第1部 第2話 §8  動き出す影

 互いに、就寝となる時間になる。

 

 オーディンは、ベッドの上に仰向けになり。何とか冷静に物事を考えようとした。例えば、相手の兵力は幾らだとか、立地条件などとか、である。相手のことが解らない状態で、考えるだけ無駄なのは解っていたが。それでも懸命に考えた。その頃シンプソンは、疲れた状態でありながらも、目が冴えて、寝ることは出来なかった。すると、外の方から、声が聞こえる。


 「済みません、夜分遅く……」


 どうやら、来客のようだ。やたらと通る声だ。まるで家中何処にいても聞こえるように、気を払っている感じすらする。


 「はい!」〈今時分、何の用件だろう……〉


 彼は、不審に思いながらも、客を放って置くわけにも行かないので、玄関へ行き、戸を開ける。すると、そこに立っていたのは、黒装束に身を包んだ男四、五名だ。


 「黒装束!!どうして此処に……」


 「ご存じですか……、ご一緒に来ていただけます……ね」


 彼等は、言葉を明確に話しているが、視線がない、眼の色もない。まるで催眠術にでもかかったかのように、淡々と、一本調子で語る。言葉と同時に、シンプソンの両腕を固め、口を塞ぎ、彼を連れ去ってしまう。


 シンプソンが連れ去られて、小一時間と言った頃だろうか、オーディンは、一旦眠りについたものの、やはり心のイライラが収まらず、目が覚めてしまう。だが、正直言って、イライラしすぎて気が滅入っている。気分を変えるために、食堂で、コーヒーでも、飲むことにした。


 食堂に入ると、ランプの明かりが灯っている。ロウソクも火がついている。テーブルの上には、読みかけのバイブルと、すっかり冷めてしまったコーヒーがある。だが、それを読んでいる筈の人間の姿がない、シンプソンも、子ども達も、この様な中途半端なことはしない。ふと、気になる。


 「シンプソン……シンプソン!いるか!」


 だが、誰の声も帰っては来ない。慌てたオーディンは食堂から出る。そしてその入り口に立ち、左右を見回す。だが、はやり誰の気配も感じられない。だが、ふと肌寒さを感じる。何処からか、風が入り込んでいることに気が付いた。その方向は、明らかに玄関だ。オーディンは、ランプを持って、玄関に行く。


 「大変だ!!」


 彼の目に飛び込んだのは、開け広げになった玄関と、落ちていた彼の眼鏡であった。その事から、彼が誰かと、もめあったのは確かだ。眼鏡が落ちていることから、トラブルに巻き込まれているのは、間違いがないようだ。すると、すぐにシンプソンの話していた女の視線のことが、頭に浮かぶ。


 部屋に戻り、二度と着ることもないと思っていた、貴族オーディン=ブライトンの衣装を纏い、剣を腰に差し、マントを羽織る。そして仮面を付ける。


 そして、孤児院の外まで、ゆっくりとした足どりで歩く。玄関を出て戸を閉めると、一変して彼は疾風のように地を走る。そしてまずは、長老の家に向かう。此処へ行かないと、その怪しい建築物も何も、判ったものではない。


 「長老!長老!!」


 彼の家の前に着くと、激い声を立て、戸が壊れそうなほど強く叩く。暫くすると、明かりを持った、マリエッタが、出迎えてくれる。


 「まぁ、どうしたのです。こんな夜分遅くに……、さあ、寒かろうに、お入りなさい」


 彼女は怒る様子もなく、オーディンを中へと入れてくれる。


 中へ迎え入れられると同時に、オーディンは至急の用事故、すぐに長老とバハムートを起こしてくれと言う。彼の切羽詰まった声で、疑問を持つ余地がないことが解った彼女は、早速二人を起こしてくれる。二人が起きると、彼等がまだ目を擦っている間に、自分の予想できる範囲での推測で、話を進める。


 「なに!シンプソン君が!」


 「だが、何故に……」


 さすがに、眠そうだった二人も、これで目を覚ましたようだ。


 「解りません、ですが、多分間違ってはいないでしょう。ですから……」


 「建築物の位置だな」


 「ええ……」


 オーディンは、すっと腰を上げる。だが二人は重そうに腰を上げた。今動いても、何も手だてはない、だが、オーディンは、動かずにはいられないのだ。


 建築物の位置は、此処から孤児院の位置の、延長線上にあると言うことだ。つまりはほぼ真逆の位置にある。子ども達のことは、バハムートに頼むことにして、オーディンは、また疾風のように走り出す。


 オーディンが、漸く建築物に向かって、走り出した頃、シンプソンは、その建築物の奥の部屋にまで、連れ込まれようとしていた。


 「放せ!放さないか!」


 シンプソンは?いてみせるが、全く無駄と言っていいほど、彼等に押さえ込まれていた。


 「ノアー様、お連れいたしました」


 黒装束の一人が、重そうな扉の前で、シンプソンを捕まえながら、中に居ると思われる人間に向かって、使命完了を伝える。


 「宜しい、中へ……」


 その言葉の少し後に扉が開き、シンプソンは、乱暴に連れ込まれる。


 やはり羽交い締めにされたままだ。


 声の主は、すばらしく靡くような黒髪で、やはり黒い衣装を着ている。少しデザインがドレス風だ。暗めな石造りの部屋に置かれている、小さな円卓の上の水晶に手を翳しながら、此方に背を向けている。向こうの方には、透き通るような薄手のカーテンの着いた豪華なベッドがある。まだ此方を向く気配はまだ無い。間違いなく女性だ。


 「下がって宜しい」


 淡々とした口調で、彼等に次の指示を与える。彼等も刃向かうことなく、その指示に従う。絶対的なようだが、黒装束達には、感情は感じられない。部屋には、二人っきりになってしまう。部屋の明かりが、なんとなく、より薄暗さを感じさせる。


 「何の……、真似ですか?」


 会話は、シンプソンのその言葉から、始まる。


 「冷たいんですね」


 彼女が振り向く。吸い込まれるほど、黒い瞳をしている。


 「君は……、いやその眼は……」


 そう、彼女こそ、シンプソンが探索していたときに、その心に飛び込んだ人だった。互いに互いをさぐり合っていたが、彼女の方が、より明確に、彼の存在を把握していたようだ。


 「どうですか?紅茶でも……」


 と、何処からともなく、お茶の用意がなされ、円卓の上に置かれる。彼女が何をしたいのかは解らない、だがその目は、シンプソンに何か特別なものを持って見ている。シンプソンも、少し自分の立場を把握するため、彼女の対面に座り、紅茶のカップに手を掛ける。


 「私を、知っているようですが?」


 強引な招待にも関わらず、特に危害を加える様子がないことから、整理をかねて彼女との距離を縮めてみることにした。


 「ええ、かなり前からね、此方へ来て下さる?」


 「え?」


 シンプソンの手を握った彼女の手は、とても華奢だ。そして引きつけられるように、彼女の思うがままに、身体が動いてしまう。次ぎに気が付いたときには、ベッドに二人して腰を掛けている。


 「出来れば、あなたを殺したくはない、他の者みたいに……」


 とたんに、彼女の目は潤み出す。シンプソンの胸に、そっともたれかかる。女性とあまりこういう接触のないシンプソンは、沸騰したように、顔を真っ赤にする。思わず自分が置かれている立場を忘れてしまう。


 だが、一つだけ解ることがある。


 彼女は、牙を剥き出すほどの敵意をシンプソンには持っていない。それどころか、好意すら感じられる。いや、もう一つ、その口調から、彼女は人を殺すという行為には、あまり抵抗を持っていないと言うことだ。


 「私を?殺す、どうして……」


 「ある者の血を、引いているから、他にも何人か……、その血が覚醒する前に、殺しておかねば……、それ以上は言えない。でもあなたは、殺したくない」


 シンプソンは、放心状態になりながらも、次の質問をする。


 「どうして、あなたは、私を殺さないのですか?」


 「真の平和と、平等を……知っている人だから……、私の望んだ人……私の理想の人だから、こうしていると、あなたの本当の温もりが、伝わってくる……」


 どうやら彼女は、殺戮の目的で覗いていたその水晶に写ったシンプソンに、皮肉にも心を奪われてしまったのだろう。


 二人は、それ以上、進みも戻りもしない。


 最もシンプソンは、したくても、照れてしまって何もできない。しかしこの状況を、どう打開したらよいのかも解らない。女慣れしていない、彼らしいところであった。


 しかし、善悪の見分けは付く。彼はその方面から、冷静に考えることにした。そう、彼女は黒の教団で、此処の司令塔だ。黒の教団は、オーディンの全てを奪ってしまった許すことの出来ない、悪の集団だ。でも、彼女は、とてもそう思えない。自分の胸に、しっとりと寄り添っているせいか、憎むことは出来ない。


 呼吸を一つ入れた瞬間に、ふわりとした香りが、顔を撫でる。それに、シンプソンの苦手なことの一つに「女性を傷つけること」がある。むやみやたらに、彼女を突き放すことが、出来なかった。


 「君は、私を知っていたようですが、遠視が、出来るんですか?」


 ここは一つ、自分たちに、共通の話題を持ち出すことにした。意味はない、だが、少なくとも、相手を知ることが出来るのは、確かだ。


 「出来るわ、でも、私の遠視は、それほど明確なわけではないわ、知りたい人物以外のモノは、殆ど影と線でしか見えないの。それと、その人の位置と……、個人的な事は答えてあげる。でも教団のことはダメ」


 彼女は、シンプソンの胸から離れない。他の質問を、してみることにする。


 「あなたの言う、平和と平等とは、何ですか?」


 「全ての生は、平等に太陽の光りを、受けなければならないわ。そしてあなたは、あなたの守っている者達にとって、光……貴方は平等な人だわ……」


 シンプソンのことは、さておいて、言い分には間違いはない。だが、何か行動が奇怪だ。夜中に人を連れ去ることは、権利の侵害ではないのだろうか?とても平等を、唱える者のする事とは、思えない。


 「あの、もう一つ良いですか……、え?」


 シンプソンが、その事について、質問をしようと、したときだった。彼女の顔が、するすると、彼の太股辺りに落ちてきた。一瞬、何が起こるのかと、どぎまぎしたが、何のことはない、どうやら睡魔に襲われて、そのまま眠りに就いてしまったようだ。そんな彼女は、信じられないほど無邪気な顔をしている。

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