第36話 小さな抵抗、大きな痛み

 ――バヨネットが少年と暮らし始めて六日目。

 大した怪我も無く救出された少年は朝になって直ぐにバヨネットに頼まれておつかいに出ていた。

 秋を前に晴れた朝は風が吹くと心地よい涼しさが肌を撫でる。少年が人ごみから遠くの空を見ると細く白く昇る煙がいくつかあった。昨日のブリガンドの襲撃によって主に攻撃を受けた横浜ヴィレッジ西門近辺では火災が発生しており、それが鎮火したばかり。深く鼻で空気を吸えば微かに炭のような苦みのある臭いが感じ取れた。

 世間は昨日の襲撃の話題一色であり、少年が雑踏の中を歩いている間にも右から左からやれ警備隊が役に立たねえだの、傭兵がいなきゃ門が破られていたんじゃないかだの、バヨネットの活躍がどうのという声よりもヴィレッジ警備隊に対する不満の声が多かった。

 しかし少年には難しい話はよく分からなかったので、みんな難しい話してて朝から大変だなーとぼんやり考えていた。実際、神威の活躍やブリガンド側のボスが傭兵である暗鬼だった事など知りもせず文句を言ってるだけなので少年の周りにいた大人達にとっては真実などどうでも良いのだ。日常の中で溜まった鬱憤を晴らすために怒りをぶつけられるものがあればそれでいい。そんな住民達を守るのもヴィレッジ警備隊の仕事なのだ。

 良くも悪くも世界がどう姿を変えようと人間そのものは変わらない。

 少年はそんな変わらない人間の合間を縫ってバヨネットの元へ駆けて行った。


 キャンピングカーに戻るとバヨネットは相変わらず車の前の椅子にふんぞり返りながら新聞を流し見していた。


 〝ミュータントもブリガンドも傭兵任せ! ヴィレッジ警備隊の存在意義は?〟


 見出しに大きく書かれた新聞を半分程度目を通すと、これ以上見ても無駄だなと思ったのか退屈そうに畳んで捻じってその辺に放り投げる。

 少年が戻ってきたのを横目に見るといつになく表情で少年を迎えた。


「ただいま戻りました」

「おう。ぼったくられなかったろうな?」

「大丈夫でした!」


 ふと風で転がってきた新聞が目に留まる少年。少年はまだ漢字が殆ど読めない。そこに刷られている怪我したヴィレッジ警備隊員達の姿を見て、雑踏で耳にした警備隊への陰口を思い出すと、自然に神威の顔が脳裏に浮かんで少し悲しげに下唇を震わせ、眉を寄せた。


「神威さん、大変そうですね」


 バヨネットを見つめて話す少年。バヨネットの答えは少年が思っていたよりも冷たかった。


「憎まれるのも仕事だからなあいつは」

「そんな……」

「外に敵がいないってのは平和な証拠ってな。いずれお前も分かる日が来るさ」


 神威の事を心配する少年を諭して、席を立ったバヨネットは車の中へ入っていくと直ぐに本を一冊持って戻ってくると少年に手渡した。

 受け取った少年は本の表紙を見てみると、それは所謂子供向けのマナー本だった。


「十代で覚えたい作法……?」


 フリガナが降られていて少年も流石に読めたが、急にそんなものを手渡されて困惑の色が隠せない少年に、バヨネットはいつも通り少しふざけた感じに、しかしどこか不自然なくらいに砕けた様子で話し出した。


「俺が言うのもなんだけどよ、世の中愛想良くしてた方が上手く立ち回れるのさ。特に集団生活とかになるとな」

「集団……え?」

「まあなんだ、神威が色々手を回してくれてな。お前を孤児院に入れて貰えるようにしたんだわ」

「え、えぇ……!? その……嫌です!」


 驚きのあまり大声を出してしまう少年。

 だが少年よりも驚いたのはバヨネットの方であった。

 少年からの明確な拒否、というよりも明確な意思表示をしたのがここまでの付き合いでバヨネットに覚えがなかったのが大きかった。

 バヨネットから見た少年は言った事は躊躇はしても何でも受け入れるが自分からこうしたいという気持ちを強く出したのはバヨネットにをした時ぐらいのもの。

 それと同じくらいの拒否と思えば相当嫌なのだろう。


「なんでだ? まさかずっと俺の所にいる気じゃねえんだろ?」

「っ……そ、それは」

「俺みたいな社会不適合者の野蛮な生き方を学んだって実際に活かせるのは喧嘩の時ぐらいのもんだ。それに俺の手を離れてまた路上生活からやり直しなんてより、大人になるまで面倒見てくれる孤児院に入った方が食いっぱぐれやしない。良い服だって着れるし飯も寝床にも困らねえ、最高じゃねえか」

「それでも、僕は……」

「優秀か知らねえが少なくとも俺よりも勉強を教えるのが上手い先生せんこーもいるし生きる為の勉強だって出来る。


 バヨネットがそれを言った途端、少年は急に目を見開いて手にしていたマナー本をバヨネットに向かって投げつけた。

 力無く飛んだ本は間近にいるバヨネットに向けて投げたにも関わらず体に当たる事も無く、バヨネットの足元に落ちて砂埃を小さく舞い上げた。

 少年の突拍子もない行動にバヨネットは豆鉄砲を食らった鳩のように唖然としながら足元の本を見る。


「僕は、僕はバヨネットさんと一緒にいたい!」

「っ……!」

「バヨネットさんがどんな人だって僕には関係無い! 僕はバヨネットさんと一緒にいたいし、名前だってバヨネットさんから貰いたい!」

「お前……」


 駄々をこねる子供の扱いなどバヨネットが知るわけなく、目の前で顔を赤くして今にも泣き出しそうになっている少年に対して次いで出す言葉が思いつかない。

 そうこうしている内に、少年はまた突然ハッとバヨネットの顔を見て何かに気付いた。その事にバヨネットは気付き、ふと思った。俺は今どんな顔をしているのだろうと。


「僕が、邪魔なんですね……」

「……」

「僕、邪魔にならないように頑張りますから! 役に立ってみせますから! だから、だから……見捨てないでください……」


 見捨てないで。

 その言葉にバヨネットは何も言えなくなってしまった。ああそうだよ邪魔だよ、などとは微塵も考えていない。でも図星を突かれてしまったのは事実だった。

 少年の存在は自分の弱点になる。暗鬼の言葉が小さな棘となって胸に刺さったままじくりと痛む。


(邪魔じゃない。邪魔じゃねえんだ……)


 バヨネットは心の中で何度も呟く。だがその先をバヨネットが自分の心の中でも続けるのを躊躇っていた。少年を失いたくない、危険な目に合わせたくないと思ってしまっている自分の本心から目を逸らしたいのだ。

 誰かを心配する事、誰かを好く事は自分の心を弱らせる。独りでなければならない、孤高でなければならないと、自分に言い聞かせる。

 そしてそこで気付く。と。


(俺は、ずっとひとりで生きてきたつもりだった。口うるさい奴に絡まれる事があったり、稼ぐために他人に自分を売り込む事をしてても、全て自分の意思で、自分一人の考えで全てを決めて生きてきた。立ち塞がる者は全て切り捨てて来た。誰にも負けず、誰にも邪魔されず、誰にも気を許さずに生きる事が強く生きる事だと思ってきた。そうやってやってこれたからこそ、俺は自分を強いと思い込んで揺るがなかった。だが違った。俺は弱かったんだ。ひとりで生きていけるから強いんじゃねぇ……人ひとり守って生きれないで何が強いだ! バヨネットなんて呼ばれちゃいるが、とんだナマクラじゃねえか!)


 既に啜り泣き始めていた少年を前にバヨネットは葛藤していた。己が成すべき事はなんなのかと。

 そして、この時はただ黙って少年の頭を撫でてやる事がバヨネットの出来る精一杯であった。

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