第1部 第2話 §4  小さな村で

 それから時は翌日、場所は、西バルモア大陸の、内陸にある名もない農村に移る。小さな農村には不釣り合いな、大きな孤児院があり、その礼拝堂で、一人の男が、祈りを捧げている。今日一日、無事で過ごせることを、沈黙の礼で、十字架に貼り付けられた、神々しく、凛々しい銅像に向かい、額ずいている。


 そこに玄関を無断で開け、子ども達がワラワラと入ってくる。皆、よく行って10歳前後の、幼い子ども達だ。


 「シンプソン、ねぇったら、シンプソン!!」


 皆立て続けに、彼の袖口を引っ張り、上目遣いで彼を見る。


 「何ですか、ジョディ、ハメッド、それにみんな、騒がしいですよ!」


 「そんな事言ったって、ヒトが降ってきたんだよ」


 子ども達の奇妙な発言に、彼は、目をきょとんとさせ、祈っていた手元の意識がゆるむ。


 「ヒト?」


 この男の名前は。シンプソン=セガレイ。歳は、二十五歳くらいで、身長は、一七五センチくらいだ。見てくれは、逞しさは感じない。面持ちは長く、少し目が悪いようで、控えめな丸レンズの眼鏡を掛けている。線の細い感じの男だ。髪は、肩口くらいまでの長さで、癖毛っぽく、僅かに青みがかった白髪で、変異と思われる色をしていて、目も覚めるような水色だ。格好は、ジーパンに、Tシャツ、辛うじて、袈裟らしきモノを、肩から下げている。


 彼は、子ども達に、引っ張られるようにして小川に急ぐ。小川に着くと、乱雑に散らかった洗濯物と、他に数人の子ども達がいる。合計併せて、十六人で、半数が男の子だ。孤児院の広さに比べて、少人数だっだ。


 河原には、子ども達が、引き上げたと思われる一人の男が、俯せに転がっていた。身なりは貴族風で、腰元辺りには、青く光る刀身の剣が落ちている。それと、片面だけの仮面も転がっている。


 「大変だ!」


 子ども達の言っていた状況が飲み込めたシンプソンは、男の側に駆け寄り、すぐさま彼を仰向けに寝かせた。顔面左半分は、酷く焼けただれている。そう、オーディンだ。彼は、あの状況で生きていたのだ。しかも、ヨハネスブルグから、かなり離れた異境の地と思われる土地で、である。


 「う……うう……」


 オーディンは魘されたように呻き声を上げるのだった。


 「まだ息がある。呼吸も確かだ。心臓も動いている。正常だ」


 シンプソンは、手慣れた感じで、彼の様態を確かめる。それから、オーディンの左胸に右手を軽く翳し、呪文を唱え始める。


 「天なる父よ。この者の傷を、癒し給え……」

 暫くその状態を、持続させる。青白かったオーディンの顔に、少し赤みが戻ってくる。


 「良かった……、取り敢えず家に帰ろう。皆は、洗濯の続きをして於いて下さい」


 と、命令口調でオーディンを、抱き抱えようとしたが、何せ鍛え抜かれた彼の身体だ。か細いシンプソンが抱えたところで、すぐに蹌踉けて腰が砕けてしまう。


 「シンプソンは、ホント力が無いなぁ」


 少年は、後頭部の後ろで腕を組み、ため息がちにあきれている。


 「五月蝿いですよボブ!男の子は、手伝って下さい!!」


 シンプソンは、恥ずかしさで、顔を真っ赤にしている。情けない声で、訴え掛ける。


 「あははは!!」


 彼が力仕事に向いていないのは、皆知っていたので、「相変わらずだ」と大笑いだ。彼は、子ども達の力を借りながらも、漸く空いている部屋に、運び込む。

 

 更にそれから三日後、オーディンは、目覚めぬ中、一つの夢を見ていた。いや、夢と言うより、自分が光りの中に、かき消される瞬間の出来事を、思い出していると言った方が正確だ。


 〈さらばだ。セルフィー……、ニーネが待っている〉


 彼は、セルフィーに微笑みかける。セルフィーを見たと同時に、一人の黒装束に身を包んだ女が、オーディンの目に飛び込む。距離感がまるでつかめない。遠くにいるのか、近くにいるのか、それとも幻影なのか……。兎に角彼女は、彼を見て、声を殺しながら笑っている。まるで彼をあざ笑うかのように。


 〈誰だ!お前は、貴様か?!ドラゴンを召喚したのは……〉


 〈そう。お前が邪魔なの……、私達には……〉


 〈私が?!……うわぁぁぁ!!〉


 その直後、彼を真っ白な光りが包む。その時、また別の声が、聞こえる。


 〈まだだ。オーディン、死んではならぬ……〉


 今度は男の声だ。声だけだったが、無表情だ。だが、オーディンを欲していたのは確かだった。


 〈今度は、誰だ……〉、「誰だ!!」


 夢に興奮し、恐れをなして、飛び上がるようにして、ベッドから上半身を起こす。その時に、自分が光りに包まれた直後の再現だったと言う事を理解する。それからだった。自分が今、全く見知らぬ場所にいること、生きていることを確認する。


 ベッドの横を見ると、数人の子ども達が、彼のいきなりの行動に驚いた様子で、目をぱちくりとさせている。ジョディ、ハメッド、ボブもいた。オーディンも彼等に気がついた。それと同時に、自分の顔、左半分の景色が、妙に開けていることにも気がつく。彼の醜い左半面の顔がさらけ出されているのだ。今の状況よりも、何よりも、彼は、その事に驚く。その醜い半面を、恥じるように、両手で顔を覆い隠した。


 「見るな!頼む!見ないでくれ!!」


 目覚めたときよりも、大きな声で、取り乱し、必死に顔を隠す。これこそ、何が起こったのだと、子ども達の方が慌てふためく。どうしたらよいのか解らず、ジョディが、シンプソンを呼びに行く。


 「私の仮面は、何処だ!!」


 オーディンには純粋な子ども達の目が、自分に突き刺さるように感じた。ただ自分の不甲斐なさを痛感し、恥じている。自分の醜い顔で、その全てを悟られるような気がして、ならないのだ。


 オーディンが、顔を伏せていると、間もなくジョディが、シンプソンを連れて、彼の部屋にやってくる。子ども達は、邪魔にならないように、オーディンと、シンプソンの間を空けた。


 「どうしたのです?何があったのですか!」


 シンプソンは、一瞬声を荒げたものの、これ以上空気を乱さないように、歩調を乱さずにオーディンに近づき、彼の肩を掴み、正気を取り戻すように、懸命に呼びかける。


 オーディンは、元々正気だが、その怯えようは、そうは思えないモノだった。


 「仮面を……、頼む……」


 オーディンが正気だということは、彼が応対を求め、無闇に暴れないことで直ぐに理解するシンプソンだった。それと同時に、彼が何かに怯えていることにも気がつく。


 「何をそんなに、怯えているのです」


 シンプソンはストレートで正直な物言いで、ベッドの枕元の棚に置いてあった仮面を、落ち着いた様子でオーディンに手渡す。


 「済まない……」


 オーディンは呼吸の乱れを整えつつも、一応の礼を言い、仮面を取り付ける。ゆっくりと深呼吸をしながら少しずつ落ちつきを取り戻して行くオーディン。仮面一つに、此処まで変わる彼の態度に、シンプソンは、異常さを感じた。


 「みんな、食事が出来てますから、先に食べておいてください」


 シンプソンは、二回ほど拍手をし、自分に注意を引きつけながら、柔らかくも強い口調で、自分の指示に従うよう、子供達に促すのだった。


 「でも……」


 ボブが、一瞬、彼に反論しそうになるが、シンプソンの滅多にない恐い顔が、彼の疑問を押さえつけた。聞き分けるべき時は聞き分ける。其れも彼の教育方針の一環だった。皆怒られないうちに、静々と、部屋を後にするのだった。


 「ククク……、無礼な人間だ。私は……、助けて貰った礼をするどころか、醜態をさらすとは……」


 オーディンは、自分を卑下し、肩を微かに揺らし、卑屈に笑う。そんな彼からは自分に対して十分に愛想を尽かしうんざりとしているのが、シンプソンにも伝わる。


 だがまずは、何を置いても礼を言わなくてはならない。自分が無礼者でも、傍若無人な訳ではない。それはオーディンの持って生まれた性分でもある。


 「済まない。私は、オーディン=ブライトン。貴方は?」


 これ以上自分の命の恩人であるシンプソンに不愉快な思いをさせたくはないと思ったオーディンは、握手を差し伸べながら、自己紹介をする。


 「シンプソン、シンソンン=セガレイ、シンプソンで良いですよ、えっと……」


 しかし、シンプソンはオーディンの心境など全く心配無用だと言わんばかりに、確りとした握手を返すのだった。躊躇いのない素直な握手なのが、オーディンには解る。


 「オーディンで良い。気軽に呼んでくれ」


 確かに、礼儀を尽くした互いの挨拶だったが、オーディンの声には張りが無く、心も此処に有らずといった状態だった。誠意有る自分を保ち続けるだけの精神力が、今の彼にはない。


 そして再び自分に幻滅する。ドラゴンを倒すどころか、ニーネを守れず。王城は、消え去った。自分は命を張った筈だが、無様に生きている。気がかりなのは、セルフィーだ。


 オーディンには、セルフィーが死んだことなど、知る由もなかった。


 「良かった。どうやらまともな人みたいですね、ジョディが台所に飛び込んできたとき、危ない人かと思いましたよ」


 シンプソンは、緊張の糸が切れたようにホッとした様子で、クスクスと笑い出す。ベッドの上に、腰を掛け、後ろ手に手をつく。


 「済まない、子ども達を……、驚かせてしまったな」


 オーディンは、俯き、また卑屈に笑う。彼の声には、生きているという喜びなど全く無い。それどころか、助けて貰った事が、迷惑にだといった感じだった。愛を誓い合った女(ひと)は、もういないのだ。生きる目的が見いだせない。


 〈それなら一層のこと……〉


 オーディンは、心の中で、自分の生存に絶望しようと、したときだった。


 「ダメですよ。何があったかは、存じませんが、自分を捨ててはいけません。幸い身体には、何処も怪我はありません、まだ誰かが貴方を必要としている証拠ではありませんか?どうです、それを探してみては……」


 するとシンプソンが、こう言った。シンプソンは、不思議な男だ。オーディンはそう思った。


 彼は恐れず人を励ます人間なのだ。しかもその瞳は明るい未来を信じている。


 そして、心がどこかへ行ってしまった自分を、励ましてくれた。その時に、漸く彼の顔が目に入る。丸い眼鏡の後ろから、穏やかな水色の瞳が此方を見る。それから、水色に色付いた髪が、オーディンの気を惹いた。


 「変わっているな、そんな髪の色は初めてだな」

 思わず考えることなく、こんな事を行ってしまう。それほど、彼の髪の色は、不自然な青さだ。だが、染めて出来る色でもない。白銀の頭髪のようだが青みがかっている。


 「そうですね、子共の頃は、この髪のせいで、よくいじめられましたよ。何度この髪が、疎ましく思えたことか、でも今は平気ですよ。自分だけが、こんな色ですから、皆、すぐ覚えてくれますよ。おかげで、村の人も、この孤児院に、よく色々な寄付をしてくれます。あ、一寸欲っぽいですね、この話……」


 彼は、挑発を指先にクルクルと絡めながら、慣れた口調で、ニコニコとしながらも、語尾に苦みを残しながら、話す。


 オーディンは、ふと自分の左の顔に手を当てる。軽い気持ちで聞いた話だったが、彼は、あっさりと答えてくれた。辛いこともあっただろうに、その事を少しも感じさせないほど、その表情は明るい。


 それに引き替え、自分は、皆が認めている傷にも関わらず、それを恥じ、疎ましく感じ、皆の前でひたすら隠し続けようとしてきたのである。彼は、一度付けた仮面を外し、ベッドの上に置く。それから、シンプソンの方を向いた。


 「この顔、どう思う?」


 「ええ、酷い怪我ですね、気にしてらっしゃるんですか?それでさっき……、でも取り越し苦労ですよ。それとも、子ども達も私も、何か気に障るようなことをしましたか?」


 「いや……」


 考えてみれば、バカなことだ。この傷の痛みは、彼を英雄視し続ける民衆の重みで、感じていたのだ。それに彼になら、自分の苦痛を打ち明けられそうな気がした。今は無理だが、きっとそのうちに……。


 オーディンの名前を出しても、気がつかないのだ。自分の名声が届かないほどの相当な地方であることは、察しがついた。

 

 都合が良かったのかもしれない。

 

 自分の何かを見つけるために、此処で暫く頭を冷やすことにした。ただし全く別の大陸だと言うことは、気が付きはしなかった。


 「あ、どうです?今から昼食なんですが、ご一緒に」


 シンプソンは現実的な時間の経過を思い出す。


 「ああ、頂くよ」


 オーディンは、ベッドから起きあがる。身体の方は、本当になんとも無いようだ。あれほどの状態に陥っていたのなら、身体が灰になっていても不思議ではない。今度はそちらの方が、気がかりになっていた。


 〈死んでは、ならない……か、あの声の主は、誰だろう。それにあの女……、私が邪魔だと言った。解らない事だらけだ……〉

 オーディンは、あまりの謎に消化不良になり、再び立ち尽くしたまま、眼前の壁を眺めている。


 「どうしたんです?」


 シンプソンは、覗き込むようにして、一人思いに耽ってぼうっとしているオーディンが気になって、聞いてみる。


 「いや……」


 今は自分ですら、何が起こったのか全く理解していないのだ。口にしても仕方がないと思った。

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