第1部 第8話 §2 ドーヴァの誤算
時は、翌日の朝に進む。ドライは寝室で、何も問題のない様な顔をして熟睡している。寝言を言っているのか、口元がむずむずと動いている。ただし声になっていないので、何を言っているのかは、解らない。
しかしそんな彼も、目を覚ます瞬間がやってくる。何だか妙にいい匂いが鼻をくすぐるのだ。頭の中が、ハッキリしないが、その匂いと共に、トントントンと、何かを斬っている音がする。察するに何か食べ物の匂いのようだ。途端にお腹が空いてくる。
匂いにつられ、何も身に纏うことなく、扉を開ける。すると、そこには赤い髪のエプロンをした後ろ姿が、目に入った。ローズが、朝食の用意をしているのだ。
「よぉ……」
ドライはそのままローズに抱きつき、頬の辺りを探るように何度もキスをする。
「オハヨ!ホラ!ズボンくらい履きなさいよ」
ローズは抱きついているドライを、軽くあしらって、そのまま手元を進めている。
二人は、彼女の家に来ていた。雰囲気としては、まるで新婚家庭のようだ。ドライはどうかは知らないが、少なくともローズにとってはそうだった。短い時間に、あこがれていた生活を、エンジョイすることにした。
ドライは、ズボンを履くためにローズから離れる間際に、サラダの盛りつけに使われると思われるプチトマトを一つ摘んでいった。
「コラァ!」
本当に仕様のない男だと思ったあきらめにも取れる声で、まるでそうすることが日常茶飯事かのように、ドライの後ろ姿に怒ってみせる。
「ヘヘ……」
ドライは悪戯っぽく笑って、そのまま扉をぱたんと閉めて、一時部屋の中に退却をすることにした。
その頃、宿の方には、一人の訪問者がいた。ドーヴァである。ドライが泊まっていた部屋の前にまで来たものの、扉を叩くまでには至っておらず、ノックをするポーズまでするのだが、結局それ以上先に進むことが出来なかった。すると、横の部屋からオーディンが、出てきて彼を見つける。
「あ、君は……」
ドーヴァは、その声に飛び退くようにしてオーディンの方に振り向き、腰元の剣に手を伸ばす。異常なほどの緊張感に、額から汗が流れる。
〈な、何してんのや!別に彼奴が襲ってくるわけやない!〉
それでも、手を剣から離すことが出来ないでいると、オーディンの方も少し警戒をしながらも、ドーヴァの方に近づいてみせる。
「何か用かな?」
「ド、ドライは、何処や……」
「ドーヴァ!」
今度は後ろからかかった声に、ピョンと飛び上がり、そちらの方に身構えてみる。するとそこには、セシルが立っている。セシルは、昨日の彼の去り際が気になっていたが、今の行動の方がもっと気になる。
「セ、セシル……」
相手が彼女だとするとドーヴァは漸く警戒を解く。
〈やっぱり、決闘する相手をわざわざ迎えに来るなんて、馬鹿げてる!焦ってすぐ来るんや無かった!!〉
口の先を尖らせて、暫く頭をかきながら天井を眺めている。それから暫く、天井の端々を無意味に眺める。
「いや、別に、何でも無かったんや!ほな……」
セシルに背を向け、すごすごとぎこちなく歩き始める。そんな彼に、オーディンが声を掛けた。
「ドライは此処には居ない。探すのなら、自分で探すんだな」
そう言って、セシルの方に一度視線を送って、もう一度部屋の中に引きこもってしまう。
オーディンの目の仕草に、ドーヴァは足を止める。
廊下には、気まずい雰囲気を漂わせたドーヴァと、いきなり二人になってしまったことに、戸惑っているセシルもドーヴァも、この状況をどう対処してよいのか解らず棒立ちになったまま、言葉を交わすことが出来なくなってしまっていた。
しかし数秒も経たない内に、セシルがこの状況に絶えきれなくなって、気になっていたことを口に出す。
「兄さんを殺すって、どう言うことなの?」
セシルの言葉がまるで自分を問いつめているかのような錯覚を覚えたドーヴァは、身体を硬直させた。そして、彼女のその切ない声に振り返らずには、いられなくなってしまう。
「そ、その話は後や、それより、昨日晩おごるいうて、結局そのままや、どうや、これから口に、何か入れにいけへんか?」
ドーヴァは、ひきつった笑みを浮かべながら苦しい言い逃れをしてみせるが、セシルは一向に返事を返してくれない。困った顔をして、目を潤ませているだけだった。
「あかんか?」
しかし、ドーヴァが誤魔化したがっているのが解っていても、その人なつっこい声に、ノートは言えなくなってしまう。セシルは、涙を拭って軽く頷いた。
「やれやれ、恋は至難だな」
扉の向こうで、オーディンが穏やかに笑みをこぼした。ドライのことなど何一つ心配していなかった。
セシルとドーヴァは、街に出て食事をすることにした。ドーヴァは甘い物好きのようだ。朝から早速デザートを注文している。そしてそれを何ともおいそうに頬張ってみる。そんな彼を見ていると、悩んでいることが馬鹿馬鹿しくなってしまいそうだ。
「やっぱり朝はしっかりくわんとあかんわ!」
「ドーヴァったら甘いものばっかり、虫歯になるわよ」
セシルは、目の前でがっついているドーヴァを見ると、ついおかしくなってクスクスと笑ってしまう。
「はは!好きなんやから仕様がない!」
表面上は確かに、悩みを見せないドーヴァだったが、その内心は複雑なものだった。目の前にいるチャーミングなヒトは、何れは血を流しあわなければならない相手なのだ。そしてセシルは、そんなことを知らず警戒をすることなく、自分に話しかけ、微笑みかけてくれるのだ。
「ねぇ、兄さんのこと……」
少し聞きづらそうに、俯き加減に口ごもってドライ事をドーヴァに訊ねてみる。場の雰囲気を壊すことを恐れてか、頻りにドーヴァの機嫌を伺っている。
「ドライ?の、ことか……、そうやな、彼奴は、俺の賞金稼ぎとしての目標や、彼奴を倒せば世界一になれる。なんてな!彼奴は凄すぎる。賞金稼ぎであると同時に、その強さ故、逆に暗黙の賞金首になっとる。別に俺だけの特別な事情やない、その筋の人間やったら、皆そう思っとる」
ドーヴァの言ったことに嘘はなかった。ただ現段階で、自分はドライの足元にも及ばない実力を、非力に感じた。ドライを倒すことは、夢のない男達の夢なのだ。ドーヴァは自分にウソを付かないことで、言葉に重みを残すことなく、さっと言い流す。それから何食わぬ顔をして、再び食を進め始めた。
セシルは、何となく不思議な安堵感を持った。先日聞いた彼の「ドライを倒す」言う言葉は、それ以上の気迫を感じさせたからだ。今の彼には、それほどの凄まじさは感じられない。
「ほら、飯冷めてまうで」
口をモゴつかせながら、セシルの目の前の食事に今にもそれをつつきそうに、フォークで指す。
「あたし、何だかお腹空いちゃった」
セシルは、にこっと笑い。大きな口を開けて、サンドウィッチにかぶりつく。
しかし次の瞬間、セシルの背筋が凍り付いた。
「コーヒーをくれないか」
「かしこまりました……」
そんなやりとりが聞こえる。
そして彼女が、認識が出来るか出来ないかのギリギリの視界の中に、真っ黒なマントに身を包んだ男の姿が飛び込んできたのだ。聞き覚えのある低く冷たい声。感じる気配が僅かでも、その男が誰なのかハッキリ認識できる。ドーヴァの眼には、食べ物とセシルしか目に入っていない。
「ルーク……」
セシルが、視線を合わせないように彼の方に意識を集中させる。すると、ルークの視線を感じる。此処で何かを仕掛ける様子はなさそうだ。向こうはこちらの事を認識している。最も認識していて当然なのだ。
今の時点で、勝負を持ち込まれても、引き分けることはあっても負けることはない。セシルは、そう考え落ち着くことにした。防御に入る準備はもう出来ている。
セシルの喜怒哀楽に注目しているドーヴァは、すぐに彼女の異変に気が付く。
「どないしたんや?なんか変なもんでも?」
そうっと、空気すら振動させないといった感じで、セシルの顔を少し下の方から伺ってみる。
「う、ううん、何でもないの。早く食べて、デートの続きしましょう」
ルークのただ何かを探るような冷たい視線を感じながら、ドーヴァに作り笑いをする。
「デート!?デートか!そうか!」
勿論ドーヴァには、好意らしきものを感じているが、セシルとしては、この雰囲気を壊さないための、ただ取り繕う溜だけの言葉だった。しかし、ドーヴァはそれにいたく感激していた。至福に満ちた満面の笑顔で、興奮を隠しきれずに、大声を張り上げる。今にも踊りだしてしまいそうに、うきうきしている。
普段の何気ない町並みが、セシルの一言で輝いて見えたドーヴァは、周りから見ても上機嫌に足取りは軽い。更に彼をそうさせたのは、セシルが腕に絡んでいることだ。彼等の関係を知らない彼女が、いざというときに、彼を守るためにしていることだった。セシルとしては色気のいの字もない。だが、彼に気づかれないために、にこやかにしている彼女の顔が、完全に彼に錯覚を覚えさせていた。
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