第1部 第9話 §6

 それから何時間経っただろうか、彼等は乗船して二度目の朝を迎えた。その中で、ドライとローズは未だに心地よい眠りに身を任せていた。そんなときだった。突然の何かの衝撃で船が激しく振動する。二人は揺さぶられた勢いで、ベッドからはじき出されるようにして床に落ちてしまう。


 「イテテ……、時化か?」


 床に落ちたショックで目が覚めるが、今一状況が把握できない。振動は一回のみで、それっきり起こる様子は見られない。しかしもっと状況を把握していない人間がいた。


 「何?ドライったら……、床でしたいの?」


 ドライの下敷きになっているローズが朧気に目を覚まし、自分の上に乗っている彼の頭を幾度と無く撫でる。そしてそれを了解すべく彼の右足に足を絡め、目を潤ませてみせる。


 振動の原因が気になるドライだったが、ついつい色気に走ってしまいたくなる。その場主義に、彼女を愛し始めた瞬間だった。誰かが思いきり、戸を引き開けた。


 「ドライ!……」


 それは、オーディンだった。彼も寝ていたらしく、上着のボタンを留めないまま、ノックも無しに戸を引き開けたのだった。よほど気が動転していたのだろう、普段の彼らしくない行動だった。それに非常時にノックも何もあったものではない。しかし、そんな彼の目に飛び込んできたのは、床の上で絡み合っている二人だった。


 「わぁ!す、スマン!!、その早く着替えろ!いや、服を着ろ!!」


 慌てた彼が戸を閉めながらゴチャゴチャと指示をする。

 二人は焦っているオーディンをおかしげに微笑み、彼の言うとおりにしてやることにした。それでものんびりと、ローズがドライの襟元を愛情深く整えているところに、今度はシルベスターの声が脳裏に直接聞こえてくる。


 〈何をぼやぼやしている。船尾の甲板にいる。お前達も早く来い……〉


 そんな声に、ドライはふっと溜息をつく。それから、戸を開け、赤面して照れているオーディンの背中を一つ強く叩き、三人で船尾の甲板に向かうことにする。

 目的の場所に着いた三人が一番最後だったようで、そこには既に、シルベスターを始め、シンプソン、セシル、ノアー、ドーヴァも居た。

 シルベスターは、行動の遅かった三人を少し見つめる。何となく怒っているようだ。しかしシルベスターは言葉少なく、すぐに船尾の延長線遥か彼方を見つめる。


 「お前達、今の振動は何か解るか?」

 落ち着いた単調とも思える早くもなく遅くもない調子で、誰にでも聞こえるように言う。


 「知らねぇよ。遠回しはいいから、さっさと言ってくれ」

 眠いところを起こされたドライが、わざわざ大きな欠伸をして、周囲の緊張感を無くそうとしている。


 「兄さん!もう少し丁寧に言って!さぁ、シルベスター、何がどうしたのか仰って下さい」


 セシルが、少し冷たい目でドライを横目で睨み上げ、背を見せ勿体ぶったようにしているシルベスターの背に、縋るように、声を震わせる。


 「良かろう。クロノアールが再び目覚めた。今のはその挨拶だ」

 「まさか、此処まで正確に届くのか……」


 オーディンが、シルベスターの横に立ち、彼の見つめている方角と視点を遠方の一点に集中する気持ちで眺める。しかし何も見えない。そのオーディンの横を、シルベスターがすうっと横切る。そして、皆のほぼ中心に立つ。


 「さあ、我が子孫達よ。決戦の時が来た」


 そしてもう一度、船尾に立ち、遠くを眺める。

 目覚めたクロノアールは、己が封じられていた遺跡へと戻っていた。そしてさらにそこには、ブラニーとルークが待ちかまえていた。


 「やあ、二人とも、僕を待っていたのかい?」


 ブラニーは、コクリと頷く。


 「でも僕を待っていたんじゃないだろ?」


 ブラニーはもう一度頷いた。それからゆっくりと話だす。


 「済みません、私はもう……」


 ブラニーがそこまで言うと、クロノアールが彼女の口元にそっと指先を伸ばす。


 「いいよ。僕は、強制はしない。誰もが己がままに生きる権利があるんだ。だから、君たちが此処で去るのも止めない。でもどうしても出さなきゃいけない犠牲もある。でもそれを最後にしたい。もうすぐシルベスター達が来る。早くどこかへ行った方が良いよ」


 クロノアールの手が、ブラニーとルークの肩に触れる。そして淋しそうにニコリと笑った。そんな彼の顔が、二人の瞳にハッキリと焼き付いた。


 「クロノアール様……」

 「クロノアール……、アンタ……」


 ブラニーは、たださびそうな彼に後ろめたさを感じただけだったが、ルークにはどうしようもない彼の意地のような物を感じた。それがあまりにも悲しく感じられてならなかった。

 そのときだ、ルークの右の視界が急に明るくなる。それは錯覚ではない。クロノアールがふれた瞬間に、失われたルークの右目が元に戻っていたのである。これは、今までの褒美とでもいうのであろうか。そしてブラニーの顔を走っていた、あの傷も消え失せている。自分の子孫に対するクロノアールの仕草は、実に優しく暖かい物だった。


 「さ、行って……」


 少し急いたクロノアールの最後の言葉にブラニーがもう一度だけ頷き、ルークと静かに姿を消した。

 待ちかまえるクロノアール。そしてこれからそこへ向かおうとしているシルベスター。ドライが一歩前に進む。


 「シルベスター、チョイだけ時間くれ……」

 「良かろう……」


 シルベスターが返事をするかしないかくらいの頃には、ドライは既にセシルの前に立っていた。そして、唐突に彼女の鳩尾を殴る。


 「兄……さ……ん?」


 彼女はドライの行動を理解できぬまま、意識を失ってしまう。そしてシルベスター以外の全員が、ドライを責め立てるような視線を送る。それはローズでさえ例外ではなかった。


 「ドライ!何故だ?!」


 こういうときのドライが、無意味な行動をするはずがない。そう信じることにしたオーディンが、後方からドライの肩を強く掴み、自分の方を向かせた。昔なら一発殴っているところだ。


 「比奴には、荷が重すぎんだよ……、実戦経験があせぇ……、返って邪魔になる。それに、比奴はこれからだ!ドーヴァ!!セシルを頼むぜ……」

 ドライの目がオーディンに強く訴え掛けていた。そして、誰にも有無を言わせない張りつめた気を放ち、激しい口調で周囲を押さえつけた。


 「ああ……」


 ドーヴァは、セシルを腕に抱き、ドライの意志を酌む。

 ドーヴァと視線を交わしたドライは今度はローズの方を向く。そして一歩だけ彼女に近づく。今目の前にした光景に、流石に警戒するローズだった。しかしそんなローズに逆にドライがクスクスと笑う。


 「オメェは、転移の魔法ですぐに追ってくるだろうが、それに、オメェならいざと言うとき守りやすいしな」

 そう言って彼女の頭をグリグリと乱暴に撫でる。


 「それで良いんだな、ドライ=サヴァラスティア……」


 シルベスターが向こうを向いたまま、そう呟くように言う。何だか全て方針が決まったような口振りだった。そんなシルベスターに対し、ドライは口元をヘラヘラとにやけさせる。あまり良い感じの笑いといえる物ではなかった。


 「お前達に一つだけ授けておく技がある。戦闘で大いに役立つことだ。良いな……」


 シルベスターの話し方は相変わらず単調だった。存在の大きさのせいか、時間が経った割にはあまり馴れることが出来ない彼等だった。

 シルベスターが彼等に向かって掌を向けると、ドライ達の脳裏に一つの呪文が流れ込む。それは飛空の魔法であった。ローズ以外は、完全に空を飛ぶことの出来る者はいない。


 「へぇ、これは有り難いね」


 ドライがそう言う頃には、魔法のメカニズムが彼等の頭脳組み込み終わっていた。

 これで全ての準備が整った。そしてシルベスターと、セシルを除いたその子孫は、瞬時にその場から姿を消す。そして次の瞬間クロノアールの待っている宙を彷徨う孤島に姿を現すのだった。しかもクロノアールの眼前である。

 シルベスターとクロノアールは、その時が来るのを解っていたように、互いを見据える。


 「どうしても駄目なんだね、兄上……」

 「引けぬか?クロノアールよ」


 二人が淋しく呟く。しかし互いの思想が変わらぬ事はもう既に解ったいることだ。それでもなお無駄な犠牲を出したくない、そんな二人の心が、つい無駄な言葉を出させてしまう。

 暫く時間を噛みしめる二人。そしてその時はゆっくりと動き始めた。そして動き出した時は急速に流れ出す。


 「はぁ!!」


 二人が同時に気を込め、互いに攻撃を仕掛ける。棒立ちのまま、二人の放った強大な魔力は、中央で激しくぶつかり合い、その力は互角だった。


 「趣味じゃねえんだけどな!」


 二人は互いだけを意識しているため動きがない。隙だらけのクロノアールに、隙さずドライがぼやき、自分のポリシーと使命を脳裏に交錯させながら斬りかかる。

 クロノアールはそのドライを、光線を眼から放ち、牽制する。シルベスターに力を注いでいるためか、威力はさほど感じられない。ドライは身軽に飛び跳ね、隙さずブラッドシャウトを抜き、魔法を明後日の方向に跳ね返し、距離を詰め、剣をクロノアールに突き刺す。しかし、肉体を貫いた感触がない。


 「あら?」

 「ドライ!剣に意識を集中しないか!!」


 オーディンが間抜けなドライのフォローをするため、逆方向からクロノアールに突撃する。しかし、二人に挟まれたクロノアールは、攻撃を守備に切り替え、瞬時に身体全体をシールドに包む。オーディンの攻撃はこのシールドに阻まれてしまう。だが、クロノアールもこれによって攻撃が出来なくなってしまったようだ。


 直後シルベスターも攻撃を止める。


 「これより、クロノアールを再封印するため、しばしトランス状態に入る!頼んだぞ!!」


 シルベスターはそう言って、シンプソンを見る。彼は自分の身の安全をシンプソンに委ねたのだ。その彼が隙さずシールドを張る。


 「そうは行かないよ。エイ・ラー・スティン・ジオ・ジェイド、エイアガン!」


 クロノアールは、詠唱と同時にシルベスターに向かい、銃を構えるポーズを取る。その瞬間、シールドの上からですらシンプソンの両腕を痺れさせるほどの強烈な風が二人を襲い、周囲の床が大地ごと抉られ、二人の後方の壁は、全て吹き飛んだ。外の日差しが此処まで差し込んでくる。シンプソンは何とか、持ちこたえているようだ。


 クロノアールの攻撃は、シルベスターに止まらず、ドライ、オーディン、ローズにも向けられる。シンプソンを襲った剛風が、三人を襲う。オーディンはハート・ザ・ブルーで、その魔力を吸収し、ドライはレッドシールドを張る。そしてローズは転移の魔法でドライの後方に回り込む。


 ローズを目掛けた魔法は、大地を突き抜け、その膨大な摩擦熱が蒸気を発し、室内がサウナのように蒸し暑くなる。数秒後、ドドド!!ザザザ!!と、水面にぶち当たる音が聞こえた。魔法の信じられない破壊力にドライとオーディンは、冷や汗を流す。


 「おいおいおい……」

 「ゴクン……」


 しかしローズは違った。古代魔法の使い手である彼女にとって、死に至る敗北を見せられたばかりか、常識を越えた魔力を見せられ、妙に闘志が沸いてきたのだ。


 「みんな防御してないと命の保証しないわよ!!サテライトガンナー!!」


 ローズが呪文を唱えると、彼女自身に自動的に球体で身長大のシールだが張られる。それを見てドライがオーディンの側に寄り、上空に向かってレッドシールドを張る。シンプソンはシールドを張りっぱなしだ。

 数秒後、赤色の直系1メートルほどのレーザーが、何十本も彼等を襲う。間が空いたためクロノアールも万全な防御を張っている。建物が崩れ、大地が地震のように激震し、全てが崩れ始める。


 ドライ達は覚え立ての飛空の魔法を懸命に唱える。次に息を付く瞬間まで、彼等は何が起こったか全く理解できなかった。そして気がついた時には、目下には泡だった永遠に広い海が見えた。


 「バカヤロー!!テメェちっともクロノアールに当たってねぇじゃねぇか!!」

 「関係ないわ!!こっちだってでっかいのを見せておかなきゃ!!」

 「二人とも!来るぞ!!」


 固まって内輪喧嘩をしているドライとローズに向かって水の龍が突っ込んでくる。そして、二股三股と分離して、彼等を襲ってきた。


 「ホーミングアロー!!」


 ローズは旋回しながら、追尾式の魔法を放ち、それを砕く。

 ドライが反魔刀でクロノアールのシールドを破壊し、オーディンがその切れ目に目掛け技を仕掛ける。


 「飛天鳳凰剣、奥義鳳凰天舞!!」


 オーディンは、身体に激しく燃えさかる炎を身に纏い、クロノアールに突進した。そしてこれがクロノアールに与えた初めてのダメージでもあった。

 クロノアールは、オーディンに弾き飛ばされ大海に叩き付けられる。しぶきが高く上がりその存在を確認できなくなってしまった。


 「ち、先越されたなぁ……」


 ドライがこの非常時に、残念そうにぼやく。


 「そう言うな、体が軽いんでな、今日はいけそうだ」


 自分たちの力がクロノアールに通用することが解り、オーディンもリラックスした様子で宙を舞いながらドライに近づき、彼の横に並び、白く泡立つ海面を眺め、クロノアールの存在を確認しようとする。


 「私も体が軽いわ、魔力だって底なしって感じ……」


 ローズが二人の背中に張り付き、三人で視界を補いあう。

 彼等が身体を軽く感じるのは、言うまでもなくシルベスターの血が覚醒したせいだった。そして、リラックスすることにより、完全とは行かなかったがその力は確実に発揮されている。

 次の瞬間、三人の真下からクロノアールが、猛スピードで迫ってきた。速度は三人とはまるで比にならない。かわすことも出来ず、力のみで弾き飛ばされてしまう三人だった。

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