第1部 第5話 §4  黒獅子

 場面は再び、ドライの位地に戻る。


 「やっぱりアンタか……」


 ドライを助けた男、肩までドレッドの黒い髪をなびかせ、右の顔面には、眼の上を通る形で、大きな刀傷がある。右目はやられて眼球自体がない。服装も全身黒で、シックに決めている。歳はもう四十を越えていると言った風貌だ。顔にも多少皺が目立つ。瞳は全てを吸い込みそうな黒だ。何か一含みありそうな鋭さを持っている。腰には、鞘も柄も、黒光りしている剣を帯刀している。


 「よう、久しぶりだな、ドライ、何故本気をださん?」


 彼は、疲れてしゃがみ込むドライに近づき、その腕を強く引いて、立ち上がらせる。


 「へ、別に手ぇ抜いてる訳じゃねぇよ、にしても、『黒獅子』も、歳喰ったな、なぁルーク」


 減らず口をたたいて、重そうに立ち上がる。彼の背中の後ろで、すでに精神的なピークを迎え、気を失っているローズが、ぐったりと倒れていた。


 「疲れてんだな」


 申し訳なさそうにそう言って、腕のの中に彼女を抱きかかえる。ローズはその中で、虚ろに目を覚ます。


 「ドライ……、私……、ゴメン……」


 意識は朦朧としながらも、戦闘が終わり。彼の腕の中に抱かれていることは、何となく理解できた。この胸の中は、眠り慣れているのだ。その安心感が伝わってくる。


 「気にすんな、歩けるか?」


 「ええ」


 ローズは、足をしっかり地に着け、多少フラフラする頭を、左右に振り、正気を取り戻す。


 体中の感覚が、元の戻ると、とたんにドライの横にいる男の様子が気になる。少しきつめに睨み付け、唯ならぬルークの気配に、警戒心を抱く。手は自然に腰元の剣を抜こうとしている。


 「おい、ローズそんな警戒すんなって、俺の知り合いだ」


 ドライが全く警戒をしていない。この手の男をである。彼らの世界で、同じにおいのする人間を信じることは、あり得ない。


 「ふーん」


 此処は彼に一歩譲って、ルークに対する表向きの警戒を解く。だが、完全に警戒を解いていないのは、彼女の目で解る。


 「ドライ、俺、何か悪い事したか?」


 ローズの警戒しきった視線に思わずたじろいでしまいそうになるルークだった。


 「はは、その面じゃな」


 「ふん……」


 ドライは、修羅場をくぐってきた傷を持つ彼の顔を指さし、けたけたと笑う。ルークは一寸ムッとした顔をしてみせる。確かにこの顔では、悪人に見えてもしかたがない。しかしドライもそれに引けを取らないくらいの悪人面だ。だが、時折ローズを見るドライは、そうでない一面が見える。


 ローズがふらつきそうになるのを見ると、すぐさま肩を貸す。


 「やっぱ、チョイ休んだ方がいいみたいだな」


 「平気、心配しないで」


 ローズは、ドライに心配掛けまいと、虚勢をはってみせるが、顔色はいまいちさえない。疲れがピークに達している。


 「無理すんなって」


 結局、ドライが強引にその場を押し切り、ローズを休ませることにする。岩肌にもたれ掛かり、ローズをその腕の中に抱く。普段は、急な戦闘に備え、この様なことはしないのだが、今回は特別ローズを労うことにした。ローズは早速ドライの腕の中で、無警戒な顔をして寝る。それからルークも、適当な岩に腰を掛ける。


 「ははーん、お前その女に、相当入れ込んでるなぁ」


 ルークが好色そうな顔をして、意味有り気に、にやにやする。


 「何言ってんだよ今頃、いっとくが比奴に手ぇ出したら、アンタでも……」


 ドライの目が、ぞっとするほど殺気立つ。その殺気が一瞬、ローズの目を覚ましてしまう。二人の会話が、ぼんやりと聞こえる。


 「変わったなぁ、あのドライが、一人の女にこだわるなんて」


 ルークは煙草を出し、指先に火を灯し、一服しはじめる。ふっとついた息と共に、煙が宙を漂った。此処で漸く一息ついたという気分になる。


 ドライは、此に対して、俯いてクスリと笑う。それからローズの髪を、指の背で、何度か掻き上げ、うっすらと目を開けているローズの顔を覗き込んだ。


 「オラ、今のうちに寝とけ」


 少し叱りつけるような口調だった。ローズはそれが自分のために言っている事だと解っていた。また目を瞑ることにする。


 「お前、死ぬぞ」


 ルークが、ボソリと言う。煙草の吸い殻を捨て、それを足で踏みにじる。


 「へ、俺は死なねぇ、世界一の賞金稼ぎだぜ、雑魚なんかに負けるかよ」


 へらへらとして、捕らえ所のないしまりのない口調で、寝入っているローズを眺める。ローズの寝顔が可愛くて仕方がないのだ。何かとちょっかいを出したくて、心がウズウズとしてくる。


 「だが、あの様は何だ?俺の弟子にしては、不甲斐ないな」


 ドライを罵り、そして自分にも腹を立てた様子で、ドライを睨み付ける。懐から、干し肉を出し、それを腹立ち紛れに食いちぎる。


 「いったろ、俺は手ぇ抜いてねぇ」


 「ああ、確かにテクニックはそうだ。だが、本気は出してないぜ、俺の目をごまかせると思ってんのか?」


 干し肉が口の中で、クチャクチャと音を立てる。ルークは、ドライを指さし、口うるさい忠告をする。ドライは再び俯き、重くため息をつき、もう一度正面を向きルークを見る。それから、人差し指で、干し肉を一つ渡すよう彼に要求した。


 ルークは一つ干し肉を取り出し、ドライに投げ渡す。


 「で、そんなこと言うために、アンタ俺の前に出てきたのか?らしくねぇ」

 話を強引にはぐらかそうとするドライだった。干し肉を食いちぎり、彼もまた頬の中で音を立てる。ルークのまどろっこしい質問に、鬱陶しさを感じた。ローズの方を向き、また彼女の髪を掻き上げる。


 「そ、それは単なる偶然だ……」


 少し、焦り気味に即答を返す。口のものが収まると、また煙草を一服吹かす。その時はもう落ち着きを取り戻していた。


 「へぇ……」


 一寸間を空けてから、不適にニヤリと笑いながら、ルークの方を横目でちらりと見る。彼は何かを掴んでいたようだったが、根拠がないので、彼をひけらかすのを止めた。


 次にローズが、目を覚ましたのは、夕方近くだった。数時間は寝たと思われる。ふと、背中に暖かみを感じる。それはドライなのだが、彼も疲れているのか、うつらうつらしている。実に無防備だ。普段の彼なら、こんな事はない。だが、一つ条件が違う。目の前にはきっちりと目を覚ましたルークがいるのだ。


 オーディン達と居るときですら、ドライはそれほど深い眠りについてはいない。ドライにとって彼はそれほど信頼できる男なのだろうか、ローズには納得がいかない。彼を警戒し、ジロリと睨み付ける。するとルークは、タバコを取り出し、ローズの方を意味有り気にちらりと見て、それをくわえる。それから暮れゆく夕日を眺めた。何かを待っているようだ。


 「おい、女。食料が底をつきかけている。これから狩りに行く。ついてこい」


 「何言ってるの?もう日が暮れるわ、ドライをおいてけない」


 命令口調なルークに、きっぱりと反論するローズ。どのみち従う気にはなれない。それに食料なら自分たちの分が、十分にあるのだ。


 「ふん、いいさ、ならドライと行く。ドライ!狩りだ。手伝ってくれ」


 「ん?いいぜ」


 目を擦り、ローズの肩を押さえながら、ゆらりと起きあがる。相変わらず何も考えないお気軽な性格で、即答をする。これを見ると、普段のドライだ。


 「ドライ、食料なら十分あるじゃない!もう少し行けば街もあるし……」


 ローズも立ち上がり、未だシャキッとしない彼の肩を揺さぶる。頭が前後左右にぶれる。


 「な、お前なんか神経質になってないか、まさか生理……」


 かなりイライラした様子を見せるローズを後ろから両腕で抱き、さり気なく胸と腹部を服の上からまさぐる。彼女の顔の横からドライの顔がヌーッと出てくる。


 「バカ!」


 思いっ切りドライの左足を踵で踏みつける。


 「イデデ!へへ、まぁ、ゆっくりしてろ、疲れてんだろ?」


 旧友に会ったせいか、ドライは少し嬉しそうだ。先ほどと同じように、何だか彼に安心感が見られる。だが、ローズはルークに対して、何かイヤな気配を感じた。


 ドライとルークは、狩りに出たものの、周辺は荒れ地で、何か獲物のになるようなモノは存在しない。では何故ルークが狩りに出ようかと言い出したのか、ドライも少し変に思う。


 「おいって、考えりゃ、最近は変動で、この辺に野ウサギがいるかどうかも、怪しいんじゃないか?」


 改めて周囲の獣の気配の無さに、変動の影響を感じるドライだった。周囲の大地は不安定にひび割れを起こしている。最近は盗賊の変わりに、オークやゴブリンがのさばっている。この現状を知らないわけではあるまい。


 「まぁ、まてよ。もう少しすれば、良い獲物が捕れる」


 ドライをせっかちだ、と、言わんばかりに、ニヤリと笑う。


 ルークとドライとでは、どうもルークの方が立場的に上だ。年齢差もあるが、二人の関係はそれだけではない。もっと他に重要なモノがあるのだ。


 ドライは閉口して、一応彼のすることを見ることにする。


 「考えりゃ、俺、アンタのそう言う上に立ったトコがいやで、縁切ったのによぉ」


 「俺だって、お前の何かと反抗的な、ガキじみたところが、苦手だ」


 二人には少し歯車が合わない部分があるようだ。別れたのはそれがきっかけらしいが、縁を切ったのはドライの方が先のようだ。


 「じゃ、何で俺の前に現れた?」


 「それも何かの『縁』だ」


 二人は、ローズから少し離れた位地まで来る。だが、獲物の気配はない。もう少しルークの足に行き先を任せることにした。


 一方、オーディン達も足を休め、今日の移動を止めることにした。火をおこし、適当な食事を始めることにする。


 「やっぱり、ドライさんがいないと、静かですね」


 シンプソンが、思わず心の声を表に出してしまう。オーディンの前で迂闊に彼のことを言ってしまったので、慌てて口を塞ぐが、オーディンの白い視線だけが返ってくる。ドライには、ついて行きがたい部分はあったものの、居ないのは淋しい。


 〈あの意地っ張り、もうそろそろ戻ってきても良かろう。向こうは戦闘も苦しいはずだ〉


 と、心の中で呟いてみるが、意地っ張りなのは、彼も同じだ。しかしなんだかんだ言って、ドライのことが、かなり気になっていた。心此処にあらずと、無表情に食べ物を口に運ぶ。


 「オーディンさんて、以外と意地っ張りなんですね」


 本人も薄々感じていることを、目の前で、きっぱりと言い切ってしまうセシルだった。痛いところを突かれて、オーディンは、喉に食べ物を詰まらせてしまう。顔を真っ赤にし、胸をどんどんと叩いている。


 「ゴホ!ゲホ!!」


 「ほら、オーディン、落ち着いて!お水……」


 「す、済まない」


 オーディンは、シンプソンに渡された水筒ごと、水をがぶ飲みする。そして、収まりがつくと、一呼吸をおいて、シンプソンに水筒を返す。


 「私はただ、彼のああいう投げ遣りなところを、こう、悪い癖をだな……・」


 する必要のない弁解を懸命にしてみせるオーディンだった。その姿が余りにも滑稽で、流石にセシルも笑ってしまった。シンプソンは笑っては悪いと思い、必死にこらえてみせるが、息がクスクスと漏れる。


 「ふん!笑いたければ笑え、そろそろ陽が暮れる。寝る準備をしよう」


 照れ臭そうに立ち上がり、一人寝る準備を整え始めるオーディンだった。


 「おい!ルーク、いい加減にしろよ。獲物なんていやしねぇじゃねぇか!!」


 獲物を探しに周辺を徘徊していた二人だったが、ルークの根拠のない歩みに、ドライはついに我慢できなくなった。


 「そろそろ良いだろう。時間といい、場所といい……」


 ルークは足を止める。声のトーンも何だか低い。陰のある感じだ。ドライの方を向き。すらりと剣を抜く。闇に紛れてしまいそうなほど、真っ黒な刀だ。


 「な、何だよ」


 「やはり私も歳でな、達人を同時に数人、相手にするほどのスタミナはない。此処半年、お前が一人っきりになるのを、ずっと待っていた。行くぞ」


 突如ルークがドライに斬りかかる。彼はこれを予想もしなかったが、紙一重でかわす。そして、すぐさま戦闘体勢を整える。


 「てめぇ、まさか!」


 「死ね!」


 ローズほど強力な魔法ではないが、光弾を多数、連打して放ってきた。しかしドライは、魔法を跳ね返すシールドを張ることが出来る。魔法は全て彼の眼前で跳ね返り、ルークの方へと跳ね返って行く。


 「ほう、多少は魔法が使えるようになったようだな」


 だが、彼はこれを落ちつき払って、相殺する。


 「どういう事か言えよ!!」


 ルークの裏切りとも思える突然の攻撃に、ドライは驚きと動揺を隠せない。


 「ふん、言うなれば宿命……か」


 「宿命?」


 その日暮らしで自己中心的に動く賞金稼ぎに、ふさわしくないこの言葉に、ドライは全くピンと来ていない。


 「御託はいい、本気で来ないと死ぬぞ!!」


 更に突っ込むルークとドライの、熱い剣の交わりが始まった。


 「お前の太刀筋は、全て読めるぞ!教え込んだのは俺だからなぁ!」


 力では、圧倒的にドライの方が有利だが、彼の癖を知っていて、なおかつ磨かれたテクニックを持っているルークの方が、わずかに有利さを見せた。ドライになかなか攻撃するチャンスが廻ってこない。


 「お前の一つ目の欠点は、切り札を持たないことだ!」


 「ゴチャゴチャうるせぇ!!オラァ!」


 自分の不利に、ブチリと頭の血管を切ってしまいそうになるドライ。力任せにルークをはね除け、大きく振りかぶり、剣を縦一文字に振り下ろした。


 剣先が音速を超え、あまりの早さに、剛刀が撓った残像を見せる。彼の振るった剣から、真空の刃が飛び出た。それは、ドライを中心に全方向へと、広がりながら飛んで行く。何とか生えている周囲の樹木が数本なぎ倒された。バリバリと音を立て、大地にも大きな亀裂が入る。


 ルークの服が、少し斬れている。剣を振るったドライからは、ほのかに闘気が立ち上っていた。


 「なに?」


 この轟音は、ローズの所にまで届いた。その直後、疾風が彼女を襲う。この時に、ふと、いやな予感が走る。急いでその音のする方へと向かうことにした。

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