第1部 第8話 §5  迫りつつある時

 セシルを落ち着かせた後、二人は家の中へと戻る。


 「やっと寝たわ」


 セシルを寝付かせたローズが、キッチンで、面白くなさそうにぼんやりしているドライの前へと戻ってきたところだった。


 「そうか」

 「ドライも寝たら?」

 「ああ」


 頬杖を付き、口の先を尖らせて、気のない返事をするドライ。彼は考えていた。あの時、セシルに気を取られ、助けたいと思ったにも関わらず、逆にその直後に起ころうとしていた出来事に身体を硬直させ、卑怯に走ったルークを切れなかった。あの時は、確実にルークを殺せたのだ。だが自分が硬直するのを、見透かされていたのだろう。事実、身体が動いたのは、ドーヴァがセシルの身を守ってから後のことだ。そんな自分が腹立たしい。


 「ね、明日オーディン達が迎えに来て出発だから、寝た方が、いいわ」


 ドライがふてくされている理由が解っているローズは、テーブルの上に腰を掛け、うっすらと跡になっている、ルークに傷つけられた頬を上から下に人差し指で撫でてみせる。そうして宥めてくれているローズの顔を覗くと、夜も遅く、緊迫した雰囲気だったせいか、彼女の顔にも疲れた様子が見える。それでも笑っているローズの顔を、上目遣いで、やはり不服そうに覗いているドライ。


 「ホラ!拘らないの!寝よ!」

 「解ったよ!」


 ドライはテーブルを叩き、勢い良く立ち上がった。そしてベッドに向かうことにする。


 血の滴るドーヴァを抱えたルークと、それに付き添うブラニーが、教団のアジトに戻った。目の前には、改造された人間達が、水槽の中に浮いている。


 「なかなか、ラクローのように目標を変えてはくれなかったな、ドライにぶち当てることで、奴の強さを知らしめて、退かせようとしたが、それどころか、事もあろうに……」


 計算外のドーヴァの行動に、いつになく不機嫌な様子を見せるルークだった。気を失っているドーヴァを、床に粗雑に置く。即座に彼の血が床に広がり始める。


 「それで、彼をどうするの?」


 ブラニーは、ルークの顔に飛び散った彼の血を、彼女の肌のような真っ白なハンカチで、気持ち程度に拭う。血はこびり着いて、あまり取れない。かえって滲んだように広がってしまう。それでも、ルークに構った。


 「比奴は良い物を持ってたんだが、仕方がない。戦闘能力だけを引き出して、感情を封じ込める。出来るか?」


 「ええ、可能だわ」

 「それじゃ、早速やってくれ」


 ルークは、そう言うと歩き出し、そこを出て行こうとしたが、思い出したように足を止める。そして背中を向けたまま、こう言った。


 「来てくれて、助かったぜ」

 「ええ、愛してるもの。あ、それから、ナーダは、もう水槽に入っているわ」


 ブラニーは、さらりと流して言う。無感情のようで感情的な言葉だった。ルークはそのまま背中越しに振り返り、ブラニーの方を眺めながら一含みして笑う。


 〈ドライの奴、克服しやがったか。切り札が一つきえちまったな〉


 そうは、思っていたものの、ルークは内心ホッとしていた。ドライにエナジーキューブが効かないことを知らずに、最終決戦を仕掛けたとしたら、先の計算が立たないのは、目に見えている。そうなれば、ドライは優位に戦闘を進めていたに違いない。そう考えると、将来的な状況において自分を有利にさせてくれた戦いだった。




 この時、クロノアールが密かに眼を開け始めていた。




 あの歯切れの悪い出来事のあった日から、二週間が経つ。セシルはあれ以来、あまり明るい表情を見せない。変化はそれだけではなかった。あの頻発していた地震が、全く起きなくなっていたのだ。周囲は、それが気にならないでもないが、あまり触れても酷な話だ。


 「に、しても、結構順調だったな」


 ドライが、ポケットに手を突っ込み、変形しきった大地の目下に広がる森を眺める。冬の晴天の森の中に、ぽつんと、そびえ立っている建物が見える。それが、遺跡だろう。


 「ああ、シルべスターの眠る遺跡まで跡少しだ。セシル、彼が目覚めたのち、我々はどうなる?」


 オーディンが此処に来て、過去にも訊ねたように思える質問をする。だが、あの時はシルベスターが目覚めた時の質問は、確実にしていなかった。


 「私たちは、彼がクロノアールに確実に勝てるためのアシストをするの、きっと命がけになるわ」


 ドーヴァのことで吹っ切れていないセシルが、ドライの横に並んで、大凡そシルベスターの眠っている遺跡の方角を眺める。彼女の沈んだ声が、妙な恐怖感をあおる。


 「いやですねセシル、縁起でもありませんよ。ハハハ……」


 一番自分に自信のないシンプソンが、虚勢を張った異常に乾いた笑いをする。それと同時に、周囲を何度も見回し、視線で同意者を求める。


 「あたりめぇだ。そんなクダラネェ事で、死んでたまるかよ」


 ドライが気合い一発、シンプソンの頭を左手ではり倒す。同意に乗ってくれるのはよいが、動作が一つ余計な気がしないでもない。


 「ドライさん、痛いですよ」


 ドライの手が早いのは今に始まったことではないので、怒る気にもなれないが、指輪の一部が頭に当たったのか、それを指さすシンプソン。ドライは、シンプソンの頭よりも、指輪が変形していないかを調べる。


 「ドライ!お揃いなんだから、壊しちゃいやよ」


 ローズもシンプソンの頭のことを気にしてくれない。ドライと同じように指輪のほうを気にしている。


 「酷いですね、二人とも……」


 シンプソンは、半泣きになってしまう。


 「ハハハ!」


 オーディンは高らかに笑う。そこにはいつの間にか、自分を思いつめていた彼はいない。危険な筈なのに、もうすぐこの旅が終わってしまうと思うと、妙に残念に思えてならない。


 しかしセシル以外、誰がこれから始まる壮絶な戦いを予想できただろうか。短時間で全てを滅ぼす伝説が繰り返されるのだ。セシルとて、目の前にしたわけではないが、想像は容易に出来る。そして、激戦を勝ち抜くために、シルベスターと共に戦うことが、自分たちの使命だと信じている。あえてそれを言う必要性は、無いと思っていた。


 「お!見ろよ。なんか飛んでるぜ」


 空を見ていたドライがまず指を指し、それを見つける。


 「何でしょうか……」


 次にシンプソンが逆光を眩しそうに、額に手を翳し、西から東に太陽の南中高度を横切るように、飛行する物体を目で追う。


 「あれは、ドラゴンじゃないのか?」

 「へぇ、ドラゴンなんて見るのは、ノアーのあれ以来ね。それ以外はデミヒューマンばっかり……、ねえ、セシル」


 オーディンもローズも、それに注目をする。


 「そう。では、クロノアールが復活するのは間近ね。急ぎましょう」〈でも、間に合ったみたいね……〉

 「そうか……、ではそうしよう」と、オーディンが答える。


 セシルの声のトーンが、あまりにも低すぎる。そろそろ立ち直る強さも必要だが、生真面目な彼女だ、思いつめた心は、無理に解かそうとするのは、かえって焦らせ、追いつめるだけかもしれない。何かのきっかけが必要である。

 シルベスターの遺跡までは、遅くとも半日で行ける距離だった。このまま休まずに行くことにする。その時だった。ドライが余りにも暗さを引きずるセシルを見かねた。最も自分のテンションが下がるのも嫌った感もある。


 「おい!セシル。おめぇ暗いぜ。ああいう奴は、簡単にゃくたばんねぇからよ。また直に出て来るって。なんせ、この俺を越えて世界一になろうって大それた奴だぜ、な!」


 セシルの尻を何度か叩いて、上から斜め下に、困ったような顔をして見下ろす。


 「うん」


 しかし返ってくる返事は暗い。この事は、この二週間たびたびドライとローズが繰り返し言っていた。二人の言い方には、励ましと、ハッパをかけるのと決定的な違いはあったが、彼女には、ドーヴァの生死以外にもう一つ悩むことがあった。それは、あれほど親しげに近寄ってきた彼が、クロノアールと関係があったことだった。それはうっすらと解る。ルークを「マスター」と言ったことにより、二人の間には、上下関係がある。では何故、あれほど熱いキスをし、身を挺して自分を庇ってくれたのか、それが先のための策略なのか、彼の本音なのか。本音であるなら、その事を打ち明けてほしかった。しかし、ドーヴァの心理上、それは出来なかった。


 何れにせよ彼は、ドライと戦うつもりだったのだ。何もない男の希薄な目標は、セシルには理解しがたいものだった。


 先頭を歩いていたドライが、ふと足を止める。


 「彼処だ。俺とマリーが落ちたのは」


 歩いている途中、ドライが横切った崖を指さし、ローズの肩を抱いた。崖は強烈な力で、きれいに横一直線に切り落とされている。もうそれほど近づいているという事だ。ドライの顔が少し険しくなる。しかし、感傷に浸りながらも、そこに足を止めることなく、もう少しローズの肩を強く抱く。


 「それで、どうすればシルベスターは目覚める?」


 オーディンは、目の前に迫る真実に不安な興奮を抱きながらセシルに確信を聞く。


 「きっと直系である兄さんが、側で彼を呼べば意識が同調して、目覚める筈よ。父さんの話では、人間の世界を保護するために力を使い果たしたシルベスターは、相当深い眠りについているって……、その分クロノアールより眠りは深く。目覚めるにはきっかけが必要なの」


 「兄妹でありながら、セシルではダメなのですか?」


 皆が聞きたかった質問をシンプソンがタイミング良く真っ先にする。


 「私は、波長が母さんに近いからだめなの。可能なのは一番波長の近い兄さんだけ。それがダメなら、私が命を引き替えに触媒になって、彼を目覚めさせるつもりだったわ。確率は低いけど、でも兄さんが生きていたから、多分……」


 「シビアな話ね……、でもセシル、死んだらこの先楽しい事なんて無いわよ。でしょ?」


 シルベスターのために死ぬことを、何とも思っていないような冷静な顔をしているセシルが、何となく淋しい。悲しそうな眼をして、あまりにも固い考えを溶かしなさいといった笑みを浮かべ、そんな淡々とした彼女の手をローズがぎゅっと握りしめる。


 「ねえさん……」


 この温もりほど、セシルの心に入り込んだものはなかった。今は少しこの温もりに縋ることにした。

 少し下り坂にかかったときだった。此処を下れば、シルベスターが、目覚めるのも、もう間近だ。

 彼等が下り坂を歩み始めたとき、大地がゆっくりと揺れ始める。


 「地震か?久しぶりだな」


 オーディンが首をゆっくりと振りながら、周囲の落下物に気を配り、腰元の剣に手を添える。


 「どっちでも良いよ。いこうぜ」


 ドライは構わず歩きだそうとする。


 「待って、何か変よ」


 ローズは女の感で、すぐさまこの地震が、今までのものとは全く違うことを感じ取る。ドライの腕を引っ張り地面に膝を着き、セシルと一緒に、そのまま一緒に地面に強引に伏せさせる。シンプソンが、ローズの行動に気を配り、対物理攻撃用のシールドを自分たちの周囲に張る。その頃には、地震の揺れが次第に大きくなり始め、最後には大震災以上の激しい揺れが襲う。もはや目の前が激しく揺れすぎて、状況が把握できないほどの揺れだった。揺れはまだ続く。気まで失ってしまいそうだ。周囲の大地の隆起、裂ペイの音が、聴覚を皆無にした。


 次にローズが気が付いた瞬間、ドライとオーディン、そしてシンプソンが、天を眺めていた。


 「どうなったの?」


 体内に残る余震を感じながら、セシルと肩を抱き合いながらローズはゆっくりと立ち上がる。三人は、何も言わない。黙ったまま怪しく紫色に曇った空を眺め、たたずんでいる。先ほどとは、うって変わった曇天だ。雨はないが、頻りに雷鳴が聞こえる。この時期に似合わない、緩やかなしめったなま暖かい風を感じた。雲の流れを異常に速く感じる空。


 「そんな、早すぎるわ!幾ら何でも……」

 セシルが落胆し、確信した声で周囲の景色を探り、身体を震わせた。

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