第1部 第7話 最終セクション

 ドライは、オーディンを宿に帰した後、公約通り、セシルを一寸したレストランに連れて行く。服装に五月蠅かったが、適当にチップを渡して、忠告に来た人間を全て追い払ってしまう。レストランにいっても、セシルは、なかなか口を開かないままだった。


 「なんだよ、せっかくこのドライ様が誘ってやったってのに」


 ドライは、まだセシルが先ほどのことを怒っているのではないかと、困ってしまった。


 「嬉しいわ、けど……」


 セシルは、先ほどのドーヴァの後ろ姿と言葉の意味が妙に気になっていた。一瞬本当に嬉しそうな顔をしてみせるのだが、すぐにシュンとなってしまう。

 ドライの方も湿気た顔をしている相手と食事をしても何ら楽しくは無い。しかし怒って帰るわけにも行かない。出るのは、溜息ばかりだ。

 ややもすると、横からスープが出てくる。


 「ほらきたぜ、美味そうだ」


 スープ如きに態とらしくはしゃいで見せるが、セシルの反応は、全くない。


 「ようよう。もう何にもないからよぉ、ホラ……」


 その声に、セシルは仕方がないような感じで、顔を上げると、ドライの眉毛がサングラスの上で、困っている。


 「そうね、ご免なさい」


 セシルも此処で漸く作り笑いながらも、今はイヤなことを忘れることにした。そして、スープをスプーンに一掬いして、口に運んでみせる。それを見ながらドライも一息着いて、セシルに合わせて一口啜る。

 ぎこちないながらも兄妹の会話の一時が始まろうとしたときだった。ドライの後ろに、急に陰が出来た。


 「ん?」


 彼の後ろに立っていたのは、たくましい顔をした口髭の生えた見た目は威厳のありそうな、この街のシェリフだ。後ろに二人の部下を連れ、暫くドライを睨んだまま口を重く閉ざしている。


 「お前さんに殺人の容疑がかかっている。そこまで来て貰おうか……」


 それを聞いたドライは、大体の用件の察しが付いた。抵抗をすることもなく、すっと席を立つ。


 「よせ!其奴は、何にも知らねぇ」


 セシルの後ろに回り込み、彼女の腕を掴もうとした彼等に、ドライは一瞬牙を剥く。その声の凄みに、二人はビクリとし、セシルの腕を掴むのを止める。


 「良いだろう。お前だけ来て貰おうか」


 ドライがシェリフとレストランを去った時を同じくして、残りの三人も宿屋でささやかな食事を済ませていた。テーブルにはローズとシンプソンだけが囲んでいる。オーディンは食後、疲れた身体を休めるために、ベッドでぐっすりと眠っていた。全回までには、やはり後二日ほどかかりそうだ。


 「あぁあ、私も外で食べたかったなぁ」


 ローズはドライがいないので、何とも退屈そうだ。お腹も心も満たされない顔をして、行儀悪くテーブルの上に頬杖を着いている。


 「ローズ、たまには『兄妹水入らず』させてあげても良いじゃないですか、解らない貴方じゃないでしょ?」


 シンプソンの言葉は、説得とも慰めとも取れた。食後の読書をしながら、時々彼の視線がローズを気遣って、彼女の方を覗く。目を瞑って頬を少し膨らませている。今に見不平不満のオンパレードをしそうだ。


 「そうだけど……」


 ローズの顔は更に不服そうな顔になってくる。


 〈それなら、私も一緒じゃなきゃダメよ。だって私たち……〉


 すると彼女の脳裏には、結婚式の華やかな風景が浮かんでくる。勿論主役は白のタキシードを着込んだドライと純白のウエディングドレスに身を包んだローズだ。指輪の交換、そして誓いのキッス。すると急に不機嫌さが吹っ飛んだ。


 「やだぁ!もうシンプソンたらぁ!!」


 一人で激しい思いこみをしながら正面に座っているシンプソンを突き飛ばしてしまう。それから顔を覆いながら、変に恥じらっている。


 「な、何なんですか一体……」


 テーブルに這い上がるようにしてしがみつくシンプソンだった。メガネが斜めに傾いている。

 普段の二人の熱愛ぶりから考えると、結婚ぐらい、なんら刺激ではないように思えるが、やはりそれは、その情熱を越える夢であるに違いない。

 それを想像するだけで、ローズの顔は悩みのない笑顔で一杯だった。

 シンプソンから見れば、意味不明だが、不機嫌な顔をしていないだけ有り難いように思えた。気を取り直して、椅子を立て直す。

 その時セシルが、扉が壊れそうなほど叩くようにして、激しく押し開け、慌ただしく部屋の中に飛び込んできた。シンプソンは轟音に吃驚して、肩を竦める。そして、そろりと後ろを確認する。


 「兄さんが!兄さんが!」

 「また何かしたの?」


 セイルの慌ただしい様子とは別に、ローズは椅子に座ったまま、ドライが彼女に何かしたのではないのかと、勘ぐってしまう。

 しかしセシルが、息を乱し首を振る。


 「違うの?どうしたの、ホラ、水でも飲んで……」


 セシルの方に絶えず注意を払いながら、水瓶からコップに水を注ぎ、セシルに渡す。それを一気に飲み干したセシルは、漸く呼吸を整え、落ち着きを取り戻す。


 「兄さんが、シェリフに捕まったの!」

 「ドライが?まさか!彼奴は賞金首以外の人間を滅多なことで殺さないわよ」


 セシルが冗談を言っていないのは、良く解っていたが、ドライが捕まったというのも信じ難かった。少し作った様子はあるが、落ち着きのある様子で、テーブルの上に腰を掛ける。

 セシルは首を横に数回振った。


 「彼奴……、殺っちゃったの?」


 そうすると今度は、首を縦に振る。


 「まさか!」


 目を見開き、瞳孔を収縮させ、セシルの顔を一点に見つめる。顔は落胆に青ざめていた。


 「とにかく行ってみよう」


 騒がしさに目を覚まし服装を整え、いかにも寝起きと言った髪型のオーディンが、いつの間にか、セシルの後ろに立っていた。


 「さ、ローズ。兎に角行ってみましょう」

 「そ、そうね」


 ローズ達が慌てて部屋を出る。

 ドライは取り調べを受けるべく保安官事務所に連れられていた。


 「さあ、ハッグ=リナールを殺したのは、お前なんだろう。ドライ=サヴァラスティア」


 彼は威圧的に部下二人を座っている彼の両脇に立たせ、自分はイライラを押さえながら、その周りを回っている。


 「さあな、何のことだかな」


 ドライはただ惚け、手錠を掛けられている手を頭の後ろに組み、太々しく欠伸をする。


 「巫山戯るなよ!お前が奴のことを嗅ぎ廻っていたのは、知っているんだ!」 


 シェリフは後ろに回り込んだときに、ドライの髪の毛を掴み、彼の顔を自分の方に向けさせる。そしてドライを上から睨み付けた。ドライも睨み返すが、それだけで抵抗は見せない。


 「サングラスを掛けていて解らなかったが、まさかお前のような大物がなぁ」


 イヤな顔をして、ドライの髪を何度も引っ張るが、ドライは何も言わない。

 賞金稼ぎを目の敵にしている警察権力には、願ってもないチャンスだった。法が定めているにも関わらず、両者は何時も密かな対立をしている。権力は、シェリフの方が遥かに上なのである。ドライには黙秘以外の権利はない。

 シェリフは、ふとドライの腕を掴み、テーブルの上に着かせ、そして、彼の指先を眺める。


 「良い商売道具を持っているなぁ、流石世界一と謳われるだけはある」

 「この俺様に自慢できねぇトコなんてねぇよ。どんな女も大喜びだぜ」


 シェリフが、ヘラヘラとして、下らないことを言っているドライの右手の小指を掴み、逆方向にへし折る。


 「グアァ!!テメェ!!」


 ドライが痛みに立ち上がろうとすると、部下二人が後ろから彼の肩を押さえ込み、姿勢を強制させる。ドライとしては、テーブルを蹴飛ばす手もあるが、それをやると別の条罪が付け加わってしまう。懸命に痛みを押さえ、歯を食いしばる。それも彼等のねらいでもある。


 「不運だなぁ、テーブルに指をぶつけちまうなんて」


 俯いてい痛みを堪えているドライの頭を一つ小突き、それから、からかったように、彼の頭を撫でた。


 〈クソッたれ!〉


 ドライは殺気をむき出しにした深紅の目をシェリフに向ける。


 「さあどうした。楽になったらどうだ?何なら今度は、ドアに指を挟んでみるか?」


 シェリフはドライの視線に怯えることなく、脅迫的にドアの前に立ち、意味有り気にドアを開け閉めしてみせる。と、その時、表玄関でノックの音がする。取り調べの途中に邪魔が入ったのが気にくわないのか、シェリフは、渋い顔をして眉間に皺を寄せる。


 「サンド、お前一寸行って来い」


 彼は首だけで部下の一人に命令し、自らは再びドライの取り調べを続行しようとしていた。


 「さあ、何か言ってみろ」


 俯き、指の痛みに耐えているドライを嫌みな同情を含んだ笑みをこぼしながら、下から覗き込んでみせる。


 「腹減った」


 脂汗をかきながらも、ニッと笑いシェリフに視線を合わせるドライだった。


 「あの、ドライに面会者が……」

 「そんな奴は居ないと言っておけ」

 「うそをついて貰っては困るな」


 オーディンが部下を掻き分け無断で、取調室にまで入ってくる。彼の後ろには、ローズやセシル、シンプソンもいた。それを見たドライは、一寸吃驚した顔をする。だが、すぐに表情を隠し、冷淡な顔をする。


 「誰だ?お前等……」


 そして、興味のない様子を示して、顔を逸らしてしまった。


 「何を言っているんだ!友達だろう。お前が訳もなく、人を殺したりするはずがない!!」


 ドライの素っ気ない仕草に、ムキになって、自分たちの関係を公にしてしまうオーディンだった。胸ぐらを掴んででもうんと言わせようと、ドライに歩み寄ったオーディンだったが、シェリフがそれを阻むようにして、二人の間に入り込む。


 「公務執行妨害で、逮捕されたくなかったら、これ以上口をはさまんこったな」

 「ドライを逮捕した罪状は何だ?!証拠があるのか!」


 オーディンが、必要以上にムキになってみせる。興奮して、身体を痛くしたのか、顔色が冴えず腹部を押さえている。


 「あら?アンタまだシェリフやってたの」


 その時ローズが、シェリフの顔に見覚えがあるように、オーディンの横に並び、目の前の男の顔を確認する。そしてそれが間違いでないことを確信すると、ローズの蒼い瞳が、とたんに殺気だった。


 「お前は……」


 彼もローズの顔に見覚えがあるようだ。しかしその反応はローズのように堂々としたものではなく、腰が引けた感じで、狼狽え始めた。


 「覚えてた?私の顔……、さぁ、ドライが何したのか言ってみてよ」

 「う!ハッグ=リナール殺しの容疑でだ」


 彼はローズの問いつめに、あっさりと答え、冷や汗を流す。

 ローズはこの時、ドライが法外の殺人を起こした理由に納得した。しかし、同時に、何故彼がそういう行動に出ることが出来たのかを疑問に思った。それは彼女の思考の中で、自分がこの地方の生まれであること、そして、自分の身を辱めた人間が、この街にいることを、ドライが知っているはずがないという結論に至ったからである。


 「そうだったの……、でもどうして?」

 「宿のお喋り女共が、喋ってるのを聞いた……」


 ドライがくすっと笑う。馬鹿げたことをした自分が、妙におかしく思えた。誰のために犯したわけでもない、ただ自分の抑えきれない衝動のために、起こした突発的な行動だったことに気が付く。


 「そう、それじゃドライ。帰りましょう」


 彼女の声は、いつになく静かだった。シェリフの様子からして、ドライは、まだあのことを口に出してはいないようだ。そのまま行けば彼は、単なる殺人犯だったことになる。

 ローズが、周囲には解らない自分だけの結論を出し、シェリフに無断でドライを連れて帰ろうとしたときだった。


 「待て!比奴は殺人犯だ。法の裁き無しに連れて行くことはならんな!」


 シェリフは、まだドライを拘束するつもりらしい。確かに彼のしたことは犯罪意外なにものでもない。法にその身を委ねなければならない事だ。しかしローズはそれ以前に、彼等の態度が許せなかった。


 「確かにね、でもその前にあなた達に、彼を拘束する権利があるのかしら?……酷い指が折れてる」

 それでもローズの行動は、変わらない。彼に肩を貸そうとしたとき、手錠をはめられたドライの指が目に入る。


 「何を言っている?」


 シェリフはローズに話すときは、何故か怯えている。それに彼女をなるべく刺激しないように、何となく配慮が見られた。


 「解ってるわよ。ハッグ達のこと、知らないとは言わせないわ。彼奴等が盗賊紛いのことをしているのを平気で見逃しているのは、誰かってことよ。彼奴等は、荷馬車を平気で襲ったり、街の女達も何人も泣き寝入り……、違ったかしら?」


 ローズは相手を追いつめるようにして、ジリジリとシェリフに踏み寄る。


 「ローズ!もう言い!言うな!」


 ドライの口調が激しくなる。まるでローズを叱りつけるようだった。


 「いやよ!ドライを返してくれるまでは……」


 しかし、ローズはシェリフから目を離すことなく、ドライに反論する。

 オーディンもセシルも、ドライが何を隠しているのか解らなかったが、それがローズに関係していることは解った。そしてそれは、自分たちがあまり触れてはいけないと言うことも、直感した。


 「ダメ?それじゃ六年前に起こった出来事を具体的に話してあげようか?そしてその事を、みんなに言いふらしてやるわ!そのためにドライが起こした行動も!どう!!私は昔のようにただ優しい女じゃない!今は強くなれるわ!彼のためなら……」


 ローズは、もう一歩も近づくこともできないほど、シェリフに近寄った。言動とは裏腹に、彼女の額には汗が流れている。ドライを助けるために、必死なのが解る。


 「ローズ!言うな!オメェ何言ってんのか解ってんのか!!もう良いって……、無茶した俺が悪かった」


 ドライはローズの後ろから、腕を手錠で縛られたまま、彼女の肩をしっかりと抱きよせ、その頭に頬ずりをする。そのドライには、自分が助かるための気持ちは全くなかった。ただ自分の起こした見境のない行動のために、ローズを傷つけたくない、そんな気持ちで一杯だった。そしてもう一度言う。


 「悪かった……言うな」


 ドライの声は泣いていた。お前の悲しい過去を知るのは、俺だけで十分だと、何度も心の中で、彼女に言ってみせる。しかしローズの口は徐々に開き掛けていた。


 「解った!今回だけは見逃してやる。さっさと行け、手錠を外してやれ……」


 シェリフは、ローズの覚悟に耐えきれず、ドライ解放を言い渡す。


 「しかし!!……解りました」


 シェリフの命令で、仕方が無くサンドがドライの手錠を外す。

 釈放されたドライを連れて、彼等は再び宿の戻ることにする。


 「それにしても、オーディンがドライのことを、友達だって思ってるなんて、私驚いちゃった」


 ドライが無事釈放されたことで、ローズの顔に、再び柔らかさが戻った。オーディンとドライの間に入り、ドライの腕に絡みながら、オーディンに話しかける。


 「ああ、いい加減でだらしがないが、根は良い奴だと解っているからな」


 この時点でオーディンがドライに、何の不信感も抱いていないことは、ドライ以外皆解ったことだった。しかしである。


 「何だと、テメェ!俺の何処がどうで、どう、だらしねぇんだよ!」


 しかしオーディンの言いぶりがドライには気に入らなかったらしく、途端に突っかかってみせる。


 「そうだろうが!朝は起きない!夜は騒ぐ!」

 「バーカ!俺は人生エンジョイしてんだよ!オメェがクソ真面目過ぎなんだよ!」

 「いいや!貴公の方が、不摂生のしすぎだ!」

 「何だとぉ!!やるかぁ?!」

 「望むところだ!」


 途端に口論になり、そのうち、ボカボカと互いを殴り始めた。


 「一寸、二人とも……」


 シンプソンが止めて見せようとするが、彼の声は二人に届いてはいなかった。


 「はぁ……、なんとかに付ける薬無し……ね」

 「いいの?」

 「放っておきましょう」


 ローズとセシルは、全く止める気はない。ただ呆れて、二人を眺めているだけだった。

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