第1部 第9話 §4

 一方オーディンの部屋を勢いよく駆け出したドーヴァは、ドライの部屋の前に来ていた。興奮で乱れた呼吸を怪しまれない程度に整えると、時間帯をわきまえずにノックをする。


 何度かノックするが、反応がない。無い方が当然なのだが、現在彼の思考は、自分の良いようにしか働いていない。もし誰も出てこないとか、ドライが出てきたらどうするのかなどの考えは、全く頭になかった。興奮している心とは逆に、根気よくノックを続ける。しかし、ノックの音が次第と大きくなっていた。


 「誰?こんな夜中に……」


 互いに相手が覗ける程度に扉が開く。そこから眠そうに目を擦るバスローブだけを羽織ったローズが、ドーヴァを不機嫌に見据え、右手で目を頻りに擦っている。

 しかし、ドーヴァにとってそんなことはどうでも良かった。ローズを見つけるとまず目で訴える。それから、言いたいことを口にし始めた。


 「一寸相談があるんや」


 巫山戯た様子はないが、妙に腰の低い自分に気がつく。少しムカッときたが、考えれば当然のことなので、此処は落ち着くことにした。


 「相談?なら明日にしてよ。眠いから」


 しかし、ローズはそんな彼の気持ちとは裏腹に、素っ気なくあっさりと押し売りを追い払うように、戸を閉めようとする。だが、そんなことをされれば、彼は今夜寝ることが出来なくなってしまう。慌てて入り口に足を突っ込み、それを妨害した。


 「ちょ!一寸待ってくれ!ホンママジで大事な話やねんて!オーディン推薦なんや!!」


 足は完全に扉の隙間に挟まれ、更に縋るようにその隙間から両手と顔を覗かせるドーヴァ。ローズは未だ寝ぼけ眼だ。閉まらない扉を見て、仕方が無く詳しい用件を聞くことにした。しかし隙があれば扉を閉めるつもりで、手を構えている。


 「推……薦?」

 「そうや!美人で格好良くて思いやりのあるローズ=ヴェルヴェットお姉様に相談せいて……」


 あまりにもさり気ない様子で、スラスラと出たドーヴァの言葉に、ローズの耳が急に別の生き物のようにピクピクと躍動を見せる。いわゆるダンボ状態である。


 「仕方がないわね、そこまで推されちゃ……」


 急にクールな様子で目を瞑り、髪を掻き上げ、今までの素っ気ない自分を誤魔化すようにして、緩やかに扉を開け、ドーヴァと面と向かう。その時に、ドライの大の字の寝姿がチラリとドーヴァの目をかすめる。今の彼にとってドライほど厄介な存在はない。出来ればどんなことがあっても避けたいのだ。


 「ちょ、一寸場所変えへんか?ドライは一寸、セシルのことなんや、頼むわ……」


 今度はさらに両掌を合わせ頭を引くくし、拝み倒す。セシルの名を聞いて、何となくピンと来たローズは、煽てられた心地よさもあって、すんなり彼の要求をのむ。しかしその前に、ドライが起きたときの場合を考えておく必要がある。


 「解ったわ、一寸待てて……」


 一度扉を閉めたローズは、寝ているドライの頬に手を当て、そっとキスをする。するとドライは、うっすらと目を覚ました。


 「どうした?」

 「一寸目が覚めたから、その辺ウロウロしてくるわ、だから気にしないで寝ててね」

 「ああ……」


 互いの顔をぎりぎりにまで近づけ、かすれた声でひっそりと話し合う。そして、用件が済むと、ローズはもう一度ドライにキスをした。すると、ドライは再び眠りについた。


 ドライの干渉を受けないように根を回したローズが、ドーヴァの話をゆっくり聞くために、彼の部屋に行くことになる。ローズはドーヴァのベッドの上でリラックスをし、際どい部分が見えそうなほどセクシーに足を組む。そしてドーヴァは、それにドキドキする余裕もなく大体のあらましを彼女に話す。考えれば恥の二度掻きだ。


 「馬鹿みたい……」


 ローズの答えは単純で、それでいてドーヴァを深く傷つけるモノだった。しかし確かにそうなのだ。大人しく部屋で思案していれば良いことを、わざわざ歩き回って行い、挙げ句の果てにあの瞬間だ、返す言葉もない。


 「でも、青春してるわね……」


 一瞬冷たく思われたローズだったが、この瞬間に穏やかで、恋に悩む者を理解する何とも温かな微笑みを見せる。それと同時にドーヴァのもどかしさを鼻に掛けて笑った。


 ドーヴァの方は後者の方を強く感じたらしく、ローズを頼ったことを後悔気味にそっぽを向いてしまう。


 「でも、セシルは何も言わなかったんでしょ?キライとかゴメンナサイとか……」

 ローズはもう一度笑いながら、ドーヴァが最悪と思いこんでいるこの事態を、否定した。


 「しかし、いきなり戸を閉められたんやで……、あかんわ……」


 しかし、彼はすっかり弱気になって、ションボリとして項垂れてしまう。これには流石にだらしなく感じたローズは、ウンザリと言いたげに天井を向き肩で息をする。


 「アンタねぇ、そう言う態度が一番ダメなのよ。そんなに好きなら、強引にでも押し倒して、犯しちゃえばいいんじゃない?」


 「な、な、な!アホか!なんちゅうえげつないこと言う女や!!」

 冷めた言い方をするローズに対してドーヴァは頭が噴火しそうなほど顔を真っ赤にし、ローズ頭の上から言葉をまくし立てる。興奮して息を切らすドーヴァとは対象に、ローズは相変わらず冷静に彼を眺める。そしてニタリと笑った。


 「ははぁん、アンタまさかドウテイ……」

 「ちゃうわい!!ただ、セシルはその純情やからやなぁ、俺かてこんなマジになったん初めてやから、どうしたらええか思っただけじゃ!!それで、いきなり息詰まってもうたからから!!はぁはぁ……」


 超どアップで、息を荒くし、殺気じみてローズに迫る。


 「はいはい」


 実はローズは、彼を興奮させて面白がっていたのだ。粗方眠いところを起こされた憂さ晴らしとでも言うところだろうか。しかし少しばかり行き過ぎたようだ。此処で真剣に考えてやることにする。


 「そうだ!ねぇ、セシルまだ起きてると思う?」

 「この時間帯に起きとるアホ居るかい!」


 唐突に言い出したローズに、切れかかったドーヴァがついにローズのバスローブの襟を掴んだ。


 「アンタねぇ……」


 眠っているところを起こされた挙げ句に、この仕打ちだ。全く矛盾した彼の行動に、相当の気の動転を感じる。怒る気にもなれない。しかし、起こされたことに関しては、こめかみに来ている。


 「で、どさくさに紛れて、いつまで人の胸のぞいてんの?」

 「え?いや、そのハハハ……、大きいなぁ」


 ローズの突き刺さる視線に、どうやって誤魔化して良いのか解らずつい本音を言ってしまうドーヴァだった。それでも襟を離さない。ローズもドーヴァの言葉に自分の胸を覗き込む。 


 「エッチ……」〈そう言えば……、ドライのおかげかな?〉


 ローズとしては、過去を知られない限り、少々見られることは何とも思っていない。それに悪気があった訳でもない。


 「ハハハ!魔が差しただけや!」


 慌てて離した手のやり場に困り後頭部やらズボンのポケットやらに、手を回す。


 「それで、セシルが起きとったら、どうやねん」


 ドーヴァは強引に話を戻した。ある意味で妙に素直になってしまった。


 「カンタン!もし君のことをどうでも良いと思ってるなら、とっくに寝てるし、もし思っているなら、さっきの今よ。きっとドキドキして、寝れたモノじゃないわよ。どう?」


 「なるほど!それじゃ善は急げや!!」


 ドーヴァが待ちきれなくて、せっかちに駆け出そうとするが、ローズが座ったままで、隙でさずその首根っこを捕まえ、自分の方へと引き寄せる。引き寄せられた彼は、ローズの膝の上に座ってしまい、そのままスリーパーホールドを決められてしまう。


 「バーカ!アンタが行ったら、同じ事でしょ?私が行って来るから、此処で待ってなさい」


 首を決められているドーヴァは、早く技を解いてもらうべく窮屈に頷く。


 「よし!それじゃ、良い子にしてなさい」

 「うわ!!」


 ローズは、ドーヴァを膝の上から退けると、そのままの格好でスタスタと部屋から出ていってしまった。


 「やれやれ、困った『弟』だこと……」


 ローズには何となくどうしようもないそんな感じがした。そして将来的にそういう関係になりうるかもしれないのだ。早速セシルの部屋へと向かうことにする。その頃にはいつの間にか眠気どころでは無くなっていた。そして彼女の部屋のに立ち、緊張を解すようにして軽く一息をつく。何故緊張しているかを考えると、馬鹿らしくなってしまう。今度は咳払いをして、いよいよノックだ。

 コンコン!と、遠慮気味な音を立ててから、数秒が経ち、それが妙に長く感じる。彼女が寝たか寝ないかが気になった瞬間、扉は開かれる。


 「誰?」

 「ハイ!」


 何だか知らないが落ち着き無く妙に愛想の良さの混ざった笑いを浮かべてしまうローズだった。手などを振ったりしている。


 「姉さん……」


 セシルの顔は、一寸困り気味だ。ハッキリした目をしているところから、眠りにつこうとしていた様子もない。脈があるかどうかはまだ疑問だが、一応は気になっているらしい。セシルの様子を観察し終えると、彼女の開いた隙間を、通れるまでの広さに広げて、スッと部屋に入り込む。


 セシルは眠れない。それに何よりローズなので、入って来れられても迷惑さは感じない。ローズがセシルのベッドの上に腰を掛け、後ろ手をつくと同時に、セシルは部屋の戸を閉める。それから、あまりにも無防備な格好をしているローズが目に入る。


 「姉さん、兄さんと何かあったの?」


 まさか自分とドーヴァのことで世話を焼きに来たなどとは、夢にも思っていないセシルはそう言って、あまりにも不自然な態度をとっているローズの横に腰を掛け、彼女の右手の甲に両手を重ねた。


 「え?」


 見つめるセシルの瞳が、心配そうに潤んでいる。とんでもない勘違いだ。立場がまるで逆だ。


 「ち、違うの!そうじゃなくて、うん、その、ああそうだ!貴方今心配事あるでしょ?そう!恋の悩み!!……とか……?」


 ローズは、せかせかと作り笑いをしながら言う。一々遠回りな言い回しだが、裏で行われたことを全く知らないセシルは、ドキリとして顔を真っ赤に赤らめ、ローズに触れていた掌が、急に汗ばむ。実に純な反応だ。


 それで彼女の大体の気持ちがつかめたローズは、勝ち誇ったように、セシルに向かってニヤッと笑う。それでもセシルはそれを悟られまいと、汗ばんだ掌を自らの膝に乗せ、急に余所余所しく顔を背けてしまった。


 これで、良い意味で、セシルがかなりドーヴァの事を意識しているのが解る。


 「図星でしょ?一寸夢に見たものだから気になって……ね。それに、彼から結婚の告白までされた!でしょう?」


 「どうしてそこまで?!」


 思わず振り返ったセシルは、今にもオーバーヒートしてしまいそうなほど顔を赤らめている。

 こうなると、ローズは、水を得た魚のように活き活きし始めた。


 「で、どうなの?貴方の気持ち……好きなの?」

 「それは……」


 セシルはもう自分を誤魔化しきれなくなっていた。ひたすら狼狽えて、話を逸らす材料を探している。


 「どうなの?!」


 ローズはセシルの正面に回り込み、彼女の肩を掴み、意地悪に顔を近づける。それから下から上から右から左からと、ニコニコとして、追いつめるように覗き込む。セシルにしてみれば、嫌がらせにほど近いやり方だ。

 セシルは顔を真っ赤にしたまま俯く、そして上目遣い気味に、どうしても言わなければならないのかと訴え出る。ローズはそれに大きく頷いてセシルとをトコトンまで困らせた。彼女は一度だけ、コクリと深く頷いた。


 「それじゃ決まりね!!」」

 「え?」


 今度はそう言ってパジャマ姿のままのセシルを強引に引っ張って行く。行き先は勿論ドーヴァの部屋だ。そして彼女が抵抗する時間も与えないまま、彼の部屋の前にまで到着し、戸を開け、セシルを強引にそこへと放り込んだ。


 「ホント、青春してるわね……ふぁあ……、寝よ!」


 要件の済んだローズは、背伸びをして大きな欠伸をしながら、ドライの元へと戻って行く。

 方や何の準備もできていないセシルと、どうなっているのか、状況を把握していないドーヴァが、硬直したまま見つめ合っている。だが、ドーヴァの方は、自分から頼んだことだ、話を進めるのは、彼しかいない。そして、それとなく、聞いてみることにした。


 「ローズ=ヴェルヴェットから、話を聞いたやろ?その……で、イェスやから、部屋に来てくれたんやろ?」


 ドーヴァは、照れているなどという場面は、セシルに見せたくなかった。一寸ツンとして、素っ気ないフリをしながら、身体全体をわざわざセシルから逸らし、横を向きながら目だけをチラリチラリと、彼女の様子を探った。


 「え?話……、あ!そう言うことだったの、姉さんの意地悪……」


 この時ローズが夢で見たなどと言ったことが、まるっきりの嘘で、焦らされて、からかわれたのだという事が解る。しかし気持ちを確かめられたのは、本当のことだ。そう言う意味では、話を聞いたという事になる。一寸親指の先を唇で噛み、ローズを恨めしく思った。


 「その、なんや。直接行こうと思ったんやけど、彼奴がまっとれ言うから……。その、さっきみたいに、戸閉められても困るから……」


 彼はもう一度、セシルの方をチラリと見る。ついに意地を張りきれなくなって、セシルに面と向かう。そして、あの時のように強引に彼女の両肩を掴んだ。瞳もあの時にように潤んでいる。彼女には次の瞬間がどうなるかが解る。だから今度は、両腕で彼の胸を突っ張り、恥じらい拒む。


 「ダメェ……」


 しかし逆に、その困った様子がドーヴァの心を焦がす。堪えきれなくなり彼女に唇を求める。セシルは顔を背け目を閉じる。すると、ドーヴァの唇はは彼女の頬に触れた。そしてそのまま動かない。暖かい感触だった。素秒も経たないうちに、セシルは彼のことが気になり始める。何故だろうか、彼に対する態度に、一種の裏切りに思える切ない感情がこみ上げてくる。そして真に彼の様子が気になり、目を開ける。視界ギリギリに彼の顔が目に入る。


 「あぁ……」


 その時、目に入った彼の顔は、セシルが考えてた裏切りには、ほど遠く満足で穏やかな表情をしている。


 「今はこれでええ……、でも約束や……全部丸く収まったら。結婚しよ」

 ドーヴァはそう言うと、セシルの顔を正面に向けさせ、唇ににほど近い部分にキスをする。


 「うん……」


 無責任な要求に無責任な答えだった。明日どうなるかわからないぎりぎりの状況もあった。互いのこともよくわからない状況でありながら、結婚の話などとんでもなくばかげている。刹那主義という言葉があるが、彼らの交わしたこ言葉は、それに相当する。だが、真剣だった。想いがあまりに切なすぎた。

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