第2部 第1話 §3
暗くなった町並みには、その時間帯に相応しい人間が出没し始める。その殆どは酒場などに向かうのだが、それと同時に、警察の方も動き出す。治安の良い街だが、酔っぱらいの喧嘩だけはどうしようもない。景気が良いためか、この街で自暴自棄になり、街を荒らす人間はそれほど見られない。が、やはり女性を一人で帰すのは、非常にまずい。男失格である。しかし、会話がない。シードがすっかり困ったときだった。
「今日は、本当に有り難うございました。あの……」
礼を言ったジャスティンだが、その後に何か付け足して言いたそうだが、遠慮がちに語尾を濁してしまう。
「どうしたんです?」
遠慮は無用と言いたげな、シードの笑み。
「父が刀を所持していたのですけど、ゲートで、違法だからと言われて、没収されてしまったんです」
「刀ですか。そればかりは、いくら僕でも……すみません」
「そうですか、父が長年大切にしていた刀だったんですけど……」
「……」
がっかりとしたジャスティンだった。シードは何も言えなくなってしまう。だが、方法がないわけでもない。それは、防衛隊に入隊することだが、それでは、まるで交換条件である。
この街の基本理念は、安住を求めてきた者を拒まないことである。そして、弱者も安らげる街であることである。彼女の父親が、過去どの様な生き方をしたかは問題ではない。これからどうするかが問題であるが、一度も顔を見せないことから、大体の察しはつく。盗賊か、賞金稼ぎか……。しかし彼女を見ると、盗賊の娘という雰囲気はない。直感でもそれが解る。恐らく後者の方だろうことは、既に理解できていた。
「ココです」
其処は、ホテルだった。趣から二流ではない。いや、間違いなく一流だ。シードは入ったことがある。しかも最上階のロイヤルスイートだ。破格の値段であった。
「はぁ……」
恐らく其処までの部屋は、取らないだろうが、それでも、三日で一般人の月収が飛ぶホテルには違いない。と、大体彼女の父親の稼ぎっぷりが伺える。
「それじゃ、有り難うございました」
「ああ!何か他に困ったことがあれば、いつでも来て下さい!コレも何かの縁です」
と、思い出したように言葉を付け足すシードだった。そのときのシードの微笑みはなんとも、穏やかでまるで聖人のようだった。振り向きがちに、微笑みながら大きく手を振りながら去って行く彼の姿が、なんとも言えず清々しいのである。
そういう誰でも受け入れる懐の深さは、シンプソン譲りと行ってもよかった。
人の暖かみに、触れることの出来たジャスティンは、その夜、今までにはなかった安らいだ夜を過ごすことが出来た。
刀を所持することを許されたサブジェイ。単位を取ったからと、興味を示さなかった剣術の授業に出席していた。背中には、彼の愛刀、燻し銀に光るスタークルセイドを背負っている。ロングソードだが、剣の質量は並ではない。重いのである。それが彼のしっくり来る重さだった。制作者は、セシル=シルベスター・シュティン・ザインバーム。ドライの妹である。彼女は既に錬金術を極めていた。
彼女が錬金術師として覚醒し、その兆候を示したのは、シルベスターとクロノアールの事件から、大凡一位年ほどであった。彼らは各々、それぞれの分野でその特質を見せ始めていたのだ。
サブジェイは、同級生相手に、たまった鬱憤を存分に晴らしている。鬱憤とは、ドライやオーディン、それにドーヴァの扱きである。だが三日もすると、それも物足りなくなる。彼が求めている剣術とは、そういう低い次元のものではないのだ。
もっと手応えのある相手でなくてはならない。
そんな日の夕方。ジャスティンは、再びシードの家の前に姿を表していた。遠慮気味に呼び鈴をならすジャスティンだった。
「ハイハイハイ!待って下さい」
と、慌てて玄関に姿を表したのは、自炊姿のシードだった。片手にはフライ返しなんか持ったりしている。
「や、やあ!どうしたんです?!何か相談事でも……」
慌ててエプロンを外し、フライ返しを背中に隠す。彼自身、あまり格好良いとは思っていないようだ。正直似合ってはいない。
「あの……、その……」
「ああ、話なら中で聞きます。今食事の準備してたんですよ」
と、キッチンに行った二人だが、其処にあったのは、お世辞にも上手とは言えない料理だった。彼はコレを見られるのが尤も恥ずかしかった。ローズが来ていたわけが何となく解る。
「申し訳ない。料理はあまり得意じゃないんですよ」
苦笑いをして誤魔化しているシードだった。
「で、どうしたんですか?」
「その、住宅なんですけど。私、教養無いから、その手続きが解らないんです」
と、しょんぼりしてしまったジャスティンだった。何となく浮いていた雰囲気のシードだったが、彼女のその一言を聞いて、表情を一変させ、椅子に腰掛ける。そして、暫く考える。
「そうですか。一寸待っていて下さい」
シードは、そう言って立ち上がり、暫くして複数の書物を抱え、再び戻ってくる。
「それは?」
「コレは、この街の立法書ですよ。こんな複雑な物を、街の人が全員知っているわけではありませんが、知っておいて損はないという物ですか?コレを全て勉強するのは至難の技ですが、基礎だけなら。教えてあげますよ」
そう言って、ニコリと微笑む。もちろん一般市民がそんな複雑な知識など必要であるわけではないのだが、まさに知っていて損はない知識なのだ。
些細なことでも、行き詰まるより、自部で解決出来たことに越したことはないと、ちょっと飛躍したシードのお節介でもあった。
ジャスティンは、読み書きは出来るようだが、街の人間なら誰でも身につけることの出来る一般知識を、持っていなかったのだ。特にこの街は、誰でも受け入れる反面、その部分が複雑化しているのは否めない事実だった。
「ああ、それからですね……」
彼は、ジャスティンの真後ろを指さす。其処には、ルークの所持していた剣があった。
「コレは、父さんの……」
「ええ、美術的価値が高かったものですから。美術品としての保持なら、良いだろうと。ただし、持ち歩けませんけどね」
サラリと流すシード。何かの縁というやつで、彼は済ましてしまったらしいが、感極まったジャスティンは、彼の首に飛びつくように思い切り抱きついた。
「有り難う!」
「ちょっと……」
本当にピッタリとくっついている。柔らかい感触が、しっかりと感じ取れてしまう。シードは少し腰を引き気味にする。心身ともに決起盛んな次期なのだ。
「ご、御免なさい。だって、こんなに優しくされたの、初めてだから」
本当に嬉しそうに、目をウルウルとさせている。彼女自身に優しくしてくれる人間は少ないとは言えなかったが、ココまで丁寧に付き合ってくれる人には、まず出逢わなかった。対人関係の苦手な両親がネックになるのだ。
彼女が全くの素人なため、一日というわけには行かない。その日は、この街の情勢に関する色々な話をした。立地条件や、各地区の治安、それから、地価。当然、セントラル地区が尤も地価が高い。などの話をしていると、時間が過ぎゆく。もちろん彼女を送ることにした。そして、ホテルの前まで来る。
「それでは、明日の六時には帰ってますから」
「解りました『先生!』」
昨日のシードと同じように、大きく手を振り、同じように手を振りながら去ってゆくシードを、ジャスティンは見送り、それからホテルの中へと戻ってゆく。
そして剣を持ったジャスティンが、声を弾ませ部屋に戻る。
「ただいま!」
「随分遅かったですね。何かあったのですか?」
と、母になったブラニーが、娘の身を案じる。
「自棄に嬉しそうだな。良いことあったのか」
と、逆の反応をするルーク。彼は、もちろん彼女を娘として愛している。ブラニーは心配するが、彼女が自分たちよりしっかりしているのは、明白な事実で、彼は既にそれを認めている。娘の行動に全幅の信頼をおいていた。
「じゃーん!これ!」
「それは俺の……」
「うん。シードさんて言う人が……」
彼女は、しきりにシードのことを言っていた。彼がこうしてくれたとか、彼がどうとか。逐一嬉しそうな顔をしている。気丈な彼女だが、こんな明るい笑顔は、ここ数年見たことはない。それが心からのものだと解る。夜も更け、ルークとブラニーは、ベッドを共にしていた。二人には互いしかないため、その愛の安定感は、娘から見て絶対的なものがあった。二人が仲の良いことは、ジャスティンにとって、小さな幸せの一つだった。
「取られちまうのかなぁ……」
「まぁ、ルークったら」
それが今夜の二人の最後の会話となる。
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