第2部 第3話 §3

 サブジェイが行く先は、例のスタジアムだ。だが、その日は、不思議と誰も居ない。いつもは、どことなく血の気の多い空気が立ちこめているのだ。


 それが気になっていたが、彼はそのまま真っ直ぐに通路を歩き、真っ直ぐにグランドに出る。すると、其処には、規律正しい高貴な服装をしているオーディンが剣を鞘に納めたまま両手で柄頭を押さえ地面に突き立て、此方に向かって視線を真っ直ぐ向け、立っている。


 「漸く来たな」


 オーディンの声は静かだがサブジェイは思わず唾を飲んだ。誰も居ないというのもあるが、彼の持っている雰囲気が、そのまま其処に現れているといってもいいほどの、重厚な空気が漂っている。。


 だが、それ以前に何故彼が一人で此処で待っているのかである。シチュエーションの出来過ぎである。


 「レイオがコレをお前に渡せと言ってな」


 オーディンはサブジェイに向かい、一つの封書を投げる。それは彼が今朝渡された物と同等である。封を切られるのはコレが最初である。サブジェイが中身を確認する。


 「サブジェイは、サブジェイだよ」


 手紙にはそう書かれてあった、何だか念を押されたような感じがした。サブジェイは深呼吸をする。


 「オーディンさん。少しだけ時間くれよ」

 「良かろう」


 オーディンは、彼の気が充実するのを待つ。

 サブジェイは剣を抜くが、ウォーミングアップをする様子はなかった。ただ己の剣をじっと見つめるだけだ。それから、もう一つ呼吸を入れ、オーディンを見据える。その眼には十分な気が充実していた。オーディンは、鞘から剣を抜き、中段に構え、己の間合いを作る。サブジェイは今まで、どことなく落ち着きがなかったが、それはドライ譲りの部分もあった、がしかし、この時それがそうでないことに気がつく。彼を十六年も見てきたというのに、今まで気がつかなかった雰囲気だった。


 恐ろしいほど静かだ。だがその静かさは、丁度足と地面の境目ぐらいまでで、地面の上は、大地を這うような、寒さを感じる風が吹いている。オーディンは、つま先に、その風を感じる。それが彼の間合いである。オーディンは、風を感じない半径ギリギリにまで下がる。


 〈やれやれ、勝負の域ではないな。怪我もやむなし…か〉


 オーディンがそう決めると、爪先だけ彼の間合いに踏み込む。それはオーディンの間合いの方が、僅かに狭いことを示していた。


 「行くよ」


 サブジェイが少し腰を落とし、いつでも動ける体勢に入る。


 「来い」


 オーディンは、剣に魔力を込め、基本であるエンチャントで攻める構えを取る。其処には今までの派手さはない。その分凄みがある。サブジェイは小手調べなどと悠長なことは言ってられない。その気の緩みで、一撃を食らう確率がある。本気の速攻でオーディンから先手を奪うことが必要である。


 サブジェイは強く地面を蹴った。低い姿勢でオーディンの懐に飛び込む体勢である。直線的だが迷いのない動きだ。オーディンはサブジェイの動きを止めるため、コレを直接剣で受け止め、そして力ずくではね除けた。そのサブジェイの左手の内に、赤い閃光が瞬間煌めく。ニードルレイの魔法である。詠唱自体は名を言葉にするだけのものだが、時間短縮のため、それすら省いている。詠唱を介さない呪文の魔力の消費量は、通常の二倍、物によっては数十倍に膨れ上がる。


 サブジェイの掌が、剣を振り切ったオーディンの顔の目の前に突き出される。クビを傾け、後方に少し間を開けながら、オーディンはこれをかわす。ギリギリの駆け引きのようだが、オーディンは全く慌てない。サブジェイが左手を突き出したため、剣を持っている右手は自然に、オーディンから最も遠ざかっている。次の一撃は十分に躱すことが出来る。その後、サブジェイが放った魔法は全て、彼の愛刀ハート・ザ・ブルーに吸収される。それが彼の剣の特徴である。


 オーディンは後方に飛びながら、剣を一振りすると、サブジェイの魔力を受けたハート・ザ・ブルーは、オーディンが込めた魔力と共に、全て赤い針のような光となり、サブジェイめがけ飛ぶ。彼は、ギリギリのタイミングでレッドシールドを張し、また、全ての魔法を跳ね返した直後のタイミングで、シールドを解く。


 その瞬間にもオーディンは既にサブジェイとの間合いを詰めている。二人激しく剣をぶつけ合う。そしてサブジェイは力任せにこれを押し離した。オーディンは今までとはひと味違う彼に、サブジェイはやはり一筋縄では行かないオーディンに、暫し睨み合う姿勢を取った。




 夕方になる。オーディンは蹌踉けながら、家に戻る。


 「貴方?」


 異常なまでに汚れてくたびれているオーディンに、ニーネは不思議な顔をする。見た目に怪我がないので特に心配はなかったが、ムスッとしたまま家の中に入ってくる彼は、一寸近寄りがたかった。


 「あのお風呂は……」

 「後だ……」

 「食事は?」

 「いらん」


 疲れ切った淡泊な返事だけが返ってくる。部屋の中に消えて行くオーディンと入れ替わるように、レイオニーが部屋から顔を出す。


 「パパ、帰ったの?」

 「ええ、どうしたのかしら……」


 オーディンが相当疲れていた様子から、レイオニーは、サブジェイとかなりやり込んだことに気がつく。その結果はどうなったのか解らないが、それも今夜彼が来れば解ることだろう。夕食を済ませた後、彼女は早々と部屋に引きこもり、電気を消しサブジェイを待つことにした。


 それから随分待ったような気がした頃だ。一瞬部屋の中に風が入り込むと同時に、潜めた足音が聞こえ、一つの温もりがベッドの中へと忍び込んできた。


 「サブジェイ……」

 「約束通り来たぜ。でも、ヘトヘトだよ。イイトコまで行ったんだけどなぁ」


 サブジェイは、レイオニーを抱き始めた


 「う……ん……」

 「このまま寝てもいいか?」


 サブジェイは疲労に勝てず、レイオニーの胸の中で甘え始めた。


 「うん」


 レイオニーの了解を得ると、サブジェイはふーっと息を吐き、あっと言う間に眠りについてしまうのだった。




 それから何日も経った日のことだ。彼らが出発する日のことである。飛空船は、この街を横切っている河の縁に着けられる。その船の甲板まで掛けられている縄ばしごの前で、出発直前になって、もめ事が発生した。


 「俺は歩いて行くぞ!こんな物が浮くなんて信じられるかぁ!!」


 そう、ザインが乗船拒否をおこしたのである。ドライに羽交い締めにされながら、まだ抵抗を止めない。


 「いい加減にしろよ!俺だって男にくっついてんのはゴメンなんだぜ!」


 ザインは、宙に浮いた、足をばたつかせながら、泣き顔であがいている。


 「うわ!」


 と、またもやザインが叫ぶ。


 「ほら!立派なのついてんだから!わめかない!!」


 ローズがサインのズボンの中に手を突っ込んで、「何やら」をした。一瞬叫んだザインだが、その瞬間蒼白になってぐったりと項垂れてしまった。


 「姉御おそるべし」


 ドーヴァは、ブルッと震え上がってしまった。




 乗船後のザインは酒の酔いに任せていた。どうにも素面ではいられないらしい。船内に設置されたバーで、既にバーボンのボトルを一本空けてしまう始末である。その横にはドライが居る。


 「お前の女、マジかよ」

 「喚くからだよ。男らしくビシッとしてろ。地元じゃ英雄なんだろうが」


 其処にオーディンが入ってくる。この中で唯一船を動かすことの出来る人間である。大凡の進路が決まったのだろう。飲んだくれている二人を見ると、少しムッとする。


 「そら、元英雄の登場だぜ」

 「そう言い方は止せ」


 オーディンは、ドライの冗談を真に受ける。幾らドライに免疫が出来たとは言え、この手の冗談は相変わらず苦手だ。怒り出すことはないが、不機嫌になってしまう。


 ドライは席を立った。そして、ビリヤード台をオーディンと挟み、ボールを取り出し、台の上に二個ゴロゴロと置いた。

 形式はナインボールだが、その前に先攻を決めなければならない。


 「いいか」

 「解ってるって、リバウンドでどれだけ縁ギリギリまで寄せるかだろ。んで、接触した奴は、ウムを言わさず後攻」


 「よし」


 ザインは理解できないが、兎に角二人の様子を見ることにした。


 「よし!」


 軽く拳を作って、小さくガッツポーズをしたのはオーディンだった。ドライは、ラックの中にボールを整え、細かい位置を気にしながら、ラックを外した。


 オーディンは定位置にボールを置くと、キューの先端をチョークで擦りながらトライアングルに並んだボールを眺める。プロではないので、眺めたところで何が解る訳ではないが。


 オーディンが手玉を突くと、一番ボールに当たり、勢いよく球が散り始めた。


 〈おいおい、何考えてるんだ。三日後にゃ魔物の彷徨いているセインドールに行くんだぞ〉


 楽しげに遊び始めた二人が信じられない。酔いも冷めてしまう。

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