第1部 第7話 §6  宣告

 町中に戻ったセシルは、ションボリとしたまま、街角で立ちすくんでいた。謝ったときのドライの顔が妙に軽薄に思えてくる。確かにそうなのだが、彼の事情も知らない。


 このまま帰ると、ドライに合ってしまうし、泣いている顔など皆に見えられたくない。何処に行ってよいのか解らず途方に暮れていると、一人の男が声を掛けてきた。


 「どないしたんでっか?」


 なんとセシルの前に現れたのは、ドーヴァだった。セシルはその声に驚き、吃驚して顔を上げる。目は涙で潤んでいた。暫く目と目が合う。しかし少し上から覗く彼に驚いて、声が出ない。


 〈か!可愛いなぁ、いかん!比奴は敵やった……〉


 彼は早速自分の標的となる人間を捜しに来たのだ。今現在の彼は、戦闘を考えてはいない。それに戦闘を起こせば、ドライ達がやってくる。


 セシルは、彼が敵だとは知る由もない。ただドライでなかったことに、ホッと胸を撫で降ろすだけだった。勿論ドーヴァはその事を知っている。だからゆとりの表情で、敵を探ることにした。


 「ほれ、泣いてんと」


 敵とは知っていながらも、泣いている彼女を放っておくことが出来ない以外と人情家の彼だった。ハンカチを出して、セシルの涙を拭いてやる。セシルの涙を拭き終わるとドーヴァはニッと笑う。


 「ありがとう、ご免なさい……」


 恥ずかしそうに困った顔をするセシル。恥ずかしくて再度彼と視線を合わせることが出来ない。言葉をモジモジさせて、態度をハッキリさせることが出来ないでいる。


 〈な、何でそんなに、可愛いんや、水晶で見てんのと偉い違いやな!これであんなゴッツイ魔法を使うんかいな〉


 「ま、なんぞ訳でもあるんやろ?そこにカフェバーもあることやし、どうや?」


 一見人の良さそうなドーヴァにホッとするセシル。それが見知らぬ他人とわかっていても、気まずいドライといるより、ずっとましなことだった。彼女はか弱いが、魔力を使えばふつうの男など、手も足もでない。


 言葉遣いのせいか、妙にせかされている気分になってしまって、いつの間にか足は彼と一緒にそこへと向かっていた。


 その頃宿では。


 「えぇ?セシルが何処かへ行ったぁ?」


 シンプソンとローズの不信感の隠った声が、ドライを上から押さえ込む。


 「面目ねぇ……」


 ドライは一応町中を探してみたのだが、一向に見つからず仕方なく、恥を曝しに宿へと戻ってきた。作り笑いをして愛想を振りまいてはいるが、冷や汗をかいているので、相当焦っているのは一目で分かる。


 「あんた何したのよ」


 ローズが突き刺さるような視線で睨みながらドライの周囲を回る。

 出て行くときのあの不自然な態度からすると、何かやましいことがあるに違いないと思いこんだ目で、ドライは注目を浴びていた。ローズがまだ周りを回っている。


 「何もしてないって……」


 まさか此処でローズの過去を暴露するわけにはいかない。此処はどんな仕打ちをされてもじっと我慢をする事にした。


 「まぁよかろう。それは後で聞くとして、先に彼女を捜さねばな」


 オーディンがベッドから体を起こし、上着を着込み始める。


 「オーディン、貴方は寝ていて下さい、セシルは私たちで探しますから」

 「大丈夫だ。手は多い方が良い。それに一人になるのは危険だ」


 オーディンは、シンプソンが止めるのを聞こうともしない。


 「それじゃ二組に分かれましょう」


 ローズがドライの腕を取る。


 「いや、レディーはシンプソンと行ってくれ。ドライとは私が行く」

 「ええ、構わないけど」


 確かにシンプソンと今のオーディンでは、何かあったときに何もできない状態だ。それに、不服を言っている場合ではない。そして、オーディンに何か考えがあることが、彼の口調から何となく解る。




 その頃ドーヴァとセシルは、目の前にあったカフェバーに入っていた。それからというもの沈黙の時間が、ただ流れていた。触れてしまえば、泣いてしまいそうなセシルに、困った顔で、ただ気を使っていた。


 〈俺、何してんのやろ……〉

 「そや、チョコパフェでも喰うか?俺好きやねんけど……」


 恐る恐る声を掛けるドーヴァに、セシルはコクリと頷く。何とも対応しがたいセシルに、汗をかきながら、落ち着き無く周囲を眺めていると、向こうの方でナーダがこちらを睨んでいる。


 「俺、トイレ行って来る」


 そそくさと、席を立ち、ナーダと視線を合わせながら、奥の方に向かって歩き出す。そして二人とも手洗いの前で、身を隠すようにして話を始める。


 「何をやってるんだ!彼奴は敵だぞ!」


 ナーダは、高い位置から指をドーヴァの眼前に突き出す。今にもその指が額に突き刺さりそうだ。


 「解っとる!せやけど、マスターに不利な戦闘はするなって言われとるやろ?それに向こうは、こっちの事しらんのやで!お前も他の連中見つけて、自分の目標探せ!」


 シッシッと、ナーダを手で追い払う仕草をするドーヴァ。それだけを言うと、再びセシルのいる席に戻る。そこにはもう、彼の好物がテーブルの上に置かれて合った。そのときのドーヴァはまるで、宝物を見つけたような表情をしている。


 「頂きまぁす!、うん!美味いでこれ!」


 と、態とらしく元気を出してがっついてみせる。セシルもいい加減、ドライのことを考えることに、疲れていた。そして、やたらドーヴァが騒がしいのに気が付いて、ふっと俯いていた顔を上げる。子供のように口の周りをベッタリ汚して、パフェを頬張っているドーヴァの顔が目に入った。ドーヴァもセシルが顔を上げたことに気が付いて、互いの視線があった。


 「ぷっ!」


 その彼の顔が妙におかしく思えたセシルは、一変して笑いが吹き出してしまう。相手に悪いと思いながら、手で口を押さえてみるが、どうにも止まらない。手の内側で必死に息を殺しながら笑っている。


 「どないかしなん?」

 「だって、貴方の口……クスクス」

 「口?」


 適当に手の甲で、口を拭いてみる。するとそこには、クリームがベッタリとくっついてきた。


 「あかん!つい夢中になってもうて!」


 するとセシルは、より一段とおかしそうに、クスクスと息を殺しながら笑う。とても初めての男性に見せるようなものではない、屈託のない笑顔だった。いろいろな意味での緊張の糸が彼女の中で、途絶えた瞬間だった。

 口を拭き終わったドーヴァの目に、漸く笑ったセシルの屈託のない笑いが飛び込んできた。


 〈比奴、ええ顔しよるなぁ、戦闘中とは、全然違う……〉

 「漸くわろうてくれたな」


 ドーヴァはセシルの笑顔に、すっかり虜にされてしまう。彼女の笑顔が見ることが出来たことに、新鮮な感動を覚えた。


 「ご免なさい、知らない人にこんなにして貰って」


 セシルに、ドーヴァに対する本音が出る。今度は彼に対して申し訳なさそうにぺこりと頭を下げた。


 「ええんや!気にすんな、それよりそれ喰って元気だし!」


 照れて頭の後ろで手を組み、でれっとしてしまうドーヴァだった。


 「ありがとう」


 一度ドーヴァを見て、パフェを口にし、もう一度ドーヴァを見て、ニコリと笑った。漸く一安心をしたといった感じの顔だ。




その頃、オーディン達は、気をヤキモキさせながらセシルを捜していた。


 「ドライ、正直セシルに何をしたんだ?」

 「しつこいな!俺はなにもしちゃいねぇよ!」

 「『やましい事』をしていないのは解っている!お前がそういう男でないこともだ」

 「ウルセェ……仮面男」


 解ったようなことを言われて、内心ムカッときたが、彼が自分を理解していることも、少々ながらも有り難く思った。しかし幾らドライとて、他人に話せるほど軽い話ではないのだ。ローズの事を思うと殴られても話せない。そんな心境から、声にも普段の突っぱねる元気の良さがない。オーディンは男同士として、ドライから色々と聞きたかったが、無理なようだ。




 時を同じくしてローズとシンプソンも別の場所でセシルを捜していた。


 「いないわね……」

 「そうですね」


 セシルは行き場所がないだけに、何処へ行ってしまったのか全く見当が付かない。ドライが絡んでいるだけに、ローズはより責任を強く感じる。そしてドライには、全く悪気がないことも解っている。

 二人が少し足を止め、これから、彼女をどう探すのかを考えているときだった。少し向こうの方から、昼間ローズと話していたおばさんが、大きな声でローズの名を呼びながら二人のほうに、近づいてくる。


 「ローズ!デートかい?!」


 二人の側に来ると、突然ローズを肘でつつきながら、ローズをからかっている。


 「お、おばさん!彼は違うわよ!」

 「またまたぁ、恋する女は綺麗になるって言うじゃないか!」

 「だから違うって」


 この忙しい時に、悪気のない勘違いをしている彼女には、ただ笑ってこれを否定するローズだった。セシルを捜さすために、彼女と話している時間はない。


 「兎に角、私たち急いでるから……、ご免なさい!」

 「うわっと!!」


 ローズはシンプソンの腕を引っ張り、強引にその場を切り抜ける。


 「なんだかんだ言って、青春だねぇ……」


 忙しそうなローズの顔を見ると、彼女はローズの過去を気の毒に思いながらも、ホッと息を付いた。


 「ローズ、今の人、知り合いですか?」

 「うん、まあね、一寸……」


 ローズは苦笑いをする。

 シンプソンから見て、少なくとも二人はただの知り合いとしては映らなかった。そこには、つき合いの慣れや、心を許し合っている何かを感じた。だが、ローズはそれを隠すようにしている。気になってその事を聞きたくなってしまうが、そこまでする権利は自分にないことをシンプソンは解っている。それに、セシルを見つけることが先決だ。そろそろ日が傾き始めている。ルークに襲われれば大変なことになると考え始めているシンプソンだが、まさかセシルがその部下と会っているとは、知る由もない。


 「な、美味かったやろ?晩になったら、景気づけに、美味いもん喰わしたるわ」


 店から出たドーヴァは、スタスタと歩き出す。後ろからセシルが、いそいそとドーヴァの後を追う。


 「え?そんな!私もう大丈夫だから!」


 あまりにも、人見知り無く次々と言葉の出るドーヴァが、いつの間にかセシルの元気を取り戻させていた。しかしセシルにとって、何故彼がこうまでしてくれるのか解らず、ただ戸惑うだけだ。そこまでされることに気が引けて、足が止まってしまう。

 吃驚して目を丸くしているセシルの顔が、またもやドーヴァの心に飛び込んでくる。


 「ええんや、俺、お前に……」


 ドーヴァが振り返り、セシルの頬に手を差し延べたときだった。


 「セシル!」


 ドライがの声が彼女の耳に飛び込んできた。そして、ドーヴァの後ろにオーディンに肩を貸しているドライがいた。


 「兄さん!」


 ドライの顔を見た瞬間、先ほどまで忘れていた疑心が再び胸の中に舞い戻っている。再び彼と顔を合わせることを辛く思ったセシルは、人混みの中に駆け出して行く。


 「一寸待てよ!」


 しかし今度は、セシルはドライに感単に捕まってしまう。何処かで捕まることを期待していたのかもしれない。


 〈うへぇ、ドライや!兄さんてなんや!!〉


 ドーヴァは、ドライを見た瞬間、身体を硬直させた。彼と違ってドライは体格に恵まれている。そして何と言っても世界一の賞金稼ぎのイメージがある。横を通っただけで、彼の威圧感を感じた。


 「離して……」


 セシルは自分の腕を強く掴んで感じるドライの手を振り解こうと、腕を振ってみる。しかし、どう足掻いても、逃れられそうにない。だが、力は強いが、決して強引な強さではなかった。


 「かまわねぇが、先に謝らせろ」


 ドライのその言葉に、セシルも抵抗するのを止める。だが、ドライの顔を見ることは出来ない。ただじっとしている。すると、ドライの手の力も軽く捕まえる程度のものに変わった。


 「悪かった」


 ドライはそう言うと、セシル腕を放す。そしてオーディンの方に振り返った。


 「オーディン、後頼むわ……」

 「解った」


 オーディンの返事を聞き、全てが済んだように歩き始めたドライが、ドーヴァの横を横切ろうとしたときだった。


 「一寸待ったらんかい!」


 ドーヴァは、ドライのセシルに対する素っ気いない態度に、妙な腹立たしさを覚えた。


 「あん?」


 ドーヴァのことを全く知らないドライは、彼が何を言っているのか全く理解できなかった。自分の聞き間違いでないのかと、耳を疑った。


 「女泣かせといて。それだけなんか!!」


 尋常になくムキになっている。


 「だれだてめぇは!関係ねぇだろ。怪我しねぇうちに、とっとと帰って寝ろ」


 ドライはサングラスの中から斜め下にドーヴァを見下ろす。だがそれだけだ、それ以上何もせず、再び歩き始めた。その時、ドーヴァは剣を抜こうとする。ドライが鞘から剣が抜け出る音を聞き逃すわけがなかった。彼も背中に背負っているブラッドシャウトを、抜こうとする。ドーヴァの態度次第では、殺すことも考えていた。


 「止めて!兄さん!!ドーヴァさんにはお世話になったの!だから……」


 セシルが、ドライの上着を縋るようにして握りしめる。するとドライは、あっさりと剣を鞘に納め、柄からも手を離す。


 「解ったよ。んじゃ、昼間言った通り、どっか食いに行こうぜ」


 そう言ってお詫びの意味含めて、セシルの肩に腕を回す。


 「あ!ドーヴァさんもどう?一緒に……」


 「いや、俺は用事が出来た。それよりドライ=サヴァラスティア、必ずお前を殺って、世界一になる」


 ドーヴァは、ドライにきっぱり言い切ると、背中を向けてそのまま歩き始める。彼の後ろ姿には、セシルが声を掛ける余地など全く無いほど、張りつめた空気を背負っていた。

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