第1部 第8話 §7  きれい事

 ドライにハッパをかけたオーディンだったが、一つだけ不安があった。それはセシルだ。彼女がどれだけの守備が出来るかである。


 だが、その心配は、無用に近かった。押してはいないものの、決して負けもしてはいなかった。セシルは、額に黄金に輝くティアラをつけ、あらゆる詠唱を省き、魔法を速射していた。また溜がないため、すぐ防御に廻ることもできる。


 ナーダはセシルと対照的に、斧を使ったシンプルな攻撃を仕掛けてくる。彼は純粋にファイターのようだ。ただ巨体にも関わらず動きは洗練されている。魔法を直撃させるのは、難しそうだ。


 「貴様のような小娘に、あのドーヴァが腑抜けにされてしまうとは!」

 「何!?何のこと?私には、何のことか!」


 セシルがナーダとの戦いにリードできないのは、このように、ナーダが個人的な感情でセシルに挑んでいるせいもあった。ただ憎しみだけが、彼を動かしている。セシルが手を休めると、ナーダが斧を振り回してくる。


 そのドーヴァを相手にしているのは、ローズだった。虚ろになり、無感情な彼を見ていても、ローズの脳裏には、あの時の彼の印象が強い。セシルを思うと、ローズが彼と戦えるはずがなかった。ドーヴァはシンプソンのように身を守り、かつ剣で小刻みに攻撃を仕掛けてくる。ローズとしては、戦いにくい相手だった。その上戦意が沸かないのだ。防戦一方になってしまう。


 「ドーヴァ!止めなさい!!貴方とは戦いたくはない!何故解ってくれないの!聞いてるの?!」


 ドーヴァの耳に彼女の声は聞こえない。ただ忠実にルークの命令を聞いて戦っているのだ。今はそれだけの存在である。二人が戦いながら、セシルとナーダと戦っているその間を、駆け抜ける。


 「ドーヴァ!!」


 彼に声が届かない事を知るはずもなく、真実の答えを求めようと、戦うべき相手から目をそらし、思わずドーヴァの衣服を掴みにかかろうとしてしまう。何故か時の流れが遅く感じられる。もう一歩踏み出せば、彼を捕まえられそうだった。だが実際は、その瞬間にはすでに、二人の姿は遠くなっている。


 その刹那、ローズには、ドーヴァの身体が瞬間的だが、硬直したように見えた。


 この時ローズは思った。もしドーヴァの思いが、本当なのならば、万が一でも正気を取り戻してくれるかもしれない、と。危険かもしれないが、セシルがいる領域でドーヴァとの戦闘を試みることにする。


 「もし、貴方に心が残っているのなら目を覚まして!」〈もしダメなのなら、その時は、私の手で葬って上げる〉


 瞬間でも背を見せるのは、危険だ。それに何時も正面から攻めてくれるとは限らない。後方に直進するだけでは、動きを読まれ、やられるのが落ちだ。セシルの戦闘位置、ドーヴァの攻撃パターンに気を配りながら、目的の方向へと後退し始めたときだった。左横から猛烈な風がローズの顔を叩く。


 次の瞬間、ルークが視界に飛び込んでくる。彼も背を向け、何かを警戒しながら後方に足を動かしている。次に大地を割る音と、空気の裂ける音と共に、轟風が目の前を横切る。そして、赤く血をたぎらせた眼をしたドライが駆け抜ける。彼等もこの周囲で戦闘しているのだ。


 だがドライには、その事に気づいている様子は見られなかった。あっと言う間に姿を消す。


 そして、ローズがセシルのほぼ横にまでたどり着くと、危険を承知で足の動きを止め、ドーヴァと剣を直接交え始めた。


 「姉さん!ドーヴァ!!」

 「セシル!今の彼は彼じゃない、でも貴方が彼のことを思うのなら!絶対!!……」

 「貴様もかぁ!」


 ナーダは、愛を語るローズに怒りを感じる。セシルとの戦闘を忘れ、背を向けているローズに斬りかかった。幾らローズと言えど、強化された二人を相手と戦うのは不利だ。しかし引くわけにはいかないのだ。


 「セシル!!」

 「ドーヴァ!!目を覚ましてぇ!!」


 ドーヴァの身体がまた硬直を見せる。だが、まだ完全に声が届いていない。ローズに対する攻撃も止まない。


 視点はシンプソンとブラニーの場面へと移る。二人は、戦闘と言うよりも互いを牽制気味に、問答を行っている。


 「人間、ですって……」


 シンプソンが漸く事実を認めたように重く口を開く。


 「そう、『彼等』も人間よ。それとも、『形』が人間を作るかしら、シンプソン=セガレイ」


 ブラニーは、シンプソンの心を見透かしたかのように、ニヤリと笑う。事実この言葉は、シンプソンの人間としての理念を深く抉った。「人」を見掛けで判断してはいけない。「人」は、外見で判断できない。彼は常日頃、自分にそう言い聞かせていたのだ。確かにそうだった。目の前の変わり果てた姿をしている生き物達が、人間なのである。どんな理由があろうがそうなのである。一瞬思った「人は何を指して人なのだろう」、と。


 ブラニーは、続けて言う。


 「貴方は自分が人間だと思う?姿形がそうだから?バカね。シルベスターの子孫である以上貴方は人間じゃないのよ。その時点で、先ほどまであなた方が殺したデミヒューマンと、何ら変わりないのよ。もし『人間』が、それを知ったらどうなるかしら?」


 シンプソンの脳裏に再び幼き昔の苦痛の日々が蘇る。この髪の色でさえ、忌み嫌う人間達、己と違うものを拒む人間達。


 「それは……、ですが!」

 「そんな傲慢な人間達が、この世界に我が物でのさばっているのよ。彼等が何をして?破壊、殺戮、汚染!それ以外なにも見いだせない愚かな人間達に、生きる権利があるはず無いわ!」


 ブラニーが感情にまかせて。攻撃を仕掛けてくる。相変わらず魔法を唱える仕草は見られない。


 「そうかもしれません。しかしそれと同時に、尊い愛、掛け替えのない美しい心もあります!欲を振り捨てて、愛する者のために傷つくことの出来る強さも持っています!そして、愛しい者を奪われた痛みも知っています。ただ愚かなだけではありません!私もそんな一人だと思っています!勿論貴方もです」


 シンプソンは、自分自身を否定されながらも、なお人間を信じた。


 「ククク……、アハハ!よくそんなきれい事を並べることが出来るわね!この現状を見なさい!異常な力を持ち極限まで醜く進化した生物群達も、魔界も超獣界も、全て人間が生み出したモノなのよ。貴方の言う立派な人間達がいる世界がどうして此処まで歪んでしまうの?さぁ答えなさい!!」


 シンプソンは口を噤んだ。自然に握り拳が固くなり汗ばんでいる。彼女の言うことは尤もだ。だがしかし何かが違うのである。そう、何かが……。


 「解らない?もっと簡単に言ってあげましょうか、ドライ=サヴァラスティアはどう?自らの存在価値に迷い、自らの生の証明のために、何百人もの人間を殺しているのよ!ローズ=ヴェルヴェット。自らの肉体に刻み込まれた恥辱に内にこもり、姉を殺された憎しみに駆り立てられ、我を忘れ、地に墜ち、自らが女であることすら利用して生きてきた女。オーディン=ブライトンは、どうかしら。自国を守る義務を果たすため、大魔導戦争で魔導師に荷担した者を悉く殺しているわ!魔導師に操られた哀れな超獣達もね。そしてシンプソン=セガレイ、貴方は自らが生きるために、他人を排除……」


 「少し黙らないかぁ!!」


 シンプソンが一喝した瞬間だった。ブラニーの後方にいた化け物達が、瞬時にして破裂し、死に至ってしまう。


 「だからといって、殺してどうなるのですか!確かにそうかもしれない!完全な心を持った人などいない!過ちも犯すし、自分に迷うこともある!しかしそんな魂を裁く権利が貴方にありますか?!人間全てが私の言う通りの人間でないのと同時に、貴方の言うような取り返しの着かないことをしてしまった人間ばかりではないのです!もし僅かな過ちでさえ許されないのなら、命とは一体何なのですか?!一体『何』に生きる資格があるのですか?!ただ、本能だけで生きるのですか?『形』無き魂が生でないのなら、魂無き『形』も生ではありません、この世に『生きているだけ』の、生物など一つもありません。いくら人間が歪めてしまった世界でも、正常に戻すことは、不可能です。それに、そのために新たに生まれた生物を殺すのも残酷な事、だからこそ、シルベスターは、出来るだけ全ての生物が生存できるよう世界を分けたのではないですか?もし本当に超獣界の生物も、魔界の生物も、この世界でしか暮らせないのなら、彼等も同じ世界で生きるべきです。ですがどうでしょうか、貴方の言う『現状』は、彼等は、人間が歪めたとあ言え、新たな生態系でも生存し、立派に生きていますよ。ですが、この世界の生物は違うでしょう!脆弱です。人間だけですか?弱いのは!もし本当に人間が悪いのなら、なせ人間だけを裁かないのですか!貴方は本当は、人間が憎いのではなく。愛が恋しいのではないですか!力があるばかりに、それに任せて暴走しているだけではないのですか!!本当は、誰かに自分を見て欲しいんじゃないですか!?」


 彼の眉間には、今までには見られることの無かった皺が、険しくしっかりと刻み込まれている。


 「私が?愛を?馬鹿げてるわ、人間は!人間は!」

 「違います!貴方は互いが慈しみ愛し合っている生にあこがれ、憎悪と愛情の落差が最も激しい人間を見てこう思った。何故私だけが、孤独なのだろう!何故私だけが飢え凍えなければならないのだろう!違いますか!!」


 シンプソンの一言でブラニーの周囲だけ、時間が止まったように静かになった。大地に雨が一粒、二粒と降り注ぐ。ブラニーの瞳から、まるで今までの葛藤を吐き出すかのようだった。その瞬間シンプソンの険しかった顔が、全ての罪を許したかのように、柔らかく綻ぶ。


 「ノアーは、そんな貴方でも姉妹として愛情を感じていたのでしょう。だからこそ本当に『平等』を求めた。そうでしょう?」


 心のほぐれ始めたブラニーの瞳は、まるで幼さを残しているように純粋な輝きをしていた。


 「ルーク……」


 その時、初めて自分に愛を語ってくれた男の名前が、口から自然に漏れる。その彼女の目の中に、ルークの後ろ姿が映った。幻ではない、現実の彼が、すぐそこにいるのだ。心からわき上がる気持ちを、口答でなく形で示したくなる。


 「ルーク……」


 ブラニーは、今が戦闘中だという事を忘れ、無防備に手を伸ばす。

 その刹那、悪夢が起こる。ルークに向かって放ったドライの闘気が、ブラニーに直撃したのだ。


 「あ……」


 瞬時に彼女を縦に裂いた傷口から真っ赤な鮮血が吹き出す。ルークがそのイヤな気配に後方を振り向く。


 「ブラニー!!」


 ルークが戦闘を忘れ後ろを振り向くなど、ドライの知っている限り、一度たりとも無い。隙の出来たルークに対し、振りかけた剣を止める。ドライは闘気を放てるが、自分の射程距離、前方以外の余波の行方は、まるで見当がつかない。それが直撃したことに、ルークの反応で漸く気がついた。


 二人とも足が止まる。


 だが、すぐさま側にいたシンプソンが、ブラニーの側に駆け寄り、彼女の体の具合を確かめる。そして、ドライの方を振り向き、コクリと頷く。ドライも頷き返した。


 「ルーク!!いくぜ!!」


 心理的に隙の出来ているルークに、ドライが雄叫びを上げ、彼の剣に自分の剣を押し当て、そのまま強引に押し進む。


 「クソ!テメェ、ブラニーを!!」

 「うるせぇ!お前だって、彼奴等の気配に気がついてなかったろう!」


 それだけ互いに必死だと言うことだ。それ以外気を配る余裕など無い。しかし、此処に来てルークがブラニーを気にしだし、攻撃に集中力を欠き始めた。ドライには、何となく心中が解る。


 「安心しな!メガネ君に任せとけ!」

 「信用できるか!」

 「彼奴はそう言う超お人好しなんだよ!」


 確実にドライが押していた。身体に余分な力みもない。そして全力をルークに注いだ。ルークは、覚醒した力をまだ発揮しきれていないようだ。


 「サウザンド・レイ!!」


 ルークが、ローズの十八番である魔法を放ってくる。ドライは、シールドを頭上に張り、これを凌ぐ。その瞬間にルークが間を詰め、致命傷を与えることの出来るギリギリの距離から闘気を放つ。ドライは、右半身になりルークが剣を戻すまでに、闘気を放つ。ドライの前後に怒濤のような轟風が吹き荒れ、周囲の木々は、なぎ倒され、大地は抉ったように砕け散る。


 「何いつまで、焦ってんだよ!オメェらしくねぇぜ!!」

 「ウルセェ!お前になんかにゃ、わからねぇだろうが、俺はあの女に惚れてんだよ!!」

 「勝手なこと言いやがって!!マリー殺したテメェが言えた台詞じゃねぇだろうが!!」


 ドライが思い出したようにムキになった。ルークも眼色が変わった。ルークもドライも互いの間合いを忘れ、剣を交えあう。

 力で強引にルークを弾き飛ばすドライ。


 「ガァァァ!!」


 これに逆上しもう一度ドライに斬りかかるルーク。直線的なため、簡単にドライに受け止められてしまうが、理性を失っている分、本来の秘められたパワーが爆発する。パワーでは、互角の力を見せる。


 「お前は気に入らないんだよ!生意気な上に、いつの間にか俺を抜きやがって!!貴様がいなきゃ俺は老いなんて、感じずに済んだ!!プライドも何もかも総崩れだ!!今度はブラニーまで!」

 「けっ!逆恨みいいとこだぜ!マリーは、マリーはテメェの逆恨みで殺されたも同然じゃねぇか、そんなの納得いくかよ!!」

 「テメェはブチ殺す!!」


 互いに感情むき出しに、同時に同じ言葉を発した。

 ドライとルークの地を破壊する戦いの側で、懸命に猛攻に絶えるローズがいた。もうスタミナも切れかかっている。今にも足がもつれそうだ。


 「セシル!!早く!彼を起こすの!!」

 「ドーヴァ!起きて!目を覚ましてぇ!!」


 その度にドーヴァの身体は、硬直を覚えていた。その時間も次第に長くなり始めていた。ナーダが一人の間は、ローズにかかる負担は、それほどたいした物ではない。しかし、ドーヴァを加えてとなってくると、あまり多くの時間をかけることも出来ない。

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