第2部 第2話 §8
三十分をまわったくらいの頃だった。ドライが二人の人間を連れて、家に戻ってくる。
「ルーク……」
最初にそう言ったのはドーヴァだった。シンプソンは、穏やかな男だ。声にはしない。オーディンは落ち着きがある。セシルは声に出してしまうと、其処に憎しみが隠ってしまうのが解っているらしく、黙ったままである。一番声にしやすかったのは彼だろう。
周囲の空気が重くなる。彼らの関係を知らないだけに、ザインがその雰囲気を読みとり、腰を上げる。シードを始め、子供達には、何のことなのか、理解できない。重くなりすぎた大人達の雰囲気に、完全に呑まれてしまう。
その中、ブラニーとノアーが互いに向き合う。
「元気そうね……」
ブラニーの口からこぼれ落ちるような一言。
「姉さんも」
感情を素直に表すことが出来ず、遠慮を隠せない姉妹の会話。だが、互いが幸せなことに、どことなくホッとした様子を見せる二人だった。その間、ルークは全く言葉を出さない。
それにしても周囲の空気がなんと重いことだろう。ドライは自分で水を刺してしまった気分だ。ローズは知っていたことなので、もう驚きはしない。蟠りがないわけではないが、ジャスティンを見ると、落ち着かない気分は、どこかへ消えてしまう。
「母さん今……」
「え?」
ジャスティンはブラニーの一言に、更にシードがジャスティンの反応に驚きを示す。シードがルーク達と顔を会わせるのは、コレが最初だった。
「彼女は、つまりシードさんの母は、私の妹です」
驚きも深みもないブラニーの声だけが、二人の耳に届く。シードの説明に関しては、途中ドライがしたものだ。
「そうなんですか?!」
ジャスティンが先に声を出す。
「それじゃぁ」
二人は、互いの血の繋がりが非常に近いことへの驚きを隠しきれない。こんな偶然があってもよいのかと、開いたままの口が、少しの間塞がらなくなる。それに比べ、ドライ達の反応は、恐ろしいまでに冷静だった。両親でさえ、微動だにしない。彼らの関係を知らないザインとアインだけは、その運命の惨さに、息を飲んでいた。浮かれていた空気は、完全に消え失せていた。
シードがその周囲に気がつく。サブジェイとレイオニーは、頭が真っ白になっていた。
「知ってたんですか」
誰を責めているのか解らない。だが確実に全員に突き刺さるシードの声。バカにされた屈辱のようなものが満ち満ちていた。
「クソヤロウ」
ルークの罵りが、シードの耳に届く。しかしルークの言うとおりだった。シードはムキになり、ドライ達を一周に睨み付ける。それからジャスティンを引き寄せ、抱きしめた。
「皆に何かがあったということは、察します。ですが!」
シードはジャスティンのア肩をぐっと引き寄せて、自分の感情を抑える事が出来なくなっていた。
「おいおい。シリアスになるのはいいけど、誰も反対なんて言っちゃいねぇぜ」
シードが一人空回りしそうな瞬間、ドライが軽さで、シードの心に張られた結界を打ち砕く。少々複雑な、大人達の事情はある。だが、彼らは、愛する者と引き離されるつらさ、会えない切なさを、身体の内から引き裂かれそうなほど味わっている。その痛みを知っているドライ達が、彼らを引き離せるわけがない。むしろ守ってやりたいと思っている。
「セシル」
ドライが妹を引き寄せ、自分の膝の上に座らせる。そして、彼女の痛みを拭ってやるように、ギュッと抱きしめ、頬と頬で温もりを伝えた。それは、「許してやれとは言わない」ではなく、もう許してやれとハッキリ言っているのがセシルには解る。ドライの温もりが、「俺が居るだろう」と強く言っている。それは同時に、ブラニーとノアーが、自分たちと同じであることをセシルに再認識させる。
「さ、楽しくやろや」
ドーヴァが言うと、重い空気が、次第にその場から去り始めた。
「で、今日は何の騒ぎだ?」
ルークは、不服そうにものを訊ねる。
「なにって、オメェ……。何だっけ?」
ドライがぼける。何だ彼んだ言い持って、彼も相当緊張していたのだ。こう言うときは自然にオーディンの方に顔が向く。
「言うなればレディーがお目出度だということと、シードとジャスティン、二人の婚約披露と、言ったところだ」
「だっただった!」
ドライが思い出して、手鼓を、ポンとうつ。だが、ルークから見たこの男は、相変わらずというイメージはなかった。もっと以前のドライは、笑っているようで、どこかで欲求を満たしきれていない、ギラツキを持っていた。二十年前と比べても更に穏やかになっている。ただ、そのいい加減さは相変わらずだ。
ドライはセシルを膝から降ろし、彼女をポンとドーヴァに返す。立ち上がり、空いている椅子を、ルークとブラニーの前置き、何事もなかったように、シードとジャスティの間に入り、彼らの肩を抱く。
「別にオメェ達に、どうこう言うつもりで、隠してた訳じゃねぇ。それだけは、解ってくれ」
ドライはそれだけを言うと、二人から離れ、ローズの側へと戻る。
その夜は、それ以上の盛り上がりはなかった。ルーク達が側にいるせいでもある。だが、ドライがシンプソンに視線を配ると、彼は穏やかに頷く。二人のやり取りを見た周囲は、ルーク達、ザイン達、子供らを除き、それぞれに視線を交わしあった。
「ルーク。今夜は家に泊まっていきませんか?」
シンプソンは、軽い様子で誘う。ルークはチラリとブラニーを見る。
「是非、御邪魔させていただきます」
ブラニーが親愛の情すら感じる暖かな口調で、丁寧な返事を返す。そのブラニーの表情は、娘のジャスティンでさえ、滅多に見られない。シンプソンを見つめるブラニーの目は、懐かしい恋人を見ているかのような錯覚さえ、感じさせた。シンプソンは視線を逸らさない、彼もまた穏やかな視線を彼女に返した。
「さ、これ以上の長居は、ローズにも負担をかけますから、帰りましょうか」
シンプソンは席を立ち、ノアーの手を取る。そして互いに握りあった。そしてゆっくりと歩き出す。
「ほな、今日はコレでお開きやな!」
ドーヴァがポンというと、それが本当に合図になり、オーディン夫婦も、シード達も歩き出す。ザイン達も歩きだした。その中でレイオニーだけが、ポツンと残った。サブジェイがそれに気がつき、すぐに駆け寄り、レイオニーをギュッと抱きしめた。正面に向かいあった二人は、長めのキスを交わしはじめる。ドライはジーッと眺めている。その視界の中に、父親の怒りを露にしたオーディンの顔がチラリと此方を向く。それを見たドライはニヤッと笑う。息子と、娘を持つ父親の差だと、変な優越感を感じたドライである。
「あん!」
レイオに可愛らしい官能的な声が一つ入る。サブジェイがレイオニーの腰に回した手をざわめかせている。
「こら!ヤルんなら部屋でやれ!」
二人がビクリとする。
「な!オヤジ何見てんだよ!」
ドライは、顔を真っ赤にして怒っているサブジェイの向こうを指さす。オーディンはレイオニーの一声で、完全にこっちを向いてしまっている。殺気さえ感じられるオーディンの睨み。
オーディンから見た二人の仲の接近は急なものに見える。確かに急接近だ。しかし二人が仲が良いのは前からだ。それがランクアップしたに過ぎない。と、言うのはドライの見た目だ。
「オーディンさん!俺!レイオいただきます!」
サブジェイの大胆な一言だった。レイオが完全に沸騰してしまう。
「ダメだ!」
オーディンの一喝が飛ぶ。巫山戯る余裕もないようだ。尤もサブジェイは本気である。オーディンがカンカンになることほど、ドライにとって面白いことはない。悪い虫が疼きだし、彼の顔をニヤつかせる。ドライはその顔を取り繕い、笑いをにやけた口元だけに集める。
「レイオ。今夜は帰れ」
オーディンに聞こえるように、だが、不自然でない大きさの声で言う。レイオニーの肩をトンと叩き、オーディンの方に彼女を突き出した。レイオニーは、前のめりになりながら数歩進む。
「お休み」
最後に少し残念そうに微笑みながら、小走りに両親の方へと向かう。ドライはオーディンが、サブジェイを警戒しながら、家に入るタイミングを見計らい、サブジェイの肩に手を乗せた。
「その気なら、昼でもいいじゃねぇか」
息子を嗾けるようなドライの一言だった。
家に戻るなり……。
「なぁローズ。俺達の一発目って、確か、昼か夕方だったよなぁ」
「なに?外でこそこそやってると思ったら、帰ってきていきなりぃ」
さすがのローズも少しか照れが入っている。忘れていない証拠である。劇的な愛の始まりでもあった。
「いいよ別に……」
サブジェイは母親と父親の初体験談など、別に聞きたくはない。背中を向けて、部屋に戻ろうとするが、ドライが首根っこをしっかりと捕まえている。
「確か、ドライ大怪我でねぇ、ふふ。あの時ねぇ、あんなにシビレたことなんて、それまで無かったわぁ、『お前のその一途さがいい』なんて!もうやだぁ!」
照れまくって、ローズは、ドライの背中をバンバンと叩く。サブジェイには話の繋がりが見えないが、解ったことは二つある。一つは、時、場所、きっかけは、二人次第であるということ。もう一つは、オーディンの目を盗んでしまえという、非常に道徳的でない教えである。
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