第2部 第3話 §4

 その頃ルークは、というと自分の選択した部屋で、顔を青くしながら、少し俯き気味になっていた。理由はザインと随分違った。その横では、彼の背をさするブラニーがいた。そう、船酔いである。ドライ=サヴァラスティアを育て上げ、自らも黒獅子と呼ばれるほどの賞金稼ぎであった男が、船酔いである。


 「おかしい。俺は船なんてのは乗り慣れてる」

 「空を飛んでいるせいじゃないかしら」

 「ウプ……」


 彼が吐き気をもよおしている時、一番熱い時間を過ごしていたのは、シンプソンとノアーである。二十年前結ばれたのは空の上だ。その頃を思い出さずにはいられない。この日とうとう、二人が部屋から出てくることはなかった。


 「オーディンさん。海が見えたよ」


 操舵室から伝声管を使って、呼びかけたのはサブジェイだった。すっかり船長気分である。殆どの操作方法は解らないが、操舵だけは何とか出来る。


 「なら、取り舵を取って、進路を北北東に取ってくれ」

 「オッケー」


 とサブジェイが舵を回した瞬間、ビリヤードの球が慣性の法則に従ったのは言うまでもない。

 夕方の食事時。


 「諄いなぁ。俺触ってネェってばよぉ」

 「解るものか!」


 ドライとオーディンが、何やらのやり取りをしている。まぁ、ビリヤードのやり取りのようなのだが、おそらくオーディンが離席をしていた頃の話だろう。まるでガキの喧嘩だ。


 二人を目の前にしたザインは、目が点になったままである。緊迫感の無さ、落ち着きの無さ。少なくとも、オーディンは、もっと落ち着きのある人物と見ていただけに、この展開は意外に感じた。その二人の馬鹿な様子を、誰も止めることもないし、煽ることもない。二人の声以外は、食器の音しか聞こえない。前述したようにシンプソンとノアーは居ない。制止する役目も居ないのだ。


 ザインの目の前では、妙なほど似たような行動をとった二人だった。

 夜も更けた頃だった。ドライとオーディンの二人は、夜風の寒い甲板に居た。船縁に持たれていると、クロノアールとの決戦のことを、思い出す。二人はそんな雰囲気に包まれていた。


 「ガキ共、おいてくりゃ良かったかなぁ」


 ドライは言う。


 「気負うな。少なくともサブジェイは、もう一人前だし、シードに至っては十分に戦力になる。不安ならば、ザイン達の言っていた。エピオニアにおいておけばいい」

 「何だかなぁ。そう言うんじゃなくて、彼奴等の目的意識ってやつさ。俺達だって今も昔も、その訳ってものがあっただろ?」


 ドライは、手を空中で忙しく動かしながら、オーディンに同意を求める。


 「らしくないな」


 普段短絡的な思考をしているドライが悩むのは、よっぽどのことだろうと、オーディンは珍しがった。


 「いや、俺さぁ、意味もなく賊殺しまくってさ、その果てに得たものって、何もネェし……」


 ドライが、落ち着きがてら、縁に腰を掛ける。それから無限に広がる満点の星空を眺めた。こんな時ドライでも、何故星空はこんなに美しいのだろうと思ってしまう。そして、その疑問を語ることの出来る友も側にいるし、ロマンチックになれる愛すべき女(ひと)もいる。其処に戦う価値観を感じた。


 オーディンもドライに併せて、縁に腰を掛け、同じように星空を眺めた。


 「私も、国のために戦ったが。何だったのだろうと思うよ。英雄なんかになるためじゃない。あのころは、義務に感じた。自分の使命だと、国を支える貴族としての、当然の行為だと思った。だが、それを喜びに感じたことはない」


 「でも。あの戦いは違った。名ものこらねぇ。誰のためでもねぇ。マジでちっぽけな想いだった。俺達も大して纏まってた訳じゃねぇし……。その頃から考えると、俺、自分でも随分変わったと思ってるよ。あのころは何であんなにガムシャラになれたんだろう……って」


 「そう言うことか。遠回しな奴だ。人間は幸せすぎても余計な心配をするものだ。今のお前はまさにそうだな。私もそうだ。子供達の目的意識は、彼らが見つけるべきだ」


 そろそろ寒さが身にしみ始めたため、オーディンは、縁から離れ船内へ通ずる扉に向かい歩き始めた。


 「かな?」


 ドライも話し相手がいなくなり、寂しくなるのを嫌い、一歩遅れて歩き始める。オーディンの言っていることを、柔らかな肯定を持ち、自分自身に探りを入れるように、視線だけを上にして、後頭部をボリボリと掻く。


 「そうだ。普段真面目に考えぬから、いざというとき、壁に当たるんだよ」


 ドライに背を向けたオーディンは、偉そうな口調で、腰に手を宛ってドライに釘を刺すが、前を向いた顔は、澄まして笑っている。


 「んだと?!」


 瞬時にカチンと来るドライだが、彼もやはり怒りきれない様子で、顔をニヤけさせている。背中を向けている間に、思い切り後頭部でも張り倒してやろうかと、腕を振り上げるが、オーディンが肩越しに振り向く。


 「違うか?」

 「るせぇ!」


 その一言に、ドライは振り上げた腕をムズつかせながら、ポケットにしまい込み、背を丸めがに股気味に、オーディンより先に歩き出した。最後の一言で、どことなく収まりがつかなくなってしまったのが、その後ろ姿で、解るオーディンだった。


 「ハハハ」


 軽く笑って、今度は彼の後をついて行くオーディンだった。



 二日目、幽霊のように虚ろになったルークが、気晴らしに船内を歩き始める。


 「父さん大丈夫?」


 たまたま船内ですれ違ったジャスティンが、あまりにも気分の悪そうなルークに、折り返して彼の行き先について行く。


 「冷たい娘だよ。お前は。ウプ……。一日中、男とチチクリあってんじゃねぇよ」

 「ヤダ!父さんたら、チチクリあうだなんて、もう!」

 「ゲロ……」


 それは照れ笑いをしたジャスティンがルークの背中を叩いた瞬間に起きた現象だった。廊下中に酸っぱい匂いが漂うことになる。彼は重傷である。



 広い甲板で時間を潰していたのは、アインとジュリオである。ジュリオはどちらかというと、年齢より幼さを感じる顔立ちをしている。それは精神的にも感じる部分である。非常に穏和でフンワリしている。


 アインのかいだ胡座の中に、ジュリオがすっぽりと座り、二人で天気の良い空を眺めていた。


 「お婆ちゃん。パパと喧嘩してるの?」

 「そう言うわけではないが……」


 ジュリオのこの質問には困らされた。単純に言うと、ドーヴァが血縁と言うことに無関心なだけであるだけで、彼女らを嫌っているわけではない。むしろ避けているのは彼女の方である。友人として語られるのは、あまりにも距離感を感じすぎて、居づらくなってしまうのである。


 彼が祖母として、自分を認識してくれていることが唯一の救いである。と、其処へやってきたのはセシルである。彼女はアインの横に、膝を抱えて座り、彼女の腕に持たれた。


 「自分の両親を殺した者達と旅をするのは、辛いだろうが、お前にも愛してくれる者がいる。彼らの愛は無駄にしてはいけない」


 アインが持たれたセシルの耳元に、優しく囁いた。


 「解ってます。でも、生きていたら、こうしてたのかなって、なのにドーヴァったら……」


 セシルには、こうしたピアレンツコンプレックスがあった。親に甘えたかったという感情が顕著に現れている。アイン以外のこの対象となるのは、ローズである。


 「あの子の母なら、身を結んだお前にとっても、私は母だ。料理一つ満足に出来ぬ不出来な女だが……」


 「そんなの、いい!」


 セシルが、より一層強くアインの腕に絡む。彼女の不安定さは一六歳のままだった。ドライやローズと楽しく過ごせても、戦いの中に身を投じることになったこの時、彼女は自分の弱さを知った。


 〈母か……〉


 その響きは随分と遠く懐かしい。かつて自分にもそう呼べる存在がいたことを思い出す。


 「二〇年前。世界が崩壊しそうになったの。シルベスターはその千年も前から、このことを予測していた。無論クロノアールも……。きっと彼等はこうなるって解っていた。でも、自分たちの存在理由を確かめるため、時を越えて戦った。彼等は、そのために何百代もかけて、血を残した。『シルベスターの手足になり戦うことが私たちの使命だ』。私はそう思っていた。でも、全ての戦いが終わって、私に残ったのは、何もないような気がした。私は小さい頃から、そうなることだけを教えられてきたから……。その後のことなんて何も考えていなかったもの。きっと寂しいからドーヴァと一緒になったんじゃないかって思ったこともよくある。自分自身がよく解らなくなった。みんながいて、ドーヴァがいて、自分が居て。兄さんが帰ってきて、その時に、何となくそうじゃないって解った。ドーヴァを愛しているし、ジュリオが産まれてしばらくは、このまま穏やかな時が流れていくって思ってた。でも、自分たちが年を取らないことに気がついて、また戦いが始まって……。ひょっとしたら、私たちってそのためだけに生きてるんじゃないかって!私が持っている愛は、血を繋げるためだけの本能じゃないかって……。私、ただ愛されて生きていたいだけなのに」

 アインは、こんなセシルを見て、可哀想なくらい心細い彼女を知ると同時に、自分で悩みながら結論を出そうとしている彼女にホッとした。道に邁進することは、良いことであるが、疑問も持たず過信しすぎることは怖いことである。


 アインはセシルの肩を抱く。


 「成り立ちは違うが、私もザインも死に場所を失った故、お前の不安は解らぬでもない。ただ、国を救いたいというだけで、呪術に身を掛け、不老を得た分、私たちの方が罪悪かもしれぬが、それでも何も出来ずに怯えているよりは、ずっとましなことだと思う。私たちにはそれを成し得る自信がある。違うか?」


 「そう、だけど」

 「ならまたその後に落ち着けばいい。私も時間がある限り、息子の理解を待とう」


 アインは、今はドーヴァを友として受け入れることにした。でなければ、諄く彼に理解を求め、悪いわけではない仲を壊しかねないからである。


 そこへローズがやってくる。


 「アインリッヒ。お勉強の時間よ」

 「悪いが気分ではない」


 アインは、扱いてやるそと言わんばかりのローズのニカッとした笑いを流すように、一度視界に入った彼女を、態と外す。


 「甘ったれない!さぁさぁさぁ!」


 しかし、アインは、強引に腕を引っ張られ、ローズに連れられて行く。ジュリオは、よろけながら歩くアインの後ろについて行く。


 急に一人にされてしまったセシルは、アインリッヒの後を追うことも出来ず、ただ手を伸ばすばかりだった。

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