第7話
視界が研究所の一室に戻り、身体を起す。しかし肩が凝っているせいか、酷く頭痛がする。身体も怠い。なので再び椅子に深く座り込んだ。
「お疲れ様」
ママがそれを受け取りながら気分はどう?と聞いてきたのでなんだかキツイと答えた。助手さんが頭のセンサーを一つずつ外していく。頭の周りのバーは右側の突起に収納された。
「私のわかる範囲で色々とパパに話しちゃったけど、その辺は大丈夫だったのかな」
「まずかったら前みたいに一時的にこっちに意識を戻して禁句を教えてまた意識を飛ばすっていう手順を瞬時に踏まなくちゃいけなかったけど、あの程度なら大丈夫よ」
するとママはサングラスを機器のポケットにしまい、透明ボックスの脇にしまわれていたタブレットを操作しながら大きくため息を一つ吐いた。
「どうしたの、ママ」
「ん? 何?」
「隠し事は無しだよママ。私、やっぱり何かまずいことしてきた?」
「まずいことしたの?」
「いや、してないと思うけど、それよりため息なんて吐くから心配になったんだよ」
「先生は昨日今日と寝てないから疲れたんだと思いますよ」
助手さんが答える。
「ママ、徹夜で何してたの?」
「あなたのモニターをしなくちゃいけなかったからね」
「最初のうちは私たちも交代制で見てたんですけど、残り三日になってここからはセンシティブな話だからって自らモニター確認を買って出たんです」
「別にあなたたちが悪いってことじゃないわ。本格的に実践投入されたばかりのシステムに娘を被検体に使うからとにかく気が気じゃなかったのよ。本当は最初から最後まで面倒見たかったくらい」
でも助かったわよとママが助手さんを宥める。
「心配かけてごめんなさい」
私も謝る。
「いいのよ」
「それでも私は向こうに行けて良かったよ。パパにも会えたし」
「そうね……」
「ママ?」
「ん?」
「やっぱりなんだか辛そうだよ。今日は早く帰ろうよ」
「そうね。でもやっぱりもうちょっとだけやってくわ」
そう言うとママは助手さんに色々と指示を出して私は一人帰路についた。
「ねむーい」
帰宅早々ママは部屋のベッドに飛び込んだ。
「ママ、今日はもう寝ちゃってよ。晩御飯は適当に食べるから」
「お腹も空いてるんだけど眠気には勝てそうにないわ」
と言って静かになったと思ったら寝息が聞こえてきた。お疲れ様と告げて部屋の扉を閉めた。
何はともあれ私の大冒険は終わりを告げたわけだ。大人ならここでビールで乾杯、ってところだろうけど未成年には無理だから、いつものようにコーヒーを淹れてマグカップを抱えて居間のソファに潜り込むように体育座り。スイッチを入れて適当にテレビ番組を見るともなしに見る。久しぶりに飲むコーヒーはなんだかいつもより美味しく感じた。にしても肩も頭も痛い。何か薬があったかなと探してみたが目ぼしいものは無かった。
するとどこからか着信音が聞こえてきた。音の方角を考えるとどうやら自分のスマホが何かを着信したらしい。テーブルにマグカップを置いて部屋に入る。
机の上に置かれたスマホの電源をオンにすると通話アプリの着信が二件入っていた。昼と夜に一つずつ。相手は燈子だった。座る時間も惜しいと立ったまま急いで中を見る。
『一応父親の容体は落ち着いた様子。心配かけて御免』
「うわー良かったー」
自分の父親を救い友人の父親が助かったという知らせが重なって普段よりも喜びが大きく感じられた。
――おめでとう! 少し安心できたんじゃない?
『まだ検査は必要だけど最悪の状態は脱したって医者が言ってた』
――祈った甲斐があったのかな。
『美笑にまで迷惑かけてすまんな』
――いつもこっちが迷惑かけてるんだから、返せるときは目いっぱい返さないとってね。
――でも本当に良かったね。
――実は私も今日パパを助けて来たのよ。
『は?』
――ふっふっふ。まあそれはまた追々話すよ。今はみんなでお父さんの無事を喜ぼう。
『そうだな』
そしてアプリを閉じ、ベッドにダイブする。今まで感じたことの無い達成感を体中に感じて、何度も何度も枕をボスボスと叩く。そして仰向けになると、つい数時間前にパパと一緒に見た星空を思い出した。意図して星を見上げたことなんていつ以来だろう。気づけばいつも下ばかり向いてた気がする。こんなんじゃパパに説教できた義理かよって思われちゃうな。パパに言ったようにこれからの日々を真っすぐ前を見ていかなきゃな。それにしても今日は疲れた。瞼が閉じて、手に持っていたスマホが床に落ちた。
翌朝、誰も起きていない台所でとりあえずトースターにパンを入れ、コーヒーメーカーに粉と水をセットする。今日は平日だがママが起きてこない。よっぽど疲れていたんだと思う。色々迷惑かけたんだろうなあと想像するけれど、してきたことは全てパパを思っての浅はか自分にできる最善のことだったと思ってる。
パンが焼けてコーヒーが入って、テレビをつける。今日もパッとしないニュースが続いている。見てるだけでも気が滅入るから消そうかと思った矢先にふと時間を見ると、もうそろそろ用意をしないと遅刻するところだった。ママは起きてくる気配がないからきっと今日は休みを取ったのだろう。大きな物音を立てないようにして、私は家を出た。
数日ぶりの電車はなんだか恐怖を感じた。立っているか座っているかの違いがあれど、車両一つの乗客皆が項垂れてスマホを見ている。今まではそこに自分もいたのだからいまさら何をという話だけど、昨日までの空いた客車の空気の通り抜ける感じがここでは全く感じられない。まるで死者の群れ。余りきょろきょろしているのも悪目立ちすると思って自分も群れの一部に入る。こんな電車に何年も乗っていては気が参ってしまうのも頷ける。
学校に着くと昨夜のことが思い起こされた。この学校でタイムカプセルは埋めてないから、夜中に掘り起こすことはない。それより、私も今までのように殻に閉じこもるのではなく、少しずつ周囲に溶け込む努力をしようと思った。それはパパに自分が言ったことの裏返しである。とはいえ別段無視されてるわけでもいじめにあっているわけでもないから、今まで通りでもそれほど差支えは無い。ただ友人がスマホ越しの一人だけというのが痛い。パパのように一人で生きなくちゃいけないわけじゃないから、いつかいなくなるとしてもその時までは多くの友人と手を繋いでいたい。そう思う。
「おはよう」
「お、おはよ。何? 急に声かけてくるとか」
自分の机周りに三人いるうちの誰もが怪訝そうな顔をしている。無理もない。ここでの私は最小限のコミュニケーションしか取ってこなかったのだ。
「うん、ちょっと旅行をしてきて一皮むけた感じなの。世界が眩しい!」
「学校サボって旅行してたの? サイアク。マジか」
「まあ事情があってね」
そうして机に頬杖をついて目を閉じる。色々なことを思い出すように。
対して話しかけられた方は妙な気分のままそれぞれの席に戻って行った。
いつもと違う平日の朝をそんな風に始めた。
家に帰ると中からおかえりとぼんやりした声がかかった。
「ママ、今日休みだったの?」
鞄を部屋に置いてすぐ居間に行った。それに気づいたのか、ママは見ていたタブレットをテーブルに置き美笑を迎えた。
「そういえばあなた学校、数日休んでたのよね。私もうっかりしてたわ」
「それはいいよ。あれは途中で止めるわけにはいかない話だったし、早いに越したことはないだろうし」
それに私は落ちこぼれだしね、と苦笑すると、落ちこぼれだから休んじゃダメでしょとお叱りを受けた。
「それであっちのパパの方はあの後どうなったの?」
「ん~」
歯切れが悪い。
「何か悪いことがあったのね」
「こういう時は察しがいいわね」
「ママが分かりやすいだけだよ」
そして私はママの対面の椅子に座った。
「実はね、美笑が帰った後、パパ、すぐに交通事故にあってね」
「え?」
そんな……
「だって私が運命を捻じ曲げて交通事故を阻止したんじゃなかったの?」
「可能性の一つとしてそうやって危険分子を排除すれば丸く収まることも考えられるけど、別の可能性として何をやっても結果は同じになるという考え方もあるの。それで今回は後者だったってわけ。私達もどっちなのかまだ実証実験が不十分だったから、今回のケースは変な言い方をすればとてもいい実験結果だった」
「実験って、人の命がかかってるんだよ。それを実験って」
「でもね、人が交通事故に遭う可能性なんて計算できないもの。もしかしたらまだパパが事故に遭うことだって考えられるし、もしくはこれが最後の事故だとも考えられる。ただ一つだけ。今回の事故ではパパは死んでいないから」
「結局事故に遭ったんじゃ意味無いよ」
「でも美笑が行く前のパパは事故で亡くなってたのよ。それがまだ先送りされたんだから……まあ確かに良くはないわね」
いつか事故に遭ってパパは死ぬ。それは何物にも覆せない事実らしい。それならば結局私は何をしに行ったというのだろう。完全な自己満足だ。何か足元がぐらつく感触を得た。
「それじゃあ事故が起こりそうになったら全部私が捻じ曲げて……」
「無理よ。美笑、この件であなたが責任を負う必要はないわ。GOを出したのは私なんだし。明らかに浮かれてたと思う。余りにも凄いことを成し遂げてしまったから、こっちの都合を美笑に隠して確かめてもらうようなことをした。結果一人娘が泣きを見た。許してほしいとは言えないけど、とにかく美笑が喜ぶと思う一心だったことは信じてほしい」
そう言うとママは私の拳を両手で包んでそこに額を載せた。
「ママ……」
許すとか責め苦を負わせるとかそんなこと私がとやかく言えることじゃないと思う。私の我が儘を最大限に聞いてくれたのだから。出来ることはやったんだと納得しなくちゃいけない。今すぐには割り切れないから時間をかけて。
「いきなりの話でびっくりしてるけど、ママたちはママたちで最善を尽くしてくれたんでしょ。私にそれを責めることは出来ないよ」
ママが顔を上げる。
「そう言ってもらえると救われるわね」
そうして私の頭を撫でた。
「言い方は悪いけど貴重なデータは取れたし、公私混同はこれ以上できないからもうあっちのパパの行方を追跡することはできないけど、許してね」
「わかってるって。私だってパパの最後なんて知りたくないもの」
「そうね」
そしてママは立ち上がると台所でコーヒーを沸かし始めた。
「あなたも飲むでしょ」
「うん。あー、お腹も空いたかも」
「もうそんな時間か。夕飯の用意するわね。何か食べたいものある?」
「五目焼きそば」
「材料がないから買い物に行かなくちゃ」
そこでふと思いついたことがあった。
「ねえママ。向こうのパパを追いかけるのは無理でもこっちのパパならどうかな」
「どういうこと?」
「向こうとこっちの世界って似たものなんでしょ。ならあっちのパパと同じ行動をこっちのパパもしてるって可能性は無いかな」
「いい考えね。でもそれを実証しようにも私は仕事があるし美笑だって学校があるでしょ。大学が決まった後にしなさい」
「そんなに待ってたらパパがどこかに行っちゃうかもしれないじゃない」
「そんなに急いでパパに会ってどうするの」
「もう一度一緒に暮らす、とか」
「それは難しいと思う。こっちのパパも職探しをしてるなら、そんなパパに今の私を見せたらまた同じことの繰り返しだもの」
「でも会うだけならいいでしょ」
「だからそれは大学が決まってからで……」
「まだ今なら出かけても大丈夫でしょ。終わったら一生懸命勉強するから!」
「頑固ねえ」
そう言うとママは私とママのマグカップを持って戻ってきた。
「本当に勉強するのね?」
「する。私もいつまでも馬鹿でいたくないもの」
「わかった。でもパパが向こうの世界と同じところにいる確証はないから、空振りに終わったらそれで諦めてね」
そう言うとママはカレンダーを見つめた。
「そうね、今度の土日に行くことにしましょうか」
「殆ど滞在時間が無い気がするんだけど」
「じゃあ金曜日の午後にこっちを発って、冬輪駅の周りにあるビジネスホテルで一泊する。さすがに今回はネカフェを使わせるわけにはいかないからね。それで朝になったらチェックアウトしてパパの部屋を訪れなさい」
「わかった」
細かいことは後でと言いおいて、まずは夕飯の材料を買いに行きましょうとママが言ったので、私も頷いて立ち上がった。
金曜日の午後。学校から急いで帰ってきた私は荷物を持ってすぐに家を出た。帰り着く前に到着時刻を連絡しておいたのでママが駅まで車で来てくれていた。途中、ママは行かなくていいのかと聞くと私は行けないわと答えた。
「今の私は多分今のパパの嫉妬と後悔の対象でしかないと思う。でも職探しをしてるということはもしかしたら少し気持ちが落ち着いたのかもしれないわね」
そうであって欲しいわとママは呟いた。
車は駅のロータリーに着いた。
「それじゃ行ってきます」
「パパによろしく言っておいてね」
「うん」
新幹線と在来線を乗り継いで三時間強、ついに冬輪に着いた。こっちの世界では初めて行くところだというのに全くそういう感覚は無かった。ビジネスホテルにチェックインするとすぐにパパの部屋に向かった。そこにいるのかどうかを確かめるために。
十三分。つい急ぎ足になるのを抑えながらアパートに着く。集合ポストのパパの部屋番号に別の名前は無かった。逸る気持ちは抑えきれずパパの部屋に向かい玄関の前に立つ。ドアの横に表札、あったのは小さな文字で「交橋」。一安心。
呼び鈴を押しかけて一息つく。辺りはもう真っ暗で部屋の中から明かりが漏れている。このドアの向こうにパパがいる。どうしよう。
どうしようもないよね。
意を決して私は呼び鈴を鳴らした。物音が中から聞こえて、ドアが開いた。
さよならピーターパン 椎名貴之 @t_shiina
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