第2部 第1話 §6

 ドライが目を覚ましたのは、翌日の朝だ。


 「目が覚めたのですか?」


 ドライの目の前にいるのは、ノアーだ。殆どの者が精神的に途切れてしまい、シンプソンの家で眠りについている中、彼の様子を見守っていたのは、彼女だった。


 「ローズは?」

 「大変だったのよ。気が違いそうな程泣き叫んで……、貴方が命をとりとめたのを確認すると、気絶してしまったわ」


 彼は自分が生きているのか死んでいるのかなど、あえて口にはしない。一度死んだ経験がある。その二者の違いは明確に知っている。ドライは、この時、ふと昔のことを思い出す。


 「あの時、思い出すなぁ」

 「あの時?」

 「飛空船」


 ドライが、懐かしそうにぽつりと呟く。


 「ええ、そうですわね。そう言えばあの時も、こんな感じでしたかしら?ふふ、縁起でもありませんわ。ローズを起こしてきましょうか」

 「いや、寝かしておいてやってくれ」

 「その必要は、ないわよ」


 ローズが部屋に入ってくる。目が腫れぼったくなっている。だが、今は笑顔だ。本来自分がすべきコトを、ノアーがしてくれていたので、座っている彼女の肩を軽くトントンと叩く。すると、ノアーは、席を立ち、部屋を二人に譲る。その頃、ドーヴァは、その報告をオーディンにするため、街の外へ向かっていた。


 「あかんわ。すっかり寝てもた」


 ゲートを潜るドーヴァ。


 「ドーヴァさん。ドライさんの様態は?」


 ゲートを守護する兵が、ドライの様態を聞く。


 「一命は取り留めた。ま、数日もすれば、元気んなる」


 と、ゲートを潜ったドーヴァは、大体オーディンが居そうな方角を目指し、鬱蒼と茂る森の中を歩いて行く。それから暫くして、肝を潰しそうな顔をしているオーディンを見つける。


 「おったおった!」

 「ドーヴァ」

 「大丈夫。何とか助かったわ」


 と、気の抜けた大阪弁で、オーディンに最終報告をする。たちまちオーディンの顔に、安堵感が溢れる。


 目を覚ましたローズは、他の眠っている面々に変わり、ジャスティンを送ってやることにした。彼女の身の潔白を証明するためと、礼をするためだ。いや潔白ではないのだが、ローズには知るよしもない。


 その行きがけ。


 「あの……」


 一人緊迫感のある息詰まった声を出すジャスティン。


 「ん?」


 かなり遠慮気味なジャスティンに気遣い。優しい返事を返すローズだった。


 「ドライさんて、どんな人なんですか?」


 ローズのような女が、父の命を狙っている男の妻だとは、どうしても考えられなかったのだ。レッドアイとしての先入観だけが、異常に強い。


 「どうして?」


 嫌悪感のあるジャスティンの質問に、軽い疑問を持つローズ。ただ、興味があると言うだけの質問ではないのは、何となく解ることだった。しかし、声にはジャスティンへの警戒感は感じられない。


 「こんな言い方、失礼だとは思いますけど、何だか暴力的なヒトそうだなって……、すみません!私何言ってるんだろう」

 すぐに、自分が言っていることが、とんでも無く失礼であることに気がつく。しかし、である。


 「鋭い!よく目下のヒト殴ったり、罵声浴びせたり、酷い冗談したりするわ。洞察力あるわねぇ」

 「はぁ……」


 予想だにしなかったローズの反応に、ジャスティンは彼女の神経を疑ってしまう。そう言えば、出逢ったときから、何となく神経の図太さが伺える。ドライが死にかけたとき以外は……。


 「でもねぇ、みんなそれを悪く思ってるヒトって、少ないの。そんなときのドライは、まるで出来の悪い弟たちと、遊んでるみたい」

 と、言ったローズの横顔は、至福に満ちている。しかし、一寸した嫉妬も入っている。


 「でね!その中で、ドライの一番の親友でオーディンだけは別!まるで兄弟みたいで……。ドライは対等のつもりでいるけど……、でも彼奴基本的に、単細胞だから」


 と、聞かれもしないドライの人間関係まで言うローズだった。それに、ドライに対して酷い言いようである。一つだけジャスティンに解ったのは、現在のドライが、ただ残忍な男ではないという事実である。ドライの悪口を言っているローズは、すかっとした顔をしている。今頃嚔でもしているかと思うと、おかしくて仕方がないといった顔だ。


 「レッドアイって知ってますか!」


 次に出たのはこんな質問だった。さすがのローズも、動きを止める。彼女の若さでこの名を知っているのは、不自然だ。赤い目の狼の伝説は、二〇年前にとっくに途切れている。


 「なるほどね。何故知ってるかは聞かないけど……。確かにそう言う彼奴も居たわ。昔ね。戦いと女を生き甲斐にして、それ以外には無感動無関心。でも、彼奴は変わったわ。一人の女を愛することを知って、強くなって優しくなって、友を得て、明日を知って、今日を大事にするようになったわ。その人に伝えればいいわ、もうドライは、金のために人を殺さないって」


 ローズはジャスティンの肩を抱いた。移民である以上、それぞれの事情がある。それを忘れて暮らせる街にするのが、シンプソンを始め、自分たちの夢だ。だから、彼女のことは聞かない。聞ける権利があるのは、彼女と一生を共にする者だけだ。ローズはそう考えていた。


 「うん」


 ジャスティンは、時間は人を変えるのだということを知った。


 「ここです。家が出来るまで、ここで寝泊まりしています」

 「へぇ、お金持ちなんだ!いこっか!」


 なかなかのホテルに宿泊していることに、ローズの声は感嘆に溢れた。事情はともかく、彼女が金銭的に困ってい訳では無いのは良いことだと、ローズはウンウンと頷く。


 「ハイ」


 ホテルに入り、スイートルームのドアが、転々とある廊下を歩き、その中でも端の方で日当たりの良い、スペシャルルームのドアを開くジャスティン。


 「ただいまぁ」


 申し訳なさそうな頼りない声を出しながら、そーっと中へ入って行くジャスティンだった。ローズは許可がでるまで、扉の外で待つことにする。


 「ジャスティン!心配したのですよ!」


 案の定母親らしき人物の、彼女を叱りつける声が聞こえる。


 「ブラニー、そうカリカリするな。比奴は俺達よりよっぽど、しっかりしてる。で、シードって奴に、ちゃんと女にして貰ったのか?」


 普通では考えられない父の突っ込み。


 「ヤダ!父さんのエッチ!」


 時間こそ違うが、図星だったため、ジャスティンの声は必要以上に焦っている。ローズは既に、硬直していた。忘れることの出来ない男の声だ。


 「そうじゃなくて、私人助けに協力したのよ。ちゃんと証人もつれてきたんだから!」


 部屋の中で隠っていたジャスティンの声が、鮮明になりながら、ローズに近づいてくる。そして、ローズの手にジャスティンが触れた瞬間、ローズは正気に戻ることできる。


 「ローズさん。お願い。父さんたら、エッチなコト言うのよ」

 「ええ、そうね」


 強ばった顔を笑みで隠そうとするローズだったが、自分の内側で湧き出る黒い感情は、押さえられそうにはなかった。ジャスティンは、自分の両親に彼女を会わせたくて仕方がない。だが其処には人間関係の苦手な両親に対する気遣いがどことなくあった。ローズなら華を咲かせてくれるのではないか、そんな期待が、ジャスティンの手からローズに伝わる。


 「父さん!母さん!この人なのよ。とても親切にもしてくれたし、それに凄く綺麗な人なのよ!」


 ジャスティンがローズを引き入れてすぐ、和やかだった雰囲気が、張り裂ける寸前の風船のような、張りつめた雰囲気になる。言葉を交わす者など居ない。ルークは取り乱し、ソファーから立ち上がるが、それ以上は動けない。ブラニーが、一歩遅れて立ち上がる。二人とも解っていたのは、これ以上余計な動作をすると、ジャスティンがどうなるか、解らないということだった。


 「どうしたの?みんな」

 「ジャスティン!その女から離れろ!!」


 ルークが駆け足でその一言を言うが、ジャスティンには理解できない。そしてルークの声に反応したのはローズだった。普段から持ち歩いている護身用のナイフを取り出し、右腕でジャスティンを背後から抱くようにして、彼女を引き寄せ、左手に持っているナイフをの刃を首筋に押し当てる。微動すると切れるという、微妙な力加減であった。プロとしての彼女の腕は、衰えるどころか、更に磨きが掛かっていた。


 「おひさしぶりね。ブラニー、特にルーク」

 「ローズ……さん?」

 「お黙り!一寸の間黙ってないと、殺すわよ!」


 殺気を尖らせたローズの牙は、ジャスティンにも向けられた。ルークとブラニーは、何の手だてもない。青ざめた二人が、ローズの目に飛び込み続ける。


 「俺の命が欲しいなら、それでも良い!だが、娘とブラニーは!頼む!」


 言葉はそのまま、彼の本心として伝わった。人は変わるのだ。そう、何かのきっかけが、時の流れに乗った瞬間、彼を変えたのだ。ドライと同じなのだ。


 「勝手なコト言わないで!」


  張り裂けんばかりのローズの声。それがジャスティンの耳元で響き、彼女は恐怖と驚きで肩をすくめる。ローズのすさまじいところは、このジャスティンの硬直を瞬時に感じ、ジャスティンの首筋を傷つけないように、僅かにナイフを遠ざけるところだった。


 「頼む!」


 ルークひやりとしながらも、ほっとしながら、それでも緊張の糸が途切れず、ローズとの対立が極限状態を迎えたように見えた瞬間。


 「こんな良い娘、殺せるわけないじゃない……」


 ローズは、ナイフを落とし、ジャスティンをギュッと抱きしめると、我が娘にキスをするように、彼女の頬にそうする。声は悲しげだった。だが、涙は流れていない。


 気の抜けたルークが、ドスンとソファーに腰を落とす。


 ジャスティンは恐怖に震えていたが、同時にローズが悲しみに震えているのが分かった。葛藤している感情に震えてどうにかなってしまいそうなのが、目一杯自分を抱きしめる彼女の両腕から伝わってくるのだった。

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