第1部 第8話 §6  闇の目覚め

 場所は、この激震の張本人のいる宙を彷徨う孤島へと移る。


 「ご苦労だったね。ブラニー、それから、ルーク……出来れば僕が目覚める前までに、彼等を何とかして欲しかったけど、いいよ。僕に任せて」


 彼は、水槽を突き破り、大気から法衣を編み出しそれを着した。彼の声は、それほど低くはないが、落ち着いて時間さえ止めてしまいそうな、穏やかさだ。


 「はいクロノアール様……」

 「……」


 ブラニーは、潔く返事をする。だがルークは違った。彼を見る目を見開き、額から無意味に汗を流した。口を開くことが出来ない。そう、目の前にいるのはクロノアールで、今まで水槽で静かに眠っていた男だ。その姿は、若かれし頃のルークに似ている。だが、体が二回りも大きく、身長は二メートルを優に越える。だが声が出なかったのはそのせいだけではない。クロノアールの言葉遣いとは裏腹に、その内から、計り知れないほどの威圧感を、感じ取ったのである。この時クロノアールの復活と共に、自らの肉体が活性化し、十年以上も若返っていることなど、感じる余裕など無かった。


 「ホラ見てよ。二人とも、今世界は一体となろうとしてるよ。全ての生物が同じ陽の下で生きようとしている……」


 クロノアールが、空間に現在の世界を映し出した。そこには無数の陸地が宙を彷徨い、巨躯を誇った生物が飛び交い。大地には、グロテスクな生き物が蠢いている。弱い生物は悉くその餌食になって行く。彼はこの現状に酔いしれていた。


 「これで、欲どうしい人間の世界が終わる……」


 この時点でブラニーの人間に対する復習は終わったかのように見える。ルークもこうなることは、承知していた。別にどうなろうと知ったことでもない。ただ、クロノアールの桁違いの気に驚愕するだけだった。


 「違うよ。これから『人間』もこの世界で共存するんだよ。彼等とね……、」

 「解っています。でも人間はこれで事実上死滅する」


 ブラニーは、静かに眼を閉じる。まるで思い残すものが無いかのようだ。


 「そうだろうね。済まないが、僕は目覚めたばかりで、思うように力が出ないんだ。少し休ませて貰うよ」


 クロノアールは、ゆっくりと足を運び、そこを出て行く。

 漸くルークが、彼の威圧から解放された。顔を青ざめさせながら、一呼吸する。この時にブラニーが、若返りをしたルークの顔に手を差し延べる。


 「貴方も、そんな顔をするのね……」

 「やはり、クロノアールは化け物だ。一寸後悔するぜ……、だが、そんな暇はねぇ、兎に角俺はみんなを連れてドライを殺りに行く」

 「私も行くわ」


 ルークの後ろをブラニーが着いて歩く、以前では考えられない光景だった。二人が普段三人が待機している部屋へと向かう。そこには、ラクローと、見違えるように更に大きくなったナーダと、鎖に繋がれ、うつろな目をしたドーヴァがいた。

 ドーヴァ以外の二人が、入ってきたルークとブラニーを睨み付ける。


 「どうしたんだよ。二人共……」


 ルークはこの状況に置いて、惚けた表情を見せる。しかし二人が自分たちを睨み付けている理由は解る。


 「マスター、いやルーク。そろそろ、どういう事か説明してくれないか」


 ナーダが、ルークの右正面に立つ。そして、次にラクローが言う。


 「大体、あんた達は不思議だった。やることが魔法の域を越えてる。それを知っていて、知らないふりしてた俺達だ。クロノアールって一体何者だ?狙いは?世界征服じゃないんだろ?」


 現段階において、あまりにも変わり果ててしまった世界に、手遅れだと知りながら、ルークに正面からぶつかろうとした。彼に殺されるかもしれない不安に、微かに震えている。


 「ああ、しかし俺にとっても、ドライ以外眼中にない。他は勝手にしろ。お前等も多分そうだ。だからお前等を選んだ。違うか?」


 ルークにそう言われると図星だった。だからこそ付いてくることが出来たのだ。


 「世界はもはや人間達のものでなくなったわ、でもあなた達の強靱な肉体なら生きて行けることでしょう。その保証はするわ」


 ナーダとラクローは、ブラニーの言葉に笑う。地震が起こり始めた日から、こうなることは薄々感づいていた。今頃になって、通知されたが、妙に笑いがこみ上げてきた。血なまぐさい世界が妙に懐かしい。戦いに明け暮れる日々が、自分たちには似合っている気がした。戦うことで自らの内から生命を感じる。かつてのドライもそうだった。今でもその兆候が時折現れる。そしてルークは未だにそうなのだ。それ以外のことは念頭にない。そして、自分が一番強くありたい。そのためにルークとしては、まず世界一であり、師弟関係にあるドライを倒さなければならないのだ。


 「で、お前等の今の目標は何だ?」

 「俺は、オーディンだ」


 ラクローが、ブラニーの横を通り過ぎる。


 「俺は、ドーヴァを腑抜けにした女だ」


 ナーダがルークの横を過ぎた。

 ドーヴァが抜け殻のようになったのは、強制的であって、決して腑抜けになったからではない。これは、ルークが最後についた嘘だった。


 「いくぜ!ドーヴァ!」


 ルークがそう言うと、彼は無言のままに立ち上がる。そこにはもはや、自分の意志はない。ただの戦闘マシーンだ。

 ルーク達が最終戦闘態勢に入ろうとしていた頃、ドライ達は暗雲が不気味に渦巻く天を眺めていた。


 「早すぎる!早すぎるわ」


 セシルが頻りにそればかりを言う。顔面蒼白だ。何に絶望しているのかは他の四人には解らない。


 「どうしたのだ?何が早すぎるのだ?」


 オーディンは天を仰ぐのを止め、視線をセシルの方に向ける。彼女は今にも気を遠のかせ、倒れてしまいそうな表情をしている。


 「クロノアールが、目覚めたわ……」

 「まさか?!後一週間はあるって!貴方いってたじゃない!!」


 セシルしか理解していないことに、彼女を否定するローズ。心の何処かで、これから起こる恐怖に気づいていたのかもしれない、何が何でも否定したくなっていた。まるで彼女に責任を着せるべくその肩を強く掴む。


 「そう言ったわ!でもそうなの!嘘じゃないわ!」


 もはや自分ではどうにもならない現状に、セシルがヒステリックにローズの腕から逃れる。その時、急激に大地が盛り上がり、そこから表現のしようの無いほど禍禍しい姿をした生き物達が溢れ返る。


 「奥義裂針斬!!」


 隙さずオーディンが、一撃を放つ。化け物達は、どす黒い血を吹き出してのたうち廻る。


 「兎に角このままでは、埒があかん!遺跡まで走ろう!!」

 「そうは問屋がおろさねぇんだよ!!」


 オーディンが叫ぶと同時に、他の男の声が坂道の上から聞こえてきた。


 「誰だ!」


 ドライは腰を低くし、ブラッドシャウトをすらりと抜く。見上げた方向には、ルーク、ブラニー、ラクロー、ナーダ、改造を加えられた人間達、そして、自我を失ったドーヴァがいた。


 「ドライ!決着付けに来たぜ!!」


 早速ルークが、剣を抜くと同時にドライに走り寄り、彼に斬りつける。これは挨拶代わりで、かわすのも容易だ。しかしドライは、この瞬間にルークの技に、依然以上の切れ味があることを見抜いた。そして肌に艶があるのだ。明らかに前回とは、違うものがある。エナジーキューブが効かないからといって、油断をすることは出来ない。


 これを合図に、ラクローはオーディンに、ナーダはセシルに、そしてドーヴァはローズに斬りかかる。皆戦闘をしながら、周囲に散らばってしまった。その中で、シンプソンと化け物を後ろに控えさせたブラニーが対峙したままだった。


 「ブラニー……ですね」

 「私を知っているのですか」

 「ええ、ノアーが随分貴方のことを心配していましたから」

 「そう、お喋りな子……」


 ブラニーがクスリと笑い、軽く息を吐き、顔を左右に振る。それから右手の指先をリラックスさせたまま、腕を肩の位地まで上げる。そして、掌をシンプソンに向けると同時に、膨大な火炎を放ってきた。


 「クリスタルウォール!!」


 しかしシンプソンは、慌てずに素早くシールドを張る。


 「無駄ですよ。攻撃は苦手ですが、身を守ることは得意なんです」


 しかしシンプソンの説得を聞かず、ブラニーは化け物に攻撃を仕掛けさせる。だが、これも無意味だった。彼の周囲に張り巡らされたシールドが、全く敵を寄せ付けない。全てをそこで弾き返してしまう。


 「流石にシルベスターの血を引いているだけあって、一芸が秀でていますね。ですが、そのままいても埒は開きませんよ」


 今彼を攻撃しても無駄な事を知ったブラニーが、化け物を後方に戻し戦闘態勢を解いてみせる。今度は視線でシンプソンを警戒し始めた。


 「確かに……、しかし、貴方にも為す術はありませんよ。ところで、随分な家来をお連れのようですね……」


 ブラニーの後ろにいる化け物に軽く目を配り、シンプソンはもう一度ブラニーを見る。嫌悪感に満ちたシンプソンの口振りからブラニーは、物騒や、醜いなどのあらゆる意味を想定した。しかし、その中には、彼等が元々人間であった事実が含まれていなかったことに気がつく。最もそのおぞましい姿で、そうと気がつくのは、殆ど不可能である。そうと知ると、途端におかしさがこみ上げてくる。


 「クスクス……」


 上品で大人しい笑いだった。高くて綺麗な声が、シンプソンに妙な苛立ちを覚えさせる。


 「何がおかしいのですか?!」


 苛立ちが怒りに変わり、脳裏に、ふとバートのことが浮かぶ。シンプソン達を庇った彼は、ブラニーの手によって殺されたのだ。更に怒りが倍増する。


 「だって、彼等も人間なのよ。それとも見た目が変わるともう人間ではないの?」


 もう一度おかしそうに口を手で押さえながらクスクスと笑う。シンプソンには、彼女が何をいっているのか解らない。唐突な発言に、会話の繋がりを見つけることが出来ず、その意味を全く理解できなかった。


 「どういう意味ですか!」

 「解らないのですか?彼等は、改造を加えられているのです。あなた達を倒すために」


 ブラニーの表情がガラリと変わる。今まで柔らかく笑っていたのが嘘のようだ。彼女の顔は能面のように表情を無くし、瞳には人間に対する憎悪が渦巻いている。

 シンプソンはそのキチガイじみた真実に、少しの間、動くことも出来ず声を出すこともできなかった。

 シンプソンとブラニーが静かな戦いをしている間、ドライは、ルークに押されていた。


 「ホラどうした!お前らしくもない、何を遠慮してるんだ?!」

 「うるせぇ!!」


 ルークが放つ魔法の距離の長い間合いは、ドライにとって皆無と言って良い。剣の間合いはドライの方が長い。しかし、現在における素早さ、闘気を自在に放てるルークの方が隙がない。だが、闘気を放てば、ドライの方が威力が大きく、間合いは桁違いに長い。しかし、それが出来ない理由がドライにはある。ルークはそれを知っていて、余裕たっぷりに皮肉を言う。


 ルークがドライに迫ってくる。間合いを開けなければならない。一傷を負えば次は確実に致命傷につながる。ナイフを一本投げる。確実に急所をついてくるドライのナイフを、ルークは剣で叩き落とす。僅かに出来るルークの隙、剣を振る動作の分、動きも鈍る。その間に出来るだけルークの間合いから遠ざかる。これを繰り返し、ドライはルークのスタミナが減るのを待った。


 〈ナイフもそうある訳じゃねぇ!今の彼奴はどうなってるかわからねぇが、少なくとも今俺にあるのはスタミナだけだ。性には、あわねぇが、それしかねぇ〉


 活性化したルークの身体は、あらゆる面でドライより上回っていた。だが、年齢まではそうはいかない。そうなるにはルークは、歳を取りすぎていた、ルークは若返ったと言い切るよりも、若返りつつあると表現した方が、正確だろ。それに、活性化したとはいえ、それをすぐには自分のものに出来ないのは、当然の理屈だ。


 オーディンも同じ状況にあった。だが決定的に違ったのは、それが彼の慎重な性格から来る、守備を中心とした動きから来ているためだった。ラクローが、オーディンを押している間、彼は徐々にラクローの癖を見抜き始めた。それは、魔法と剣術のコンビネーションが甘いことだ。魔法に頼りすぎる感がある。


 そんなとき、ルークに押されている焦った顔をしたドライの姿が目に入る。すでに顔に切り傷を負っている。持っているナイフが切れたのだ。


 〈押されているのか?!〉「奥義千億の羽!!」


 オーディンの剣が幾度も空を切る。そこからは眩しく銀色に光る羽が無数に出現した。本来は複数人に対する魔法防御用の技であったが、ラクローに対する眼眩ましのために使った。


 ルークの剣が、ドライに一撃を加えようとしたその時だった。オーディンが高速でルークの前に立ちはだかり、ルークの動きを止めた。力では殆ど五分だ、互いの腕が力みに振るえている。


 「この!くそ!仮面男!邪魔すんな!」

 「ほう、貴様ほどの男が、男の勝負に水を差すとはな」


 ほぼ同時に二人から罵声を受けるオーディンだったが、顔色は僅かにも変わらない。


 「なに、すぐ終わる。ドライ!お前の本気は、もっと凄いものだと思っていたぞ」

 「わ、解ったようなこと言ってんじゃねぇ!!」


 顔から滴る血を拭いながら、ドライは強がる。それと同時に、この間にしっかりと休憩を取っている自分が情けない。しかし口だけは、なかなか思い浮かばない文句をオーディンに言い放とうとするが、図星だけにドライの言葉尻はさえない。


 「じゃぁ次の質問で最後にしよう。お前は仲間を信じられないのか?」

 「な!何言ってやがる……!!」


 その時に、攻撃魔法を放ったローズの姿が浮かぶ。戦いの度にサウザンド・レイなどの魔法がよく頭上に降ってきたものだ。それにも関わらずローズは何時も悪気泣くニコニコしている。文句を言いかけた口が、ニヤリと笑う。それから自分をバカだと、息が軽く漏れる程度に笑う。


 「けっ!お節介男が……」

 「ふっ」


 オーディンは笑うと、再び己が戦うべき敵のもとへと素早く駆ける。


 「ルーク、これを俺達の最終ラウンドにしようぜ」

 ドライは再び精気を漲らせ、先ほどとは違って負けへの不安は、何処かへと吹き飛んでいた。

 「ああ」


 ドライらしいドライに、ルークも思わず笑みをこぼしてしまう。自分に負けもない、勝ちもない、どう転ぶか解らなくなった勝負は、彼にとって本当に久しぶりだった。忘れかけた無謀な若さが体中に蘇ってきたようだった。

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