第1部 第9話 §5

 その頃他のメンバーは、疲れていたせいもあってすっかり眠りについていた。ただし、バハムートは、激しい嵐の中、船を航行させるために四苦八苦していた。そして朝が来る。昨日までとは全く異なった朝だ。宙を彷徨う陸地とは別に、大海には新たな陸地も出現し、宙を舞う巨大な生物の数は激増していた。心の中に不安な空気が漂う。その心をあざ笑うように、空はすっきりと晴れている。


 「御老体……」


 オーディンが操舵室に現れた。一番健康的な朝を迎え、表情も昨日とは異なりすっきりとしている。しかし、表情の険しさは取れることはなかった。


 「誰じゃったかな?」

 バハムートは、仮面を外した、しかも左顔面のすっきりしたオーディンに戸惑いながら、必死で思い出そうとしている。


 「オーディンです」


 流石のオーディンも大人げないと思いながらも、これにはムッとした。仮面が無い分、喜怒哀楽がハッキリと解る。

 彼は気を取り直し、美しく日差しが刺す外を眺めた。状況は刻一刻と変化している。その状況に更に眉間に皺を寄せた。


 「まだ……、怒っているのか?お主……」


 バハムートは、先ほどのことにかなり気を使っているようだ。オーディンは、俯き加減にこれに澄まして笑いながら、首を横に振ってやった。そしてもう一度窓の外の遠くまで眺める。彼は考えた。シルベスターは蘇った。だが、それから何をするのだろう。クロノアールとの激しい戦いで、自分の不甲斐なさを痛感し、自信の無くなった自分に何が出来るのだろうか。死ぬのが怖いのではない。仲間を守れないのが怖いのだ。


 「ふぁあ……、おはよっす!」


 そんなオーディンの悩みが全く無駄な心配かのような無神経な欠伸をしながら、ドライが操舵室に入ってくる。そして、背伸びをしながらオーディンの横に立つ。彼も世界の様子が気になるようだ。


 「ドライ、ボタンを掛け違えてるぞ……」

 「ん?ああ、サンキュー、で、どうだ?外は……」


 ドライは、すぐにボタンをかけ直す。


 「最悪のようだ。レディーは?」

 「彼奴なら、まだ寝てる。何で?」

 「いや……、昨日の事を謝っておきたくてな……、私がもっとしっかりしていれば……」

 「気にすんなよ。ああして、元気に帰ってきたんだぜ!お前一人じゃねぇよ」


 ポンポンと、無神経な感じでオーディンの肩を二、三度叩き。眠たそうな顔を綻ばせる。


 「そうだな」


 そうだ、自分一人の力を誇示するより、互いの隙を補えあえる仲間がいるのだ。ドライには、仲間を信じろと言っていたのに、自分もそれを怠っていた。彼は自分に対する責任が強すぎるのだ。いい加減に思えるドライの言葉で、肩が少し軽くなる。

 ドライとしては、おかしな話だった。孤独さは、他の誰よりも彼自身が一番味わってきた筈であり、周囲を否定するのもどちらと言うまでもなく彼の方だった。それが、ドライ=サヴァラスティアという壁が、崩れただけで人格がこうも変わってしまうのだ。人を励ますなど、柄にもない。自分でも笑いたくなってしまった。


 「にしても、爺さん。良く短期間で此処まで作ったな。それに俺達の居場所も良く解ったな」


 ドライが、急に話を変え、その辺の装置を触り始める。それがマリーの生み出したモノだと思うと彼女を妙に懐かしく感じる。


 「こら!勝手に触るな!アカデミーの古代科学班が不眠不休でマリー殿の資料を基に開発したんじゃ、後は転移の魔法で孤児院と南セルゲイ大陸にあるアカデミー本部を行ったり来たりじゃ、お前さん等の位地は、ノアーの遠視で何とか探してもらったんじゃ、比奴があれば旅が随分楽になるだろうと思っての」


 バハムートがドライを睨み付けた。ドライは、妙な殺気を感じ装置に触れるのを止める。


 「そりゃどうも、お世話様……、所で、この船何処に向かってんだ?」

 「サンドレア地方にあるシンプソン君の村じゃ。彼処はノアーの結界があるからの、此処よりは安全じゃ」

 「あ、そ」


 ドライはそう言うと、スクリと立ち上がり。操舵室を出て行こうとする。


 「何処へ行くんじゃ?」


 入ってきて十分も経たないと言うのに、さっさと立ち去ろうとするドライをバハムートが横目で疑問視する。


 「寝る」


 邪魔くさそうに一度だけ愛想無く左手を挙げ、右手をズボンのポケットに突っ込み、そこを出て行く。そんな彼が、大欠伸を手で仰ぎながら、船内の廊下をだらしなく足を投げ出すように歩いていると、シンプソンとノアーが、彼の部屋からヒョッコリと姿を現す。


 こういう場面を見ると、彼は冷やかさずにはいられない。早速馴れ馴れしく二人の間に割り込み、彼等の肩に腕をかける。


 「よぉよぉご両人!夕べは随分船が揺れたぜ、沈むかと思ったもんなぁ」


 シンプソンとノアーの顔を交互に覗き込み、ニヤニヤとスケベ笑いをする。確かにそう言う事実があっただけに、シンプソンは反論することが出来ず、ただ顔を沸騰しそうのほど真っ赤にしている。


 まあ、シンプソンの反応はこんなモノだと踏んでいた。今度はノアーだ。


 「でよ、どうだった?メガネ君は普段良い子だからなぁ……で!!」


 突然後ろから拳が飛んでくる。


 「そう言うところは、変化無いんだからアンタは……」


 三人の後ろであきれ返ったローズが、殴った手を痛そうにふっている。シンプソンはホッと胸をなで下ろす。


 「なんだ、起きたのかよ」


 一寸冷やかしの過ぎた自分を反省し、殴られたことが妙に嬉しそうに笑いながら左手で後頭部を撫でながら、ローズの顔に唇を近づける。ローズは近づいたドライの顔を両手で挟み、オハヨウのキスをする。


 その時ノアーはドライの左手の薬指に指輪がはめられている事に気がつく。そしてドライの首元に廻ったローズの指にもキラリと光るモノを見つける。デザインが似ていることから、それらが対になっているのが解る。そんな二人が羨ましく思える彼女は、シンプソンの腕に絡みつき、頬を彼の肩に寄せ、彼の手をぎゅっと握りしめた。シンプソンも答えを返すように、その手を暖かく握ってやる。


 「全てが収まれば……、必ず……」

 「はい……」


 彼等が仲むつまじく愛し合っているとき、シルベスターの子孫である彼等に、彼の声が聞こえた。用があるようで、一人一人の名を呼んでいる。ノアーやドーヴァ、バハムートにはその声は聞こえない。

 それぞれに彼のいる場所に駆けつけると、シルベスターは部屋の壁をじっと見つめている。そして全員が部屋に入ると感じると、集まった彼等の方を向き、おもむろに近づいた。更に肩の高さあたりに腕を上げその前で柔らかく空気を持ち上げるようにして、目の前で掌を向かい合わせる。するとそこから突然に、ブラッドシャウトや、レッドスナイパーなど、各々部屋にあった筈の得物が出現する。


 「お前達は、自分たちの武器を完全に使いこなせていないようだ。早く拾え」


 イヤに冷淡で命令口調のシルベスターに、ムッときたのはローズだった。何処を見ているのか解らない銀色の瞳も気になる。ドライもムッときたのだが、「使命」を思いだした彼には、素直に拾うことにする。オーディン、シンプソンは、何が始まるのか、返って楽しみだった。セシルが疑問を持つはずもない。


 「先ずは、ドライ、ローズ、オーディン、君らの武器は、魔法を跳ね返す、または吸収する武器であり、必要に応じて多次元における肉体保持生命体、つまりアストラルボディーを持つ生命体を斬る事も可能な武器だ。普段そうでないのは、その生命体が三次元の他に、どの次元に肉体を置いているのか、五次元、あるいは六次元か……、星幽体であるケースが殆どだが。それは君らの持っている第六感が判断してくれるが、その意志を剣に伝える術を知らない。最もそれも意志の力であり、倒すべき相手を見極めるか如何によるモノだが?その相手とは誰か?答えよローズ=ヴェルヴェット」


 「クロノアールでしょ?」


 わざわざ持って回った言い回しをするシルベスターに、更にツンとするローズだった。言い方があまりにも固すぎるのも原因の一つである。


 「そう。現状の敵は、彼以外はいない。そして、セシル、シンプソン、君たちは魔法による攻防で私をアシストして欲しい。だが、その間の隙はどうしようもないモノだ。よってその武具は、魔法の速射及び、放射魔力を軽減してくれるだけではなく、念じることにより、それぞれ法衣が生まれ、八十パーセント、クロノアールの魔力を防いでくれる。幾ら私でも彼の攻撃をそれ以上に軽減する物質を創ることはできん。少しやって見ろ」

 「一寸待ってくれ、セシルやメガネ君達は、どうかしらんが、俺とローズの武器は遺跡で拾ったモノだ。話があわねぇぜ!」


 ドライは一歩前に進み、シルベスターを睨みあげる。一方的な話の仕方を流石に疑問視した。ローズの不満を解くためでもある。


 「カンタンだ。君等の出現時期、そしてそれぞれの武具が必要な時期は、大体解っていた。何より私の直系たる者は、それなりに試練を積んでもらわねばならん。あの遺跡はそれに丁度良かった。疑問は解いたな、さぁやってみろ」


 「兎に角やってみよう」


 オーディンがオーソドックスに構え、あの時の厳しい状況を思い出しながら、剣に意識を集中してみせる。するとハート・ザ・ブルーの青い刀身が名見る見るうちに銀に輝き始める。それ以外の変化はなさそうだが、それが一番重要なことなのだ。オーディンの剣を見たシルベスターが、満足そうに頷く。


 そして、オーディンの変化を見たドライとローズも同じように意識を集中する。あの時に危機感がコツになったようで、さほど手こずることなく剣を輝かせることが出来る。

 その後方で、杖を翳したシンプソンと、ティアラを額に装着したセシルが、シルベスターと同じような真っ白な衣を身に纏っていた。唐突な変化に驚きを隠しきれない二人だが、シルベスターは、もう一度だけ大きく頷く。


 「よし、諸君等の出来は、良く解った。後はクロノアールとの決戦まで、心身共に休めておくがよい」


 シルベスターはそう言うと背中を向ける。用は済んだから出て行けと言わんばかりだ。なんだか居辛い雰囲気なってしまった。それに居てもすることはない。愛想の無さが引っかかるが、部屋を出ることにする。


 その後、ローズは眠いと言って部屋に帰ってしまう。寝るはずだったドライはそのきっかけを無くし、気分転換に、甲板に出ることにした。


 甲板に出たドライは、世界の事情とは裏腹に澄みきった空を眺め両手を組み、一つ大きく背伸びをし、腕を組み、船縁に肘を付く。そして風が強くしかし心地よく右頬を撫でる。この間にも、この世界の生物達は、死に追いやられているのだ。ひょっとすると絶滅した種もあるかもしれない。だが、天候のせいか、心は落ち着いている。まるで、嵐の前触れかのように……。そんな無責任な感覚がドライ=サヴァラスティアなのだろう。兎に角、シルベスターが動かない限り、事は始まらない。そんな冷静さは、シュランディアなのだろうか。今は、初めて眺めるこの上からの景色に目をやることにする。雄大な景色が右から左へと流れて行く。しかし宙には、相変わらず巨大な生物が彷徨っている。船に近寄らないのは、シルベスターの圧力のせいなのかもしれない。


 色々なことを漠然と風に流すように考えていると、後ろのほう、多分船内に向かう入り口であろう方向から、コツコツと足音が近づいてくる。

 ドライはそれに振り返らなかった。彼の足音は聞き慣れているからだ。オーディンがドライの風下に彼と同じようなポーズで船縁にもたれる。


 「いい気持ちだな」


 オーディンは、変わり果ててしまう世界に、落ち着いた寂しさの混じった声で、頬に当たる風に目を細め、眼下の景色を一つ眺めた。


 「ああ……」


 ドライの声も落ち着いていたが、その内容は全く違った。

 二人は暫く時間を無駄に流した。何となく会話がいらない気がしたからだ。最初は啀み合っていたが、今は側にいても、互いに何も棘は感じなかった。つかの間のゆとりにそんな互いを意識してみる。そもそもオーディンは、この末期に自分を見直すためにわざわざドライの横に来たのだった。オーディンは横を向いたまま話した。


 「なあ、ドライ、貴公は、こういう立場をどう思う?」

 「あん?」


 オーディンの余りにも唐突でおおざっぱな質問に面食らう。オーディンだから何か深い意味があるのはもう解るが、相変わらずに思え、持って回ったような言い回しに、少し渋い顔をして、視線だけを風下のオーディンに向けた。

 以前のドライなら、此処で突っかかる言い方をするが、今回は一寸間をおき、正面を向き、彼の言いたいとする内容を自分なり咀嚼してみた。少しシュランディアが顔を出す。


 「どうって、そりゃ……、どうなんだ?」


 しかし、余りにも範囲が広すぎて、どうも話の内容を捉えきることが出来ない。今度は顔を向けて、やはり渋い顔でオーディンの言いたいことを確認する。


 「いまこの世界の全てが我々の双肩にかかっている。そんな重大な責務を、果たして負いきれるかどうか、考えなかったか?」


 オーディンは、もう一度視界に入るだけの景色を眺めた。ドライは肘を付くのを止め、今度は背でもたれ、肘をかける。


 「そっか……、もし俺がシュランディアのままだったら、きっと今のオメェの気持ちは良く解ったと思うぜ。今は何となくだ。けど俺はドライだ。『なるようになる』さ……、要は殺るか殺られるか……だ。しかし……」


 ドライの顔が一度無責任な笑みを見せ、その直後口を噤み、オーディンとは逆の景色を眺める。奇麗だが右も左も余り変わりはない。


 「しかし?」


 オーディンは、風に乱された髪を掻き上げながら、顔を横に向けドライを見る。


 「俺も昔のドライじゃねぇ、守りてぇものがある。ローズにセシル。出来りゃ、何奴の血を見るのもゴメンだ」


 ドライが風でくしゃくしゃになった髪を手で押さえ、空を見上げる。突き抜けた空の青が妙に目にしみる。それからもう一度ふっと息を漏しそれからケタケタと笑った。考えてみれば、こう言う真面目な話題で、しかも素面のままでオーディンと会話したのはこれが初めてのような気にした。それが何だかおかしかった。


 ドライとは対象にオーディンは、何故彼が急に笑い出したのか解らなかった。何故なら彼は、話をするときは何時も真剣で、至って真面目だからだ。しかし、何かを思い出して笑っているのだろうと解釈することにした。ドライの笑いの正確な意味を理解できないまま、再び景色を眺める。何が見つかるわけでもないが、ゆとりを持ってみる久しぶりの景色だ。その時ふと昔を思い出す。大魔導戦争が起こる前、彼の心が豊かなあの頃は、セルフィーとニーネと共に、よく煉瓦造りの厳めしい街の外へ行き、美しい自然を眺にハイキングに行ったモノだ。もし世界が平和を取り戻したのならば、もう一度新たな友と、そんな景色を眺めに行きたい。そんな想いがつい口に出てしまう。


 「ドライ、この戦いが終わったら、貴公はどうするつもりだ?まだ賞金稼ぎをするつもりか?」


 そんな彼が口にした言葉は、何となく身の上相談的になってしまう。顔が真面目だけに、ドライには、本当にそう聞こえてしまった。

 ドライは俯き、目を閉じ、その質問に少し疲れた様子を見せて、三往復ばかり首を横に振る。


 「いや、俺はもう引退するつもりだ。俺が賞金稼ぎをしてたのは、別に金目的じゃねぇし、金ならもう作る必要もねぇ。ローズと何処かでのんびりやってく。彼奴の望みだし……」


 ドライは、剣を捨てるようだ。しかしその表情は、オーディンが横に並んだときと同じように穏やかだった。その心がオーディンの心に入り込んでくる。穏やかな彼にオーディンは微笑みたくなった。しかし、表情に出すことはなかった。しかし、ドライの言葉の中に何かが足りないのを感じた。


 「ドライ、セシルはどうするつもりだ?」


 オーディンがこれまで以上に真剣な顔つきで、悪い答えがドライの口から出る決めつけたように、眉間に皺を寄せる。


 「あん?!セシルってオメェ、あえてそこまで言う必要あんのか?相変わらず細かい奴だなぁ」


 ドライも眉間に皺を寄せ、それから怠そうに几帳面なオーディンを下から見上げる。そして、ゆっくりと腰を上げ、面倒臭そうにその話題を避けるようにして船内に向かおうとする。


 「いや、貴公はそういう所が無責任だからなぁ!きちんと口にしてもらう必要がある!」


 そう言って隙さず両腕を広げてドライの進路を鬱ぐ。しかしその時のオーディンは、何とも巫山戯て今にも吹き出しそうにニヤニヤしていた。そんな顔なものだから、オーディンの心中は、ドライに悟られてしまっている。


 「け!やっぱオメェ仮面あった方が良いぜ!!」

 「おい!冗談だ、そんなに怒るなよ」


 二人は、揉めるか揉めないかの瀬戸際のように絡み合いながら、船内に戻っていった。

 その時シンプソンは、と言うと、自分の部屋のベッドの上にてノアーに膝枕をしてもらい耳の掃除をしてもらっていた。


 「旅の間、きちんと掃除されておられたのですか?」

 「い、いえ、その……済みません……」


 心地よい良い柔らかさと香りが妙に照れ臭い。昨夜のことを考えれば、何らその様なことはないのだが、服の上からだというのにその感触が妙に生々しい。思わず赤面をしてしまっている。それでも何だか幸せ一杯の彼だった。

 そんな彼の部屋の前を、先ほどの二人がまだ、アアでもないこうでもないと言いながら通り過ぎて行く。そして、手を拭きながらお手洗いから出てきたドーヴァとすれ違う。だが、二人は全く無視だ。


 「なんや、こんな時に……。呑気な奴らやで」


 首を傾げながらそう呟いて、さり気なくセシルの部屋に戻るドーヴァだった。

 彼が言葉をつい出してしまったのは、一人真面目に決戦の時を待っているセシルの事を考えたからに他ならない。部屋に帰るとセシルが相変わらずベッドの上に腰を掛け、表情を固く強張らせている。ドライやオーディンとは、正反対だった。少し楽に構えていないと、かえって心身共に滅入ってくる。


 「なぁ、セシル。一寸は楽にしたらどないや?ドライの奴なんか遠足気分やで」


 彼はセシルの横にストンと腰を下ろす。その反動で多少上下に揺れる二人だった。自分の問いかけに、冴えない様子で小さく頷くセシルの肩を一寸間を悪そうに、顔を背けながら手を回す。しかし予想を反してセシルの反応は無い。ドーヴァとしては一瞬でも先のことを忘れて、振り返ってくれる事を期待していたのだ。


 「な、何なら俺も、ついていったるで……」


 彼は、自分でもとんでもないことを言っているのは良く解っていた。彼等が船に帰ってきた時に見た壮絶な光景が、ふと脳裏をよぎる。しかし、「少しでもセシルの力になれれば」そんな気持ちが恐怖を上回った。


 「そ、そんな!ダメ!!死ぬかもしれないのよ!!」


 セシルが反応し、ドーヴァの胸元を強く掴み、叱りつけるように彼を下から見上げる。


 「それやったら、なお一緒に行った方がええ!そしたらお前を守れるんや!!」


 ドーヴァも彼女の肩を強く掴む。その強さは、彼が初めて彼女とキスをしたときのように強く、セシルの体の機能を麻痺させてしまいそうだった。しかし、そのまま身を任せるわけには行かなかった。


 「私、死ぬのが怖いんじゃない。あの時のように……、兄さんも姉さんも、オーディンさんも必死に戦っていたのに、私は、クロノアールとどう対峙すべきかを知っていた筈の私が、逆に足手まといになってしまった!今度もきっとそうなるんじゃないか!って……」


 セシルは興奮して、汗ばんだ、彼の衣服を握りしめた手をゆっくりとほどき、自分の膝元に置く。しかし逆にドーヴァは、彼女を自分の方に引き寄せた。


 「セシル……お前の若さで死ぬことを割り切れるわけがあらへん。こう言うたら悪いけど、お前には相手の力量を見極める『戦士の感』があるようにはおもえん、もし死ぬことに恐怖がなかったら、突っ込めた筈や。怖い事は、何にも恥ずかしいことや無い。弱いこともや。今俺はそう思えるようになった。お前が叫んでくれたおかげや!だから今度は一瞬でも、お前の命は俺が守ったる。それに腹立つけど、ドライは強い。きっとみんなを引っ張ってくれる。と、思う……」


 勢いに乗りつい調子よくポンポンと言ってしまったドーヴァだが、最後の方は自信がなかったのか、言い過ぎた事を、照れ臭そうに語尾を窄める。それからセシルの反応を待ち、彼女の瞳に食い入る。


 セシルは、気迫の隠っていたドーヴァに、少しばかり吃驚して、暫く呆気にとられた様子で、口を半開きにしてぼうっとしている。そして、自分を励まそうとしているドーヴァを、逞しく感じた。今彼は懸命に自分を勇気づけ、励ましてくれている。それに答えなければならないと思うと、口がぱくぱくと動くだけで言葉にならない。


 「どうしたんや、金魚みたいにパクパクして」


 ドーヴァの顔は至って真剣だった。


 「き、金魚……、ひどぉい!」


 何故かセシルは金魚という言葉を聞いて、何故か出目金を思い出す。別に彼女の目が出ているわけではない。それに真剣に答えを返そうとしていた自分を茶化されたように思えた。プンプンと怒って彼の胸をドンドンと叩く。


 「べ、別にセシルが金魚みたいな顔してるって言うてへんがな!」

 「また言ったぁ!!」


 何故か出目金に固執するセシルだった。

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