第1部 第10話 §5

 その数日後、ヨハネスブルグ東海岸。


 「おい!誰か倒れてんぞ!」


 再び平和の戻った世界では、生命力の高い人間が、生活を始めていた。

 男の風貌は荒々しい波の香りがしそうな、漁師姿の男だ。彼の一声で、仲間らしい人間が数人集まる。


 「死んでんじゃねぇのか?」


 うつぶせになっているその男を、銛の柄でつついてみる。だが、反応はない。


 「立派な服装をしてるなぁ、どこかの貴族のようだが……」

 「何処が立派なんだよ。ボロボロの服じゃねぇか!」

 「バーカ、襟とか服の生地とか、持ってる剣なんか見ろ!一流そろいだぜ!」

 「オメェに一流なんかわかんのかよぉ」

 「ウルセェ!!」


 数人で、ゴチャゴチャと一人の男を囲み、ポンポンと会話を交わす。人間は明日に向かって生きているのだ。活気は、そこから生まれている。


 「う……、うん」


 先ほどまで死んでいたと思われた男が、藻掻くように手を伸ばし、声を漏らす。


 「おい、生きてるぞ!」


 一番最初に駆けつけた男が、彼を仰向けにする。それは紛れもなくオーディンだった。気を失ってはいたが、見たところ致命傷はない。


 「あ、俺この男知ってるぜ、確かオーディン、そう英雄オーディンだ!仮面はしてねぇが、間違いねぇ!祭典で一度握手してんだぜ!!」


 一人の男が急に自慢げに、周りに右手を見せて、興奮する。


 「馬鹿かテメェは!英雄オーディンは、三ヶ月前のドラゴン騒動で行方不明なんだぜ!」


 「だから、死んだとは限ってねぇんだろう!兎に角病院に運んでやろうぜ!!」


 オーディンは、病院に運ばれた。そして彼の噂は瞬く間に町中に広まってしまう。目覚めた彼には、連日噂を聞きつけた人間が見舞いに訪れた。勿論彼の凛々しい趣を拝みに来た女性も数多い。行方不明の原因として、彼はドライ張りのいい加減な結論を出した。「ドラゴンの尾にはねられ、南の大陸に飛ばされた」と、ドラゴンと戦を交えた人間など塵ほどもいない。皆アッと言う間に納得してしまう。


 ベッドの上での数日を過ごしたある日だ。


 「よくぞ生きておられた!英雄がいれば、街は活気付く!あ、私は、仕事があるんです。また来てもよろしいでしょうか?」


 「ああ、構わない」

 「済みません……。握手を」

 「良いとも」


 オーディンは、ベッドの上から手を差し延べ、その男と握手をしてやる。彼は嬉しそうに、何度も礼を言って部屋を出て行く。オーディンの怪我自体は打撲が中心で、他の怪我と言えば肋骨が亀裂骨折しているくらいのモノだった。しかし残念なことに、魔法を扱った医者が居ないため、暫く療養しなくてはならない。


 彼を見舞って会える人間は、抽選で日に十人ほどだった。彼が本日最後の人間だった。疲れた肉体を持った自分とは逆に、入ってくる人間は、異常に元気で浮かれているモノだから、彼は連日疲れていた。


 彼が出ていってから暫くして、オーディンは、安堵の溜息をつく。


 〈元気になれば、まず手紙を書こう……。きっとみんな生きている。死んでたまるものか〉


 病室の窓の外の復興に向かって進む町並みを見ながら、彼は握り拳を作る。その時病室の外に騒がしさを覚える。


 「駄目です!オーディン様もけが人なのです!貴方一人だけを特別視するわけにはいきません」


 看護婦が怒鳴っている。抽選に漏れた人間が、強引に病院に入ってきたのだろう。一日一人はそういう輩が現れる。看護婦に迷惑を掛けているすまなさが、胸の中にふと湧き出る。


 「お願いします!どうしてもオーディン様なのか、確認したいのです!!」


 しかしその日は、女性で、しかも発言内容が変わっていた。今までの連中はオーディンという断定の元で押し入ってきたのだが、彼女は「確認」ときている。それに妙に必死だ。いつもの通り病室の中まで来て、看護婦が困った顔をすれば、会うことにする。そして、曇りガラスの扉の窓に、看護婦の影が映り、扉が開き、内側に開いた扉から身をすり入れて、お尻で扉を押さえながら困った顔をしてオーディンを見る。


 「済みません、駄目だと言ったのですが……」


 病室で退屈していた彼には、意地悪いと知りながら、この困った顔をした看護婦と扉の外でヤキモキしている人間の顔を想像するのが、楽しみだった。今日の客は到達したので、コクリと頷く。


 その瞬間、気のゆるんだ看護婦を扉で弾いて、一人の女性が入ってきた。


 「オーディン様!」


 部屋に入ってきたその女性にオーディンの時間はドキリと止まる。心臓がドクンドクンと音を立て始めた。


 「ニーネ……」

 「ああ!オーディン様……」


 まさかである。王城の崩壊と共に死んだと諦めていた彼女が、今目の前にいるのだ。苦しいほどに眉間に皺を寄せ堪えきれない涙を懸命に抑えようとしているニーネが、すぐ其処にいるのだ。


 「ニーネ!」

 「オーディン様!!」


 互いに名を呼び合い、ついでオーディンは興奮してベッドから身を起こそうとする。しかし、ヒビの入った肋骨が痛む。


 「イタタタ!」


 嬉しいのか痛いのか、どちらとも着かない。変に目を細め白い歯を見せ、ベッドに沈没するオーディン。ベッドに横たわってから動けない自分を忘れた慌てぶりに、思わず笑ってしまう。


 しかし、ニーネには笑っているオーディンより、彼自身の存在しか目に入っていない。怪我人に、走り込むようにして倒れ込み、力一杯彼に抱きついた。


 「ああ、神の奇跡かしら、もう一度貴方に会えるなんて……」

 「ウググ……痛い」


 瞬間に彼の顔が痛みに真っ青に青ざめる。極力小さな声で言ったが、至近距離なので、ニーネの耳にも届く。それを聞いた彼女は、意地悪くもう少しだけオーディンを強く抱きしめた。


 「お返しです……、私を散々心配させた……」


 そして軽いキスを交わす。


 「残念ねぇ、アタックしようと思ってたのに……」


 看護婦は、アツアツな二人にため息を吐きながら、病室を後にした。

 オーディンが王城を飛び出していった直後、彼女は父急病の知らせを聞き、即座に其処を後にしたのだ。その結果死を免れた。


 「そうか……父上はお亡くなりになられたか……」

 「ええ、母もあの大異変で……」

 「そうか……」


 更に三日ほど後、オーディンは、落ち着けない病院を後にして、現在ニーネが住んでる借家に移り、そこで療養する事にした。


 ニーネは気がついていた。オーディンの顔の傷が、跡形もなく消えていることや、昔の暗い陰が彼から消えていること、そして街に流れているオーディンの流した彼の消息の理由が、彼がついた嘘だという事を。だが、オーディンが帰ってきたのだ、それだけで良い。それよりも今は二人だけの時間がほしい。


 「オーディン様、スープでも如何ですか?」

 「ありがとう。頂くよ。それからもう、オーディンと呼んでくれないか?昔のように……、みんなは、気軽にそう呼んでくれてる」


 温かいスープを受け取った時のオーディンの顔は実に明るかった。「みんな」という言葉に、非常に柔らかみがあり、誇らしげだった。そして、是非自分の名前をストレートに呼んでほしい、そう強い願望が現れていた。


 「みんな?」


 ニーネにこの言葉が解るはずもない。大魔導戦争以来、オーディンの友と呼べる男はセルフィー以外誰もいない。


 「あ、済まない。つい口に出てしまったな。別に隠すわけでは無かったのだが……、此処にお座り、話が長くなる」


 オーディンはスープ皿を片手に、右手でベッドの端をぽんと叩く。ニーネがオーディンに向かう感じで腰を掛けると、彼女の太股に軽く右手を乗せた。


 「うーん……」


 何から話そうか、少し天井を眺めながら、指先を持て余し気味に、彼女の太股の上で、中位のテンポでリズムを刻む。やはり話の流れから言って、シンプソンと孤児院の子供と立ちとの出会いだろう。そして、ドライとローズのこと、自分達の血筋のこと、セシルのこと、大異変のこと、シルベスタークロノアール、伝説の真実、熾烈な戦いのこと、そしてドライの死。数日前の出来事だというのに、何故か遠く感じる。


 「ローズさん、おかわいそうに……」

 「ああ、それだけが気がかりだ……、レディ……、皆で彼女を支えてやらなければ……」


 この事だけを後悔気味に、ニーネの膝上の手に力が入る。


 「その方と、親しそうですね」


 ローズに対する呼び方に、一寸嫉妬気味に意地悪くオーディンに向かって微笑むニーネであった。確かにそういう感情がないとは言えないオーディンだが、それは好意、友情に等しい感情だ。それに自分にはニーネがいる。やましい気持ちなど無い。だが、取り繕ってしまうのは何故だろう。


 「そ、それはだなぁ、さっき言ったように私は、最初、ドライに好意がもてなかった。彼と同じ呼び方で彼女を呼びたくなかった。それがいつの間にか癖になってしまって、ハハハ、余りつつかないでくれよ」


 オーディンは確かに困ってしまったが、彼女と会話をしていることが嬉しい。その事が自然と表情に現れる。彼女もこんなおかしいオーディンを見ていると、微笑まずにはいられない。だが、オーディンが突然笑うのを止めた。


 「ニーネ、私は、この国を出ようと思う。そして、みんなの居る西バルモア大陸内陸のサンドレア地方のその村に行きたい。静かな村だ。私に期待しているこの国の人たちには申し訳ないが、私はあの村が好きだ。よく考えて、そうなれば殆ど父上や母上の墓に参ることもできない。その上で返事を聞かせておくれ」


 ニーネは、自分のスカートを握りしめるオーディンの手の上に自分の両手をかぶせ、固くなったその掌を開いてやる。


 「何も悩むことなどありませんわ。貴方がそうしたいというのなら……。でもお体が十分回復してから、そして、もう少しだけ、この街が立ち直る様子を見てから、だって私たちの祖国なのですもの」


 ニーネは穏やかだった。そしたオーディンに自分を気遣わせない、即答をした。実は少々躊躇いがあるが、オーディンという存在に比べれば、取るに足らない小ささだった。もう彼を離したくない。


 「ありがとう……」


 オーディンはニーネを自分の方に引き寄せ、強く抱きしめた。

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