第1部 第8話 §4  バースデイ

 場面は、ローズの生家はと移る。


 「ローズ、帰ったぜ」

 「お使い、ありがと!」


 早速ドライは、そこがさも自分の家かのように大声を出し、ノック無しに扉を押し開け、二人を家に招待する。家に入ると、招待した二人を玄関にほったらかしにして、すぐさま目の前の背中を向けているローズに近づき、注文の品を、調理台の上に出す。そのついでに、イチゴを一つ拝借し口に放り込もうとする。


 「ドライのケーキの上にイチゴ無いわよ。きっと……」


 行動が全てお見通しだった。背中を向けたローズが、冷ややかな声を意地汚いドライの背中に突き刺した。ドライは、妙な彼女の鋭さだけに驚かされ、イチゴをそっと元の場所に返した。


 「そ、それよか、客だぜ」

 「客?」


 ローズは、キッチンのドライを残して、客が誰なのかを確かめるために、水洗いした手をエプロンで拭きながら、そそくさと玄関に向かう。すると、入ってすぐの所に、ドライに見捨てられたかのような顔をしているセシルと、目的がズレはじめて困った顔をしているドーヴァが、立ちすくんでいた。


 「あら?セシル……、そっちは初顔ね……」

 「まぁ……そやけど……」


 あえて此処で争いを起こすことはないと感じたドーヴァは、素っ気ない挨拶をする。


 二人を迎えたローズは、一旦料理の手を休め、客にお茶を出すことにする。キッチンの食卓に肩を並べたドライとローズは、何だかいい雰囲気にはまっていた。少なくともセシルの目から見て、二人は新婚っぽく見えた。特に自分の家で出もないのに、くつろいだ様子を見せているドライがそう錯覚させた。

 その夜、ローズの二十三歳を祝う夜となった。


 「ほら、火ぃつけたぜ」


 ドライが最後のロウソクに火を灯す。すると、ローズの顔が満面の笑みで満たされる。


 「ふー」


 彼女の一息と共に、火が一気に消し飛ぶ。


 「一寸早いけど……、何日も街にいられないからね……」


 つかの間の幸福を味わっている虚しさに、縋る思いを隠せないローズだった。ケーキから目をそらし、視線を斜め下に、せっかくの夜を自ら雰囲気を壊してしまう。


 「おらおら、湿気てんじゃねぇよ。せっかく歳くったお祝いしてんだからよ」


 そう言ってドライが、ローズの左手を取り、自らのポケットを探り、昼間セシルが見たルビーの指輪を取り出す。そして、指を震わせることもなく、彼女の薬指にそれをすうっと填める。彼女が躊躇うことも驚くことも出来ないほどの一瞬の出来事だった。まるで空気がその瞬間だけを噛み締めるためだけに止まったように、ゆっくり流れた。


 それから、逆のポケットから、もう一つ大きな指輪を取り出す。彼女のそれと同じように、ルビーの指輪だった。ドライが自らの左薬指にはめると、普通の指輪の大きさに見える。


 「これって?」

 「まぁ、なんつうか、きっかけが良かったから、目出度いついでによ。けじめ付けてからって思ってたけど、渡せるうちに渡しておかねぇと……、だぁ!」


 ドライは、ゴチャゴチャ言葉にするのを照れ臭く思い、その思いの丈を、キスにして彼女に言い渡す。キスなど二人にとっては、別段深い意味を持たなかったが、この時はそうでなかった、今までしてきたどんなキスよりも輝いていた。


 「いいな、死ぬなよ」

 「うん……」


 目の前の二人にとっては、当て付け意外なに物での無かったが、ドライにとっては関係はなかった。彼はきっと、此を誰かに見せたかったに違いない。二人だけで、ひっそりではなく、ある程度人目のあるところで、もう一度彼女と愛を誓い合いたかったのだ。自らの生き甲斐を見いだすために。


 「よし、んじゃ続きだ」


 ドライがローズの肩を軽く掴み、キスを強請る彼女の濡れた唇を指先で軽く拭いた。


 ドーヴァはこの和やかな雰囲気の中、ドライを目の前にしながらも決闘を申し出ることが出来なかった。そして彼を観察することによって、噂にあった赤い眼の狼の印象は、何処にもないように感じた。一夜で百人を越える盗賊団を壊滅させる血に飢えた男には到底見えなかった。その瞳は、愛を囁く度に赤く潤んでいる。


 〈しゃあない、今日は、お預けや〉


 ふっと息を吐き、言いたいことをセシルが切り分けてくれたケーキと一緒に、お腹の中に押し込めた。


 「美味い……」


 甘い物を得たドーヴァは、すぐに気分が変わる。祝いの対象となる本人を無視して、自分の皿の上に乗っている分を簡単に平らげてしまった。


 「あら、気に入った?ドライと私はそんなに食べないから、たくさん食べてね」


 ローズは一度ドーヴァの方に、振り返り簡単に微笑んで、もう一度ドライの方にむき直す。そして自分の指に光っている物を、何度も光の当てる角度を変えながら、その満足感に浸っている。ドライも照れながら、自分の指に填めているお揃いの物を、彼女の方に向かって何度かちらつかせて見せた。

 そして夜もだいぶ更け始めた頃だ。


 「ドーヴァ、もう帰るの?」

 「ああ」


 イチャついているドライとローズは、そのままにしておいて、時間の遅くなった時点で、帰ろうとするドーヴァを、セシルが玄関先で、引き留めるような淋しい声をだす。


 「今晩、ホンマ、楽しかったわ。なんかあんな仲のええ二人見てると、ついつい言いそびれてしもた……」


 いかにも「今日は特別に退いてやる」と言いたげに、諦めた感じで眼を閉じ、俯き、言葉を吐き捨てる感じで息を白く曇らせた。


 「ドーヴァ……」


 セシルの息も白く曇る。後方の窓からかすかに照らした彼女の陰の中から、余光で瞳だけが神秘的に浅い緑色に輝く。ドライの事を吐き捨てたドーヴァの眼に、今度はセシルが魅力的に映り始める。


 「セシル、俺……、俺!お前に惚れた。一目惚れや……」


 抑えきれなくなった彼の感情が、セシルの肩を強く抱かせた。あまりのも突然で、何の前振りもないドーヴァの行動に、セシルの身体は不思議な硬直を覚えさせた。そして何より彼女にとってこの様な経験は、生まれて初めてなのである。一言の言葉を出すこともできない。


 「いいやろ?」


 彼は言葉と同時に、セシルに唇に自らのそれを近づける。セシルの肩を掴んだ彼の掌は、強く熱い。しかし決して強制的な強さではなかった。セシルは、一方的な彼の熱い思いを、否定することも出来ずにその温もりを、直接感じた。

 セシルは身体の底から起こる震えを抑えることが出来ず、そのまま彼の腕を、その細い指で強めに掴んだ。そして彼のキスに身を委ねたその時だ。無防備な二人の横に、闇に紛れる黒いマントを羽織り、漆黒の髪、漆黒の瞳をした一人の剣士が、気配を消しながら側に立っていた。


 「偵察は許したが、そこまで親密になれとは、言った覚えはないがな」


 すぐさまその氷のよに冷たく低い声に、セシルが殺気立った反応を示し、ドーヴァから離れ、彼を守るようにして、ルークに対して身構える。最も彼女にとってこの至近距離で、魔法を仕掛ける自信はなかった。


 「マスター……」


 しかし逆に、ドーヴァがセシルを守るようにして、二人の間に入り込む。


 「え?」


 ドーヴァとルークが互いに知っていることに、戸惑いを隠せないセシル。それと同時にドーヴァの反応を理解できずにいた。いや、理解したくなかったと言った方が、正確だった。


 「まあいいさ、それでどうだ?ドライと『やり合った感じ』は、生きて帰ってこれるとは、なかなか大した腕だ」


 ルークは、皮肉たっぷりに、口の端を釣り上げ、憎々しい笑みをこぼし、腰元の剣に手を添える。何かの弾みにそれを抜いて目の前の物を切り捨ててしまいそうな雰囲気だ。殺気らしいものは感じられないが、妙に苛ついているように見える。それはセシルに対してではなくて、明らかにドーヴァに発せられているものだった。


 「今日は、何もしてへん、今日は特別やったんや」


 ルークに睨み付けられたドーヴァは、抑えきれない恐怖に汗を流し、身体を小刻みに震わせる。セシルを庇う手から彼女にドーヴァの恐怖の度合いを感じさせた。

 ドーヴァが何となく抵抗的な視線をルークに見せたときだった。


 「グハァ!!」


 ルークの下から突き上げるようなボディーブローが、ドーヴァの鳩尾に決まる。彼の身体は、セシルを弾きながら、大きく後方に飛んだ。ドスン!という音と共に、衣類が地面を引きずる音を立て、十数センチ後ろへと更に滑る。


 「グ……グググァァ」


 あまりの衝撃で、息を吐くような、かすかな声で叫び、腹を抱えながら時折足をバタつかせたり、突っ張るようにして背を逸らし、またその衝撃で再び背を丸め、腹を抱え込んで苦しそうにのたうち廻る。


 「ドーヴァ!」


 瞬間ルークとドーヴァの、関係が脳裏から消え失せ、彼の身を案じるセシル。しかし彼の痛みを和らげる術を彼女は知らない。ドーヴァは、苦痛に顔を歪め、歯を食いしばり懸命に正気を保とうとしている。彼の手は自然と近づいた彼女の手を握っている。


 「なんだ?!何事なんだよ!」

 「どうしたの?」


 漸く騒ぎに気が付いたドライとローズが、家の中から出てくる。


 「ルーク!テメェ……」


 ドライはルークを見つけると、すぐさま殺気に満ちた眼で、彼を見据えた。ローズは間を置かず剣を持ち出し、ドライの手に渡す。


 「ドライか、良いだろう」


 ルークは不敵にニヤリと笑う。そして殺人を楽しむときの異様な眼光を放つ。そして闇に紛れる黒い刀身を大気に曝し、矛先を一度ドライに向ける。


 「ローズ手ぇだすな……」


 ルークに吊られてドライの口調まで冷たく低いものとなる。血色のブラッドシャウトを鞘から引きずり出す。そして軽く踵を浮かせ、左半身に構え、ルークと同じように矛先を標的に向ける。すると、ルークがもう一度意味有り気に口元をニヤリとさせ、身体を横に流した。


 「な!」


 その瞬間、ドライの頭の中が真っ白になる。ルークが、標的をドライではなくセシルに変えたからだ。どうして良いのか解らなくなる。間に合わない。無意味なほどに時間だけがゆっくりと流れて感じるにも関わらず、セシルに襲いかかるルークの剣を防ぐ術がなかった。目で追うだけが精一杯だった。


 だが次の瞬間、ルークの剣の目の前に現れたのはセシルではなくドーヴァだった。視線を上に、ルークを睨み付け、上から振り下ろされる剣に対し、白羽取りに入る。しかし、剣圧に負け、それごと彼の右肩に剣が食い込む。鮮血が吹き出し、セシルの顔に吹きかかる。


 その刹那、ドライの身体が自然に動く、ただ眼の中にはルークの姿だけがあった。意識は何もない。気が付けば、ルークが咄嗟にそれをかわし、ドライを警戒し、隙のない構えを作っていた。ドライの目の前で、ドーヴァが前のめりに倒れる。


 「エナジーキューブ!!」


 ルークが矛先に意識を集中し、常套手段を仕掛けてくる。しかしドライの足が砕けることはない。そのまま、ルークの隙を狙って、力に任せてブラッドシャウトをを振り上げ、ルークに斬りかかった。


 ルークは冷静だった。何故ドライの足が砕けないのかは理解できなかったが、彼が平然と動いているのは事実だ。此を回避するために、ドライの間合いから、ギリギリで逃れ。隙さず剣で空を切る。


 ビシ!という何かが、乾いたような裂ける音を立てる。


 「なんだと?」


 ドライの動きが止まる。


 「俺も剣士だ。お前ほどじゃないが、少しくらい闘気は扱える。最もお前の闘気は破壊魔だ。俺ほど制御は出来まい?」


 ドライの左頬あたりから、腹部に描けて、シュッと血が吹き出す。


 「だが、流石だな、闘気の致死の域から逃れているとは、大した男だよ。全く……」


 彼の言葉の中には、疎ましさがにじみ出ている反面、誇らしさも感じられる。

 ルークの技は、それほど範囲が広くないようだ。おかげでドライの身体は、泣き別れにならないで済んでいる。最もドライが本能的に此をかわしたのは、確かなことだった。痛みは走るが、此を殺すことはドライにとって造作もないことだった。


 「今日は、俺の方が、分が良いみてぇだなぁ」


 強敵にあったドライは、目を輝かせ始める。頬を滴る血を掌で掬い、舌でなめ取り口に含み、唾液と一緒に吐き出す。そして、ルークの手の内を見たドライが、少し退いて構えなおす。


 「そうだ!その眼だ!そんなお前をやらなきゃ、ナンバーワンに戻っても仕方がねぇ!!」


 それを見るとルークもエナジーキューブを消し、戦い方を本来の魔導剣士である彼のスタイルに戻す。体力的な面を考えれば、ルークは遥かに不利だった。しかし、たぎる血にその不利さを忘れてしまう。冷静さが飛び始めたルークは、異常なまでに眼をギラつかせた。


 「その戦い!一時お預けにさせて貰います!」


 ルークの後ろに突然黒いフードの女が現れる。


 「ブラニー!」


 ルークが、あまりにもタイミングの良い彼女の出現で後ろを振り返る。此に焦ったのはドライだ。前に一度出逢ったときに、ドロンと消えられてしまっている。滾る血をそんな形で、萎えさせられてはたまらない。その前に、ルークに仕掛けることにした。


 しかし後ろを振り返ったルークに変わって、ブラニーが魔法を仕掛けてくる。彼女の魔法には詠唱もスペルサインもない。溜もなく唐突に放ってくるのだ。膨大な熱量を誇った赤い光線が、ドライを襲う。


 「レッドシールド!!」


 ドライはいつの間にか自分の眼前に出現する防護半球体を、そう呼んでいた。記憶の一部が戻ったためだろうか、咄嗟にそう思いついたせいだろうか。そして、無意識のうちにそれを支えるように、掌を正面にして腕を前に突き出した。


 ブラニーの魔法が、レッドシールドに直撃し、上空に跳ね返った瞬間、ドライの腕に異常な負荷がかかる。足も数ミリ後方にずれる。たまらず剣を大地に刺し、両手でシールドを支える。その間も彼女の魔法は、持続してドライに放たれている。


 ルークが、その隙に、意識を真っ白にし、座り込んでいるセシルの前から、瀕死のドーヴァを持ち去り、ブラニーの背中に自分の背中を付ける。すると、あの時のように、瞬間に消え去ってしまった。

 途端にドライの身体から負荷が消え、思わず前にのめってしまう。


 「くそ!」


 ローズは、悔やんでいるドライを眼にしても、彼との約束通り、全く手を出さなかった。ただじっと絶えて、掌から血が滲むほど、拳を握っているだけだった。


 「ドーヴァ……」


 焦点を無くし、譫言のようにボソリと呟くセシル。相当参っているようだ。


 「ドライ、取りあえず怪我を……」

 「ああ……」


 ローズは、高ぶっている安心感を抑えながら、少し腰を屈めたドライの頬辺りからついた傷を、なで始めた。切れ味が良いせいで、換えって傷口はふさがりやすかった。ただ胸の辺りから腹部に描けての傷は、多少跡になりそうだ。ローズは、ドライの治療を終えた後、今度は、混乱して頻りにドーヴァの名前ばかりを呟いているセシルの正面に回り込んで、その肩を強く捕まえる。


 「セシル!」

 「ドーヴァ……、ドーヴァァ!!」


 ローズに捕まれたことにより、途切れかかった意識が急につながり、腕を振ってローズを払いのけようと、必死に足掻き始める。しかしローズはこうなることを予め解っていたので、焦ることもなく振り払おうとする彼女の肩をしっかりと掴んだままだ。 


 「落ち着いて!大丈夫!あの手の男はそう簡単にくたばらないわ!だからしっかりしなさい!」


 暴れるセシルの肩を今度は前後に激しく揺さぶる。すると、次第にセシルの混乱はおさまりを見せ、今度は、興奮の糸が切れたせいか、途端に彼女の瞳からぽろぽろと涙が流れ出す。


 「ドーヴァが……」

 涙を流し、懇願するようにローズの瞳の中をずっと見つめるセシル。


 「よしよし、いい子だから泣かないの、大丈夫よきっと……」


 今度は、彼女の涙を抑えるために、胸の中にぎゅうっと抱きしめた。

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