第1部 第10話 最終セクション

 それから、何十日か経つ。

 漸く整理された山道を一つの駅馬車が行く。


 「ほう、この道も随分整理されたんだな、あの時は人間が漸く通れる道だったというのに……」


 その馬車には、オーディン、そしてニーネの二人が乗っていた。窓の枠に肘をかけ外の森を懐かしそうに眺める。


 「あとどのくらいで、村に着くのですか?」


 ニーネは正直なと所、数ヶ月に渡る長旅で疲れきっていた。だが、そんな様子をオーディンに見せないように、空元気を出す。


 「大丈夫、この様子だと後、三、四時間と言ったところだ。少し眠っておいたほうが……、む!御者!馬車を止めてくれ!!」〈やな気配だ。賊だな……〉


 なんとも言えないいやな視線を感じるのだ。粗暴で残忍な野党独特の気配といったところだ。


 「どうしたのですか?」

 「なに心配はない、隠れていろ」


 オーディンは、馬車を止めた後、足早に車外に出て、周囲の気配に視線を配る。樹木の向こうから数人がこちらを覗いているのが解る。


 「だんなぁ、最近この向こうの村に移る人間が多くなって、それを狙う山賊が出るってもっぱらの噂なんだ。まさか其奴等じゃ……」


 御者が高い位置からオーディンを不安そうに見つめる。


 「君もどこかに隠れていた方が良い。さぁ隠れているのは解っているんだ!出てこい!!」


 オーディンが勇ましく叫ぶ。御者の話を聞くと、ますますこのまま放っておけなくなったのだ。ニーネに血を見せるのはイヤだが、この後此処を行き来する人々のことを考えると、始末した方が良策だと考える。オーディンに存在を知られた賊共が、続々と姿を現す。それを見てから彼も、ゆっくりと剣を抜く。ニーネが不安そうにオーディンを見つめていた。


 「見ろよ!彼処に美味そうなスケがいるぜ!!」


 賊共はこういう目が異常に鋭い、ニーネの存在が知られた以上、手っ取り早く片付けなければならない。何をされるか解ったモノではない。


 と、その時だ。遠方から何本ものナイフが正確に盗賊共を捉えた。


 「誰だ!!」


 狼狽える山賊達。それにしても見事なコントロールだ。皆急所を貫いている。


 「オラオラオラァ!!その首いただいたぁ!!」


 吠えるような男の雄叫び。


 「やべぇ、賞金稼ぎだ!ズラカレ!!」


 その声に怯え、残りの山賊共は蜘蛛の子散らすように、逃げ去って行く。レヴェルとしては大した連中ではないようだ。それよりその声の主が気になる。


 「よぉあんた達、怪我ぁなかったかい?」


 彼はすぐ近くの木の上から、身軽に飛び降り、彼等に近づく。


 「あ、ああ……、まさか……どう言うことだ。目の錯覚か……」


 その男の容姿は、ドライそっくりだった。いや、ドライそのものと言った方が良い。以前彼の左の顔を縦に横切っていたあの傷まである。何より瞳が赤い。しかしその男は現実に其処にいる。足もあれば陰もある。彼自身は、本物だ。


 「どうしたんだ?俺の顔に何かついてんのか?」

 「ドライ。本当にドライなのか?」

 「何で俺の名前しってんだ?アンタなにもんだよ」


 彼は、オーディンを不振に思い、背中の剛刀を抜こうと構える。オーディンから見て、目が警戒しているのが、解る。


 「え?ドライ!まさか!貴公は私の顔を忘れたのか?!悪い冗談は止してくれ!!」


 この間、ニーネはまだ警戒して、馬車の中から二人の様子を覗いている。オーディンが男の襟元を掴んで異常に興奮してるので、余計に不安に思った。


 オーディンは、何とも悲しくて悔しそうな表情をして、今にも泣きそうになり、目で訴えてくるのだ。


 「ああ、悪い冗談だ」


 そういって、真面目になっているオーディンを、上から見下ろして、ニタリと白い歯をこぼす。興奮していたオーディンの頭がその言葉で真っ白になる。言っていることが解っているだけによけい混乱した。


 「あ!ああ、貴公私を担いだのか?!」


 時間の動き出したオーディンは、より一層逆上して、さらにドライの襟元を釣り上げた。ニーネから見てこんなにムキになっているオーディンは初めてだった。不思議な光景を見ている気がした。

 ドライは何も言わず、ずうっとオーディンをおちょくった笑いを浮かべている。


 「バカヤロウが!!」


 オーディンは掴んでいる手を離し、ドライの首と脇の下から手を通し、友に力一杯抱きついた。その感触は確かに生きている人間のものであり、本物のドライだった。


 「よ、よせよ!何時からその趣味に走ったんだ?」


 ドライは照れ臭そうに、それをほどこうとするが、オーディンは離れてくれようとはしない。


 「バカヤロウ!」


 オーディンには、ドライが何故生きているのかなどということは、どうでも良かった。そしてそんなことを考える余地はない。

 こんな二人が敵同士でないことを理解したニーネは、二人の側による。


 「オーディン?」


 彼女のその声で、オーディンが漸くドライから離れ、落ち着きを取り戻す。そして少しの間ニーネのことがすっかり頭から消えていた彼は、再び彼女に抱きつく。この喜びを彼女にも伝えたかった。理解不能な彼女は、ただただ吃驚だ。人前だという恥ずかしさもある。


 「おいおい、誰だよその超美人は?」


 ドライの興味は、既にニーネに向いていた。ローズとは違った淑やかで上品で高貴なオーラが珍しかった。野次馬的にニーネの顔を伺おうとする。


 「ああ、済まない。彼女は、ニーネ……」

 「ニーネ=ハルケットです。あなた様は?」


 オーディンが紹介しようとしたとき、ニーネが自分から進んで、ドライに手を差し延べた。握手を差し延べられたドライは、そのほっそりしたニーネの手を引き寄せ、顔をギリギリまで近づける。神秘的なドライの瞳に、ニーネは無礼を感じるより、思わず赤面してしまう。それから、ほっぺにキスされてしまう。


 「あ!」

 「こらドライ!!レディーに言いつけるぞ!!」


 オーディンは真剣に剣を抜きそうになってしまった。


 「へへ、アンタがニーネか……、なるほどなぁオーディンが、固執するわけだ」


 ドライはじーっとニーネの目の奥を覗き、わざわざオーディンに対して意地悪な態度をとってみせる。


 「なぁ、オーディン、彼女俺にくれよぉ」


 ドライはどさくさに紛れて、ニーネの背に自分の胸をくっつけ、彼女の肩辺りに腕を回し、オーディンにその姿を見せる。ニーネとしては、本当なら許せないこの男の行動だが、その見掛けに寄らない抱き方の柔らかさから、思わず気を許してしまった。馴れ馴れしいが身の危険も感じない。


 「ば、ばば、馬鹿を言うなぁ!!冗談にもほどがあるぞ!」


 オーディンの剣の鞘から青い刀身が見える。

 こんなにオーディンを取り乱させる男が居たのかと、おもしろおかしくなって、ニーネはぷっと吹きだした。ドライの腕の中で、クスクスと笑い出す。ドライは、こんなニーネをますます気に入った。


 「なぁ、今度デートしねぇか?」


 ドライが上からニーネの顔を覗き込んだ。


 「ええ、良いですわよ」


 ニーネも冗談混じりにそういう。オーディンから見て、二人が何ともいい雰囲気で見つめ合っている。


 「ニーネ!気を許しすぎだぞ!!」


 今度は完全にムッとしている。するとドライも、からかうのを止め、腕をほどく。ニーネもスッと其処を抜け出し、オーディン左肩に両手を乗せ、彼の頬に飛びつくようにキスをする。


 「あ、俺はドライ=サヴァラスティアだ!ドライでいいぜ!!」


 ドライを加え、三人は、馬車で揺られ、孤児院へと向かう。それの行き先は互いに聞くまでもない。ドライは、オーディンからニーネは死んだと聞かされていたが、現に生きている。その奇跡の軌跡を訊ねた。そしてその偶然な結末に、ガッカリした。


 「もっとハラハラドキドキもんかと思ったぜ!!まオメェに関しちゃ、良く生きてたな」

 「人の幸せを壊す気か?よくよく考えれば貴公こそ、生きているのが怪しいぞ!!種明かしをしてもらおうか?」


 下から睨み上げるようにして、ドライを怪しみ、探偵紛いの推理をしそうな雰囲気で正面のドライを見る。ドライは話すのをめんどくさそうに、はぁっとだらしなく息をはく。


 「うーん。まいっか、二度手間になっちまうが……」


 それは、島が爆発をした直後だった。ドライがふと目を覚ますと、其処は何もない砂漠の真ん中だった。やたらと暑いせいで、目覚めたのだが、自分にハッキリとした意識があること自体を変に思い、目を開いた。其処には真上から見下ろすシルベスターが居た。一瞬地獄かと思った彼だが、それにしては生ぬるいし、天国にしては殺風景すぎる。すぐに其処が現実の世界だという事に気がつく。


 「テメェ!生きてやがったのか!!今度こそケリつけてやる!!」


 ドライは隙さず立ち上がり、剣を抜き、闘志と殺気をを剥き出しにする。その時、身体妙に軽いことや、変な話、自分に生命力を感じた。


 「愚か者め、漸く気がついたようだな」


 シルベスターはドライとは逆に、戦意も闘志もない。ただ自分に戦意を剥き出しにしていたドライを小馬鹿にする。ドライも直に矛先を地面に着ける。


 「おい、これはどう言うことだ?!」

 「お前の肉体を、機械から生命に満ちた肉体に変えることなど、造作もないことだ。それに私も死んだ覚えはない。意識はずっとあったぞ」


 全てに狼狽えているドライに、シルベスターは、ずっと笑いっぱなしだ。何だか彼の様子が変に思えてしまうドライだった。神妙な顔をして彼の行動を観察する。


 「『理解できない』といった顔だな。安心しろ。もうお前達を殺そうとは思っていない」


 本当に穏やかな顔つきをしたシルベスターだった。自らの子孫をいたわる気持ちで溢れている。


 「なんでだ?」


 やはりドライには、その変わりようが理解できなかった。ただ自分も戦意を持たないことを示すために、剣を背中の鞘に収める。


 「お前が、肉体を失った苦痛に耐えてまで仲間を助けた心、人間としての心、確かに受け取った。いつかは解らぬが、次なる異変まで私も眠ることにする。ではサラバだ……それと、勝手に死ぬことは、許さぬ。肝に銘じておけ。わかったな」


 それだけを言うとシルベスターは姿を消した。


 「って、おい!此処何処だよ!!」


 ドライは広がるだけの砂漠のど真ん中で大声を出した。


 「って、訳でよぉ、あんときゃ焦ったのなんのって……、帰ってくるのに時間かかっちまった。で、さっきの記憶喪失の手、ローズに使ってやろうかなと思ってたら、偶然オメェが見えたんでテストしてみたんだ。イカスだろ?」


 彼なりに、みんなを驚かせて、尚かつ喜ばせようとしているみたいだ。その感想をオーディンに求める。


 「悪趣味も良いところだ!!」


 だが、オーディンもニーネという存在を手紙には記さなかった。規模は違うがやろうとしていることに、あまり違いはない。自分のことを棚に上げて、ドライの耳元で大声を張り上げて怒るオーディンだった。


 「ナイスだと思ったんだけどなぁ。でもよ彼奴が一番喜ぶ瞬間見てぇんだ。解るだろ?」

 「でも愛を測るために、その様なイタズラは、感心できませんわ」


 何とかしてローズの喜ぶ顔を見たいドライの気持ちは良く解る。オーディンもニーネも、互いが生きていることを知った瞬間は、天と地がひっくり返っても良いと思ったほど嬉しかった。でもニーネは、あまり感心しない。女性の心理だ。


 「うーむ……、解った。記憶喪失の手は駄目だが、私達がみんなと喜び合っているところに、貴公が馬車から出てきて盛り上げるというのはどうだ?それなら一度レディを落胆させることはないし……」


 「まぁ!オーディンまで!!でも……良いかも知れませんわね……」


 ニーネにはローズの姿が思いつかなかったが、ドライと女性の陰が感動の再会にヒシヒシと抱き合っている姿が目に浮かんだ。害のないイタズラなので許すことにした。


 その日は、ローズが孤児院を出て行く前日という、シンプソン達にとっては、ヤキモキする日であった。春先というにはギリギリの季節だ。にもかかわらずオーディンは、今だ来ない。このままではローズがオーディンの生存を知らずに旅立つことになってしまう。


 庭先で子供達が時間を惜しむように、ローズに甘える。それを遠目で、シンプソンとドーヴァが肩を並べ、壁にもたれながら立っている。


 「どうすんねん……、オーディンけえへんやないか……、ガキ共も、よう口滑らせへんかったで、今考えると、ゴッツイ嘘やで」


 と、変なところで感心するドーヴァだった。


 「ええ、みんなオーディンを信じてるんです。でもこの嘘は、もう限界ですね。夕食の時に話しましょう」

 「そのほうがええな」


 あの時は、季節外れのサンタクロースのような気持ちでローズを驚かせようと、純粋な気持ちだった。だが、こうなると解っていれば、もっと早く伝えるべきだったと後悔してしまうシンプソンだった。ドーヴァも何となくばつが悪い。


 溜息一つ横を向いて、村の小道の向こうに茂る森を眺めるドーヴァ。すると、最近この村にも来るようになった駅馬車が、駅に止まらずこちらに向かって来るではないか、不審すぎる。


 「メガネはん、あれ何でこっちくんねん」


 指でつつくように、その不審物を指す。


 「駅馬車ですか……、確かに変ですね、駅に止まらず屋根に山ほどの荷物が積んで……、あ!!」


 シンプソンはピンとくる。彼のこういう時の感はずば抜けて当たるのだ。そして口に両手を翳し、馬車に向かって走り出し、全力で叫ぶ。


 「みんな!オーディンだ!!オーディンが帰ってきたぞ!!」


 ドーヴァはその声に一瞬、頭がクラクラ来たが、慌てて、中にいるセシルとノアーにその事を知らせに行く。


 オーディンが生きていることを知らないローズは、訳も解らず子供達に手を引っ張られ背中を押されながら、馬車に連れられて行く。


 向こうもこちらに気がつき、動きを止める。そしてオーディンがニーネを連れて、馬車から姿を現し、少し馬車から離れた位地で足を止めた。これは、馬車に隠れているドライを見つからないようにするためだった。


 ローズは、オーディンから少し離れた位地で、夢を見るような心地で、彼を見る。その横をシンプソンが横切り、隙さずオーディンと手を固く握りあう。


 「オーディン!!久しぶりです!!此処数日何時来るのかと気を揉んでいたんですよ!」


 彼にして珍しく、力強く両手でオーディンの右手を握りしめ、何度も上下に振るのだった。


 「ああ、済まない。途中崖崩れなどで、足止めを喰ったものだから……」


 それから互いの元気な様子に、心地よく肩をたたき合った。オーディンとニーネは、いつの間にか、みんなに囲まれていた。その彼が、ノアーの抱いているものを見つけた。幸せな生活を送っているシンプソンの背中を、思いきり叩いて、その気持ちを表現する。と、同時に、漸く金縛り状態から抜けたローズが、オーディンの首もとに、思い切り抱きつく。


 「オーディン!!馬鹿!生きてるならどうして一言言ってくれなかったのよ!!」

 「れ、レディ?手紙出しただろう?みんな知ってるから、こうして迎えてくれたんじゃ……」

 「知らないわ、でも良かった!貴方が無事で……」


 ローズの力が強まり、苦しいほどにオーディンにしがみつく。そして素敵な出来事に、オーディンの頬に軽くキスをした。そしてもう一度オーディンの頬に自分の頬を重ねる。暫く離れそうにない。周囲が急に静まり返ってしまった。


 オーディンが困った顔をして、ニーネの様子を伺う。

 ニーネは、その見事な赤い髪に、この女性がローズだとすぐに解った。ローズの深い喜びに、暖かくこの光景を見守ることにした。


 あまりにも注目を浴びているオーディンは、ぐるっと辺りを見回す。ローズの声に吃驚した子供達と、その予想以上の反応を回避しきれなくなって、笑って困っているシンプソンとドーヴァが居た。セシルはオーディンと目を合わすと、突っ込まれそうなので、態と横を向きっぱなしにしている。そうなると、聞く人間はシンプソン以外いない。


 「シンプソン?説明してくれるんだろう?」

 「え?は、その、実はローズは、ずっと旅に出ていて、その、貴方とドライさんを蘇らせるために……、手紙が来たのがその時で……、で、貴方が来たときにローズを、思いっ切り喜ばせようと、みんなで黙っていたのですが……、度が過ぎてしまいました」


 シンプソンはションボリとして、反省をしてしまった。こういう嘘は確かに彼らしくなかった。しかしそれは、ローズを瞬間的にでも悲しみから解放したい一心でついた嘘であることは、言うまでもなく、オーディンにもそれが解った。その証拠がローズが抱きついた瞬間の笑顔だ。


 「シンプソンの意地悪……、でも本当に良かった……、たった一日だけど貴方の顔が見れて……」

 「一日?」

 「ローズは旅を続けるそうです。もう何年も帰らないそうです。その日が明日だったんです」

 「レディ……」


 戦いは終わった。そう信じていたオーディン。しかしローズの戦いは今だ終わってなかったのだ。ドライが現れない限り彼女の戦いは永遠に終わらない。シンプソンの沈んだ声に、まるでドライの代わりを果たすように、ローズを力強く抱きしめる。あれから一年以上足を運んだに違いない彼女に厚い友情を感じた。しかし喜びを此処で終わらせることは出来ない。とっておきのプレゼントがあるのだ。


 「さぁ、レディ、驚くのはまだ早い。君にはもっと素敵なプレゼントがある。待ってて」


 オーディンが馬車に向かって歩いている間、ニーネがその場に独りぽっちになってしまう。ローズは、上品で気高い美しさを持っているこの女性と目が合う。ニーネは涙目になっているローズの目を、几帳面に畳んだ白いハンカチで、そっと拭いてあげる。


 「ご、ゴメンナサイ、私オーディンに思い切り抱きついちゃった……」

 「ふふふ、良いのですよ。気にしていません」


 苦労を笑いに懸命に変えようとしているローズを見て、ニーネはいたたまれなくなってしまう。だが、その涙が笑顔に変わる瞬間が解っているニーネは、安心してローズを見ることが出来た。


 「さぁ、オーディンが此処まで来る前に、目を閉じて……」


 ニーネはローズの後方に回り込み、ローズの目を、その細い指先で塞いだ。


 「どうして?」

 「その方が楽しみが増えるから」


 ローズは急に塞いだ手を反射的に掴むが、ニーネがそういうので、しばしその状態で待つことにした。


 それから、足音が近づいてくる。オーディンだけのものではない。彼を含めた二人だ。何がどうなのかさっぱり解らない。他のみんなはそれを目の当たりにしているだけに、大声を出したかったのだが、台無しにしたくない思いで、懸命に声を出すのを我慢した。


 「まだ駄目よ」


 ニーネがそういって、ローズの目から手を取る。誰かの気配を感じた。オーディンの気配でないのは確かだ。そして懐かしい、一番良く知っている匂いだった。もう我慢できない。目を開けよう。そう思った瞬間、彼が言う。


 「ローズ。帰ったぜ」


 その声に目を開けた瞬間、胸板しか見えない。そしてゆっくりと上を見上げた。上からニヤリと笑ったドライの顔が覗き込む。


 「あ、嗚呼」


 こうなるとローズは、止めどもなく涙を流すしかなかった。口にしたい言葉が沢山ある筈なのに、声にならない。真っ白になった。抱きつきたいのに体中が震えて其処から動くことすら出来ない。ローズは目で言う。強く抱いて、と。彼女の膝は今にも崩れそうになっている。


 「もう、泣かせねぇ……」


 ドライはそういって、ローズを強く抱きしめ、限りなく永遠に思える時間をキスに費やした。誰もが二人を見守るのだった。






 ――そして、ドライが帰ってから一週間後のことだ。





 「俺、やっぱこういうの性にあわねぇなぁ」

 「怖じ気づいたのか?」


 二人は、孤児院の一室で、真っ白なタキシードに身を包んで、精一杯凛々しく変身していた。


 「だ、誰がだ!みくびんな!オメェこそ、言うわりにゃ、何でとっとと式挙げなかったんだよ」

 「当たり前だ!みんなに祝ってもらいたかった」


 当然のようにオーディンはそう言う。逆にドライは、異常なほど落ち着きをなくしていた。幾度も蝶ネクタイの位地を気にしている。また、息苦しそうに指で襟元を整えている。それとは逆にオーディンは、異常なほど落ち着きがある。ドライにはそれが気にくわない。そんな中、ドーヴァも正装で、二人の待っていた部屋に入ってくる。


 「ほら、新郎共、時間やで」

 そう、ドライとローズ、オーディンとニーネの結婚式なのだ。ドライにとって、これはローズへの予てからの公約である。ドライはなくしてしまったが、指輪も渡している。


 気がつくと聖堂の祭壇に、法衣を纏ったシンプソンが居た。ドライは唾を飲む。何がどう言う風に、たいした訳もないのに、ガチガチになっている。そしてドライの左に、ほのかにいい香りがする。気になって視線を送ると、しっとりしたウエディングドレス姿のローズがいた。微かに頬を赤くしている。実に奇麗なものだった。思わずまじまじと見てしまう。


 「バカ……」


 言われたのはつぶやきのようなその一言だった。


 「グッドだぜ……」

 「クス……」


 その瞬間、ドライの中から、全ての騒がしさが飛んだ。


 そして式は終わる。


 彼等はライスシャワーの花道の中、互いの新婦を腕に抱き、馬車に乗り込み、村中を廻るのだった。

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