第1部 第6話 §4 折れた右足
ローリー達がいたあの劇場は可成り古かったはずだ。倒壊している恐れがある。
「俺、チョイ気になるところがあるんだ。行って来る」
ドライが単独行動に出ようとする。
「待て、行くならみんなで行こう」
町中とはいえ、一人になるとルークが気になる。照れ臭いながらも、皆で行くことにする。走っている最中も、地震で恐怖した人々が、寝間着姿で路上に飛び出している。
劇場まで来たときだった。表面上建物には変化は見られなかった。しかし誰かに押さえられ、ローリーが建物の前で、騒ぎ立てている。
「お嬢さん!!今入ったら崩れちまう!」
「パパァ!!」
懸命に手を伸ばし、必死にその腕の中から逃れようとしている。
「おい!どうした!?落ち着けよ!」
ドライは、ローリーの頬を両手で掴み、自分の方を向かせ、彼女を落ち着かせる。
「ドライさん!、パパが逃げ遅れて!!建物の柱の下にパパが!!」
それを聞くと、ドライよりも先にローズが建物の中に向かおうとする。肉親を失う悲しみは、誰よりも彼女が一番よく知っている。
「待て!ローズ!俺が行く」
威圧感のある大きく尖った声で、ドライがローズの足を止める。しかし命令ではない、他の誰でもない明らかにローズ自身を止め、彼女を危険から遠ざけるための言葉だった。
「ドライ……」
彼女もドライのあまりのせかした声で、足を止めてしまう。
「いい子だ。危ないから待ってろ」
ドライがローズの頬を撫で、何が起こるか解らない建物の入り口を見据え、中に入って行く。
「わたしも行こう」
オーディンがドライについてくる。
「勝手にしろ」
本当に自分で勝手に行動しろと言わんばかりのドライの口振りだった。
中へ入ると、大事な小道具や大道具が倒れている。木の柱も亀裂が入って、曲がっている物が多い。早く済ませないと、此処も時間の問題だ。
ギギギ……。
二人の背筋に、冷や汗が走る。ドライがブラッドシャウトの束を握る。すると、束の先に付いている宝玉が光り、薄暗いながらも周囲が見渡すことが出来る。
「遺跡盗掘以来だな」
ライトの魔法は、発熱性があるため下手に使うことは出来ない。ブラッドシャウトの光は、こう言うときには打ってつけだった。
「うう……」
誰かの声がする。明らかに苦しそうだ。此処で声がすると言うことは、間違いなくローリーの父親だ。二人で、足下に注意を払いながら、そろりそろりと、近寄って行く。
それほど大きな柱ではないが、それは彼の背中にのし掛かっていた。あれでは動けない。
「オッサン!生きてるか?!」
「ドライ……さん」
意識はしっかりしている。怪我は心配だがすぐ死ぬと言うことはなさそうだ。外に出ればシンプソンが居るので、彼の生命自体は心配には及ばない。
「よっと!」
ドライは、持ち前の剛力で横たわった柱を、ゆっくりと上に持ち上げる。その間にオーディンが、彼を下から引きずり出し、両腕で抱える。それを見ると、ドライは、ゆっくりと柱を下に降ろした。
ギギギ……!!
ドライが柱を降ろしたショックで、更に折れかかった周囲の柱が歪みはじめる。
ギギギギ……!!
更に激しく軋み出す。かすかな明るさだが、天井が下がってきているのが解る。流石に二人の顔がさっと青くなった。急いで此処から出ることにする。
「いくぜ!!」
ドライが走る。オーディンも走るが男一人を抱えているせいか、彼は走るのが遅くなっている。正面の出入り口が今にも押し潰されそうだ。目の前に柱が横倒しに倒れてくる。
「ちっ!」
ドライが素早く倒れてきた柱を支える。
「済まぬ!」
その間にオーディンが、素早く出入り口から出る。しかし彼が出入り口を抜けたその瞬間、出入り口が潰れ、ドライが中に閉じこめられてしまう。そして天井が落ちてきた。
「うああああ!!」
中からドライの叫び声が聞こえる。状況は一目瞭然だ。誰が見てもドライが建物の下敷きになってしまったのが解る。
「いやぁ!ドライ!ドライ!」
ローズが我を忘れて、瓦礫の方に近づこうとする。シンプソンがローズの肩を掴んで、それを止める。
「ローズ、落ち着いて!うわ!」
しかし彼がローズの肩を掴んだ瞬間、ローズに引きずられてしまう。力はローズの方が上のようだ。そのまま三メートルほど引きずられてしまった。
「あの、止まっていただけませんでしょうか……」
「シンプソン……」
緊迫の場面が、おちゃらけて見えてしまう。重みでローズが止まる。ふと見ると、シンプソンがだらしなく彼女の腰元にしがみついていた。
気を取り直す事にする。
「私は、少々ですが、物理魔法が使えます。溜めに時間がかかりますが……」
「出来るんなら早くやって!」
状況が状況なだけに、必要以上に辛くシンプソンにあたるローズ。しかめっ面をされ、胸ぐらを釣り上げられてしまう。
「わ、解りました!」
満足な説明すらさせてもらえないのか?拗ねかけてしまうシンプソンだが、そうも言ってられない。早速エネルギーを溜めることにする。目の前に翳した彼の掌の周囲の空気が、次第に陽炎のように揺らぎ始める。彼は、それを確かめると、右手にエネルギーを集中させ、仰向けにした掌に浮かべてみせる。
「これは圧縮した空気で……」
「シンプソン?!」
「はい……」
またもやローズに冷たい視線を浴びせられてしまう。できあがったエネルギー体を、瓦礫の方に向かって、投げ込んだ。それは、見る見るうちに瓦礫の中に埋もれて行く。そしてシンプソンは、隙さず後ろに逃げる。その瞬間だ。建物の瓦礫が、何かの力により一気に上空に破裂するように持ち上がった。
「うわ!」
「あ!」
「キャア!!」
側にいた三人も、爆発の瞬間に後方に引く。
「うわぁぁぁ!!」
月明かりの中、ドライの身体が、宙に舞う。それも身体が陰になってしまうほど、上空だ。
「ふん!」
オーディンが素早く目標に向かって跳躍する。そしてドライを胸でしっかりと受け止めると、そのまま着地の体制に入る。ドライの顔が珍しく、泡喰って白目を剥いている。
「っと!」
無事着地だ。すると、またもやローズがシンプソンに一喝する。
「シンプソン!なぜ、爆発するなら爆発すると言わないの?!」
「そ、そんなに怒らないで下さいよ。ローズがあまり不機嫌だから……」
全く持って損な役回りだ。この調子では、何をやっても怒られそうな気がするシンプソンだった。
「まぁ、レディ、ドライも無事なのだ。そう、苛立つな」
「だってぇ!」
彼女の頭の中には、完全にドライの事意外ない。ドライの怪我の様子を見るため、彼を一度地面に置くオーディン。
「ああ……、体中がいてぇ」
ドライがしかめっ面をして、右腕を動かそうとしているが、動かないようだ。それに肘が変に捻れている。脱臼か骨折か、そんなところのようだ。打撲はあるが、上半身にはそれ以外、異常は見られない。
「ドライ、他に何処か痛む?」
ローズの手が、滑らかに彼の左足を探り始めた。
「右足が折れちまってる」
「どれ……」
オーディンが、右足の大腿部を探り始めた。特に以上はない。
「痛ぅ!!」
しかし義足の部分を触ると、ドライは酷く痛がる。それに鈍く曲がっている。気になってズボンの裾を上げてみると、義足に大きな亀裂が入り、何かの圧力ので、押し潰された後もある。これが屈折の原因の様だ。その義足を外してやると、ドライの顔が多少楽そうになる。
問題は右腕だけのようだが、すでにシンプソン治療を始めている。
ローズがドライの無事を確かめるように、彼の頬や唇に何度もキスをする。
「ん……」
「おい、よせって、クスグッてぇ」
と言いつつも、左手はローズの頭を自分の方に寄せている。それから漸く治った右手を動かしてみる。怪我は、これで完治したようだ。
「うっ!」
しかしドライは、突如頭を抱える。しかしすぐに手を離す。眉間に少し皺が寄り、顔も少し青くなっていた。瞬間的な激痛が走ったようだ。隙さずロースが彼の首を持ち上げ、頭部を撫でてみるが、外傷はない。頭部に手を翳し、治癒魔法をかけてみるが、魔法を受け付けないところから、怪我ではないようだ。
「おい、セシル!」
ドライが珍しくセシルを呼びつけた。素っ気ない兄が、自分に対して珍しく声をかけてくれた事に、不安げに彼にに近づく。
「なに?兄さん……」
「ランカスター=シルベスターって誰だ?」
右手で額を探りながら、うろ覚えのような、言葉を発してみるドライ。
「父よ」
「そうか、んじゃ、メフィス=シルベスター……」
「お母さんよ」
「シュランディア=シルベスター……」
「兄さん自身の名前よ」
「そうか、そうだったな」
次々に人名を挙げるドライ。それから、意味有り気にクスクスと笑い始めた。
「兄さん!まさか記憶が!!」
それはセシルの万が一の期待を込めた言葉だった。
「え?」
ドライ以外の三人が一斉に、喜びかけているセシルの顔を見る。だがしかし。
「んなんじゃねぇ……、何となくそれだけが頭に浮かんだだけだ、残念だったな」
「そう……」
ドライは、自分がまだドライ=サヴァラスティアであることに、ホッとしているようだ。セシルの残念そうな顔とは、対照的にニヤニヤしている。そしてそれは、ローズも一緒だった。しかし、そのドライのつかの間の喜びを、オーディンが打ち砕いた。
「やはり、貴公には、これ以上の旅は無理だ」
妙に悲しそうな瞳の色をしているオーディンの言葉に、ドライはローズをどけて、上半身を起こす。
「てめぇ、まだ!……」
しかし目の前に、破壊された義足を見せつけられ、具の音も出なくなってしまった。今までには見られなかったほど、落胆し肩を落とすドライ。それから口の端を釣り上げ、オーディンを見上げる。
「喜べよオーディン。いやな奴がいなくなるんだ。ククク、ハハハ!」
今度は卑屈になる。虚しく声を高らかにして笑っている。こんなドライを見てもオーディンは、怒る気にもならない。見ていると辛くなるので、彼から眼を背け背中を向けてしまう。
「ドライ」
ローズは、こんなドライに触れることが出来なかった。また、完全に心を閉ざされているようにも思えた。
「ドライさん……」
シンプソンはそれしか言えない。セシルは言葉すら出せなかった。
ドライの空笑いは、聞けば聞くだけ虚しくなってしまう。
「もう止さないか、ドライ」
オーディンは漸くドライの方を向く。何時までも虚しく笑っているドライを見かねたのだ。その眼差しは、長年共に戦い抜いてきた友を見るような目立った。
「片足のお前を、何処まで守れるか解らぬ。が、出来るところまでやって見せよう」
そっとドライの方に手をさしのべるオーディン。
「クス、いらねぇよ仮面男」
ドライは、オーディンの手を払いのけ、彼の嫌がっていた言葉を、態と露骨に表現し、挑発してみせる。
「そうか……」
だがオーディンは、全くこれには乗らなかった。活きの良いドライが言うからこそ、その気にさせてまう言葉だが、今の精気の無い、自分の殻に閉じこもったドライが言っても、オーディンは反応しない。
もはや今のドライには、何の魅力もない。輝いた眼も、今まで生き抜いた覇気も無くなってしまっていた。ただ、含み笑いをしている。目の前の壁に挫折してしまった男には、最もふさわしい姿だ。
こんなドライを見て、一番辛いのは、ローズだ。ただ可哀相なドライの頭を、自分の胸の中に沈めてやるだけだった。
「ローズ、心配すんな、これからずっとゆっくりしてられんだぜ」
旅を諦めきったドライの腕が、彼女の後頭部に延び、クシャリと撫でる。ローズがそんなドライの額に頬を寄せる。
「うん……」
ローズの腕が、更にドライの頭を強く抱きしめる。
「ドライさん」
彼等の旅の事情は解らないが、昼間とは別人のようなドライに、恐る恐る声を掛けたローリー。自分の父のために、犠牲になってしまったドライに対して、罪悪感を感じてしまう。
「気にすんな。メガネ君、彼女の親父さん、見てやってくれ」
言葉の内容とは裏腹に、実に無感情だった。異常なまでに冷淡で冷静なドライの言葉、だが、怪我人を放っておくことは出来ない。コクリと頷き、ローリーの父親の様態を見る。彼の身体を探り、ホッとしたシンプソンの顔が伺えた。
オーディンは、突如として、皆に背中を向け歩き出す。
「オーディンさん!」
一人になってはいけないこの状況で、一番仲間意識を大切にするオーディンが、身勝手な行動に出る。セシルは、声に出してみるモノの、いつもと違うオーディンを止めることは出来なかった。
「と、兎に角一度宿へ戻りましょう」
オーディンは、一人にしておくことにした。身勝手かもしれないが、彼なりの考えがあっての行動だろうと、シンプソンは確信していた
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