第1部 第10話 §6
時はそれから七ヶ月ほど経ち、季節は青葉の茂る太陽の眩しい夏の季節となっていた。孤児院では、シンプソンはもとより、セシルもドーヴァもいた。バハムートも、西バルモア大陸の南にあるブラキア大陸の自分の家には帰らず、長老の家に居座っていた。だがローズは居ない。旅に出たのだ。ドライはもとより、死んだと思われたオーディンが、彼女をあてのない旅に彷徨わせたのである。彼女の脳裏には、シルベスターの語る伝説に出た、生命を人間の手で自由に生み出す過去の文明のことが焼き付いていた。もしそれを見つけることが出来たのなら、応用学で二人を生き返らせることが出来るかも知れない。そして今だ帰らない。
孤児院の広々とした庭先では、特に習いたい者だけという限定着きで肌を真っ黒に焼いたドーヴァが剣の指南をしている。セシルは、室内で元素魔法の授業をしていた。いわゆる選択科目と言うやつだ。
剣術を習っているのは、ジョン、ボブ、ヨハン、ロイで、女の子ではただ一人ジョディが、懸命にドーヴァの関西弁を聞いている。そして話しているドーヴァ自身も実に生き生きとしていた。
「ええか?何時もゆうてるけど、強うなるだけが能やない。幾ら強うなっても使い時が解ってな意味があらへん、お前等すぐ突っ込むから言うとくけど、使い時言うのは、人斬ることや無くて、あくまでも、剣を振るうときの意味や。自分の大事なもんを守るためとか、仕方がないときとか、そういうことや」
一寸得意げに、右往左往しながら、偉そうに言ってみる。チラリと横目をやる。
「ふーん」
〈ふーんて、比奴等わかっとんのやろか……〉
「ねぇドーヴァ兄ちゃん、石ころ斬るやつ見せてくれよ!」
ボブが、今言ってることと全く方向の違う発言をする。此には転けずにはいられないドーヴァだった。倒れながら、顔をひきつらせている。それでも一応気を取り戻して、立ち上がることにする。
「あ、あかん、わかっとらん。まぁ、休憩がてらええやろ……、それじゃ、お前等一人二個ずつ小石拾うてこい!」
一応剣の腕を認められているのは嬉しいことだが、子供相手に諸手をあげて喜ぶわけにもいかない。暫く皆が集まるのを待つことにする。そして、再びドーヴァの周りに彼等が集まる。
「よっしゃ!それじゃ、みんな一度に小石放り上げろ!」
子供達が一斉に小石を放り投げた。そして投げられた小石は、それぞれ勝手に落下を始める。
「刃導剣、葉斬!!」
ドーヴァは居合い抜きの要領で、素早く剣を抜き、落下してくる小石の動きを読み、全てを最短距離で真っ二つにする。これを見た子供達は、何時も感動の眼差しでドーヴァを見て拍手をする。完全に憧れの的だ。こういう目で見られると、先ほどのことなど、もうどうでも良くなってしまっている。その時だ。一人の男がこちらにやってくる。
「済みません!郵便です。セガレイさん宛ですけど……」
「ああ、解った。渡しとく」
ドーヴァは手紙を受け取ると、裏に返し、差出人を確認する。それはローズからの手紙だった。
「ローズからの手紙や、暑いことやし、中入ってみんなで読むか」
彼等が孤児院の中に戻ると、其処にはお腹を大きくしたノアーが、焼きたてと思われる大量のクッキーを抱えて、こちらに向かってきていた。
「いまから、そちらに行こうと思ってたんですよ」
にこやかにドーヴァに話しかける。
「また動いてる。あんまり動くと、メガネはんに怒られんで!」
ドーヴァが、渋い顔をしてノアーを睨む。彼女の身を案じているのだ。ノアーの横に並び、食堂の方へと向かうことにする。
「でも、ジッとしているのも退屈ですから……」
ノアーはニコニコしっぱなしだった。彼女自身重くなった自分の身体に幸せを感じずにはいられないのだ。そして、少し神経質気味だが、シンプソンが自分を大事にしてくれることに、生きることの充実感を感じていた。その証が彼女の左薬指に小粒のダイヤの入った銀の指輪となって輝いている。
「それよりも、ローズから手紙が来たんや、メガネはんは、まだ裏で薪割りしてるんか?」
「ええ」
ドーヴァは、早速孤児院にいる全員を食堂に集めに掛かる。
食堂内は一気に騒がしくなる。その中シンプソンが代表で、手紙を読むことにする。
「はいはい!静かに!!えっと……、『皆さんお元気ですか、私は元気です。残念ながら北には、私の探す物はありませんでした。まだこの旅は続きそうです。ですが、来年の春までにはそちらに戻る事が出来ると思います。早くみんなの顔がみたいです。親愛なるみんなへ、ローズ・ヴェルヴェット』」
手紙はそこで終わった。待ちに待った手紙だったが、その内容の淡泊さに、淋しい空気が漂い、沈黙する。
「それだけなんかい……。水くさいなぁ」
ドーヴァは少し、腹が立った。帰る場所に、しかもこんなに彼女の帰りを待っている者がいるというのに、手紙には踊っている文字が一つもない。子供達も、もっと自分達のことが書いていると期待していたが、そうでないことにションボリしてしまった。
その時だった。玄関の方から、大声がする。扉と通路に阻まれて、声は隠って乾いていたが、間違いなく先ほどの郵便屋だ。またもやドーヴァが受け取りに行く。扉を開けると、彼は息を切らして、外で待ちかまえていた。
「なんやなんや!騒がしいで、判子でもいるんかいな……」
「済みません、国際郵便があって、そちらをお渡しするのを忘れてたんですよ!いやぁ済みません!」
そういうと彼はそそくさとその場を後にする。せっかちな男だ。それともよほど仕事が忙しいのだろうか。誰からなのかを確認するため、封筒をひっくり返して、差出人を確かめようとしたが、名前が何処にもない。ただ、「シンプソン=セガレイ様」という宛名書きと、此処の住所だけが書かれているだけだ。
「親戚かいな」
食堂に戻ったドーヴァは、しっくりいかない様子で手紙を渡す。受け取ったシンプソンも差出人が解らないので、首を捻りながら、中身で確認することにした。先に一番最後を見ることにする。
「オーディン=ブライトン、オーディン……、オーディンだ!オーディンは生きていたんだ!!みんな読むぞ!」
シンプソンは興奮を隠しきれず椅子から立ち上がって、ノアーの肩を力任せに、前後に揺さぶった。
「拝啓、孤児院の子供達、そして、シンプソン、セシル、ローズ。私はみんなが生きていると信じている。そう信じて、手紙を送ることにしました。今私は故郷にいる。此処に落ちたのは偶然だろうが、大した怪我もなく、今は少々だが、街の復興に手を貸している。実はこの手紙も書くか書かないか随分迷った。突然行って驚かせようと思ったが、やはり無事は知らせておかねばならないと思い、筆を執ることにした。この手紙で子供達が笑顔で溢れていることを願います。ですが、来年の春には、本当の笑顔がみたいです。オーディン・ブライトン」
シンプソンは声を浮かれさせながら、手紙を大声で呼んだ。手紙の言い回しから、オーディンも春には、こちらへ来る。また会えることが嬉しくてたまらない。
しかしこの手紙は意地悪な手紙だった。わざわざ希望的に最後を締め、挙げ句の果てにニーネのことなど一字一句もふれていない。
「なあ、メガネはん、ローズ=ヴェルヴェットの手紙は、一寸冷たかったなぁ、だからオーディンの事は、ローズが本人に会うまで内緒にせぇへんか?」
ドーヴァも嬉しそうだった。だが彼が嬉しいのは、オーディンが生きているという事よりも、その事で嬉しそうにしている子供達や、明るい表情をしているセシルがいるからだ。
「ええ、そうですね。でも意地悪ではなくて、一寸したプレゼントみたいに……」
「はは、プレゼントはプレゼントでも、びっくり箱や!」
「ドーヴァったら!」
洒落のきついドーヴァに対して、セシルが肘でつつく。ローズに申し訳ないような気持ちがあった。
季節は流れる。実に八ヶ月、川の水が雪解け水で、ちょっぴり冷たい早春、それでいて命の息吹が吹き出す季節だ。ノアーとシンプソンは、無事一児に父母になる。男の子で、名はシード。起源、何れ芽となり花となり樹木となり、誰にでも安らぎを与え、木陰を与え、激しい雨から愛する者を守るような人間になってほしいというシンプソンとノアーの二人の希望を兼ね備えた名前だった。少々重い名ではないかと、気兼ねしないでもないが……。
そんな二人が子育てに勤しみながら、あれから変わらぬ孤児院の生活の中、全員が食堂で昼食を取っている最中だった。
玄関の方からけたたましいノック音がする。まるで早く出てこいと言わんばかりの忙しさだ。シンプソンが口を拭きながら、ぼちぼちと玄関に向かい、そして戸を開ける。
「何方でしょうか?」
と彼が言った瞬間、急に首もとに抱きつかれる。
「久しぶり……、元気だった?」
「ローズ……ですか?」
自分の頬あたりに見える赤い髪を懐かしげに伺う。
「いやねぇ、忘れちゃったの?私のこと」
「そりゃ顔を見る前に抱きつかれたらだれだか解りませんよ」
「ご免なさい。久しぶりだと思うとつい……」
ローズは漸く離れ、そっそかしい自分に、照れて笑う。彼女自身、目一杯明るく振る舞っているのが、シンプソンにも解る。確かに嬉しそうだが、旅だったときの陰は、未だに取れてはいない。
「さぁ、取りあえず中に、みんな待ってたんですよ」
「ええ……」
セシル、子供達、やはり皆に会えて嬉しそうなローズだった。顔が限界まで綻ぶ。その一瞬がシンプソンを安心させた。
「で、さっきから気になってたんだけど、貴方が抱っこしている物体は何なの?」
ローズはノアーに近づき、眠っているその子の柔らかい頬を指でつついてみる。
「私とシンプソン様の子供ですが……」
ローズのとんでもない言い方に、困った笑いをするノアーだった。勿論そんなことはローズにも解っていたが、シンプソンに対する当て付けだったりする。実に羨ましい限りだ。
そしてすっかり日が落ち、食堂にはノアーを除いた冒険者達が久しぶりにテーブルを囲む。其処ではやはりローズ中心の話題になった。
「私、東の大陸に行こうと思うの。南バルモア大陸には、随分昔の文明が残っているみたいだし……、それで、向こう行ったら、何年かは帰って来れないでしょ?だから、みんなの顔見に帰ってきたんだ。でも安心した!元気そうで!子供達も大きくなってたし……」
瞬間的にローズの顔が明るくなった。心からの笑顔は、まだまだ失われていない。
「それで、どのくらい居るんですか?」
「十日……くらいかな」
ローズは言い辛そうに、俯き加減にボソリと言う。その言葉には、この場所に対する未練が大きく現れていた。此処を離れて、旅をしている彼女自身が一番辛いのだ。
「たったそれっぽっちか……。ドライの墓かて、此処にあるゆうのに、彼奴の側にもうチョイおったれや!」
ドーヴァにとっては何時までも死人の尻ばかり追いかけているローズが、非常にもどかしかった。最も自分がセシルをなくしたら、同じような行動に出ているだろうことは、うっすらと考えていた。
「出辛くなっちゃうから……」
必死の作り笑いをするローズの表情が非常に痛々しい。
「姉さん、兄さんは解っているわ、だから、お願い。もっと前を向いて!!兄さん
言ったわ、逃げるなって、だから私、前を向くわ!だから姉さんも……」
セシルは、ローズの両手を取って、真正面からローズに瞳を見た。
「ありがとう、セシル」
そして、ローズも真っ直ぐにセシルを見た。ドライという繋がりをなくした後でも彼女が自分を姉と慕ってくれることを、胸が痛いほど嬉しく感じた。だからこそ彼女のためにもドライを蘇らせたい。そして誰一人欠けることなくオーディンも蘇らせたいのだ。セシルの説得が逆にローズの決心を固めてしまうのだった。
「ローズ、せめて一月……それ以上は望みません!ですから此処にいて下さい!数年も貴方に会えないみんなを思うのなら……」
シンプソンが椅子を吹き飛ばすようにして立ち上がり、正面のローズに向かって、床に頭を擦り付けて懸命に願いをこう。
友達にこんな思いをさせる自分は、最低だ。ローズはそう思った。こんなに必死な彼の思いを砕くわけには行かない。すぐに彼の側に駆け寄り、横から彼の肩を起こして、一言言った。
「解ったわ。でも一月だけ……ね」
「ええ、いいですとも!」
一月、そう、春先といえるギリギリの日にちだった。それまでにはオーディンが来るのだった。もし此処でオーディンが生きているからそれまで居てくれと言っても、ローズは聞かないだろう。そうなれば、より出辛くなる前に、出ていってしまうに違いない。
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