第37話 別れ
――翌日。二人は昼前のヴィレッジを歩いていた。
出店が並ぶ大通りの真ん中を二人で歩く。空は曇り、やや涼しい風が吹く。今日まで粘り強く夏を感じさせていた午前中の温い風はもう無い。
バヨネットは雑踏の中でも目立つのか、側を歩いていた人々は自ら道を開けてくれる。人々が行き交う中で二人は手を繋ぎながら真っすぐ向かう先は横浜ヴィレッジで一番高い建築物、孤児院を運営する横浜ヴィレッジ教会だった。
拾われた時から身に着けていたボロ布からバヨネットのお下がりの服を纏っていた少年は今日その上から新しい服を纏っていた。ミリタリーっぽさを感じる暗めの緑に白い袖のスカジャンだ。綺麗な状態のスカジャンの背中にはほつれひとつ無い青龍の刺繍が施されており、青い鱗と金色のヒゲを蓄えたその迫力ある形相と口に咥えられた銃剣が見る物を圧倒する。胸にはスパイク型銃剣がクロスした刺繍も施されている所からバヨネットのオーダーメイドだと分かるのと同時に、その状態の良さからかなり大事にしていた服だというのが伺えた。そしてそれを今少年が肩に羽織っている。
少年が着るにはかなり大きいそのスカジャンを羽織る少年の表情はどこか誇らしげで、昨日の泣き顔はどこへやらといった様子だ。
二人は足取り軽く、教会の前に辿り着くと入口に紺色のカソックを身に着けた神父らしき人物と神威が立っていて何か話し込んでいる。
「よお」
間の抜けた声でバヨネットが空いている方の手で軽く手を振ると神威が二人を見た。数秒の間をおいて神威はバヨネット達の方に向き直るとやや呆れた様子で口を開く。
「遅いぞ。何をやってた」
「悪い悪い。寝坊しちまった」
見え透いた嘘。しかし神威はそこを突っ込むことなく流すと神父に少年を紹介する。
「この子がお話していた少年です」
「はじめまして。私はこの教会で孤児たちを預かり教育をしているアスンプトと申します」
「よ、よろしくお願いします!」
アスンプトと名乗った神父はニコリと笑みを浮かべると膝を折って少年と目線を合わして挨拶をした。
子供相手に信用を得る為の行動から子供慣れしてるのが伺えたがその慣れに対しバヨネットは何故か胸が焼けるような不快感を覚えた。だが今更やっぱやめた等と言い出すほどバヨネットのメンタルも子供ではない。
表情を変えずにジッとしゃがみ込んだアスンプトを見下ろしていると不意にアスンプトはバヨネットの方を見た。
「貴方がこの少年を一時保護してくれていた方ですか?」
「……ああ」
「悲しい事ですが今の時代、一時的にも見ず知らずの子供を保護する人も珍しい。感謝致します。この子は幸運ですね」
「子供捨てるような親の下に生まれた時点で幸運な訳ねぇだろ」
アスンプトの言葉に思わず出たバヨネットの言葉は本当に反射的と言える程の速かった。
聖職者のいう幸運とは謂わば神の加護のようなもので、暗にアスンプトは少年に対し神の加護があったお陰で少年は救われたと言いたかったのだろう。そしてバヨネットはそれを察した上で思わず反論してしまったのである。
神なんてものがいるなら自分や少年のような不幸な出自の人間がそこかしこにいるなんて世界になる筈がない。バヨネットは神という概念に懐疑的、というより否定的であった。だがそのバヨネットでも教会が運営する施設に少年を預けるのはバヨネットが神の存在は置いておいて、孤児院という施設であれば少年の衣食住が安定するのは神威にはなんだかんだ言いながらも分かっていたからだ。
だが、ついうっかりバヨネットは嫌悪感を漏らしてしまう。
「おいバヨネット」
神威がやや早口に神経質な声を零すも直ぐにアスンプトは「いいんですよ」と神威を止めた。
立ち上がり、バヨネットの顔を見てアスンプトは微笑みを崩さぬまま軽く頭を下げた。
「貴方の言う事も最もです。ですが、この子が貴方に出会えた事、それだけは本当に幸運だと思います」
「……
聖職者以前に大人としての対応をされたバヨネットは素直に謝る他無かった。ここで変に噛みつけばただ醜態を曝すだけだ。
少年の前ではいつもよりもバヨネットは
バヨネットは今、初めて自分で自覚した状態で自分より他人の事を考えて行動する。バヨネットはこれまでの少年を助ける為の行動は全て無意識で行っていたのだ。
最初に少年が大人に絡まれているのを助けたのもただの気まぐれだった。強いて理由を上げるならばいけ好かないオッサンなんかより純朴そうな子供の方が言う事を聞くだろうという事。鬼火を崩壊させたのも単に自分の金に手を出されたためだ。その後の鬼火のアジトを調査してナックル蛇栖太を倒したのもハクリンが組織のボスとして精神が未熟すぎる事に傭兵としての勘がハクリンより上の存在を嗅ぎつけたに過ぎない。少年を救うために暗鬼を倒したのもこの時バヨネットにとって少年が必要な存在になりかけていたからであってひいては自分の安心を得る為でしかない。そしてなによりバヨネットが暗鬼の事を気に食わなかったのでここいらで始末しておきたかったと思っていた。どれにしたってバヨネットが自分の都合でやった事だと思って行動した事だった。
バヨネットが少年にしてやれる最初で最後の相手を思いやっての行動。自分から潰すわけにはいかない。
だが、それでもバヨネットはどうしようもなく素直になれない男であった。
「こっからはお前らの仕事だ。しっかり面倒見ろよ」
「勿論です。お任せください」
「……じゃあ後頼んだわ」
吐き捨てるように言うとそそくさと背を向けて歩き出すバヨネット。その手はいつの間にか少年を離していた。最早語る事など無い事、未練など無い事を表すかのようにその歩みに迷いは無かった。
バヨネットが去ろうとするのを見て神威は思わず手を伸ばすが、その後の言葉が出なかった。
「君、名前は?」
再び少年の前にしゃがんでアスンプトが問う。
少年とアスンプトを見る神威は一瞬寒いもの感じたが、不思議にも少年の表情は明るかった。
「僕は、スパイクっていいます!」
元気よく、本当にニッコニコと形容するのが相応しい程の弾けるような笑顔に最早虐げられてきた者の面影は無かった。
その笑顔に神威は驚き、アスンプトは笑顔に微笑みを返しながらその焦げ茶色の短髪を撫でた。
スパイク。それはバヨネットに貰った名前。スパイクはバヨネットから貰ったその名を誇らしげに名乗ると後ろを向いて人ごみの中に消えかけていたバヨネットの背中へ向けて叫んだ。
「ありがとうございました! 僕、毎日手紙書きます! バヨネットさんを支えられるくらい強くなってみせます! だから、だからまた逢う日まで!」
大きい背中へ大きく手を振ってみせるスパイク。
スパイクの言葉に思わずバヨネットも足が止まると、振り向く事無くまた歩き始めた。
「んなもんいらねーよ! 俺に構わず自分の為に生きろ! ……じゃあな」
振り向くことはなかった。しかし顔を上げながらスパイクに負けじと声を上げるバヨネットの声はどこか嬉しそうで、それが伝わったのかスパイクは悲しむ事も無く、しかし別れを惜しんで唇を甘噛みした。
去り行くバヨネットはスパイクに向けて軽く手を振る姿は本当に素直じゃないなと思わざるを得なかったが、だからこそバヨネットらしい別れともいえた。
バヨネットと少年スパイクの短い二人暮らしはこの瞬間幕を閉じるのだった――。
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