長期戦は避けなければならないこと。最終戦のために余力を十分に残しておかなければならないこと」


 「簡単なんだろ?」


 ドライが茶々を入れる。


 「ああ、辿り着くだけならな。だが、スタミナを考えて見ろ。相手は不眠不休で戦える生物だ。私たちは、日々の睡眠を欠かすことが出来ない。このハンディはどう考える?」


 神妙な面持ちのザインが、全員にそれを問いかけるように、両手を広げて一同を見渡す。


 「って……」


 そんな術は、あるはずがない。ドライは戦闘から一時的に身を隠す術を知っている。それはルークにもドーヴァにも、言えることだ。賞金稼ぎをしている連中ならば、ごく当然の知恵でもある。野営に関して言えば、オーディンもプロである。兵士であったザインもそうである。が、ブラニー、セシル、ノアー、シンプソン、子供達に関しては、経験不足は否めない。だが、彼等こそが強大な魔法を会得しているのである。オーディンの言う短期戦は、そこに理由がある。


 「可能……なのか?」


 ザインが息詰まりながら、そう聞く。オーディンはそれに対して、おもむろに頷く。だがそれは、決して複雑な意味ではない。オーディンの脳裏には既にそれは描かれていた。


 「そこでキッパリと、戦力外通告をしておきたい。わざわざ死体を増やしたくないのでな」


 ドライはこれでピンと来る。長い付き合いだ。ドライにとって生涯無二の親友である彼の言い回しである。オーディンにとって、短期戦で決める決めないは、どうでもいいことなのだ。簡単に言えば、撤退することもできるのだ。ローズがいれば、瞬間的に何百キロも移動できる。これは前置きである。


 「レディは、身重だから待機しておいてくれ、だが、最悪この島から抜け出すため、いつでも瞬間移動できるように、しておいて欲しい。レイオも残れ、それから、ザインとアインリッヒ君たちも戦闘に加わらなくてもいい」


 「な!何だと、テメェ巫山戯んな!」


 ザインは、壊しそうなほどにテーブルを叩き伏せ、それでも気が済まず、遠方からオーディンまで詰め寄り、彼の胸ぐらを釣り上げる。が、オーディンはビクともしない。


 「空を飛ぶ術を知らない君らは、安全な場所から、どのくらいかかって、魔物の巣窟にいけるんだ?!残念ながら、君らを連れて飛べるほどの余裕は誰にもない。君らの自己満足のために、無駄にエネルギーを消費したくない」


 きつい言い方だ。自国を守りたいザインとアインにとってこれ以上に屈辱的な言葉があろうか。だが、ザインはこれを理解する。それは、知謀としての彼がそうさせたのだ。ザインはオーディンの胸ぐらを解放し、膝を落とす。


 オーディンはこれに構わず、話をする。


 「ブラニー、貴方は先ほど可成りの負担を強いられたはずだが……」

 「三〇〇パーセント。あの様子では、その五分の一も力になってはいない。大丈夫。どの程度で腕が消し飛ぶかは、心得てるつもり……」


 これは、彼女の放出できる魔力の意味ではない。通上その呪文を使用した破壊力に対する比率である。ブラニーの使用している魔法は、むしろそれとは言える代物ではなく、超常現象を我がものにしていると言った感じだ。それは天性の資質である。


 セシルが同じ事をしても、恐らく二〇〇パーセントが限界ではないだろうか。セシルのキャパシティについてをふと思ったのはドライである。もちろん、セシルにはそれに負けない長所がある。


 オーディンの話で、もう一つ解ることは、彼が純粋にブラニーの能力を高く買っている事である。礼儀、仁義に一番拘りそうに思える男が、仇敵にラヴコールを送っている。それに答えたブラニーも、冷淡ながらも正しく答えている。


 最も、自分たち兄妹を助けてくれた彼女だ、過去の蟠りは、少しずつ落ち着きはじめているのが解る。オーディンの大筋の話が分かった以上、自分は此処にいても退屈なだけだと思ったドライは、腰を上る。


 「ドライ」

 「ん?」

 「お前には、デッドラインになって貰う」


 ドライはクイッと右腕を上げ、いとも簡単に親指を立て、オーケーのサインを出す。死線とは縁起でもない。それに意味不明だ。それが最も信頼している男に贈る言葉だった。そしてドライは静かに部屋を出て行く。

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