第1部 第10話 安らぎと終焉
第1部 第10話 §1
「ドライ!嘘でしょ?!嘘だって言ってよぉ!お願いだから悪い冗談は止めてぇぇ!!」
ローズは血みどろのドライを力一杯に抱きしめる。顔だけを見ていると、疲れきった身体を癒すために、深い眠りについているかのようだ。
「ドライィ……」
諦めきれないローズの未練をそこに釘付けるように、ドライの体はまだ暖かい。ローズが幾ら泣いたとしても、ドライはもはやピクリとも動かない。そんな彼女の両肩をオーディンが後ろから優しく掴む。そして、死の事実を彼女に気付かせるべく、ドライから引き離そうとする。
「いやぁ!!ドライ!私を一人にしないで!!」
だが、ローズは決してドライから離れようとはしない。オーディンの腕を、肩を揺さぶって振り解いた。
「兄さん……」
セシルは、漸く心を通わせあった兄の死を目の前にして、暫く意識を遠のかせていた。だが、彼女はそれより先に考えなければならないことがあった。
「オーディンさん、クロノアールは、シルベスターはどうなったのですか?」
「クロノアールは……倒した」
「では、兄さんは体を張って、シルベスターを守ったの?」
セシルは一瞬確信しきったように、そしてオーディンの同意を求めるように英雄的に感じた兄の死に、僅かな喜びを顔に出す。オーディンは、ドライがセシルを連れて行かなかった意味を少し理解する。これから話す事実は、シルベスターに対する彼女の信頼感を打ち崩すものなのだ。
「いや、ドライはシルベスターに殺られた」
「そ、そんな!彼がそんなことをするはずがないわ!」
「嘘ではない!皆さんも聞いて下さい。残念ながら、シルベスターは、人類、いや、この世界の生物にとって救世主であっても、私たち五人にとっては、そうではなかったのです!」
オーディンもローズと同じくらい泣きたかった。悔しかった。
「どういう事じゃな?」
終わらない結末に、バハムートが渋い顔をする。
「彼の純粋な意志は、人外の力のある我々が居ては、成り立たない。彼の理想は、自分を含め、この世界の生物を脅かす種は、全て異空間へ移すのだ、と……、そして、ドライはそれを知っていた。ドライは彼に反発した。自分の生きてきた二十七年間を、否定させるような真似はさせないと。そして、私たちは、彼に同意し、シルベスターと戦った!!」
オーディンは今にも叫び狂いそうなほど、歯を食いしばり、強く握った拳から血を流した。
「何という事じゃ。自らの理想を叶えるために、そのために子孫であるお主達を殺そうとしたのか!!」
怒りに拳を震えさせるバハムート。ドライの壮絶な姿に、彼の無念さを感じ取る。男としてこれほど怒りを覚えたことは今まであっただろうか。こんなに残酷な運命があって良いのだろうか。
曇天が、次第に本格的な雨模様になり始める。冬の雨は冷たい。熱く苛立ったバハムートの心を、まるで焦るなと言いたげに、次々と降り注いでくる。まるで、ドライにからかわれているようだった。
「そう、そうなの……、それが私たちの運命なら、受け入れましょう……」
セシルは静かに目を閉じる。雨の音に心を落ち着かせる。自分が想像していたシルベスターとは、全く違っていたことに裏切りを感じた。しかしそれでも人間の平和の理念は変わりはしない。それがシルベスターの意志ならば、それに従うのが子孫である自分たちの使命なのだ。彼女は頑なにそう信じた。
「そう、ドライは、君がそう言うと解っていたからこそ、あの時君の気を失わせた」
悲しいことだ。あってほしくない事実まで、ドライは先読みしていた。
「なるほど……、それでドライの奴は……」
ドーヴァは、正直なところセシルを殴ったことを腹立たしく思っていたが、今になってドライという男が解ったような気がした。
「それだけじゃない……、ドライは、妹である貴方と戦いたくなかったのよ」
あの時、ドライが何故凄く強く感じたのか、その原因が分かった。彼は、口に出せない思いを体中で表現していたのだ。そしておそらく自分の死期を何となく直感していたに違いない。
ローズは、ドライの遺体を静かに大地に寝かせ、涙を拭きながら立ち上がった。
「お爺さん、飛空船あるの?」
「ああ、村の外れに置いてある。じゃが何故じゃ?」
自分の横を通り過ぎ、すれ違った位地で足を止めたローズの行動は何となく理解できたバハムートだが、その無謀が本当なのかを、彼女の口から聞きたかった。
「決まってるわ、シルベスターを倒しに行くの……」
「ローズ……」
シンプソンは、ローズの気持ちが痛いほど理解できた。しかし、この現状では、シルベスターに勝てる見込みは、ないに等しい。それでも止めたい言葉を切り出すことが出来ない。拳をぎゅっと握る。
「良かろう。私も行く」
まもなくオーディンがローズの横に並ぶ。その顔はまるで帰り道のない戦争に赴く男の顔だった。だが、この戦いは、己から望んで進む道なのだ。そこに隠る気迫には、他人を背負う重さはない。
「何を考えているの!シルベスターを倒すなんて!!私たちの使命は……」
そんな二人の前にセシルが、まるで気がふれたれた者を見るかのような目で立ちはだかる。
「セシル!貴方自分の兄を殺した男の肩を持つの?!目を覚まして!!」
「だめ!駄目よ!今からでも謝れば許してもらえ……」
セシルがそう言いかけたとき、ローズが彼女の頬を叩く。決して彼女に腹が立ったからではない。あまりにも固執した物の見方しかできない彼女を悲しく思った気持ちが、ロースにそういう行動に出させたのである。
「貴方、自分で何を言っているか解っているの?悲しいわ!幾つなのよ。一六でしょ?貴方は残りの人生も全てシルベスターに捧げてしまうの?ねぇ、お願い。そんな悲しい子にならないで……」
ローズは少しかが見込み、セシルの両肩を掴み、心の壁を造ったセシルの瞳の奥をずっと覗き込む。そんなローズの瞳は何と悲しげだっただろう。彼女自身、ドライを殺すためだけに、残りの人生を費やそうとしたのだ。そんな虚しい思いをセシルにさせてはならない。先のないモノのために、セシルの人生を費やさせてはならない。解ってほしい、ローズがずっと訴えかける。
「だって……、私も兄さんも、そのために……」
セシルの頬に刻まれた痛みが、心にまで染み込む。
「だから、ドライは使命を果たし、今度は自分のために、自分の明日を守るために立ち向かったのよ。貴方にその意志を継げとは言わないわ。だからせめて私の決めた道を阻まないで!」
ローズは、セシルの両肩から両手を離し、何も言えなくなってしまった彼女の横を通り過ぎるのだった。
「飛空船は、孤児院の裏手の道を真っ直ぐ向かった森の中にある」
バハムートは再び歩き始めたローズに一言呟くようにそういう。
「ありがとう」
そう言い残したローズだった。オーディンと共に、次第に姿を小さくして行く。その時、ノアーが正面からシンプソンの首に抱きつき、キスをした。彼にはそれがどういう意味なのか良く理解できた。そして、心に疼くものを抑えきれなくなった。
「済みません……」
シンプソンは駆け出す。
「シンプソン!!」
いつの間にか子供達が其処まで来ていた。再び旅立とうとしている彼に、全員で物寂しげな瞳で訴える。どうしていってしまうのか?そんな想いで満ちあふれた後ろめたく感じる視線だった。
「みんな……」
足が大地に縫いつけられたような感覚だった。しかし彼はそれを引きちぎる。そして、穏やかに微笑みオーディンとローズの後を追っていった。
子供達には、「必ず帰って来る」という彼の強い意志が伝わる。
いつの間にか全員雨にびしょぬれになっていた。そんなことに気がつくゆとりなど無いほどに、それぞれの心は寂しさに暮れていた。
ノアーがセシルに近づく。
「セシルさん、貴方は今、大事な人を皆失ったわ。今まで誰があなたを支えてくれたの?これから誰が貴方に優しい温もりを与えてくれるの?」
その言葉は、異常なまでにセシルをびくつかせた。全ての希望が一瞬にして消え去ってしまった錯覚さえ覚えずにはいられない。それでもまだ、使命感が彼女から離れることはなかった。今狭間にいる。誰のための明日なのかが、理解できない。今まではただシルベスターのみを信じ、其処に邁進すれば良かった。だが、其処までの道を支えてくれたのは、父であり母であり、そしてこの数ヶ月、兄や、姉と慕うローズであり、その他の誰でもない。それこそが人として大切なモノなのではないのだろうか、もし使命のためだけに仲間を捨てるのなら、それは、自分が抱いていたクロノアールの価値観と何ら変わらない。
ノアーがセシルの手を取る。そして自分が犯してしまった過ちを心で伝える。たとえ目的を達成したとしても、心の奥の傷は一生消えないのだ。事実彼女は、オーディンから全てを奪ってしまった過去がある。そんな痛みはもう誰にも味わってほしくはなかった。そしてもう一度、セシルの手を強く握りしめた。
「もうシルベスターの意志を十分に果たしたのではありませんか?」
ノアーはクロノアールの子孫だ。しかし人間の本質は変わらない。血筋などは、何も関係がないのだ。愛する心に差はない。その瞬間、ローズやオーディンとの距離が数万キロに感じられた。一度ドライの方を見る。
「私、もう誰も失いたくない!!一人はイヤ!」
それは紛れもなく彼女の心からの声だった。止めどのない本音だった。自分の進む道をシルベスターの意志に委ねることのない初めて彼女の築き上げた道だった。
「よっしゃ!今なら間に合う。ローズ=ヴェルヴェット等の後追いかけるんや!」
ドーヴァが、ノアーからかっさらうようにしてセシルの腕を強引に掴み、ローズ達の後を追いかけようとする。だがセシルの足は動かなかった。
「どうしたんや!」
セシルの決心が鈍ったのではないかと、思わずまどろっこしい気分になるドーヴァだった。
「ドーヴァ……、私帰ってくる。だから待ってて、そのための道しるべになって!」
真っ直ぐな輝きだった。彷徨うような神秘的な瞳の輝きではなく、一筋にキラリと光っていた。奇麗だった。
「解った。待ってる、立場逆かもしれんけど、待ってるで……」
ドーヴァはセシルを抱き寄せ、キスを求める。そして、少々ねじ伏せるように彼女を奪った。直線的な互いの感情が、暫くの間交わり続けた。だが、時間は許さない、今はそれに酔いしれているときではない。彼女の肩を強く引き離し、一つ呟いた。
「行って来い……」
「うん……」
セシルは駆け出した。既に見えなくなってしまった三人の後ろ姿を懸命に追い続けた。見慣れぬ風景がやたらと距離を遠ざける。走っても走っても全く前に進めないようだった。次の瞬間船が見える。間違いなく飛空船だ。だが、船は既に浮き上がり始めている。兎に角走る。激しいエンジン音がセシルを焦らせる。近づいた時には、人間の脚力ではどうにもならぬ距離に浮き上がっていた。それに既に前進し始めている。弧を描くように船を追いかけた。
「待って!お願いだから待って!!」
声を全力で張り上げる。しかし、船の動力音に掻き消され気味である。
「そうだ、飛空の魔法!!クウォーク!!」
地面を一蹴り、一気に船の頭上へと出る。甲板には孤児院の方角を眺めるローズとシンプソンの姿があった。
「姉さん、待って!私も行く!!」
すぐさまローズがその声に反応し、上空を飛ぶセシルを見つける。セシルの迷いのない顔が全てを物語っている。ローズは両手を広げ、彼女を向かい入れるのだった。互いに雨ですっかりびしょぬれだった。それでも抱き合わずに入られない。特にローズの方が一方的に力が強かった。
「大丈夫、絶対に貴方は死なせないから……」
そう、ローズにとって、セシルはドライの忘れ形見同然なのだ。そしてその彼女が、側にいてくれることは、ドライが側にいることと同じくらい心強いモノだった。
「さぁ、すっかり濡れちゃいましたね。中に入りましょう」
シンプソンが後ろから二人の肩を抱き、船内へと導いた。
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