第1部 第9話 最終セクション

 ローズは満足感の中、まだ彼がそうしている事に、何ら不満を感じる事など無かった。たびたび意識が遠のき、次の瞬間は、ドライの重みを感じた。そしてローズが充実感を疲れに感じ始めたとき、ドライはそれを察したように、故意に彼女を攻めるのを止め、腕の中で彼女を甘えさせることにした。


 ローズはドライの胸に頬を当て彼の心音を聴く。普段感じる開放感とはちがい、まだ互いを突き詰めたい切なさが彼女のを襲った。ドライの肩口まで這い上がり、ドライの肩を強めに噛む。痛みに緊張したドライが、今以上に愛おしい。そんなドライの熱く厚い両掌が、彼女の背中を幾度と無く撫でる。ローズは両足を彼の右足に軽く絡めた。ドライの体温に密着感を感じる。


 「どうしたの?今日、凄かったね……」

 「ん?ああ、ベッドが良かったからな」

 「嘘ばっかり……、良いのよ。もっとしても……」


 「バーカ、腹八分目って言うだろが……」

 「どう八分目なんだか……、でも良かったわ。これから毎日、こうしてられるのね」

 「そうだな。早く帰りてぇ……」


 ドライは、そう言って静かに一呼吸し、すぐに眠りについた。それから三時間ほど、シルベスターの予定から一時間ほど遅れた頃だ。眠っていたドライを、起こす声が聞こえる。声の主はシルベスターで、ドライだけを呼ぶ声ではなかったが、起こされた本人には、自分が特に起こされたという錯覚に陥る。不機嫌気味に目を覚まし、早速服に着替える。


 「ほれ、ローズ。お呼びだ」

 「もう少し……」

 「何言ってんだ起きろ!!」


 シルベスターを無視して呑気に眠っているローズの頬を小うるさく叩く。

 ドライには、シルベスターが自分たちを起こしにかかった要件が解っていた。眠たげなローズを連れ、部屋から出ると、少し奥の方からオーディンとシンプソンがやってくる。彼等も一応の睡眠はとっていたようだ。

 シルベスターの待っている玉座の間に着く。そして先ほどの配置に腰を掛けた。


 「世界は、ほぼ平和を取り戻した。私たちの役目は終わりだ」


 シルベスターの言葉は、内容とは裏腹に非常に重たく陰がある。気のせいであろうか、ドライ以外の三人はそう感じた。


 「シルベスター、俺気になってたんだ。何で俺のことをシュランディアって、よばねぇんだ?」

 「いいや、お前はシュランディアではない」


 確かにそうだった。ドライの名を呼び馴れているオーディンやローズ達にとっては極普通だが、シュランディアとしての彼の存在を知っていたシルベスターが、呼称であるドライの名を口にするのは、よくよく考えると、不自然なのだ。そして彼が目覚めたとき、一度だけドライのことをシュランディアと呼んでいる。其処には二つの人格に差があることを意味している。妙な会話に胸騒ぎを覚えたオーディンは、既に柄に手を掛けていた。


 「だろうな」

 「どう言うことですか?」


 全てが終わった。そう信じていたシンプソンには、ドライとシルベスターの会話は、悪い冗談にしか感じることが出来ない。そして、そのシンプソンの言葉が、ドライとシルベスターが裏で互いを敬遠しあっていた壁を打ち崩した。ドライがシルベスターより早く口を開く。


 「引っかかってたんだ。人間を……、よわっちい生き物を守護するアンタの思想から一つだけはみ出した物がある。当ててやろうか?」


 ドライは、態と広く高い玉座の天井に声を響かせる。シルベスターは何も言わない。ドライがいわんとしている事を、既に知っていたのである。

 ローズは愛するドライの腕にいながら、ドライに恐怖を感じた。それは自分の知っている、目先の利益だけを追い、自分だけを見つめるドライではなかったからだ。今居るのは、自分たち将来を予測し、考えている得体の知れない男である。そんな不安をドライが見逃すはずはない。彼女の肩を抱いた彼の掌から、声が聞こえた。


 〈こわがんな、愛してるぜ。愛してる……〉


 その声は、ドライ以上を感じた。彼を信じる心を強く持つために、レッドスナイパーに手を掛ける。


 「それはな、俺達だ。違うか?」


 ドライがそう言うと同時に、「自分たちが人間ではない」と、ブラニーが言ったその言葉が、シンプソンの脳裏に蘇る。


 「なら、言うことは何もあるまい。役目を終えた今、お前達の力に相応しい世界で生きよ。嫌なら……」

 「ヤダね!俺はいやだぜ。役目だから?!冗談じゃねぇ、俺が人間として生きてきた二七年間を、その一言で、否定しようって言うには、一寸虫がいいんじゃねぇか?」


 ドライは、ローズを肩を抱きながらゆっくりと立ち上がる。そして、椅子の横に立て掛けていたブラッドシャウトを抜く。


 「それは本当なのですか?!シルベスター!!」


 オーディンは、まだ剣を鞘から抜かず。いつでも戦闘態勢に入れるよう。構えだけを見せる。

 シルベスターは、オーディンに対する答えを述べるように言う。


 「諸君等は、ドライと同意見か?」


 即座に皆頷く。彼等は、自分たちの平和を取り戻すため、命がけで戦うことを決意したのだ。それが真実であり、誰のためでもない。世界のためだという重苦しい題目が、その次にあるのは事実だ。しかしそれを真に願っていることもまた事実である。


 シンプソンには、ブラニーの言っていたことが良く解った。自分たちは人間ではない。どれだけ人間からかけ離れていても、人間であり。そして、どれだけ人間の姿を装っていても、人間ではない。自分たちがまさにそれなのである。ブラニーにそう言われた筈なのに、シルベスターから突き放され、人でないが故に、安住の地が得られない矛盾に、クロノアールの言う平等が一部正しい事に気づく。そしてシルベスターは、「人間」の愛に潔癖すぎた。だが、愛を誓ったノアー、孤児院の子供達、シンプソンにそれを捨てることが出来ようか、いや、出来るはずがない。


 「もし、セシルが此処にいたら、彼奴のことだ。間違いなくアンタに着く。彼奴は純粋にアンタを信じているからな。そして、アンタを倒すには今しかねぇ……」

 ドライが腰を低く膝を柔らかくし、スタンスを肩幅よりやや広めに取り、左を前に構える。

 「そう、今だけであろうな。だが、それは誤算だ!」


 シルベスターが無動作で、ドライ目掛けて強烈な光の光線を放ってくる。ドライは、咄嗟に剣を床に突き刺し、両手を前に押し出し、レッドシールドを張る。跳ね返すには、跳ね返すが。肩、肘にかかる負担が異常に大きい。足が後ろに滑り始める。だが、下手に逃げると、オーディンやローズに当たりかねない。


 ローズがドライの脇から飛び出し、動きのないシルベスターに斬りかかる。そしてオーディンは既にドライの頭上からシルベスターを攻めていた。


 「なんでだ!テメェ!!魔力は疎か体力も結構底に来てるはずだ!!!」

 「魔力は無いが、自然の力は何時も気に満ちあふれている。それを少しばかり借りただけだ。そしてお前達は、守備の要を欠いている!!」

 ドライに攻撃を集中していたシルベスターが、一度それを緩め、自分を殺しにかかるローズと、オーディンに標的を変える。ドライは、膝をガクつかせ、しゃがみ込む。


 シルベスターは、素早く体を裁き、まず一足早いオーディンの攻撃をかわすと同時に彼の腕を掴み、天井に向かい放りあげ、その隙を突こうとするローズの剣をかわし、掌に空気を圧縮し、それを彼女にぶつける。


 ローズは空気塊に弾き飛ばされ、ドライの後方の壁に叩き付けられ、壁を壊しながら、前のめりに倒れ込む。


 時間差で落ちてくる筈のオーディンを捉えるため、上を見上げるが、オーディンは居ない。

 彼は、放り投げられたことを逆に利用し、天井を蹴り、既にシルベスターの後方へと回り込んでいた。


 「オオオオ!!」


 そして銀に光った剣が背中からシルベスターの心臓を一気に貫く。ドライを襲っていた攻撃が止む。四人は一瞬、勝利を確信し、静まり返ってしまった。その時にシンプソンがドライの側に駆け、ドライに肩を貸し、共に立ち上がる。


 「済みませんドライさん、実は私、限界以上に魔力を使っていて、殆ど回復していないんです。済みません」

 「気にすんな、あんだけ頑張ったんだ。仕方がねぇさ。それに終わったことだよ。オーディン!いつまでやってんだ!!」


 シルベスターの心臓を貫いたオーディンは、まだそのままの体制だった。彼等にはシルベスターが壁となり、オーディンの表情は見えない。


 「抜けないんだ!剣が……」


 必死に剣を抜こうとしたが、微動だにしない。それどころかシルベスターすら動かせないのだ。


 「なんだって?」


 そう言って、ドライがシンプソンから離れ、オーディンに近づいた瞬間、シルベスターの指がピクリと動く。


 「一瞬だが、痛みに気を失ったよ」


 そして焦点を戻し、そう言って、ハート・ザ・ブルーを両手で掴み、刃をぐるりと左に向け、左脇へと一気に剣を引き抜いた。赤い鮮血がどっと吹き出す。

 その様子を見たドライは、迷わずシルベスターの懐に飛び込み、彼の両腕を取り、飛びながらヘッドバッドをする。勿論シルベスターに直接の攻撃がまともに通用するわけではないと思っていた。あまりにも近すぎるオーディンに、逃げる隙を与えるためにしたことだ。だが、以外にもこれがシルベスターに通じた。蹌踉けて跪いたのである。その代わりドライの額もぱっくりと割れていた。その間に、ドライも間合いを取ることにする。そしてピンと来た。


 「ははぁん、幾ら肉体が多重構造でも、やっぱそこだけは、一応のダメージは望めるみてぇだな」


 三次元の平行感覚を保つためには、三次元用の三半規管が必要なのだ。もちろん三次元にそれが触れていなければ、全く意味がない。


 「良かろう!それを答えと取るぞ!!」


 怒れるシルベスターは、すぐさま立ち上がり、先ほどとは比べ物にならない波動を彼等にぶつけてくる。一撃で葬るには十分な破壊力だ。無条件に防御魔法を張れるシンプソンは、そう言う状態ではない。今この衝撃に対応できるのは、ドライしかいない。必死に押さえ込むドライの首筋に幾重に血管が浮き出る。


 〈比奴はマジで誤算だぜ!!〉「ローズ!!一時撤退だ!転移の魔法の準備をしろ!!」


 「ドライ!ゴメン……、さっき腕を折っちゃって……」


 ローズは先ほど壁にぶつかった衝撃で、利き腕を折っていたのだ。事態は更に悪い方へと進む。

 ピシ!その時妙な音がする。ドライの前方からだ。ドライのシールドにヒビが入ったのだ。ブシュゥ!!肉が裂ける音と同時に、分厚いジャケットの右肩を突き破るように血が吹き出す。


 「痛!!」


 ドライは、痛みを口にすると同時に、彼女の名を読んで、ローズに無理を要求する。


 「ローズ!」


 シンプソンが、懸命にローズの治療に当たる。その間もドライの方を幾度と無く覗く。

 バリバリ!!更に嫌な音がする。


 「シンプソン!頼む!ドライがもうもたん!!」

 「解っていますよオーディン!!」

 「早くしやがれ!!」


 ドライが叫ぶと同時に、今度は彼の左肩が破裂する。その時には、シールド全体が、細かい亀裂で埋め尽くされていた。そして、シールドの端がボロボロと欠け始める。真上に跳ね返していたいた魔法が、不規則にぶれ始める。


 「ドライ!!」


 ローズの声が聞こえる。ドライは右手で剣を持っち、ローズに寄ったその時、シールドが崩壊し、隙間から漏れた波動がドライの身体を突き抜ける。そして、ドライの身体を飲み込みかけた瞬間、転移の魔法が完了した。


 ローズが咄嗟に念じた場所はただ一つ。それは、シンプソン孤児院だ。ポイントが僅かにずれ、場所は孤児院からは離れたが、それでも目と鼻の先にある。しかしそれが目に入らない事態が起こっていたのである。


 ローズの膝に抱かれていたドライは血みどろになり、両足は、無惨に焼けこげていた。しかし致命的なのは内蔵が引き裂かれ、外へと飛び出し焼けていることだった。


 「ドライ!!」


 ローズが叫ぶ。


 「ドライ!」


 オーディンが、呼びかける。


 「ドライさん!!」


 シンプソンが声を張り上げる。


 「う……あ……」

 「喋るな!ドライ、安静にしてろ!誰か!誰か居ないかぁ!!」

 「天なる父よ。この者の傷を癒し……」

 「ローズ!そのレヴェルでの魔法では治癒は不可能です!!」

 「いいんだ……。もう、痛みはねぇ……」


 まるでパニックになっている三人を、落ち着かせるようなドライの声は、自分の状態を悟っていた。彼は僅かな命の灯火に、全ての集中力を注ぎ、上から覗き込む三人をゆっくりと見渡す。それぞれの顔が歪んでいる。なんだろう、妙に嬉しい。


 「ロー……ズ……あ……」


 ドライは、持ち上げた左手が目にはいると、落胆する。


 「指輪なくしちまった……」


 悲痛なことに左の薬指だけがそっくり持っていかれていたのだ。そんな左手を、ローズは力一杯握りしめた。


 「バカァ!指輪なんてどうでも良いじゃない!!生きるのよぉ!!」


 ローズは泣けなかった。ドライと視線を合わせると、泣けなかった。泣いてしまうと気が違ってしまいそうに思えた。

 オーディンの鬼気迫る声に、漸く駆けつけたのは、セシル、ドーヴァ、ノアー、そしてバハムートだった。あの短時間で彼等は此処までたどり着いていたのである。誰もがドライの惨い姿に息をのむ。


 「兄さん!!兄さん!どうして!誰も治療してあげないの?!」

 「皆、クロノアールとの戦いで疲れている!特にシンプソンは、シルベスターの守護で魔力がないんだ!!」

 「俺がやる!!」


 ドーヴァが、ドライの胸に手を当てる。


 「おお神よ。貴方の慈悲の御力で此処にいる者の息吹を少しずつこの者に分け与えたまえ……」


 だが、ドライの治癒に当たり始めた彼本人には、もはや彼が何をしても助かる域でないことは、既に解りきっていた。たとえ愛情の接吻をしたとしても、彼を生かすことは出来ない、ドライはそんな絶望的状態だった。

 ドライは、時間を急ぐように喋り始めた。


 「セシル……、前を見ろ……、逃げんな……、みんなの力に……。オーディン後を頼む絶対だぜ……」

 「バカヤロウ!!死ぬな!」


 オーディンがそう言ってドライの手を取った瞬間、彼の手はオーディンの手の中から滑り落ちる。


 「ドライ!!ドライーーー!!」


 ローズの声だけがドンヨリと曇り始めた空を突き抜けた。

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