第2部 第3話 §5

 取り残されたセシルの前には、いつの間にかドライが現れる。ローズが彼女を強引に引っ張っていったのはそう意味もあったのだろう。

 彼は、何も言わずにセシルの横に座る。


 「湿気た顔すんじゃネェよ」


 一言だけ言うと、セシルの頭自分の胸元へと引き寄せる。彼女の不安を解く言葉は、沢山あるが、どれもこれも、彼の柄ではなかった。


 「クスクス……」


 セシルは、ドライらしさとらしく無さ、また彼が言いたいことと表現できないその歯がゆそうな、少し落ち着きなくどことなくキョロキョロとした彼の様子に、小可笑げに肩を軽く小刻みに上下させて、それを押さえながら笑う。だが、次の瞬間には、彼女の閉じた瞼から涙がボロボロとあふれ出す。自然と頬は、ドライの腕に寄せられた。


 「馬鹿みたい。私、いつまでも子供みたいに……、誰かに頼って、ないもの強請って……」


 人間は変われる反面、どうしても変わらぬ自分の本質がある。人は通常年齢相応の行動をする。見かけより若いと言われても、ある域は脱せない。だが、衰えぬ彼等は、己の持つ活力もまた衰えない。人とは違うのである。


 今になってブラニーの言った言葉が重くのし掛かる。自分たちは人の形をしているが、人間ではないのだと。

 あの戦いに勝者がいないことは解っていても、どちらが正しいのかを、結論づけることを求める。この地に安住の地がなくなってしまうのではないかと、不安に駆られる。セシルが両親にそれを求めるのは、無理もない話なのである。


 「俺達の身体(み)も心も、あのときから置いてきぼりにされちまったなぁ」


 孤独に強いドライが、不意に漏らす寂しげな言葉だが、それは決してセシルだけの問題ではないのだと、彼女にそれを理解させた。今はひとりぼっちではない。シンプソンが、自分たちだけの地を築こうと、この巨大な船を造った気持ちが、ドライには何となく解っていた。


 それと同時に考える。覚醒した人間は他にいるのだろうかと、少なくとも血を次いだものは沢山いる。彼が思慮深さを見せようとしたとき、自分がドライであることに気がつく。シュランディアの肉体は消滅している。


 今は完全なドライの筈なのに、そういう部分があることを思い出すとおかしくなる。すると考えるのが馬鹿馬鹿しくなる。彼のいけない癖でもある。


 「ま、その分イイコトもあるって。目に皺が出来ねぇ。ケツも胸も垂れない。夜も楽しいだろ?」


 ドライは、セシルの絡んでいた腕をほどき、まるで品定めをするかのように、彼女の脇腹から腕を潜り込ませ、服の上から彼女の乳房を揉みしだく。妹だろうとお構いなしである。これが彼の愛情表現だ。男の生理的な行為でもあるが、ドライはいつまでも欲情的にそうはせず。セシルを可愛がるように、瞼や頬などに、軽く触れる程度のキスをする。

 セシルは、まだ胸の上に乗っているドライの手に自分の手を重ねる。


 「いつまで?」

 「さぁな。でも、未練あるだろ?何なら、もう一人つくっちまえよ。楽しみが増える」


 ドライは、ローズに宿った自分たちの子供が楽しみなのだ。その子が立派に育つまでは、まだまだ人生に飽きることはない。それを彼女に勧める。


 「そうね」


 ドライのその一言で、セシルは何となく落ち着いた。凭れていた彼女から発せられていた、ピリピリとした空気が和らぎ、ただもう少し兄に甘えていたいという柔らかな頬が、ドライの腕に重なる。この一言には、ジュリオの成長の意味もある。親としては、確かに彼の成長が楽しみである。セシルの生真面目さが逆に、彼女に生き甲斐を失いかけさせていたのだ。崇高な目的意識を生き甲斐として見つけようとすれば、逆にジレンマに陥ることもあるのである。まして彼等は人並みはずれた力がある。人以上に叶う願いも多いと言うことである。


 日が過ぎる。最初にそれを見つけたのは、操舵室にいるサブジェイであった。彼は不意に伝声管を取り。正面を向き、しまったままの表情でこういう。


 「白い光に包まれた島が見える」

 「よし」


 伝声管から伝わって聞こえたのはオーディンの声である。暫くすると、ドライとザインは、船首の甲板に出る。

オーディンは、着水に備えサブジェイに変わり舵を取る。


 「此処からは、速度も高度も落として、ゆっくり進入した方がいい。でないと、俺とアインを認識しきれずに、結界が俺達を侵入者と勘違いする」

 「そういうのは、直に上のヤツに言ってくれよ!」


 落ち着いて説明しているザインと対象的に、ぞっとしたドライは大急ぎでオーディンのいる操舵室へと走る。残念ながら、甲板にまで伝声管は行き渡っていない。


 大きな船はやがて着水する。が、そうなると、今度は島が見えにくくなる。上空からの広い視野とは違うのだから当然だ。ザインは操舵室にいる。舵を取っているオーディンの横で目を閉じ、何かに意識を集中している。


 「彼は何をしている?」


 オーディンが、ザインの横で正面の島影を眺めているアインに聞く。


 「結界と話している」

 「結界と?」

 「そうだ。ジーオンが自らを媒体とし、悪鬼が滅ぶまで決して解けることのない結界を張ったのだ。お前達が本当に私たちの求めていた者達なのかを判断している」

 「なら、とっとと入れてもらえよ」


 ドライが、けだるさを持って苛立った様子でそういった。


 「無理だ。もはや結界は一人歩きしている。結界に残された彼の意識に触れるのは、霞を手に握ることに等しい」


 「では、媒体になったと言うことは……」

 「彼は結界そのものになったのだ。その肉体はもう無い」


 その時ザインが目を開く。


 「大丈夫だ。俺達のことは忘れていないらしい。一日もかければセインドール島に着ける」


 ザインのこの一言で、ドライは憂鬱そうなため息をつく。船の旅は嫌いではないが、目の前に目的地があるというのに、のろのろと進むことが許せない。お預けを喰らった気分だ。


 「パッといっちまおうぜ!」

 「ダメだ。緩くなった結界とは言え。あんた等みたいなデカイエネルギーを持った連中とこの船が高速で進入してみろ、船事木っ端微塵だぜ」

 「都合の良い者だけを素直に行き来させることの出来るような都合の良い魔法はないと言うことだ」

 「そうだ。結界を解かずして通れるだけまだ都合がいい」


 ザインとアインが交互にドライを説得する。それでもドライは、子共のようにつまらなそうな顔をする。



 そんなドライも一時間ほどすると、機嫌をすっかり直している。甲板に出て、潮風を感じているのだ。暢気なものである。

 少し寒いし、船の上下動も大きいが、こっちの方が大陸間を横断する感じが出ていい。


 そこに、誰かがバタバタと走り寄ってくる。静かな雰囲気がぶち壊しである。


 「ドライ!ドライは本当は、私のこと嫌いなんでしょ!」


 走り寄ってきたのはジャスティンで、顔が紅潮している。耳まで真っ赤なのである。こういう状態の彼女は、宣告ご承知である。問題は、こういう状態の彼女が何故いるかである。


 座り込んでいるドライの胸ぐらをグイッと持ち上げ、泣きそうな顔をしながら、ドライと視線を交えようとしている。


 「わっぷ!だ、誰だぁ此奴に酒飲ませたのはぁ!」


 可成りの酒臭さである。彼は、眼前の彼女の顔の脇から後方を覗き込み、犯人を捜す。後方には、女連中ばかりがいる。が、ブラニーはいない。


 「いきなり走り出したから、吃驚したわよ」


 と、ホッとした声を出したのはローズである。彼女の頬も少し赤い。ローズに限らず全員だ。しかし主犯には、間違いないだろう。ローズのやりそうなことだ。


 「てめぇ!此奴メチャ癖悪いんだぜ!責任取れ!!」


 ドライは、首を釣り上げたジャスティンの背に腕を回しながら、主犯に向かって言う。

 「アハハ!まぁ、知らなかったのよ。あんたのこと大好きみたいだから、後は任せるわ、じゃ」


 ローズは、笑って誤魔化しながら、みんなを連れ、船内に戻る。多分、狼狽えているドライを想像しながら、それを摘みに一杯やろうという魂胆だろ。妻ながら呆れた女である。ある意味これはローズのドライに対する自信でもある。


 「テメ!」


 ドライが立ち上がり、ローズをひっ捕まえようとするが、胸の上にジャスティンが乗っているため、動きようがない。伸びた左手だけがむなしく、空気を掴む。


 「ねぇドライィ!」

 ジャスティンは、彼等の会話など無視して、ドライの首を揺さぶる。

 「だぁぁ!だから何でそうなるんだ?!」

 「だってぇ!」


 ジャスティンの乱暴さは止まらない。しかし、彼女がルークの娘だと言うことを思い出すと、それはさほど不思議ではない。恐らく、それが彼女の胸の閊えなのだろう。シルベスターとクロノアールの関係を知ったときから、彼女はどことなく負い目を感じているに違いない。ジャスティンは、それ以上言えない。言えば、解っていても、両親が罪無き命を死に至らしめた事実を認めてしまうことになるからである。


 「嫌いじゃネェよ」


 うるうると涙目になっているジャスティンの瞳を、見つめて、子供を扱うように彼女の頭を、その大きな手で撫でる。


 「嘘よ!きっと怒ってる!」


 が、意固地になっているジャスティンは、自分の疑念を消そうとはしない。逆にドライを責めるような視線を送ってくるのだ。相手が男なら、張り倒したくもなるが、ルークには似ても似つかない純粋な彼女なので、どうしようもなく、かえって手に負えない。


 こんな時に、ドライが手っ取り早く取る愛情表現はキスだ。しかもダイレクトの感じあえる口づけである。彼女を十分に引き寄せ、初々しいその唇を、十数秒間奪う。そして、ドライの自己満足的なタイミングでキスを終え、ボウッとなっているジャスティンの瞳を、彼女が納得行くまで見つめ続ける。


 「うふふ。もう……、ヤダ……」


 ジャスティンは、照れながら憎らしげに、ドライの胸板をポカポカと叩く。頬を真っ赤にしてはにかんだ笑みを浮かべ、暫くそうしているかと思うと、ドライの鼓動が聞こえる位置に頬を当て、彼に凭れる。


 「ちゃんと、名前考えたよ」

 「あん?」


 ドライは、胸に凭れ掛かったジャスティンの肩を抱き、キョトンとした様子で、視線だけを、見える彼女の頭におくる。


 「子供の名前……」

 「ああ……」


 ドライは、反射的な返事を返す。無責任に頼んだことを忘れていたかの様子だが、そうではない。そこには、彼なりの期待感が入り交じっていた。


 「みんなの様子を見て、思ったの。父さんも母さんも、ドライもローズさんも、ザインさん達もみんな、何かのために戦ってるんだって。宿命かもしれないけど、きっと自分だけのために、自分の幸せのために生きていける日が来るようにって……、どんなモノにも縛られずに生きていけるように……、願いを込めたの」


 随分とずしりと来る前振りだ。ドライは、彼女が気に入った響きを名にしてくれればいいと思っただけだ。だが、ジャスティンは、その子に希望を託す名を考えたのだ。だが、これは嬉しいコトでもある。そうなると、早く知りたい。だがジャスティンは暫く、口を閉ざしている。恐らく何となく照れくさいのだろうと解る。


 「ホラ早く」


 ドライが急かす。


 「リバティー……。自由よ。どんなことにも縛られない……。リバティー」

 「リバティーか。いい名だ。気に入ったぜ」


 それがその子の名になるならば、この戦いは決して敗北する訳にはいかない。もっとも、彼の頭に敗北という文字はない。一つ戦歴が増える程度にしか感じていないのだ。が、励みになる。

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