第1部 第6話 §最終 心の距離

 宿に戻ってもドライは、寝る事が出来ない。窓から僅かに差す月明かり中、一人きりで壊れた義足をテーブルに置き、暫くそれを眺めている。不思議と頭痛の後、何かしらが解るのだ。具体的なモノでなく漠然としたモノだったが、義足の構造が理解できる。しかし完全に理解できたとしても、これを作るには特殊な材料がいる。此処では治せそうもない。やはりオーディンの言うとおり、このまま自分の旅は終わってしまうのだろうか。何度もそう考えると、諦めきった自分が、心の中で「もう良いじゃねぇか」の一言を投げかけてくる。


 酒を飲もうと思っても、ビンの中は空で、それで気を紛らわすことも出来ない。ドライが空ビンを振っているときだった。


 「おい!」


 乱暴に扉の開く音と同時にその声は聞こえた。


 「メガネ君なら、隣の部屋だぜ」


 「五月蠅い」


 オーディンが手に大きめの紙袋を持ち、ヅカヅカと部屋に入ってくる。ドライに用件があるようだ。そして、ドライの目の前の椅子に座る。地震が起こる前と同じ感じだ。だが一つ違ったのは、目の前に座っているオーディンの目が完全に据わっていることだ。


 「酔ってんのかよ」


 「ああ!お前相手に、まともに話など出来るか」


 今まで「貴公」と言っていたが、オーディンが「お前」と呼んでいる。


 「俺は、お前に話なんかないぜ」


 ドライはオーディンと目を合わせることはない。壊れてどうしようもない義足を、繰り返し眺めている。


 「諦めるのか?たかが足一本無いくらいで、止めてしまうのか?!!」


 前にのめりこんで、ドライに顔を近づける。


 「ああ」


 酒臭い彼の息を掌で散らす。しかしやはり目を合わせることはない。


 意味無く弄っているドライの義足を、オーディンが払いのけるようにして奪い取る。その横暴さに、初めてオーディンに目を合わせ、一瞬何かを言いそうになったドライを、据わった視線だけで黙らせる。それから、先ほどの紙包みから、ボトルを一本取り出しテーブルの上に置いた。


 「ヴォッカじゃねぇか……」

 「これ位じゃないと酔えないからな」


 相変わらず目が据わっている。ボトルの栓を抜くと、オーディンらしくないラッパ飲みをする。


 「おいって……」


 流石に度数の強い酒を目の前でこういう風に飲まれると、一寸退いてしまう。ドライもよくやるが、オーディンの飲み方はやけ酒だ。見ていて危ないモノがある。


 「臆病者!情けない男め!それでよく世界一が名乗れるな!」


 一方的にドライを罵るオーディン。牙を抜かれたように大人しくなったドライだったが、流石に此処まで言われて、頭に来た。


 「なんだと!テメェ!好き勝手言いやがって!!」


 ドライが鋼鉄の仮面の上からオーディンの顔をぶん殴る。仮面がはじけ飛び、オーディンも横倒しになった。それからドライは、片足で床を蹴って、もう一度オーディンに飛びかかって殴りかかる。


 ドライの拳が何度かオーディンの顔をかすめる。オーディンもドライの首を釣り上げ、体制を逆転させ、逆に殴り返す。


 「くっ!弱虫め!」


 「うるせぇ!!」


 ドタドタと、床を転がり廻りながら、殴り合いの喧嘩をし始めた二人。


 この騒ぎに気が付かない者などいない。ローズもセシルもシンプソンも、すぐにこの部屋に入ってくる。


 「オーディン!ドライさん!落ち着いて!」


 部屋に入ってからすぐさまシンプソンが止めに入ろうとするが、ローズがそのシンプソンの首根っこを掴んで、動きを封じ込める。


 「シンプソン、野暮は止めましょ」


 正直言って、この血の気の多いドライを見て、ローズは安心をした。ドライがオーディンに対してムキになっている。その眼はどこと無く普段のドライに似ていた。


 暫く殴り合って、互いに殴り飽きたかのように、息を切らせて顔中痣だらけにして、大の字になる。両方とも口を切って、血を流している。


 「早く。二人の治療をしないと……」


 またシンプソンが、二人に近づこうとする。だが、またもやローズがシンプソンの首根っこを掴む。


 「こういう傷は、直さない方が良いの!」


 そう言いながらも、ローズが二人の方に近づく。そして、二人の頭の側にしゃがみこんだ。


 「ぼこぼこね、二人とも」

 「あん?」

 「ああ、参った!」


 互いの声が聞こえると、目が合う。すると、また殴りかかろうとする。


 「はいはい!そこまでそこまで!」


 ニコニコと笑って二人の手を止める。 

 ドライが上半身を起こす。


 「ったくよぉ!止めろって言ったり、続けろって言ったり!何なんだよテメェは!!」


 肩を上下にして、口の血を袖で拭いながら、口だけを達者にしているドライ。


 「貴公の刹那主義が気にくわんのだ!!もっと自分を大事にしろ!愛する者もだ!!」

 オーディンは大の字になったままだ。声が呼吸困難に思えるほど激しい。

 「仮面野郎が!!」

 「弱虫に言われても、悔しくもない!臆病者!」

 「仮面男!!」


 手が怠いので今度は口論だ。しかも子供の喧嘩みたいに、同じ事ばかりを言っている。

 〈どっちもどっちね……〉

 しょうがない二人を、困った笑いで眺めているローズだった。


 「そうだ!」


 その時、シンプソンが突如声をあげた。弾みのある喜ばしい声だ。


 「うん?」


 何事かと、皆シンプソンの方に注目をする。


 「ご老人ですよ!あの人なら何とか成るんじゃないですか?ね!ね!」


 久しぶりの閃きに、一人で興奮の絶頂に達しているシンプソン。バハムートの存在を知らないセシルの手を取って、同意を求めている。


 「はぁ」


 一応の同意は見せるものの理解はしていない。


 「どうやってあそこまで戻るんだよ!」


 投げやりに、突き放して言うドライ。


 「えっへん!それはローズが持っている転移の魔法でばっちりですよ!」


 自信を持って胸を張っているシンプソン。旅の最中では、何かと足を引っ張り気味だっただけに、この時ばかりはイヤに大きく見えた。


 「義足の材料は、どうするのだ?」


 オーディンがシンプソンに訊ねる。これは決定的な疑問だった。幾らすばらしい技術者がいても材料が無くては、事が運ばない。バハムートは錬金術師ではないのだ。シンプソンが、クルクル、ウロウロしながら、腰に手を当て、もう片手の指を逐一自分の言葉を確認するように振りながら、更に話し続けた。


 「それは長老ですよ。あの人は昔、冒険者だったらしいですからね。それに家の地下倉庫には、古代の遺品がいろいろあるんですよ!前に一度見せて貰いましたが、それは凄い数ですよ。絶対です!」 


 多少の不安はあるが、一見の価値有りだ。説得力もある。


 と、言っている間に、いつの間にか辺りが薄明るくなっている。朝だ。結局、皆殆ど寝ていない。そう考えると必要以上に疲れが出てくる。


 「シンプソン、その話、また後にしない?」


 ローズが背伸びをしながら、大きな欠伸をする。


 「そ、そうですね」


 ここで、皆にバシッと褒めて貰えば、心が晴れるシンプソンだったが、ローズのその一言で、興奮が萎えてしまった。でも、シンプソンにとって、褒められるとかどうとか言うことは、大した問題ではない。ただ、皆の助けになりたかっただけだ。

 ローズは、ドライに肩を貸しながら、部屋を出て行く。セシルも寝ることにした。オーディンもベッドにばたんキューだ。シンプソンは酒で熟睡したせいか、それほど眠くはなかった。ただ、孤児院の子供達が、どうしているのか、気になった。皆元気でやっているのだろうか?少しため息を付いてしまう。リュックの中からバイブルを出し、何気なく呼んでみる。


 次第に本格的に朝日が昇りだし、昼間になる。ドライが目を覚ます。顔がやたらジンジンする。それに何だか厚みがあるような錯覚もある。


 「ん?テテテ!」


 顔を触るとやたらと痛い。考えて見れば当たり前だ。互いに尋常でない力を持った相手同士で、本気で殴り合ったのである。顔を確認するために洗面場まで行く。


 「ひでぇな……」


 予想以上に顔が変形していた。


 「ドライ!」


 ドライが起きた気配に気が付いて、ローズもそこへやってきて、彼の背中に抱きつく。背中に彼女を直接感じる。


 「何してんの?」

 「ふん!」


 ドライの顔の状況を知っているくせに、意地悪く訊ねるローズ。顔を勢いよく洗いながら、ふてくされているドライだった。ローズは、とたんにドライがおかしくなってしまう。息を殺しながらドライの背中に顔を宛って笑う。


 〈仮面男、殺す!〉


 ムッとしたまま、鏡を見つめる。その頃、時を同じくしてオーディンも鏡を眺めていた。


 〈馬鹿力め……〉


 そして、皆が起きてシャキッとした頃だ。再び、旅の準備を整える。


 「それでは、行きますか」


 シンプソンが、自分の荷物を担ぐ。


 「一寸待ってよ。みんな戻っちゃったら、私此処まで来る自信ないわよ」


 皆が荷物を纏めてから、今更ローズがこう言い出す。暫く空白の時間が空く。


 「と、言いますと?」

 「私がよく知っている目標が無ければ無理だって事よ」


 魔法の欠陥に少し残念がりながら、両手を腰に置く。声も溜息混ざりだ。確かにこの街には、到着して一日しか経っていない。イメージに残るはずもない。


 「でも姉さん、それって言い換えれば、知っている目標があれば、何処にでも行けるんでしょう?」

 「そう言うこと!」


 短所と長所が表裏一体の魔法らしい。


 「では、決まりだな」


 オーディンが決断して言う。


 「何が……ですか?」


 シンプソンはピンと来ていない。冴えているようで、冴えていない。今朝の閃きはマグレだったのだろうか?


 「つまり、我々が旅を先行し、二人がドライの義足の修理のため、孤児院に戻る。と言うことだ」

 「ああ、なるほど」


 オーディンの説明に、シンプソンは一応は理解したらしい。孤児院の子供達に会えないのは残念だが、特に反対はないようだ。

 しばしの別れになる。


 「てめぇ、帰ったら覚悟してろよ」

 「ふん!」

 「はいはい、ドライ行くわよ」


 目を合わせると、喧嘩してしまいそうな二人を、何とか引き離しすローズ。オーディンがまだドライをしかとしている間に、別れた方が良さそうだ。


 ローズがイメージ作りのため、目を瞑り、ドライの腕を自分の腕に絡めながら、両手の掌を胸前であわせる。その間もドライが、腰を曲げてオーディンの顔を下から突き上げて睨み付ける。


 しかし次の瞬間、ローズに左足を踏まれ、顔色が変わり、ガクンと項垂れてしまった。そして、数秒の後、二人の姿が消える。


 「オーディン、やはり顔のほう、治しておきましょう」


 ローズがいると止められるので、我慢していたが、やはり表を歩くには、あまりにも派手に変形している。その時、ローリーが腕に籠を抱えてやってくる。


 「皆さん!」

 「ああ、君は……」


 オーディンは、ぼこぼこになった顔を、ローリーに向ける。


 「あ、何方でしたかしら?」


 やはり見分けが付かないらしい、彼女に返事を返す前に、オーディンの顔を元に戻すことにする。

 話を聞くと、どうやら彼女は怪我をしたドライの様子を見に来たらしい。目の前で、彼がふてくされてしまったことも、気になっていたようだ。だが、間が悪いことに、ドライはいない。


 「そうですか……あ!これ、リンゴですけど」


 と、にこやかに差し出してくれた物の、彼女自身もあまり冴えない顔をしている。当たり前だ、地震で劇場が倒壊して公演が出来なくなってしまったのだ。


 「私自身、あまりこういう事は好きではないのだが……」


 そう言いながらオーディンは、ポケットを漁る。そして金銭の入った袋を取り出した。それを、ローリーに差し出す。袋ごと全部だ。

 彼女は困り果ててオロオロし出した。


 「だ、ダメですこんな事!」


 すぐさまオーディンに突き返す。


 「いや、良いんだ。その代わり幾つか頼みがある」


 オーディンには、全く退く気配はない。


 「え?」


 条件付きだ。なお受け取り難くなってしまう。


 「どんな時でも自分を捨てないこと、諦めないこと、大切にすること。私達がまた君たちに会うまで、劇団を続けること。ドライの頼みでもある。出来るね」


 そう言うと力尽くで、彼女に袋を渡す。オーディンの真剣な眼差しが、彼女に「いいえ」の言葉を出させなかった。


 「はい!」


 そして、にこやかに、笑った。


 「それじゃ、我々も急ぐとするかな、奴が来ると困る」


 オーディンがスタスタと歩き出す。セシルもシンプソンも、歩き始めた。


 「これから何処へ?」


 少し遠めになった彼等に、ローリーが大きな声で訊ねる。


 「北だ!」


 ただそれだけを言う。それにそれ以上言いようもない。


 「良いんですか?勝手にドライさんの名前を持ち出して……」


 人の権利、固有名詞を乱用したオーディンに、少しだけ渋い顔をするシンプソンだった。彼はこういう権利に関しては、少し細かいところがある。それでもオーディンを信用しているので、あまり露骨な言い方ではなく、オブラートに包まれた、彼らしい柔らかさがあった。


 「怒るだろうな、だが、彼奴もそうするだろうな」


 まるでローリーにあったときのドライの行動が、目に見えていたかのように、自信ありげに笑うオーディンだった。それから籠の中のリンゴを一つ採りだし、頬張ってみる。


 「うむ。美味だ」


 ルークと接触を予想して、早めに街を後にした彼等だったが、ルークは彼等を襲ってくることはない。彼は次に確実に殺せる間合いを取るため、大司教との実験を優先させていた。


 「どうだ?残りの奴は……」

 「三十匹中、五匹死んだわ。ダメね、精神力が弱いと、それに捕らえるときに深手を負わせすぎだわ」


 クロノアールとは別の水槽に、大勢の人間が漬けられている。その中の数人は、肉体が完全に崩壊し、息絶えている。


 「無茶言うな、賊相手に、気絶だけさせろっていうのか?!」


 ルークは、両手を広げオーバーアクションで大司教に訴えかける。


 「いいえ、ようは数がいればいいの、そこは貴方に任せるわ」


 淡々と答えを返し、ルークに近づき、彼の頬にキスをする。それから無感情に、その部屋を後にする。


 「無感情な女だぜ」


 ルークはそう言いつつも、ニヤニヤと笑う。彼は女の放つ別の魔力にかかりつつあった。

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